marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

再来U(👽)(その5):その二人の女とは、エバは何故、あの事件の責務を永遠に負わねばならないのか?

2023-05-26 03:53:19 | 思想・哲学

 あぁ~、どうもこういう次元の低い話からヘーゲルの『精神現象学』などという話題には持って行けそうも無い。

誰だ、その人は?などとは普通はいわないが、話題のもう世界は確実に終わりに近づいているぞ!と『大洪水の前に』でドイッチャー記念賞受賞した斉藤幸平の一連の著作を読んでいたのだが、巷の言葉を持たない、持っても分からせようとしない、つまりあんたはそういう男だと驚くべき事をいう女と、話もせずに二度と口は効かない、と振り切る女がいたとすれば、いかような崇高なあるいは、思考の哲学の心理学の・・・・そういう本の話をしようとも惨敗という訳である。

現にこの空間に存在し、違う空の下といえど同じ空気を吸っている訳であるのだから。(大洪水とは、神が人類を滅ぼそうとした旧約聖書のノアの物語である。)

こういう人らは、他者を判断するにおいての基準を、その基準が低からろうが勝手な思い込みであろうが、私達は命を生むという機能を持っている故に、ただそれ故にそれを肯定し、自分を保護してくれるのみを願望として身体生存の基底に強く根本的にもっているのであるし、そのことが言葉をもつ以前の大前提なのである、と。それは女という生き物の志向の最大公約数的基盤なのであろうか。

なんて言うこともない。男(雄:おす)とすれば昔からの伝統で部族間の闘争で、守るのは我らの仕事と昔は剣で今は銃をぶら下げている者らもいる訳だ。あからさまに言えば、現在もイデオロギーで論争するなどはまだしも、それさえも無視し、節操も無く人の命など省みず領土拡張する雄がいるのである。万物の霊長どころか、人は動物と言う種の中で最も最低の生き物となってしまっている。

ところで、その二人の女ならは、いずれも復活者を知って居る者らではあった。しかし、彼女らの目からすれば、実際の生き物としての男が目の前にいれば、どうしようもない快楽思考を遮断するいかんともしがたい男が僕であったというわけである。ホルモンのアンバランスが生じエストロゲンが枯渇して更年期障害か、以上の事から他者の存在は如何にという向上的な思考はそこで止まったということであった。否、僕にとっては人を学ぶべく神が与えたもうた試練ということで理解はしているのであるが。。。

生物学な男や女の肯定、否定事象は、復活者が召天し、弟子達が自らの言葉で神の言葉の解釈という、それは神が人を創造したという画期的な出来事からかなり経ってからの考察により言語化され、流布されるようになったのであったが、それ以前は、疑うこともなく、これが与えられた運命であると受け入れるしかなかった時代を女という生き物は受け入れ生きて来たのであった。

しかし、この話に落ちがあるのは、その女Aともう一人の女Bが会話を進めた時、なんのことはない、お互いがお互いを『あんたはそういう人だ!』と決めつけて、嫌悪していたということであった。AはBに対し、BはAに対し。それが雄としての僕への反応は異なって著されたということだけのことだった。一人は言葉で、ひとりは行動で。

よって、『精神現象学』の中の・・・などという以前に、その先を自分を知る言葉をもち、相手の事も知るという言葉をもってお互いの承認を得ることが無ければ、まったく話にもならないということである。実はヘーゲルさんが言わんとすることもここにあった。シスター渡辺和子や鈴木秀子の云わんとしたことは、困難な人生において男も同様に学ぶべき初歩でそのことだったのである。この人らは、復活者に会い、知らせる役目を持って、その方との体験を大いに語らんとして人生を生きた人らではあった。(一人は故人)

*******

事実、書きたいことは、男、女という舞台上の主人公ではなく、その舞台の世界のシナリヲを書いている黒子Xらのことであったのだけれど、それは実に人類の頭の範疇を超えてしまう事柄であって、ここでかなり肉なる低次元のしかも巷のありふれた心情解析から、と言っても実にこれも重要なことではあるのだが、いきなり高尚な話に結び付けようとしても無理というものであったということだ。

ちなみに、理解して欲しいと心から願っているのは『神』という流布された漠然とした対象化された観念たる言葉の存在ではなく、具体的に実態に影響を及ぼしている『主』と言われる方である。”方である”と書いたのは、理解するに人格的概念をもつ存在である、と理解するが故である。僕が宇宙人や黒子や、そのX、シナリオライター、プロデゥーサーなどと書いて来たのは、その作用を主に六次元から及ばされる方のこと。

