W A K I の気ままなトンボの目

自分流の勝手な生き方ですが、何か気付いたことを書いてみます。
コメントはタイトルをクリックしてどうぞ。

やって来ました。 「ゆったりと頭の上を飛行船」

2005年04月30日 | 出来事
WAKIが待ちにまった飛行船「ようこそ・JAPAN号」がやってきた。関西空港空港島を飛び立ったツエッペリン号、神戸に立ち寄ったあと奈良の若草山を経て一旦帰港、このとき交野市上空を通ったのでベランダから遠望できた、こんどは琵琶湖に向けて運行、この往復にご当地上空を通過した、やっぱり大きい殆んど音も無く悠然と浮かんでいる、結構西風の強い状況であったが、そしてかなり早い速度だし、凄い。最後は琵琶湖からの帰りは、我が家のベランダのすぐ目の前を通過した、カメラ、カメラと言ってる間に遠ざかってしまった。
今は昔と違って水素ではなく、不燃性のヘリウムガスが気球に詰められていて、お客さんは体重を量って乗り込んでいたのが面白かった。

すいへりーぶぼくのふね、なまあがるシップスクールAクラス、(高校生のころ一生懸命に覚えたが後は忘れて思い出せない)
(この写真はうちのカミサンが撮影した)

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戦  後 「したたかに生きるすべを身に付ける」

2005年04月29日 | 歴史
WAKIの戦時体験(第8回)「戦 後」

手に入れたチューインガムが美味かった
僕たちはユニセフ物資で助かった
大豆粕ヤシ粉に粉乳常食に
とりあえず教科書だけは古いまま
教科書の困るところは墨で塗り
軍神と呼ばれた人が捕らえられ
貨幣価値みるみる下がりインフレに
通貨には証紙を張って物が買え
電車バス人がいっぱいぶら下がり
誰もかも二合五勺で耐え忍び
闇市は何でも欲しいものがあり

 雑 詠
鮮明に覚えているよ4年生
あの頃の軍歌はかなり知っている
僕の父兵役逃れ生き延びた
子を守る親の判断ただ感謝
           
              完

戦時川柳100句、最後まで読んでいただいてただただ感謝です。掲載の写真は小学校の卒業写真、(肖像権のこともあるがあえて掲載)WAKIもこのなかにいる、これだけ大勢の生徒を、先生もそれはたいへんな苦労をされたと思う。まえに掲載の水族館への遠足の写真(一年生)が最後で戦時中の写真は一枚も無い、やっとこの写真がこの後を受け継いでいくことになる、その空間をこの川柳が埋めてくれたとWAKIは思っている。
(お詫び、「校門の踏み絵はチャーチルトルーマン」と詠みましたが当時はトルーマンではなくルーズベルトでした。)



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話題のDVD 「懐かしの名演見ては感涙す」

2005年04月28日 | TOWN
このDVD値段はなんと500円、立派なケースに入って販売している。映画館はシルバー料金で1000円、このDVDだと2枚買える。さてどっちがとくか、判断はおまかせするとして、画質も音もそこそこ手軽なのがいい。「キリマンジャロの雪」パリのキャバレー、ミュゼットのアコーデオンとサキソホンの音楽の場面は何度見てもいい。
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巨星逝く 「薫風が心の中を吹き抜けて」

2005年04月27日 | TOWN
WAKIが川柳をはじめてまだ3年にも満たないが、欠かさず新聞の投稿欄に応募してきた、そして、何回かは掲載されて、気をよくしていたが、橘高薫風さんの選には入ったことがない、WAKIはこれが目標であったが実現することなく逝かれた、

今朝の新聞のコピーで申し訳ないが、薫風のごとくさわやかに去られた先生、心からご冥福をお祈りしたい。

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鉄道事故 「懸命の救出作業まだ続き」

2005年04月26日 | 防災
きょうのブログは、予定の原稿をとても載せる気にはなれない、WAKIはきのうはずっとTVに釘付けになって悲惨な状況を見ていた。今後事故の原因究明がなされると思うがやはり直前の伊丹駅でのオーバーランが気に掛かる。580人も乗客が乗っているのだからほんとうに一人の運転手でいいのかと思う。

