馬鹿も一心!

表題を変えました。
人生要領良く生きられず、騙されても騙されも
懸命に働いています。

苦労人と飲む。

2012-07-01 18:43:27 | 日記

6月28日(木)午後4時、人形町で首吊り治療をしていると

携帯電話に○○さんが見えたと連絡。

急遽、首吊りを止めて戻る。

久しぶりだ

昨年夏、弊社でLEDライトキーホルダー検品作業を手伝いしてもらった。

 

2年前に定年退職された。

山形で所長として単身赴任したことがあり

私も尋ねて行ったことがあり、今日は山形のサクランボを頂いた。

18時には、御成門で待ち合わせがあるので長居は出来ない。

苦労人で中学卒だけで事務所長、部長にまで昇進した。

心豊かな部下思いだったので会社を退いても

部下から慕われ、今日も18時から相談があって出てきた。

私も大変お世話になった。

今後もお付き合いできる方だ。

17時半 入れ代わりに来客。

横須賀にお住まい、横須賀沖で釣った魚を頂いている方。

お昼に缶ビール1ケースと焼酎一升瓶が届いた。

この方の差し入れだ。

ひとしきり事務所で飲んでから人形町の立ち飲み酒喰洲で飲む。

http://airvariable.asablo.jp/blog/2010/01/25/4836851

魚に詳しいこの方に酒喰洲の評価と感想を聞きたかった。

魚は上等、地酒も量が多いと合格点だった。

本日、事務所に来た二人は世間の辛さを味わってきたので

会話が通じる。

「お前に苦言を呈す、バカヤロウ」などと

http://blog.goo.ne.jp/kikuchimasaji/e/83aeea945f2946552c974b53cd4cba6e

傲慢で見下した言い方はしない。

 

穏やかな酒談議は心癒される。


転職から再び自営業へ。

2012-07-01 17:24:05 | 日記

 

6月27日(水)夕方 レバ刺しを一緒に食べた知り合いは

昨年 4月葬儀社に転職した。

それまでは WEB関係のデザイン会社を経営していた。

不況によるクライアントの減少が会社を閉鎖せざるを得なかった。

サラリーマンになって約14ヶ月が経った。

今日の話で、葬儀社を辞めて再びWEB関係の仕事をしたいと言う。

自営業を経験すると組織の下で仕事をするのは辛い。

 

葬儀会社での仕事は一般的会社と全く利益の出し方が

異なることを教えてくれた。

全てが闇、裏金、税金逃れ、

客は葬儀会社の言いなり、

税金払わない、坊主丸儲け

100万円の請求であっても経費は20万円だ。

収入80万円を関係者で山分け。

彼にとっては安定した収入は保証されても

労働意欲は失っていった。

 

自営業は仕事を通して自己の経営思想の実践

生き方を具現化することだ。

会社に入り管理下で仕事をすれば自己思想は制限され

抑制しなければならない。

零細でも一度、自営業を経験するとサラリーマンとして

再出発して奉公するには馬鹿になる忍耐力が必要だ。

 

彼は7年前、私との関係を断ち切った。

社会モラルに反する行為をして私から離れていった。

周囲に大きな波紋を及ぼし、私の人生観まで変えた。

その当時はまだ若くビジネスモラルの必要性など

理解していなかったのだろう、周囲の人間関係を破壊した。

今でもその後遺症で私は苦しんでいる。

 

彼は50代になった。

子供が二人高校生だ。

まだまだ働かねばならない。

 

30年以上前、労組の書記長をしていた頃

労働講座を学んでいた。

将来、ITとイノベーションが大量失業をもたらすと

欧米社会の現実の実態写真で見せられ警告していた。

それからまもなく、ワープロが出現、

パソコンが社会生活の必需品になった。

 

当時、書記長として全国をオルグした。

賃金より雇用の安定と保証が大事だと組合員に話すのだが

全く聞いてもらえなかった。

30年後には公園清掃の仕事しかなくなると話すと

組合員はせせら笑った。

当時在籍した会社は現在リストラ、早期退職、賃金カット、店舗閉鎖で

苦闘している。

 

