馬鹿も一心!

表題を変えました。
人生要領良く生きられず、騙されても騙されも
懸命に働いています。

(4)アイビーグラフィティ 中華街 台中戦争の狭間で

2024-04-28 05:46:50 | 日記
「いちご白書」 サークル・ゲーム (訳詞付き) Buffy Sainte-Marie - The Circle Game


(3)アイビーグラフィティ 中華街 港が見える丘
続きです
1970年代 ベトナム戦争でアメリカ青年は、ベトナム戦地にいた。
日本もキャンパスは全共闘世代がキャンパスを跋扈。
一心は、関心が無かった訳ではなく
精一杯、食べて生きるために働いた。
目の前の現実生活を維持しなかればならない。
一心の激情型精神であれば、闘争にのめり込んでしまう。
娑婆に出て、キャンパスで叫んでいた連中は
飼育された駄馬のように従順になった。
逆に一心はサラリーマン社会のサイコパス的生き方に馴染めなかった。
上司の不正不倫に巻き込まれ反撃した。
労組書記長として経営側と対峙した。
在籍していた銀座の職場で追放退社するのだ。
当時の、台湾と大陸中国との狭間に揺れる
人の実態を知るのだ。


35年前の横浜中華街の思い出。
台湾と大陸中国の狭間で苦悶の涙を流す
華僑の人。
蒋介石の国民党軍と毛沢東共産党軍の戦いに敗北した
国民党軍は台湾島で中華民国を樹立した。
その時代での3か国での庶民の生活の一端を知った。
サラリーマンとして30代後半を銀座4丁目のビルで過ごしていた。
再雇用になった高齢の男子社員がいた。
温厚な方で度々、合間に喫茶店で誘われ一服した。
某日、その方が机で弁当を食べていた。
手紙と写真を読んでいた。
文字は中国語、写真には、毛沢東の肖像画が大きく描かれた
壁の前で若い男女が人民服姿で立っている。
先輩男性は言った。
「この二人の結婚式記念写真です」
先輩は語り出した。
横浜中華街で料理店を営む像さんという
中国人がいる。
彼に頼まれた。
先輩は度々、仕事で台湾を訪れる。
台湾で会って欲しい人がいる。
その人物は国共内戦で敗れて台湾へ逃れた
軍人であった。
金門島を守備する大佐である。
大佐には、大陸湖北省に妻子を置いたまま
会うこと叶わず。
どうしても。妻子の安否と行く末を確認したい。
そして、横浜中華街の像さんに手ずるを依頼した。
象さんは私に接触して経緯を話した。
先輩は台湾金門島で大佐に会った。
非常化の金門島に日本人が入島できない状況で会った。
大佐は対岸に向かって涙を流し妻子の名前を呼びかけた。
台北では至れり尽くせりの供応を受けた。
横浜中華街でも同様であった。
先輩は危険だが頼み事を受けざるを得なかった。
先ずは消息を確認。
日本から手紙を出すことから始めた。
次は衣類を送る。
次は衣類にお金を忍びこませて送る。
日中友好団視察に紛れて妻子に会いにいった。
貧しい暮らしであった。
既に妻は亡くなっていた。
再び台湾を訪れ状況を語った。
大佐は泣き崩れ望郷の嗚咽は止まらなかった。
そんな年月を経て台湾大陸は貿易人的交流が始まった。
台湾の中国人が大陸故郷に錦を飾る。
大量のお土産とお金をばら撒くのだ。
再び香港の一国二制度の崩壊現実となり
台湾海峡も緊張が大波の如く上下動を繰り返す。
既に先輩も物故。
その後の行く末は知らない。
政治に翻弄される中国台湾朝鮮半島。
日本はコップ内嵐で騒ぐ。
幸せなのだ。

その先輩は 、一心が退社する時
銀座のレストランんで食事した。
「君は、不正と戦い銀座にやっと復帰したら
今度は、破壊者の汚名を着せた。
そっと餞別をくれた。
私は、前歴を一言も話した事はなかったが知っていたのだ。

823砲戦から60年、総統:当時の将兵に感謝












年老いて体弱く、
ただ残るは青春の数年のみ、
名誉と富貴に骨身をけずっても、
やがてはみな白髪の老人
若い頃は人間が身体を虐め
老いては、身体が人間を虐める。


私のストーリー


製作 シニアマダム
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