亡くなられたかたのご冥福と、怪我をされたかたがたの一日も早い快癒を心からお祈りしたい。

そして、このような悲惨な事故が2度と起こらないようにするのがわれわれに課せられた責務と思う。
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塾の出題 「これ解けば四角い頭丸くなる」

2005年04月25日 | TOWN
これは、おととい乗った電車の中の広告、WAKIにとっては全くどうでもよい問題だが近ごろの子供たちはたいへん、こんなことを小学生のあいだにマスターしなければならない。WAKIは逆に丸い頭が四角になるのではと思った、ちなみに反日デモで騒ぎのあった上海は東京をこえる4,000軒のコンビニが競い合って、コンビニ戦争になっているそうな。

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藤棚はいまが盛り 「蜂たちはここぞとばかり蜜を吸う」

2005年04月24日 | 自然
いま公園の藤棚には藤の花が満開で、しかも甘い香りがほのかにただよっていい気持ちだ、そこに大きな蜂たちが寄ってきてどうも蜜を吸っているらしい。次から次えと花を渡り歩いている。足に付いた花粉は、花にとって欠くことのでできない大事なものでここで受粉をするのだろう、そしてやがておおきなそらまめのような実がぶら下がって地面に落ちる。

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韓国の歴史ドラマ 「宮廷の建物どれもきらびやか」

2005年04月23日 | 歴史
いまは韓流ブーム、ご多分にもれず我が家もTVはこれが主流。WAKIは一つだけ必ず見ている、それは「宮廷女官・チャングムの誓い」だ、これは実に見ごたえのあるドラマで、時代は16世紀初頭、朝鮮王朝の宮廷が舞台だ、おととい27回にわたる前編が終わり、これから後編がはじまる、楽しみだ。

WAKIは2001年にソウルに行ったとき、2人だけでソウルの北にある景福宮(キョンポックン)を見て歩いた、韓国は国をあげてこの地域を400年前の姿に復元し今も復元の作業は続いている。このドラマはまさにここが舞台だ。しかし、大半の撮影はMBC楊州(ヤンジュ)スタジオで行われていまはチャングムワールドとして見学ができチャングムフアン必見の地だ。ソウルにはこのほか昌徳宮(チャンドックン)徳寿宮(トクスクン)といった歴史的建造物がある。(写真は景福宮の中の慶会桜・迎賓館の宴会場・WAKIが撮影)

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どこかの本屋 「本棚が迷路のようで道ふさぐ」

2005年04月22日 | TOWN
WAKIが時々行く大きな本屋さん、デパートは閉鎖してもこの本屋さんは営業している、ちょうどWAKIは小用を催したので手洗いを探していた、天井からぶら下がった表示を見てそれにしたがって進んだが、その方向には本棚が立ちふさがっている結局ぐるぐる廻ってもとの入り口から外の通路に出て手洗いへ行く始末、帰りにこれを写真に収めた。店のほうに文句を言うのも大人げないのでやめたが今度行ったときは改善されているだろうか。

(本棚の上の吊看板見えますかね、見えない方はこのタイトルの緑の文字をクリックして大きな画像にして見てください。)
   
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戦争は終わった 「何もかも無くて戦争終わり告げ」

2005年04月21日 | 歴史
戦況はますます悪くなり、誰の目にも疲弊感が見えてきて、後は本土決戦かというような状況になってきた。そんな暑い夏、重大な放送があるという知らせが入り、老若男女みんながラジオの前に集まった。


WAKIの戦時体験(第7回)「敗 戦」

唯一のラジオを囲み玉音を
その場では子供に意味がわからない
玉音のあとはサイレン聞いてない
きのうまで竹槍作りやってたが
それまでは撃ちてし止まむ合言葉
黒幕の電気の傘を取り外す
電球がまぶしく部屋を照らしてる
やれやれと空襲ない夜かみしめる
戦争は負けたこの先どうなるの
もとの家瓦礫と化して草が生え
駐留の米兵見ては腰抜かす
装備見てこれでは勝てるはずが無い
そのうちに友の父さん帰還する
焼け跡に焼けたトタンの家が建ち

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