その方は人が地上に現れてからずっと存在し、今も影響を及ぼし、意識すれば、それを人は会話するとか祈りともいわれるが、その方と繋がることが出来る。彼らが存在することは我らも存在し、我らが在することは彼らも存在する。今生で精度を高めて個人として彼に出会いなさいという勧めをしている訳である。少なく知る限り、多少係わる空海の伝えた”真言宗”ではその制度を高めよ、と教え、あからさまなる『主』は、まさにイエス・キリストである。

******* さて

ただかろうじて書けそうなのは、男にとって女という生き物は、男をひきつけ、あるときは亡国をもたらすものであったし、第一に子供を産むという生産力を持つ者であったし、そういう生産機能を持つ種がこれで政治的主導権を持ったとすれば、男として争いを好む闘争心をもつ生き物としては、社会の制度が整い闘争が穏やかになるにつれ、逆に男に取っては恐怖をもたらす生き物となってきたのではなかったか。

第一にその新しい魂をもつ、それには霊の受信装置でもある肉体を新たに誕生させることに男という生き物は圧倒的な敗北を内心恐怖を持っていたのであるから。それは当初、動物としての種の拡張と維持であって、犠牲をもって種の繁栄を守るという雄という種の働きであったが、時代が下り本来の雄の存在の意味あいが違ってきてしまったのであった。雌としての生き物としての引きつける魅惑、この錯覚が無ければまさに人類は滅びていたであろうけれど。

このシェアーされた一般に雄にはない自然体でのアトラクティブな機能は、無論、違った意味で種(自分のこと)を守ってくれという白馬の王子様の多いなる錯覚を雌が雄にも持つことによってドラマは出来るのではある。イケメンであるいは筋骨隆々で、私の肉体をとおして可愛い子孫を残してくれそう・・・というような規定がまずあって。人はその思いの奇形も芸術化するのではあったが、生き物の歴史はそれが原型になっている。

雄(男)を引きつける美貌を雌(女)が持ち、性的魅力を沸き立たせる女の顔はまず第一に隠さねばならない。そういう体の部分も隠さねばならない。そういう基底が醸し出す、普段の思考ではどうしようまない性的欲求処理の対象となって動物闘争のきっかけとなってしまうと彼女らが虐げられた某国では、すべてを隠すことが要求され、男が剣の代わりに銃を持っている。部族間の血を流す闘争もなくなり、実生活において生産性のない無能な男たちは、ぶらぶらと銃を持ってしかも徒党を組んで権威を保たねばならないという訳だ。それは、アトラクティブな機能を持たない男たちの補填のようにも見える。

さて自由にならんとする女という生き物の地位に、わたしは好きになった男の子供を産むのだ。気にいらなければ分かれれば。そしてイイ思いにさせてくれる、わたしの気にいった男と楽しむのだ。それで、雄という正にその男は子供を産ませる脳髄の本来に基底欲求を満たそうとするのが最低限の外交的能力であるから、そもそも駄目な男でも神はこの生殖能力だけは盛んにし、この機能だけは衰えることはなさらなかったことから、違ったドラマも生まれてくる。実際、暮らしてみなければその男の本懐はわからないというわけだった。

生理現象から、その生き物は男より自分の身体という肉体の困難さに自らの言葉を持ち対応しないといけない。曰く、生理という面倒な肉体を持たされる訳である。しかし、その分、より人の人体が何らに依存しているとか、身体からの行動されるとか、つまるところ身体から思考への影響を自分の言葉でもって勝ち取らなければいけない宿命を成長期に負わされているのであった。したがって、成長期は女が自分の肉体について言葉を持つ者としては男よりは秀でているものであった。

*******

それは、誰しもが、出自に起因する人生ドラマの基も自分ではいかんともしがたい幼少期に起源があるのであって、しかも、個々のそれらが地上の人類ここに存在して、歴史を通して集団をつくり、自らの出自を考慮しできずに消費と争いを繰り広げ、それがひいては首を絞めていることも理解できず、吐出した奇形が人類を一息に破滅に落としいれることもあるという、恐ろしい時代にもなったいるということである。最後にそういう生きている方であるという意味合いで漠然とした『神』と言葉の説明を、当初からベストセラーに著しているのである。

”心を尽くし、精神をつくし、思いを尽くして『主』なる神を愛せよ!” ”あなた自身を愛するようにあなたの隣人を愛せよ”

律法と預言者(つまりは聖書の云わんとすること)は、すべてこれに掛かっている、と。

*******

結局それは、『主』と創造された『人』との地球上のドラマである、ということなのである。・・・くだくだと一歩的に長話をし一部眠く、彼が僕に乗り移った言葉もあったようだが、深夜忽然と彼は消えた。


