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気ままに生活してるシニアの残日録

三島由紀夫「文化防衛論」を読む(2/3)

2024年05月02日 | 読書

(承前)

  • 守るとは何か、守るという行為には必ず危険がつきまとう、平和を守るにはつねに暴力の用意が必要であり、守る対象と守る行為との間には、永遠のパラドックスが存在するのである(p40)、「平和を守る」という行為と方法が、すべて平和的でなければならないという考えは、一般的な文化主義的妄信であり、戦後の日本を風靡している女性的没理論の一種である(p50)
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    女性的云々というところは除き、その通りでしょう、これがわからないのがリベラル左派新聞や軍事研究を忌避する学者たちでしょう、ならず者国家からみれば良心的日本人であり、かつ、利用価値のある日本人たちだ。非暴力的な方法だけではウクライナは守れなかった事実を見て国民は現実に気付いている
  • 日本は世界にもまれな単一民族、単一言語の国であり、われわれの文化の連続性は、民族と国との非分離にかかっている、異民族問題の強調自体がこの民族と国の分離の強調であり、終局的には、国を否定して民族を肯定しようとする戦略的意図に他ならない、在日朝鮮人問題は日本国民内部の問題ではあり得ず、革命主体としての異民族の利用価値を認めたものに他ならない(p60)
  • 国と文化の非分離の象徴であり、その時間的連続性と空間的連続性の座標軸であるのが天皇であり、雑多な、広汎な、包括的な文化の全体性に、正に見合うだけの唯一の価値自体として、われわれは天皇の真姿である文化概念としての天皇に到達しなければならない(p73)、菊と刀の栄誉が最終的に帰一する根源が天皇であるから、軍事上の栄誉もまた文化概念としての天皇から与えられなければならない、天皇に栄誉大権の実質を回復し、軍の儀仗を受けられることはもちろん、連隊旗も直接下賜されなければならない、そうしなければ容共政権が成立したとき、天皇制は利用され、ついには捨て去られるに決まっている(p79)
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    三島氏が容共政権成立の際の天皇の立場を心配するのはわかるが、天皇に国の統治権ではなく栄誉大権の実質を回復しても、結局、戦前と同じように誰かにうまく利用されるだけになるのではないか

自由と権力の状況

  • チェコ問題はタカ派を勢いづかせると同時に、ハト派にも奇妙な論理を許し、大国の武力の前には戦っても甲斐ない僅かな武力を用いるよりもチェコのような非武装の抵抗こそ唯一の力であると主張する者もある。完全無防備抵抗は民族の自立を否定する思想であると言わなければならない
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    その通りでしょう、テレビでウクライナに対して被害をこれ以上出さないために直ぐに降伏せよと主張する声のでかいコメンテーターがいた
  • そもそも人間性の無制限な解放とは、おのずから破壊を内包し、政治秩序の完全な解体を目睹し、そこに究極的にはアナーキズムしか存在しないのは論理的必然である。言論の自由ないし表現の自由と、あらゆる形の政治秩序との矛盾がひそんでいる。人間性と政治秩序との間の妥協こそが民主主義の本質なのである(p131)
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    その通りでしょう、自由が大事だとばかり主張している人たちは無責任であると思う、自由には責任が伴うし、自由が無制限に認められるわけでもない

(続く)



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