思いつくままに書くブログ

基本、旅行記と日本ハムファイターズの事しか書きません。

マレー鉄道東海岸線 夜行列車乗車記 ~単にコタバルへ来ただけの結果に

2017-12-23 23:07:46 | 2017年の旅行記
22時ころになってタナメラに到着。





ここからワカバルまで40キロあまり、ようやく先が見えてきたという感想だ。車内は閑散としてきて、残っている人は殆どがワカバルで降りるのかな?車掌は超過勤務で眠いのか、空いている寝台に潜り込んで仮眠を始めてしまった。日本なら煩いことになって懲戒処分だろうがここはマレーシア、眠いんだから寝かせてあげればいい。走っている間はすることも無いのだから。別の車掌がやってきて「ワカバル・ワカバル」と連呼して歩いている。ようやくこの寝台列車から解放されるときが来た。昨夜19時にジョホールバルから乗車して、本来なら12時15分にトゥンパで下車するまで17時間ほどの鉄道の旅が脱線事故を起こしてしまったが故に大遅延。



結局ワカバルには22時40分に到着。およそ10時間半以上の遅延となりましたが、日が変わる前に辿り着けてよかった。あとは今夜予約したホテルに向かうのみ、駅前には「タクシー」「タクシー」とドライバーがたむろしていると思ったのだが

タクシーが1台もない!

これには参ったというのが偽らざる印象。どこまで付いてないのか、恐らくだが地方都市で夜遅いのでタクシーの需要が意外にないのかもしれないし、列車がこんなに遅れたので運転手も来たくなかったか、この時間ならコタバル空港で客待ちしていたほうが稼げるのかもしれない。

ともかく困った、駅前は市街地ではなく真っ暗だ。ワカバルからコタバルまでは5キロくらい離れていて、間に大きな川が横たわっている。真っ暗な夜道を歩いてゆけるはずもないし、今夜のホテルを放棄して駅の待合ベンチで野宿するか?スマホの電波はなぜか弱くてネットにつながらない(Digi)、ともかく線路に沿って北へ進めば大きな通りがあるようだし流しのタクシーが通るかもしれない。意を決したところ一台の車がやってきた、よく見ると屋根の上には「TAXI」の行灯が。

助かった!!


タクシーは大幅遅れの夜行列車の乗客を駅まで乗せてきたようで(今乗ってきたのが折り返しになるから深夜0時過ぎになると思うけど)、ホテルの予約確認を見せてここに行きたいと訴えるとオッケー。嬉しくなってタクシーに飛び乗っちゃった。メーターは付いてないし料金交渉も億劫。って交渉できる状況にない。これを逃せばホテルに行けないかもしれないし。

ただし、変な道を通られては困るのでスマホのGoogleマップで位置だけは確認。間違いなくホテルの方向へ向かっている。道中思ったことはコタバルの街がかなり大きな街だということ。歴史的には日本陸軍が昭和16年12月8日に大東亜戦争でマレー作戦の上陸地として有名。ここから山下奉文中将がシンガポールへ向けて電撃的に南下してマレー半島を英国の植民地から解放していったのだ。そしてこの時点ではマレーでは日本軍を好意的に見ているのも事実。そして今も賑やかな街、ジャングルの中の小さな町ばかり見てきたから尚更そう見えるのかも。北海道の道北を旅すると旭川が大都会に見えるのと一緒で。

ワカバル駅から10分弱で予約したホテル「ダイナスティーホテル」に到着。運転手にいくらだ?と問うとRM30と言う。距離を考えれば高すぎるような気もするがこのような状況下でこちらは文句が言えないので支払ってホテルにチェックイン。この時23時20分だったかな。深夜故にフロントはオジサン1人、名乗ってパスポートを渡すと来てくれてよかったという。部屋は予約したタイプ以外に広い部屋もあるがというので狭いよりはとお願いする。1泊朝食付きでRM140。宿泊税も込みの価格でカードで支払い。今から10年以上前はマレーシアはスキミング大国だから現金払いがいいと、クアラルンプールのJCBプラザでさえ説明していたが(よほど不正請求が多かったのだろう)、今はそんなことはまず無いかと思う。私自身はマレーシアでは被害にあったことはない、タイではあるが。



部屋は天井が妙に高いがまあまあ快適。ホテル周辺には深夜営業の食堂もコンビニもないからシャワー浴びてとっとと寝ることにする。だって明朝には飛行機でクアラルンプールへ戻るんだからさ、当初予定なら半日観光してナイトマーケットで食べ歩くつもりがすべてパー。でも脱線事故を体験して海外で代行バスに乗ったと、鉄ちゃん的に前向きに考えるしかないかなと。シャワールームの上に換気口がありよその部屋とつながっているようでシャワー音が聞こえる。そしてオッサンと女の声がして何やら喋ったかと思うと「アー、アー」と喘ぎ声。大変楽しそうですね。