きれいなきれい〈田添公基・田添明美のブログ〉

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「ハイメと臓器姫」第12話

2018年11月27日 13時45分32秒 | まんが・イラストレーション・アニメ

千賀史貴さん原作・鉄田猿児さん作画の「ハイメと臓器姫」の

第12話の更新です。

 

今回も病室のシーンから始まります。スクール水着の学園兵が

ここを襲ってきます。前の登場した全身BIG型学園兵の

新型MK-II は,今度は強いのかな?

ハイメの治療の縫合セット姿がカッコイイ♪

 

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PC版の裏サンデーは,まだ更新されてません。こちらは来週の火曜日かな?



固く固く       田添明美

2018年11月23日 09時13分31秒 | 「いたずら」田添明美

当家のチャイムの向かいに、夫の仕事場があり、その部屋から外に出られる扉がある。
因って、チャイムが鳴ると、夫は仕事を中断し、外へ出る。
数年前、勧誘チャイムにキレた夫は、以下の文を作り、チャイムの横に貼った。

にもかかわらず、チャイムは鳴るのだ。
(自分の事ではないだろう)(こう書いてあっても、自分も仕事だから)
という事情だろう。
しかし、減ったと思う。

次に、夫は、今年から、家電を/留守電にした。
仕事は全て、メールなので、電話は不要。
知人・友人は(何々さんからです)と音声が出るようにした。
このお陰で、勧誘電話は全て、撲滅出来た。
もっと、早くすれば良かったと思う。

チャイムに飛び出し、勧誘だと知り【あなた、これ、読めないんですか?】
と言えない私は、むっとして、【負けた】と思うのだ。

 


「ハイメと臓器姫」第11話&PC版第10話更新

2018年11月20日 09時33分36秒 | まんが・イラストレーション・アニメ

千賀史貴さん原作・鉄田猿児さん作画の「ハイメと臓器姫」の

第11話の更新です。特別にプラス3話まで無料で読めます。

 

今回は病室のシーンから始まり,不思議な雰囲気の

ベッドの周囲に書籍の山を作っている植物学者が,

ストーリーに新しい味わいを醸し出しています。

 

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大迫力の画面が楽しめます。



【正岡子規・夏目漱石・白洲次郎・吉田茂(3)】    田添明美

2018年11月16日 07時32分09秒 | 「いたずら」田添明美

4)吉田茂
20数年の図書館通いで、特別面白かった本が、2冊あった。
1冊は題名も著者名も失念し悔しいが、日本の音楽家の実話だった。もう1冊は。
「父 吉田茂/麻生和子」
昔の私が覚えていた箇所は、和子が、昭和天皇への初回単独拝謁の際、俯いて入室し。
作法通りに進み、顔を上げたら、そこは、壁だった。その1点だった。
その筆致は、みずみずしく、初々しかった。
購入し、(どこに、白洲が登場するのだろう?)と読み終えたが、白洲の(し)の字もなかった。
確かめると、白洲次郎の私家版は(1990年)発起人の筆頭が、麻生和子であった。
「父 吉田茂」は、(1993年)に書かれている。彼女は、父を書いたのである。
ここで、まず和子の潔さに触れた。

二・二六事件の際、
偶然に、和子はその前日の夜9時に、母方の祖父牧野伸顕(大久保利通の次男)の別荘に着いた。
翌朝5時頃、ピストルの音に目覚め玄関へ行くと、護衛官が倒れている。
急いで、雨戸を開け、祖父母・看護婦4名で外に出たが、家は崖っぷちに建っており下は道路、両側は塀。
祖母は咄嗟に、和子の羽織で祖父を隠したが、下の道路から祖父の前に立つ和子めがけて兵隊が撃ってくる。
何発かの弾が、顔のそばを風を切っていく。家が燃え始める。
和子が(あっちへ逃げてみましょうよ)と祖父に声をかけ、みんなで塀に体当たりし、裏山を這い登ったが。
裏山は禿げ山で、後から狙い撃ちされるものと、覚悟はついていた。
後で、分かったのだが、護衛官が、大将・副大将格を撃った為、指揮官を失った兵隊は
たまたま祖父が、倒れた塀につまずいてばったり倒れたのを、(弾が当たった)「成功」と叫び引き上げたそうだ。

