ちゃこ花房~本日も波瀾万丈~

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平成の三四郎 「古賀稔彦」さん死去

2021年03月24日 | スポーツ

日本の柔道家で「平成の三四郎」と言われた古賀稔彦さんが病気のため53歳の若さで亡くなったというニュースが流れました。

若すぎます(涙

古賀さんは、常に1本を取りに行く柔道と、小柄な体からの切れ味鋭い技の数々、豪快な一本背負投げが得意技でした。

90年4月、全日本選手権決勝で小川直也(左)と対戦した古賀稔彦さん。小川は193センチ、130キロ、古賀さんは169センチ、76キロで2人の体重差は54キロだった

90年4月、全日本選手権決勝で小川直也(左)と対戦した古賀稔彦さん。小川は193センチ、130キロ、古賀さんは169センチ、76キロで2人の体重差は54キロだった


まさに、古代中国の老子の思想を基調に書かれたと言われる「三略」の中の一節

「柔よく剛を制す」の柔道で柔道界を沸かせてくれた方でした。

かなり古い話になりますが、

柔道競技が初めて採用された1964年の東京オリンピックで無差別級で、大柄のアントン ヘーシンクと戦い、敗れて銀メダルに終わった「神永明夫」という柔道家をご存知でしょうか。


当時私はまだ2歳でした。

歳がバレる(笑

この柔道世界一の座を賭けた戦いの物語は、随分前にNHKのドキュメンタリー番組「プロジェクトX〜挑戦者たち〜」で紹介されました。

(もちろん録画しました)

このオリンピックでヘーシンクに敗北したことで、メディアからは「日本柔道の敗北」という批判が日本柔道界と神永さんに対し浴びせられました。

ほんと、メディアって残酷


神永明夫さんの人柄がわかる下のエピソードが好きです

Wikipediaより引用

神永がヘーシンクに敗れたその夜、新日鉄の同僚(正確には上司の佐々木)達が神永の家を訪ねを勧めた。神永は居留守を使う事なく部屋へ招き入れ、ただ一言「ヘーシンクは強かったです」と素直に認め、それ以上は語らず悔し涙を流す事も無かったという。その翌日、神永は何事も無かったように定時に出社し、仕事を始めていた。神永の人となりを表すエピソードとして知られている。神永は常々、柔道だけではなく社会人としても全うに生きたい、という考えを有していた。


「礼に始まり礼に終わる」が武道の精神と言われるように、武道家の方達には人間的にも魅力的な人が多いですね。

神永さんもまた、58歳という若さで亡くなっています。


この写真、太りたくて食べまくって90キロまで体重を増やしたという大学生時代の主人に似てる
中身は月とスッポンだが(www


「三略」

中国・武経七書の一つ「三略」

漢の高祖劉邦に従えた軍師として有名な張良が、老人より渡されたと言われる兵法書。


上略

国と人


国を滅ぼし家を破るは、人を失えばなり。


中略

義者と知者


義士を使うに財を以ってせず。

故に義者は不仁者のために死せず。智者は闇主のために謀らず。


柔・剛・弱・強

軍しんに曰く、

「柔能く剛を制し、弱能く強を制す」と。


柔は徳なり、

剛は賊なり。

弱は人の助くる所、

強は怨みの攻むる所なり。

柔は設くる所あり、剛は施す所あり、弱は用うる所あり、強は加うる所あり。

この四者を兼ねて、その宜しきを制す



下略

楽しみ


人を楽しましむる者は久しくして長く、身を楽しましむる者は久しからずして亡ぶ。

コメント
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