W A K I の気ままなトンボの目

自分流の勝手な生き方ですが、何か気付いたことを書いてみます。
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ゆかりの宇治 「千年の貴族のロマンいきいきと」

2008年11月11日 | 歴史
 ウオーキングラリーは京阪電車宇治駅から健脚コースと基本コースの二つであったがWAKIたちは基本コースにした、スタンプは全部で10個、それぞれ、若いお嬢さんが親切に愛想良く迎えてスタンプも押してくれる、折角だからと手を合せてお参りもする。要所にはさすがに宇治、お茶の接待があっておいしいお茶が頂ける、重たいお茶を持ってこなければと後悔した、途中宇治上神社では七五三を迎えた家族連れで賑わっていたが、これも昔ながらの伝統行事で色を添えていた。ゴールの塔の島での抽選でアカトンボは宿木賞「ひらかたパークのペア招待券」が当たり気を良くして帰途についた。でもきょうのこの写真はまるでてんこ盛の幕の内弁当だ。

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スタンプラリー 「宇治十帖ゆかりの町を人が往く」

2008年11月10日 | 歴史
 今年は源氏物語千年紀、いろいろなイベントの中に宇治市・その他が主催する「宇治十帖スタンプラリー」というのがあって、運動不足気味のWAKIたちは興味をもって参加した、コースは健脚向きもあったが自信がなかったので基本コースにした。番号は地図の①~⑩まで宇治橋を中心に源氏物語のゆかりの場所をめぐるのである。一日中雨は降らなかったが曇りで汗もかかずに気持ちが良かった、宇治のコースは道路もきれいな敷石で整備されて歩き易く、歴史を偲ばせる佇まいであった。沢山のハイカーの中に親子連れが多かったのが印象的であった。(つづく)

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四天王寺ワッソ 「交流の歴史再現なにわの宮」

2008年11月03日 | 歴史
 きのうの大きなイベントは「四天王寺ワッソinなにわの宮」であった、今までに財政難から中断の時期もあったが今年WAKIが観た限り好天にも恵まれて素晴らしいイベントであった。古代から東アジアの日本と朝鮮半島はお互いの交流を通じて文化や産業を発展させて来た。そしてそこから日本民族は多くのことを学んだ、今年の祭りのテーマは「産業のルーツ」であったが、それら功績の人物も交え朝鮮の使節団に扮するのは、耽羅・加耶、隋、高句麗、百済、新羅、朝鮮王朝、と各時代の風俗絵巻が衣装もさることながら鳴り物入りで日本の出迎え側も多彩に推古天皇から聖徳太子といった面々がきらびやかな船だんじりで出迎えた、開会に際しては韓国大統領・麻生内閣総理大臣のメッセージほか橋下大阪府知事、平松大阪市市長も壇上から挨拶があった。WAKIはこのような両国友好の歴史が永遠に続くことを願う。

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先人は凄い 「知らないとうっかり通り過ぎてまう」

2008年10月17日 | 歴史
 枚方の関西医大のうしろの堤防に大きな石が置き忘れたように二つある。何の変哲も無い石でうっかりすると通り過ぎてしまうがここに説明板が取り付けられている。それによるとこれはその昔大阪城築城に際して、各国大名に命じて集めたものがどういうわけかここに残されたものらしい、木津川市加茂町から切り出されたものでこのようなものがまだ60個ほどあるらしい、それにしても、大阪城にはもっと大きな見上げるような石も多いがこれらを船に積んで運んだ技術はWAKIに言わせればピラミッドにも匹敵すると思うのだが。・・・
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何とも美しい 「彼岸花王仁の史跡に咲き乱れ」

2008年09月28日 | 歴史
 ときどきコメントをいただくW@niさんから王仁史跡の彼岸花が咲き揃ったとのお便りを頂いたので足を伸ばしてきた、場所は枚方市藤阪国際大学のキャンバスのすぐ横小高い丘の住宅地の中にある。彼岸花は王仁の墓とされる周囲や百済門の回りに植えられて建物ととけあって美しく咲いていた。3週間前にはこの地を橋下知事が訪れて新聞記事になってそのときのエピソードが載っていた。中国で生まれた漢字は朝鮮半島を経て日本にもたらされたがそれがこの地であったとの伝承で習字を習う人は必ずと言って良いほどこの千字文を習う、WAKIも何回か臨書をした。またこの百済門は韓国の人たちの手で建てられた生粋の伝統的な朝鮮王朝の様式で見ていて飽きない。日韓友好のあかしでもある 。