凶弾に倒れたのは、高橋是清・斎藤実・渡辺錠太郎。重症鈴木貫太郎。
和子は、祖父を救ったのである。

吉田茂は、32年間外交官だった。
終戦後、吉田は「たたいてもホコリの出ない」数少ない一人といわれ首相候補となる。
吉田は幾人かに、総理をお願いしたが、引き受け手がおらず、総理となる。
総理となった時、祖父牧野は「だいじょうぶかね」と首をかしげ
和子も「私もそう思うわ」と顔を見合わせた。
吉田は、焼け跡の散歩を繰り返し、「見ててごらん、いまに立ち直るよ。必ず日本人は立ち直る」と繰り返した。
福岡県飯塚に嫁いだ和子は、夫麻生太賀吉と共に、吉田を補佐する。
吉田を敬愛した太賀吉は、政治資金のない吉田に、麻生家の財産のおよそ半分を使い尽くした。

吉田とマッカーサーは、互いに強い性格だったが、波長が合った。
敗戦時に猛スピードで、司令された事項を、猛スピードで遣り遂げた当時の日本人を誇りに思う。
昭和26年サンフランシスコ講和条約締結。同年、マッカーサーは罷免され帰国。
昭和29年第五次吉田内閣総辞職。政権担当七年二ヶ月終了。

以後、吉田は大磯で暮らす。
吉田は富士が好きで、西日が差しますと言われても、富士に向かう窓を作らせた。
昭和42年、床に着いた吉田はきれいに晴れた秋の日に、体調が良かったらしく、椅子に移して貰い、
はっとするほど美しい富士に「きれいだね、富士は」と言い、和子と眺めた。
その日、和子が自宅へ戻る途中逝去。89才。

私は、俳句が分からないが、3~4句の俳句は、好きである。
特別好きな句は、芭蕉の【夏草や兵どもが夢の跡】で
両親を見送り、義母を見送り、次は自分となったこの頃。
この句の(兵ども)を、栄華を誇った者・功名を競った武士達では無く、(全ての人)と感じる。

佐藤愛子の【晩鐘】のラストに、以上の、私の思いを託したい。
・・・・・・
畑中辰彦は彼なりに、一生懸命に生きた––––––。
彼はかく生きた––––––––––。
辰彦だけじゃない。正田さんも川添さんも桑田さんも、皆、「かく生きた」という事実が
あるだけです。その人生の意味とか、徒労であったとか、立派であったとか、辛かっただ
ろうとか、幸福とか不幸とか、そんなことをいう必要などないのです。
わからなくてもいい。わからないままに、「かく生きた」という事実の前に私は沈黙して
頭を下げる。それだけです。
・・・・・・・







【正岡子規・夏目漱石・白洲次郎・吉田茂(2)】      田添明美

2018年11月10日 07時46分38秒 | 「いたずら」田添明美

3)白洲次郎
この本は、運良く捨てられずに残っていた。
「風の男 白洲次郎/青柳恵介」
・大正14年ケンブリッジ大学卒業。親友ロビンとの終生の交わりを結ぶ。
・昭和3年大学院で歴史を学び、学者になろうとしていたが、実家が倒産したため帰国。9年の英国での生活を終える。
 同じ年、妻正子の実家の父の勤め先も倒産し、正子もアメリカから帰国。
・昭和4年樺山(白洲正子)正子と結婚。
 新聞記者の後、商社の取締役に就任。
・昭和12年日本水産の取締役に就任。1年の大半を外国で暮らす。
 麻生和子の母方の祖父が外交官の牧野伸顕、正子の父が樺山愛輔で、二人は親しかった。
 因って、この頃より、吉田茂と親しくしていた。
・昭和15年38才で、仕事から退き、開戦すれば敗戦し、食糧不足になると判断し、鶴川村に移住、農業に専念する。
・昭和20年吉田に請われ「終戦連絡事務局」参与に就任。
・昭和21年「日本国憲法」誕生の現場に立ち会う。「終戦連絡事務局」次長に就任。
・昭和22年「終戦連絡事務局」次長を退任。
・昭和23年初代貿易庁長官に就任。商工省を改組し通産省を誕生させる立案者の中心的存在だった。
・昭和26年東北電力会長に就任。
・昭和34年東北電力会長を退任。
以後様々な仕事を終え、軽井沢ゴルフクラブ理事長を務めた。
・昭和60年83才逝去。