世界のベストセラーを読む(917回)私とは誰か

2021-09-11 08:08:08 | 思想・哲学

◆本棚を整理し18歳の頃から書いた(書き殴った)ノートは、自分の根が見つけられないで悶々としているというか、何やら自己の足がかりを見つけようと悪戦苦闘の痕跡だ。青春とは疾風怒濤の時代なのだなぁ。情報過剰で、目に写る、耳にする、口にする、様々な事柄に「自己の礎」を見いださないで(否、見いだしているのかもしれないが)生きるのはシンドイのではないだろうか、と今更ながら思う。学生運動の下火のころ、経済成長のころ、少なくとも世界では、キィエルケゴールから始まる実存主義とは、地上に生きる「人間とはなにか」「自分とは何か」の問いかけを、今更のように問い始めたのだった。無論、このノート、茶色、青、赤のノートには、不条理の哲学を語ったカミュ、「厳粛な綱渡り」とか「鯨の死滅する日」などのエッセイを読んだころの大江健三郎のことも書いてある。

◆このような暗中模索の時代に、やはり貫くために自分の命をかけた、そのために、という・・・それは若者は、誰でも自己の肉体の煩雑さをを頭脳に総括して律儀に生きたいが為に、修道院(男女とも)、あるいは、僧の修行に憧れを持つ人も出てくるのとか、怪しげな宗教に走り始めるのは、ひとえに自分とは何か、の答えを見いだそうともがくからであろう。そういう、人の成長期の一過性のプロセスが時代により、ある(あった)ということなのである。こういう悶々としていた時に、工学系の学生なのに心の中では自分探しで躍起になって暗い青春時代なのであった。

◆若い時代には、誰でも普遍性なる清いものにあこがれるものだろう。それがあるのであればと・・・キィエルケゴールが模索したように。「私とはだれか」・・・その探求に答えのすべてが隠されていたのである。


世界のベストセラーを読む(888回) 不思議なこの国の物語:歴史の秘密「真理はあなた方を自由にする」

2021-06-15 09:59:27 | 思想・哲学

 〔写真〕僕の近くの高台に児桜貝塚跡がある。時代は縄文時代前期5500年前である。エジプトのピラミッド(縄文後期4000~3000年)より1500年も前の跡である。

〔心の序章〕世界の舞台のシナリオは、主人公たる地上の生まれさせられた人のアドリブ如何に係わる。実験がなされ、リセットもなされたけれど、程よく成功して地上に順応ができるようになった時に、起こった事件は前に書いたことである。それは、高い次元での出来事である。しかし、その影響は脱ぐい去られることなく、地上の歴史に波及した。今も進行中である。その戦い。2021年、現在の中国やミャンマーの外から人民を規制することに対して、民主主義とは、その主人公たる人民の心のインフラがいかに重要かを物語る。(僕が昔、仕事で中国深圳の地方の工場にいくと町の中に鉄の格子のあるアパートが見られた。異様なので尋ねたところ。思想矯正所とのことだった。)

〔自由〕問題は所謂「自由」ということであった。先にまで述べたように、地球の上のインフラを整え、そこに舞台を作り、出演者を想定する。無論、シナリオライターは、未来のことを知っている。まず、初めに規制を自ら守るべくの教え、その理由は第一に自由から脱線しないようにである。律法は、自由を規制するものと思われているが、これは逆である。人の自由たるべく心のインフラ、所謂、心構え、その芯という奴だ。そのインフラが遵守されれば、真の自由がもたらされるのである。それは最低限度のもの。この順番がそもそも混乱、逆転したが故に、後代、肉体を規制する細かな無駄とも思える律法が作られていったのである。

〔真の自由〕イエスが、「私は律法の完成の為に遣わされた」と言われたのはそういうことである。一人一人の心の内なる規制の自覚があっての自由なのだ。誰に言われるものではなく、不思議なことに、この国の多くの人は、そのことが何を言うのかを理解している。文字に現れる古い時代、理想の国を求めて、あの創造に関わったJの思いをこの国に伝えてきた人々がいたからである。あらゆる宗教で修行と言われるものが肉体克己を目指すのは何故かを考えよ。イエスは、これは不要という、永遠の命への不完全さを人から取り除くために、私は十字架に掛かる。「私を信ぜよ。私は道なり、真理なり、命なり。」という。「真理はあなた方を自由にする。」と。