彼が又WEBの世界に戻る。

私にはWEBの仕事は分からないから

今後について何も言えない。

 

私の場合はサラリーマンだったが、労組書記長として

会社側と交渉していたが、思想的に問題有り、破壊者 だという

レッテルを貼られて追い出された。

経営側も労働側も会社の将来像など関心がなく

もっぱら眼前の自分の立場と保身だけで、我欲でしかなく

現在の民主党の呆れる内紛、国民を人質にとって

自分だけは生き残る戦いと同じだった。

 

致し方なく、サラリーマンを辞めて独立した。

しかし、毎日が泥水を飲む屈辱の連続だった。

 

泥舟の船長になるか、貨客船の甲板員で安定を取るか

どちらにしろ、転覆、座礁すれば同じだが。

 

IT いわゆるパソコンの大衆化はパソコンのブラックボックス化が生じる。

専門的知識をもった技術者は必要がなくなり

故障もなく誰でも操作は簡単に出来る。

 

彼は又その世界に舞い戻ってくる。

応援しなければならないが

私が以前、彼をバックアップしたが、その見返りは

私に悪者としてレッテルを貼り、訴訟まで起こされた。

今後はそのようなことはないだろう。

苦く辛い経験をして健全なビジネスモラルを自覚した。

新たな飛躍を応援したい。

 

彼も千代田区にある九段スズキ本店 長野利男という

モラルなき人間の犠牲者なのだ。

http://www.award-navi.com/main/

28日ランチ ビビンバ風冷やし中華

    


ラストレバー。

2012-07-01 09:00:16 | 日記

6月27日(水)昨夜、船橋の飲み屋小路ですれ違った若い女性二人の会話が気になった。「ラストレバーは何処にしようか」

うん!「ラストレバー」?

暫し「何だろう」と考えた。レバ刺しの事だ。

6月末で食用禁止なるのだ。

今日、何としてもレバ刺しを食べようと浅草橋と両国橋界隈の店に電話した。

焼肉店、居酒屋に架けるが無いと言う返事。

息子は西葛西近辺も電話。

浅草橋日本焼肉党の店には有るが直ぐに来ないと無くりますと言われた。

http://r.gnavi.co.jp/e378302/

 

開店17時、今16時だ。レバ刺し食べる金下ろしに銀行に走る。

その時、電話が入り知り合いが近くに来ているので寄ると言う。

よし!三人で食べることにした。

17時ジャストに入店。生ビールとレバ刺しを注文。

なんでもないことが何でもある事になった。

貴重な一皿だ。

こんな赤茶けた牛の臓物は,以前貧乏人が食べた。

戦後の無頼小説には、犬猫肉を偽って牛肉として

売ったと書かれているのを読んだ記憶がある。

レバ刺しを一枚鉄箸で取ろうとするが滑って落としそうになる。

極めて貴重な一枚に手が震え硬くなってしまった。

他の二人が口に入れるのをじっと見詰める。「うめー」と叫ぶ。

私の感動の一言に、二コリと頷き二人も鉄箸でニンニクとネギをからめて

食べる。

一同山羊になってうめー!と斉唱!

息子は5時半、席を立つ。

西葛西の焼肉店に6時半まで行かなければならない。

嫁さんと待ち合わせしていた。

レバ刺し食いのハシゴをする。

翌日 聞くと、レバ刺しを食べられた最後から二番目の客だっそうで

次から次へと客が来たが残念そうに立ち去った?

 

私が中学生の頃、鯨肉は貧乏人の食べ物だった。

食用禁止ではないが、現在は生肉を殆ど食べること出来ない。

親父が船関係の仕事をしていたので

捕鯨船が修理とメンテナンスに入港すると

お礼に小型冷蔵庫と同じ大きさの鯨肉を貰ってきた。

そうすると、学校に持っていく弁当は毎日鯨肉だった。

とても恥ずかしく思った。

親父は晩酌に鯨刺しを旨そうに味わっていたのを思い出す。

今では本物?鯨の生肉など腹一杯食べられない。

近い将来マグロも食べられないか?

心配だな。