白洲語録は、余りにも有名なので、2点に留める。
(占領期間中、GHQが「従順ならざる唯一の日本人」と本国に連絡した男、そしてホイットニーが
「白洲さんの英語は大変立派な英語ですね」と言った際
「あなたももう少し勉強すれば立派な英語になりますよ」と答えた男、)

(天皇の地位を規定していて、草案が「シンボル・オブ・ステーツ」となっている点は、
さすが外務省きってのわが翻訳官たちも大いに惑わせた。
「白洲さん、シンボルというのは何やねん?」小畑氏はぼくに向かって、大阪弁で問いかけた。ぼくは
「井上の英和辞典を引いてみたら、どや?」と応じた。
やがて辞書を見ていた小畑氏は、アタマを振り振りこう答えた。
「やっぱり白洲さん、シンボルは象徴や」
新憲法の「象徴」という言葉は、こうして一冊の辞書によって決まったのである)

年を経て、再読し、私の胸に迫った箇所は、次郎とロビンとの別れのシーンだった。
昭和54年、次郎77才。次郎とロビンは、子供のように戯れた。
最後のイギリス旅行になるだろう事を、二人は勿論知っていただろう。
次郎滞在最後の日、タクシーで空港に向かったが、ロビンは、とある駅迄同乗した。
二人の口数が急に減った。座席の前に同乗した女婿の牧山は、カメラを後の二人に向けた。
二人は照れたように笑顔を浮かべ談笑を始めた。
駅に着くと、牧山はドアを開き外に立った。
ロビンは次郎と一寸手を上げるような挨拶をし、そのまま駅へと歩き始めた。
次郎は「何をしてるんだ、早く乗れ」と手を振ってわめいている。
ロビンは背中をみせたまま、どんどん遠ざかって行く。
ロビンは一度も後を振り返らなかった。

私事で、大変恐縮だが、父の親友の事を思い出したので、付記する。
父は高校1年の時、親友に出会えた。
当時その高校は、「新入生への歓迎の平手打ち」というのを、毎年上級生が行っていた。
父は上級生にそれを止めるべきだと反撃し、反撃する度に、上級生から決闘を申し込まれ現場へ一人で直行した。
父の親友は柔道をしており、地獄耳で毎回の決闘日時を聞き出し、毎回現場へ駆けつけた。
そこで、二人と数名か・二人と10名かを忘却したが、毎回父達が勝ち、互いに泥だらけの顔で笑ったそうだ。
そして、その年から、「新入生への歓迎の平手打ち」の伝統は、廃止されたそうである。

親友は、柔道で日本一になった直後に、彼の父親が倒れ、未来の出世や名誉を捨て、故郷へ戻った。
そして、父との交流は続いたのだが、80を過ぎ癌で倒れ、父は盛んに病院へ通ったが。
最後に(来て欲しいと望んでいる)と迎えが来たので、病院へ行くと、親友は、
父を拝むように手を合わせ
「清人さん、今迄ありがとう。先に行って、待っているからなあ。
 次のモルヒネで話せなくなる」と言ったそうだ。
父は、その年、彼の為に、年賀欠礼の葉書を出した。

以上、様々な別れ方があるだろうが
どの別れも
愛しく思える。



【正岡子規・夏目漱石・白洲次郎・吉田茂(1)】      田添明美

2018年11月07日 14時50分20秒 | 「いたずら」田添明美

1)正岡子規
大きな声では言えないが、5年以上前に右足が脂肪萎縮になってから、1年毎に足が劣化し
2年前から、自室は布団敷きっぱなし状態になった。
動いたら、横になり、動いたら、横になる、生活に切り替わったのである。

