馬鹿も一心!

表題を変えました。
人生要領良く生きられず、騙されても騙されも
懸命に働いています。

34年前の記録 インドヒマラヤ 初登頂!

2012-01-24 18:10:58 | 日記

122日(日)昨日 山岳部OB会からDVDが送られてきた。

パソコンに挿入するが

最初の画面は現れるが直ぐにフリーズした。

音も擦れている。

何度試みても同じだった。

OB会には会費もずっと払っていないし 

毎年の新年会にも出席していない。

私自ら断絶したつもりでいるのだが

毎年 報告書や新年会案内状が送られてくる。

会費を未納しているから不良品を送ってきたのではないのだろうが。

文句も言えない。

最も1978年 今から34年前に8㎜カメラで撮影された

無声画像をリメークしてDVDに編集したので致し方ないのだろう。

 

1978年に大学創立100周年記念事業として

インドヒマラヤ ヌン東稜 7135メートル

初登頂の記録。

 

既に34年前は専門のカメラマンがいたわけでもなし。

映像技術も確かではなかった。

DVDが見られないので当時出版した記録本を引っ張り出した。

私にはヒマラヤ遠征に参加する気持ちも時間も又技量、能力もなかった。

サラリーマンで、まもなく子供が産まれようとしていたし

マンションも買うことになっていた。

OBに高額の遠征費用の負担要求がきた

今も貧乏だが当時も貧乏で「とても出せない」と言ったら

「除名だ」と先輩から言われたので

「除名してください」と答えた。

お金持ちの先輩にとっては一か月分の給与相当を負担するのは

何でもないことで当然と思っていた。

やり繰りして最低限の金出した。

当時山岳団体や大学山岳部が初登頂を目指していたが

今では世界中に未踏峰の山はなくなった。

 

戦前からあった伝統ある体育会山岳部も数年前

部員が一人もいなくなり廃部となってしまった。

輝かしい山岳登山記録もあり、学院長室には

記念ペナントが置かれていた。

 

軍隊みたいな厳しい上下関係があり後輩へシゴキと称して

異常な体罰を加える。

山岳名著全集にイニシャルで私がいた山岳部のシゴキが書かれている。

私が2年生の時 一年生は全員脱走していなくなってしまった。

3年生の時、実働部員は4年生2名、3年生2名、1年生4名だった。

運動系クラブとしては最小人数だった。

山で死んだ部員は7人

凍傷で指切断は一かなりの人数、転落骨折は数知れず。

似たようなクラブのワンダーフォーゲル部は現在、部員が過多だそうだ。

私も2年生の冬、北アルプス白馬岳で体右半分凍傷になり

現在も後遺症で真冬の激寒で痛むことがある。

     

今日、危険で汚くかっこよくない登山は若者を魅了しない。

女房に「かっこよくないこと誰がするもんですか」と

鼻であしらわれる。最もだ。

 

8名いた山岳部同期も

大学辞めたり、退部、当時の全共闘に入ったり

山での遭難死、癌での死

今では私一人になった。

まだまだ感傷に耽っている年齢ではない。

 

そういえば 今日は誕生日。

女房がショートケーキを食卓に何気に置いた。老いた記しだ。

数は忘れた。

まもなく介護保険がやってくる。