思いつくままに書くブログ

基本、旅行記と日本ハムファイターズの事しか書きません。

L型端末で発行した青春18きっぷ

2013-03-19 10:17:33 | 鉄道
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この切符、懐かしいと思いませんか。かつて田舎の駅や旅行会社で切符を買うと、大概この様式の切符でした。L型マルス端末と言われた端末機で発行した切符です。

国鉄時代に開発された端末は、専用回線がないと使えない=敷かないといけない=設置コストが高いというものでしたが、こちらは鉄道電話の回線があれば使えるので、ローカル線や大都市近郊の小駅などに飛躍的に普及しました。端末自体、沖電気が改札した汎用PCでした。

この切符の日付、7年9月3日を見てピンと来た人いませんか?ならば相当の方です。JR北海道の深名線の営業最終日です。翌日には廃止となりJR北海道バス(当時)に転換されました。今もジェイ・アール北海道バスですが、運行は道北バスに委託されています。

この切符は札幌市内の金券ショップでばら売りされていたのを購入したもので、確か2,500円ほどだったかと。普段は閑散とした路線ですが、当日は走らせられるだけ多くの臨時列車が運転され、確か所定のキハ53のほかキハ56・キハ40が増結されて5両になっていたと記憶します。私はキハ56に乗りましたが台車ががたがたなのでしょうか、線路も最終日では傷んでいると思われるのでかなりの揺れでした。でもキハ40に移動したらそうでもなかったのでやっぱり台車かなあ。

朱鞠内駅は窓口が大混雑・大行列。記念の切符やオレンジカードも売られていましたが、手書きの乗車券を頼む人が多数。気持ちわからないではないがこんな日は受付中止してもよかったのではないか?と今更ながら思います。さすがに東京までの乗車券を頼んだ人には作っていられないのか断っていましたし、当日の〈はまなす〉の寝台券を頼んだ人なんかは駅員が何度かスピーカーで呼び出したのですが、結局引き取りに来なかったようです。こうなると完全に業務妨害だなって思いました。

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こちらは同じものでもJTBで発行したもの。当時はJTBに限って、切符のフォントが違いましたね。普通は明朝でしたがゴシックでした。しかも独特の。

この切符は高2の春休みに東京に行ったときに使いました。函館から深夜便の東日本フェリーで青森に上陸、青森~盛岡~小牛田~新庄~余目~村上、そして新宿と乗り継ぎました。この頃の盛岡以北はまだ客車で、北斗星のEF81が間合いで普通列車引っ張っていました。今じゃすべてが”並行在来線”で第3セクターに。青森~野辺地~八戸相互間は特例で乗れますが、青い森には一体いくら配分されているのでしょうか。ちょっと気になります。

夜は村上から〈ムーンライト〉に乗車しました。まだ165系の時代です。今なら日付入りの車掌検札印を捺す所ですが当時はそんなものなく、大概は車掌が手書きで記入し「○○○Mレチ」なんてサインしたものですが、この列車は該当者が多いので車掌区で専用の半月スタンプを作成し、発車翌日の日付にセットして切符にペタペタ捺してゆきました。なかなか旨い事やっているなあって当時は思いましたね。

ちなみにその時の指定券はこちら
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なんか変ではないですか?青春18きっぷで乗っているのにタイトルは「指定券」、いわゆる0円券です。

と言うのはJTB岩見沢で青春18と一緒に購入したんですが、係員は「青春18普通・快速が乗り放題だから、指定席も乗り放題」と言う。指定席券を買えば乗り放題なんですがね…。そこで異論を唱えたんですが、間違いの上塗りをすべく、そこの責任者までがこの場合は0円で発行する。お客さんのいう様に510円の切符で再発行しても構わないが、無駄に510円払いことになるとまで言い切った。たぶんこの支店ではずっと間違った認識で運用していたのでしょう。そこまで言うのなら510円払わない方がいいやと引き取りました。車掌がきちんと見ていたら510円払うつもりでいましたが、さすがにそこまで見ていなかったようです。高校生に510円は大きかったです。立ち食いそばが食べられますから。今の私なら富士そばかな?

ちなみにこの夜の〈ムーンライト〉は9両編成でした。それが満席というとこで、青春18シーズンではありますがそれだけ需要があったと言う事になります。今と違ってツアーバスはないからね。ただし車両は専用の編成で9両組むだけ無いのか、前後がムーンライト編成、私が乗ったのは赤倉編成でした。赤倉編成が先頭になるとATS-Pの関係で運転できないからと聞いた事がありました。