その間、これは(正岡子規式生活だな)と思っていて(それ以上思わなければ良かったのに)
(正岡子規が何故最後迄、食にこだわったのか?
 子規が何故最後迄、作品を書いたのか?)が気になり、検索し、伝記のようなものを探した。
実は、漫画・正岡子規を選ぼうとしたのだが、いやしくも70手前が小学生用で
済ますのもなんだと思い、渋々止めたのである。

問題は、私が全く、俳句・短歌・漢詩が理解出来ない所にあった。
選んだ本は、「評伝 正岡子規/柴田宵曲」である。
更に問題なのは、私が、絵であるならば、静物・写生・風景画に、全く興味がない事だった。
子規は(人より、花鳥風月が好きである)と言い、そういう作品を残した人である。
因って、作品は、飛ばす事にする。(大馬鹿野郎と思われても、致し方ない)

子規は、35才で逝去し、最後寝たきり8年だったが、最初の喀血は23才であった。
学生の頃から書き始め、亡くなったのは9月18日だが、その午前にも三句をしたためている。
14日弟子虚子に口授してとあるが、それ以外に、口授の文字は無い。

日本新聞社社員。
友人・知人・弟子に恵まれ(漱石・露伴・紅緑等々)、苦しみと戦いながらもさぞかし楽しい日々であったろう。柴田宵曲の淡々と粛々とした文を繰り返し読んでいると。
友人・知人・弟子・母妹に囲まれ。
これだけ書き、生きた子規は、幸せな人生だったのではないかと思う。

途中、面倒になり、子規を検索したら、漱石が出てきて、当家に全集初版本があるのを思い出し。
その中の「評論・雑篇」の中に、子規からの手紙の事が書いてあった。
・・・・
其手紙にはかうある。
僕ハモーダメニナツテシマツタ、毎日譯モナク號泣シテ居ルヨウナ次第ダ、
・・・・
筆力は垂死の病人とは思へぬ程慥である。
・・・・
この手紙は、亡くなる前年の11月に書かれたものである。
漱石に(慥である。)と言わせた、子規の生命力を感じる。
子規は結核の為、短命ではあったが、強い生命力があった(私と違い)というのが
結論だった。

2)夏目漱石
彼を10代の頃、私は好きだった。初期、坊っちゃん・吾輩は猫である・草枕の頃が好きで。
後半の小説は、申し訳ないが嫌いだった。

柴田宵曲が延々と続くので、漱石の雑篇と互い違いに読んだ。。
漱石は、当時、序を乞われる事が多かったらしく、30程、書き残っている。
呆れる事に、鈴木三重吉の序は(3行と6字)である。
1番長い序は、高浜虚子(8頁と5行)である。鈴木との間に何があったのか、わからない。

講演の草稿も載っているのだが、多分当時録音は出来なかったろうに
「ここで、君達は笑うであろうが」と話し、笑わなかった場合どう誤魔化したのかと面白い。

で、勉学のべと、努力のどの字が大嫌いな私は、連日、柴田宵曲と漱石を読み続け
キレたのである。
(もっとちゃきちゃき ものをいう人間はいないのか!)
居たのである。
最初に思い出したのが、白洲次郎。
次が、麻生和子であった。
次回は、又、気が向いた時に。
書き足したいと思います。


「ハイメと臓器姫」第10話&PC版第9話更新

2018年11月06日 10時20分03秒 | まんが・イラストレーション・アニメ

千賀史貴さん原作・鉄田猿児さん作画の「ハイメと臓器姫」の

第10話の更新です。

 

糞蝮学園に敵対するマングース集団に,より強そうな別のグループが

登場! 今回の臓器姫は我慢あり,誘惑ありの展開となります。

 

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撮影モードミス

2018年11月01日 09時52分42秒 | 写真画像

今朝の光が丘公園。撮影モードのダイヤルを間違ってモノクロで撮影してました。

どおりで「被写体が明るすぎます」の警告が表示されていたけど,

どういうこと? と深く考えずにそのまま撮影してました。

その後,別の場所での撮影で間違いに気づきましたが,

引き返してこの光景を撮り直す情熱はない!

間違ってもそれなりに写してくれるカメラに感謝。