城郭 長谷川博美 基本記録

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織田信長の尾張小牧山城は更に本格城郭だった事が判明

2021-02-26 11:58:10 | 社会観察
『信長公記』解読解説講師 長谷川博美の評判
城郭ビイスタ論 上文字クリツク


◆天白様(匿名)
私はNHK名古屋文化センターで長谷川博美先生の
『信長公記』の解読解説を連続4年間受講致しました。
その講義中で信長が尾張小牧山に築城した記録を解説
された、「御要害、ひたひたと出来を、見申し候て」に
とあるテキストと赤線引いて置いて下さいと言われたた
事が大変印象に残っています先生は是が重要文言だと!

◆一般様
何の事?サッパリ私達はわかりませんわな!その意味?

◆対談者
長谷川先生の城郭解説や文献解説は一流の慧眼洞察力
つまり純粋学術家として優れてる事はみんな知ってる!
▲城郭ビイスタ論クリックする。
◆一般様
みんなって?長谷川先生を知ってる一部の人だけの事?
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★長谷川博美 城郭見学会のおしらせ
日時 令和3年3月13日土曜 集合時間 午前9時30分
集合場所 JR北陸線河毛駅 東口 無料駐車場有り
受付 0749-86-4145 ウッデイパル城郭係様 
参加費 2500円 弁当と詳細資料A4/10ページ付属 
主催 余呉城郭研究会 生月会長 田畑理事
事業 長浜市市民活動団体支援事業
講師 元滋賀県中世城郭分布調査員 長谷川博美
城郭 小谷城
歴史 織田信長の妹市姫は近江小谷城主浅井長政に
   織田氏と浅井氏の縁戚と戦略的提携を結ぶ為
   と婚儀が成立しかし元亀の騒乱で織田と浅井
   の連合協力関係は決裂して織田と浅井は対立
   する。戦国一の美貌の美人と讃えられた麗人
   お市は小谷落城寸前に織田信長のもとへ浅井
   三姉妹「淀殿、初、江姫」とともに引き渡さ
   る浅井三姉妹の長女は天下人秀吉側室となり
   次女は京極宰相高次に江姫は天下人徳川秀忠
   の正室となり徳川三代将軍家光を出産すると
   いう織田と浅井の血統を引く戦国名門姉妹へ

遺跡 見学ポイトは観光でなく遺跡見学と現地解説
   先頃信長の尾張小牧城で三段の石垣や山麓に
   石造りかつ庭園も備えた事が判明しているが
   近江浅井氏の小谷城も信長の小牧山城に劣る
   事なく一段石垣、二段石垣、三段石垣を山城
   の要所に配置した戦国五大山城の1つとして
   国指定遺跡として小谷城は登録された大城郭
▼小谷城本丸周辺の推定復元図Ⓒ長谷川博美作図


◆長谷川
『信長公記』首巻「二宮山御こしあるべきの事」 の
段目で織田信長尾張小牧山に築城した記述でした!
当然の事で私は城郭遺跡調査の専門家です。御要害
ひたひたと言う表現は「小牧山城が計画的に着実に
堅実に本格的に、その軍事施設(要害)が建設された
意味で文意そのもの。ですから仮の居城小牧山城
ではなく本格的な城郭と言う意味で書かれています。
織田信長が尾張新府庁と言える小牧山城を建設した
と言う意味を『信長公記』の文言文脈から読破解釈
出来るかが文献と現地遺構の双方精通した本格的な
学者としての研究家の資質や実力は評価されます。
私は小牧山城が本格城郭として文献『信長公記』に
記されている事をその文面から指摘しましたね!


◆天白様(匿名)
それです最近地元愛知の新聞を読んで仰天した!
近年の発掘報告で長谷川先生が指摘された文言
つまり受講生として私が赤ペンで線引きした文
「御要害、ひたひたと出来を、見申し候て」の
深意が初めて解ったんです。そうか!そうだっ
たのか!長谷川先生の『信長公記』解説を4年
間も名古屋で受講して本当に素晴らしかった!
私は先生が指摘されたテキストや先生の解説
をメモしておいたそれは私の歴史生涯学習の
宝物と言うべきもの全てA4フアイル残した。

▼織田信長の尾張小牧城本格築城説の新聞

◆対談者
それみてみなさい。私は長谷川先生の慧眼と洞察力
を看破しました。これだ是が本物だと人間鑑定した。
定説は一部の人により作られるが、昨日の教科書と
今日の教科書、明日の教科書さえ、書き変えられる
人間が社会の定説とを本当に現実なのか看破する力
は持ち合わせていません。全て丸暗記の有名先生の
おっしゃる事を全部メモをする飼いならされ飼育を
された市民なんです。やがてその定説も時代ととも
に変わる。それならば100年先を読んだ真実の本当
の歴史城郭を知りたい定説や虚説でない真実をね!


◆小川様「匿名」
わたしも尾張小牧のアサヒホールで長谷川先生単独の
300人を集めた尾張小牧築城の『信長公記』を聞いた。

◆能登瀬「匿名」
米原市近江公民館でも2年間『信長公記』を
学びました。

◆美濃源氏(匿名)
私は文系の元は学芸員でした名古屋でも米原にも
私は足を運んで長谷川先生の東洋史学、中国思想
軍学、国学、民俗学、城郭研究、有職故事知識等
含む広範の智識を得て私の文献史学講師としての
視点や巾も広がりました。長谷川先生は学者です。
コメント
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