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原爆の日 「いまわしいあの戦争はもうごめん」

2008年08月06日 | 歴史
 またまた原爆の日がめぐってきた、63年前、1945年8月6日廣島に、8月9日には長崎に原子爆弾が投下されて戦争は終った。WAKIはそのとき国民学校4年生、かなりませた4年生で一人で切符も無しで大阪市内と疎開先を電車に乗って往き来したこともある、その頃覚えた軍歌は今でも歌える。父親は子沢山の一家の住んでいた家を処分して大阪府下の郊外に疎開した。戦況が厳しくなるは、すべての食べ物、衣類など配給制になるし、しまいにはそれも事欠く状況になり、大阪市内の住んでいた町は3月17日の大空襲で焼失、7月10日の堺市大空襲は目の前で見た。そしてまだ火のくすぶっている焼跡も歩いて凄惨な場面も見た、廣島に大きな爆弾が落ちたとの風評は数日して聞いた。WAKIはこうして戦争の悲惨さを身をもって記憶に留める事のできた最後の世代と思う、それだけにどんなことがあっても戦争の悲惨さと愚かさを、次の世代に訴えていく義務があると思っている 。

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平和の味 「毎日の頂くバナナも吟味して」

2008年06月27日 | 歴史
  WAKIのところは年から年中、朝食には和洋関係なくバナナとリンゴが半分づつ付くのが習慣になっている。今の時期リンゴは高いがバナナは安い、でもどちらもおいしい。このバナナ原産地表示がしっかりと書いてあっておいしくて信頼できる。何も表示の無いバナナは、ひと房5本で98円だがこちらはほぼ倍の値段だった、燃費の高騰でいつまで今の値段が保てるかが問題だ。さて、一方中国産のうなぎを浜松産と偽って新聞記事になっていたが、バナナに関しても産地や栽培の状況はわれわれには検証のしようが無い。
バナナと言えばWAKIは幼少のころは口にしたが後に乾燥バナナになってそのあと戦争が終るまで口に入らなくその味は夢にまで見た経験がある。という意味でWAKIにとってはこれは平和の味だと思っている 。
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京都・宇治・石山 「千年の歴史をひめたゆかりの地」

2008年06月09日 | 歴史
 今年は源氏物語がうまれて千年にあたる記念すべき年、大阪と京都それに滋賀を結ぶ京阪電車の沿線にはゆかりの場所がいくつもある、当然多くの人々が紫式部が描いた平安貴族の足跡を求めてやってくるし、それを当て込んだイベントも色々と行なわれる、それにしても千年もの長いあいだ、人々に愛され続けた作品も凄いがこれらを守ってきた日本文化とその歴史を培ってきた力も凄いと思う。WAKIもこの機会に少しはあやかりたいと思っている。そのときは京阪電車のお世話になって周ってみたいと思っている。
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灰吹屋西田筆店 「珍しい有馬の筆は人形が」

2008年06月02日 | 歴史
 金の湯から湯本坂をすこし上がったところに「灰吹屋西田筆店」があります。ここでは、有馬でしか手に入らない有馬人形筆が作られています。WAKIたちは一目で気に入ってしまいました、筆の軸には色とりどりの絹糸が巻かれていて、この模様が一本づつ違っていてそれに細工がしてあって、筆を持って文字を書こうとすると、軸の先端からピョコンとかわいい豆人形が飛び出し、筆を寝かせると軸の中に隠れてしまいます。昔は筆屋町と言われるくらいあったのが今はこの店だけで、昔しながらの伝統を守っていて、目の前でその職人芸を見ることができます。こうして人形がとび出すのが有馬人形筆、普通の筆が有馬筆、なかなか書き味はいいようで楽しみだ 。

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帆船MARY 「帆船は昔の歴史を物語る」

2008年05月24日 | 歴史
 WAKIの先輩での奈良にお住まいのNさんは帆船模型のマニアで今まで何隻も自作されている。その都度写真と共に資料をつけて送ってくださる。今回はオランダで建造されてイギリスに贈られイギリス海軍の艦艇として就航後1675年岩礁に乗り上げて沈没、1971年その遭難場所が突き止められて引き上げ検証のうえ復元されたもので今日のヨットの原型であることが立証されたとのことで、その翌年には同型のものが26隻も建造されたそうです。舷側に付いている小判型の板はリーボードと呼ばれる横流れ防止用の板で浅瀬でも航行できるように工夫されています。セイルの形状配置も現代と殆んど同じで性能的にも優れたものであったと窺えます。それにしても細かい仕上げ、Nさんご苦労さまでした。いろいろ想像しながらの製作楽しいでしょうね 。

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