世界のベストセラーを読む(866回) 全く無関係のない人はいない、霊の話

2021-05-24 15:21:35 | 思想・哲学

◆昨日、2021年5月23日はキリスト教歴のペンテコステ(聖霊降臨日)でした。この日は毎年移動するが、イエス・キリストの復活祭から50日めに近い日曜日にペンテコステ礼拝という特別に覚えての礼拝がもたれている。これは使徒言行録に書かれているが、都詣でに来ていた異国の人々に聖霊がくだり、それぞれの国の言葉で神を神を讃美しはじめたというので、世界で初めて教会ができた(発生した)日と言われています。教会は、神の言葉を伝える使命を託されているので、イエスの言われた聖霊を送ると言われたことが、その時、実現し世界の人々に神の言葉が伝えられるスタートが切られたということです。◆それで、霊の話です。このことはイエスという方がキリスト教という人の作った宗教カテゴリーに入ってしまっていますが、実はそのような宗教どうのこうのというは、まったくどうでもいいことなのです。これは、宗教どうのこうのという以前の人の生きている、動いて、食べて・・・という土台、そのインフラの生命あるすべての人に関わる事なのでから。無論、今のあなたにも僕にも誰にでも。◆天地創造において人は霊が吹き込まれ生きるものになった、とあるからです。人は、死ねば息をしなくなります。それを象徴的に同期させた言葉です。霊が充満して、その中で生きて来た人類。目には見ないが善い霊も、悪い霊も、再び肉体を持ちたいと願う霊も沢山あるでしょう。旧約時代は神の霊が語るという記事も多く見られます。キリスト教は、精神も肉体も衛生を保つことをいつも推奨します。それが出来ない人もキリストは私にいつも繋がっておれと言います。それは、悪い霊が入り込み、悩まされない土台が求められているから。潔い霊は天から送られる、キリストが送ると言われたのです。だから、聖霊にいつも繋がっていなさいと薦めています。◆これは、キリスト者だけのことなのでしょうか。否、すべての人への勧めです。宗教カテゴリーを超えたものなのです。事実として。ニコデモにイエスは、「新たに生まれなければ神の国を見ることはできない」と言われ「霊の動き」をことを風に例えて言われた。そのように私たちは見えないが多くの霊に囲まれています。「あなたは、イスラエルの教師でありながら分からないのか、地上で起こっていることを私(イエス)が話して分からなければ、天上で起こっていることを話してどうして分かるだろう。」と言われたのでした。誰でもその気配を感じることが出来るのです。


世界のベストセラーを読む(865回) 逃げてください!これからここに爆弾を落とします。

2021-05-22 06:45:42 | 思想・哲学

◆善悪を判断する木の実を食べてはいけないと、アダムとエバに語られた。この創世記の神の言葉は、ふと不思議に心の深層から響く言葉だ。様々なニュースから、人命が損なわれる現状を目にしたり、耳にしたりすると同じ人として心が痛む。しかし、例えば自然災害ではなく、人同士が意図して行う戦争はどうだろう。僕らが旧約聖書を読んだ時に、いつも心にひっかかる棘のようなものは、神がその住人を戦略的に駆逐するという場面が出てくる記事ではないだろうか。この辺の批判も巷の話題を語ると人を殺して聖書の神はおかしいぞ!と、例えば先のイスラエルのパレスチナのガザ攻撃でも、普段の人は思うだろう。僕らは、旧約の時代を生きている訳ではない。では、現代に生きて同時にそれを目にし、聞いて理解しているかといえば、その判断は、ただ、人の命をあやめてはいけない、という心情的な思いだけなのである。メディアはそれ以上のことは伝えられないし、伝えない。◆イスラム教原理組織ハマスはテロ組織である。目的は世の終わりまでイスラエルユダヤ人の殲滅である。命をかけても手段を問わず行う。手段を問わず? そうだ。自国住民を犠牲にして、自国の住民の間にロケット砲を設置してそこに攻撃を受けても楯にして行っている。それが犠牲が多くなっている理由である。ささいなことからハマスから先の攻撃がイスラエルからの反撃となった。ハマスがイスラエルに向けた砲撃はうまくいかず1/4程?が自国の上に多く失速爆発した。武力は雲泥の差である。イスラエルは、我々の攻撃はテロ組織ハマスである、ビラを蒔きここに砲撃を加えるから避難せよと住民に事前通告する。罪を憎んで人を憎まず? 我々の神は、人を創造したのだから罪なき人をむやみに殺すのは意図に反する、という思いなのかイスラエル側はそのことを行う。いつの時代も、人を憎んでその思い込みを土台にして、それが正義である善であると意気込む人々や組織、国がある。◆僕の居る場所、僕の務めた工場は、あの大戦でアメリカ軍の空襲で、日本で爆弾を落とされた最後の地である。終戦記念日近くになると、その時を忘れぬためにと被災の様子の展示が行われる。空爆の前に空から多くのチラシが蒔かれたが、その展示もなされている。日本語で書かれたそのチラシにはこう書かれていた。***「これから、ここに爆弾を落とします。逃げてくだい。悪いのは上にいる軍部の人たちです。・・・」