W A K I の気ままなトンボの目

自分流の勝手な生き方ですが、何か気付いたことを書いてみます。
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粗大ゴミでやむなく処分 「十分にベランダ菜園楽しんだ」

2016年08月31日 | TOWN


 我が家のベランダは横幅が180㎝あって入居以来15年間プランターにいろんなものを植えて楽しんできた。また室内でもコーヒーの木や観葉植物を植えて四季折々成長を眺めていた、そして{トンボの目」にもたびたび紹介させていただいた。でも今回思い切って鉢植えを処分することにした、プランターは土を含んでいるので簡単には処分できない、そこで市の清掃局に相談したら産業廃棄物処理業者を紹介いただいて電話をしたらこころよく引き取ってくださって思い切って処分した、断捨離の実行で心残りはあるが、あとは2代目のコーヒーの木とミニパイナップルとミカンそれに娘がくれたミニバラだけを残した。

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待望の雨が 「ここへ来てやっと出てきた傘マーク」

2016年08月29日 | TOWN

 


 太平洋の洋上を迷走していた台風10号もようやく元のコースに戻り強大な勢力になって本土を狙っている。きのうは朝刊の天気予報に珍しく傘マークが出て午後からの雨を期待したが、ぱらぱらと申し訳程度で期待外れであった。先月の17日以降夕立が1~2回あったものの雨らしい雨は降っていない。きょうあたり低気圧が接近して雨が降るらしい。台風は功罪があって大きな被害をもたらすが、近畿に住む我々は近畿の水かめ琵琶湖の恩恵を受けて生きていることを忘れてはならない。

 

 

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ご当地にやってきた 「炎天下百人一首巡る旅」

2016年08月27日 | TOWN


 いつも楽しみに観ているMBS-TVの「ちちんぷいぷい」この日は百人一首の足跡を巡って二人がJR忍ケ丘から枚方市の渚の院まで真夏の炎天下を歩こうという趣向、この旅は珍しく二人が我が家の近くを通るので興味津々、JR忍ケ丘を出た一行は交通安全の成田山不動尊へ寄ったあとわが氏神の蹉跎天満宮へそして歴史街道のかたわらの意賀美神社へここで珍しい奉納された「算額」を見て枚方市駅前の「T-SITE」を紹介のあと目的地の旧跡「渚の院」へ向かった。ここでゆかりのある百人一首を披露。

 

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やっと痛みが取れて 「痛いとこ無い有難みやっと知る」

2016年08月25日 | TOWN


 「どうします水を抜きますか、」「おねがいします。痛いですか?」「そりゃ痛いですよ、辛抱してください。」膝の痛みが一向に治らず止むを得ず病院を変えて相談してみたら、レントゲンでまず診察、そしてCTで再度診察で、若い主治医が下したのが冒頭の言葉、膝の一角に太い針を刺されて抜かれた緑がかった液体が「10ccはありますね」と言われてその跡に沈痛剤を注射してもらってやっと安眠することができた。前の病院ではレントゲンは撮ってくれたのだが膝のサポーターと湿布薬をどっさり呉れただけ。今回は変えて良かったと思っている。飲み薬を頂いて当分通院することになる。

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北海道に被害 「矢継ぎ早や台風過ぎて被害のみ」

2016年08月23日 | イベント


  このところ矢継ぎ早に台風が発生して関東から北海道にかけて甚大な被害をもたらしている、南の海上から湿った空気を運んでくるために列島の暑さは並ではない。そうして面白いことに台風10号は常識では考えられぬ予想進路を示した。大抵は北上して発達するはずの台風がこの台風に限って南下している。

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感動をありがとう 「よくやった世界相手の銀メダル」

2016年08月21日 | TOWN

 

 きのうはリオ・オリンピック男子400mリレーをTV観戦していて日本選手の健闘ぶりに感動した。ボルトのいたジャマイカには1位を譲るとしても、名だたる世界の選手を相手に日本チームの戦いぶりはまさに称賛物であのコンパスの小さい日本人がよくぞ頑張れたものと思う。そうして確実に若い人に世代交代が進んでいて、つぎの東京オリンピックを見据えて希望がわいてくる。どの競技もメダルラッシュでたゆまぬ努力を続けてきた人たちが成果を挙げているのは頼もしいことだ。

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交野神宮寺のブドウ 「ブドウ園ことし取り入れ終わりです」

2016年08月19日 | イベント

 


 わが家から車を15分ほど走らせると交野山の麓交野市神宮寺のブドウ園につく。相変わらずカンカン照りのなかを走らせて今年はどうかいなと覗いてみたら、今年の収穫はほぼ終わりで1軒だけ店を開いていた、それもデラウエアは最後の一盛りで巨峰もあと少し、まけて頂いたが来年はもっと早く気付いてせめてお盆までに買うことにしよう。

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今年は異常だ 「年寄りに堪える酷暑まだ続く」

2016年08月17日 | TOWN


 ことしの夏の暑さはもう異常とも言える猛暑が続いている。枚方市駅のバスロータリーの温度表示もこの日は38,9℃を示していた。発車待ちのバスもエンジンは掛けぱなし、やはり夜はエアコンのお世話にならないと過ごせない、8月になるとたいがいは涼しい風が吹き出すのだがそれもない。WAKIがことし重宝しているのがこの小さな温湿度計だ中国製だが正確でよくできている。温度は0,1℃刻みで表示されて27℃をきると快適度も表れる。

 

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71回目の終戦の日 「戦争の悲惨さ身体覚えてる」

2016年08月15日 | TOWN


 私の父は小学校を出るとすぐに大阪に奉公に出されそれを務めあげて商売を始め私が生まれたときは7人家族でした。私が2年生の時に戦況が厳しくなり父の決断で家族は今の堺市の田舎に疎開しました。そうして3月13日のアメリカ軍のB29の爆撃で大阪の店があった市場も住んでいた家も焼失しましたが私たち家族は父のおかげで命拾いしました。6月の堺市の大空襲では防空壕の前で空爆でやける状況を見ましたが、伯母の家が被災、翌々日私と兄が父の命を受けてまだ火のくすぶる中を堺東から出島まで焼け跡を歩いて向いましたが、それは口では現せない惨状そのものでした。この情景は今もトラウマとなって心に残っています。伯母の家族は助かりましたが、大きな屋敷は類焼して土居川の川べりには箪笥の引き出しだけが積んであってそばに家族が佇んでいました。それからの暮らしが大変でしたが家族一緒に暮らせたのは両親のお陰です。

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流星群は無理だった 「山頂は酷暑を避けて夕涼み」

2016年08月13日 | TOWN


 この夕焼けは一昨日の夕刻、空が茜色に染まりそれは美しかった。ベランダから望む生駒山頂に灯がともり時折りその上空を大阪空港に着陸する飛行機が降りてくる。山頂の四角の部分をズームアップしてみるとTV塔が見えて左の方に山頂遊園地が見える。大阪平野は連日の熱帯夜でねむれないが山頂は涼しいのか明かりが見える。逆に山頂から見る大阪の夜景はさぞかし美しいことだろう。日もとっぷり暮れて半月が顔を出したが山頂の灯は煌々と輝いていた。予報によると咋夜はペルセウス流星群の見頃で全国的に観測できたそうだが都会の大阪では到底無理であった。

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