marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(598回) 親愛なるMへの手紙(その1)-わたしを信じなくても(神の)業を進ぜよとイエスは言った

2019-10-29 07:14:34 | 手紙

親愛なるMへ

A君にとっては今が一番大切なときではないかと思っています。いい加減にすることはないですけれど公共の教育機関だけに頼らず、思うところは突き進んでほしいと思っています。遠慮することはありませんね。それは前にもお話した通り「考える言葉」と「アウトプットとしての文字」です。かといって無論、親の希望を強制はいけませんけれど願っている方向には向かってくれるものです。それで僕が一番の願うところは、彼が成長期にあたって視野が広くなるにつれて環境に対応するために自分で考えて悩まないようにすることですが、これは通常では体験を踏まないと無理なこともありますので、何を覚えるかというより、自分の身体からくる様々な自分でも気が付かないであろう行動する思考についての「障害を回避するすべ」を早い時期から身に着けるということを願っているのです。体験からくる言葉、その土台というものを気付いてほしいと思っています。

◆外周がうるさくなる前の柔軟な成長期がとても大切なのではないでしょうか。「みんな違ってそれでいい」という言葉がありますが、それはそれでいいのですが、問題は個人で完結されていない他人の生命や財産に(幼い時期にはふさわしくない表現ですが)影響を与える他人がいて、それで気づかない人がいた場合はどうですか?みんな違っても本人が気づいておらず、他人の批判(批評ではなく否定)をする言動は、誰にでも起こっているものではないでしょうか。思ってもそれがoutputされて言葉で気づかない、いわゆる権威や、不良のリーダーはそのテリトリーでのことでは他に影響を与えないからいいのでしょうが、幼少のころはどうなるか分かりませんからね。もし小難しいことをさらに考えたければ、E・H・エリクソンの本もありますからお送りします。この人は、自己同一化(アイデンテティー)ということを唱えた60年代の人で僕も少し影響を受けました。「幼児期と社会」というような本もあります。

実は難しいことはありません。親との日和見のないしっかりした(是非をしっかりした)会話を日常で行っていくことです。一人の人格を持った神から与えられた命としてなどと書くと大げさになりますが、以前に書きましたけれどエピジェネティクスだったか、幼少のころの環境が大きくなってからの体形(人と同じするなよですが)昆虫実験では成長するにつれて大きな差となって現れるということでした。環境が整いすぎてもたくましくいかないものだということ。外からではなく彼自身の内側からの”泉”が豊かになるように!本来のエデュケーション(引き出す)の意味。

◆Bookoffで引照注付きがついた「聖書」を見つけましたので送ります。以前、送りましたのは、ですます調の、「いのちのみことば社」でしたがこれは聖書刊行会。2017年版が発行されまして一つ前の訳も古本屋にでまわるようになりました。内容についてはいずれまた書きましょう。

◆それでお願いです。Aくんはまだ幼いが、漢字にはルビもふっているので、ひらがなが少し読めるようになったら(小学生?)家族で声を出して読んでほしい。読んだら字を追っていくだけでも彼にとって実に大きな影響を与えるものだと考えています。素直なうち(小学生)にそれを行い始めてください。その箇所は旧約聖書の「箴言」です。これは、声を出して本来読むべきところなのです。これは教会ではほとんど解説されないところです。キリスト者も一度は目を通すでしょうが日常、読んでいる人はほとんどいないのではないでしょうか。2017年版の初版はやはり誤字など訂正があったようですが、少し版を重ねたらお送りしましょう。否、その前に今のものがもっとBookoffに出回るかもしれませんね。

 それではみなさんの健康を祈ります。それから台風被災の地が早い復興が行われるよう祈ります。・・・ Ω             

 


世界のベストセラーを読む(597回) 「即位礼正殿の儀」について思うー遥かなる太陽が昇る地を目指して

2019-10-21 08:24:44 | 小説

親愛なるMへ

 台風の被災地のニュースが流れるたびに心を痛めています。そちらは変わりありませんでしょうか。

◆昨日22日、「即位礼正殿の儀」がありましたが、これについては日本の天皇制の仕組みは、彼ら(以下に記載)がそのシステムを創ってきたものなのだろうと思っているのです。歴代天皇は神武天皇から始まりますが、それ以前からの古代の歴史を見ても。古代の旧約聖書の中の部族間のいざこざを見ても、底辺のところで結局一致して行こうとするこの国の形成は、古来から人間を超越した何らかの存在としてのいわゆる言葉にできない「神」(彼らにとってはまさに全宇宙をそして人をも創造したという聖書の「神」)の概念が無ければ一致は困難であると思われるのです。

◆そして、この地上においては現実問題として、人の御姿としての象徴(古代で言えば「王」)を建てなければ人の集団はうまくまとまらないのだということを彼らは時代をへて体験で学んできたものだったのではないだろうか。そして彼らそれぞれの部族は順次、時代を経て日本に到着した。(※『ナラ』とはヘブル語で「到達点」を意味する「ナーラー」というのだそうだ。韓国語で「国」という意味もある。渡来人は韓国を渡ってきたのが多かったから。けれど、DNAがイスラエルと日本の人々の40%も同じで、韓国、中国には見られないというのだから。正倉院には当時のペルシャと同じガラス食器があることが成分分析から分かってもいるし。その他もろもろの当時の国々からの献上品。これはいったいどう考えたらいいのだろう。)

◆ここで、表だって顔を出さない演出家が存在するんですね。それが、日本全国に「八幡」という名前を定着させた、かなり高い技術をもった非常に優れた人々の集団、聖徳太子のブレーンだったといわれるその秦氏が率いる一団だった。旧約聖書にはダビデ王がイスラエル王国として統一した時、その共同体が「一人の人のようになった」と書かれているところがあります。これは理想的な組織としての国のあり方なのだろう。けれど天皇が政治に直接かかわるようになると決してうまくいか  ず、(ここに天皇制反対を叫ぶ人もいるのだな)この国を見てもあくまで象徴にとどまるのがまさに「天」の示すところなのだろう。

◆それを、彼らは時代を経て、経験してきたのだ。それは初めて中国という国を統一した言われる「秦(シン)」という国だったと思っているのです。秦氏は紀元前の失われたイスラエルの10部族のひとつだったろうと言われている。無論、旧約の民だからモーセ五書は知っていたことになる。(聖書には、紀元前1700年以上の記事にすでに「あなた方は地上に散らされる」と言われている箇所があるのですね、何という神の摂理!  というべきか。)

◆時代に同化しつつ、遙かなる太陽が登る地を目指して彼らは日本にたどり着いたのだった。ジャジャーン!? ずうーと行くと太平洋でしょ。実はここまで行っていたんだよ。彼らはどうして表だって文字に残っていないのだろうか。それは真に神を恐れていたのだろうと思う。古代ユダヤ人は、神の名前を口に出すのを恐れアドナイ「主」と呼んで、そうこうしている内に名前を忘れたと言われる。あるいは、人の残す文字としての記録など所詮当てにならないものであると知っていたのだろう。だから、神話として記紀を残すことに影響を与えたのだろうと僕は思っているのです。実に多くの技術を伝えていたのです。  

◆新約でコリントへの手紙にパウロは「文字は人を殺し、霊は人を生かす」とある。 記紀「日本書紀」、「古事記」などの訳の分からん物語も、時代を経て順にそれぞれの彼ら部族の一団が(地球の裏側の古代紀元前の離散したイスラエルの10部族が)時代を経てるなかで(それぞれの国に同化しながらもそれぞれの部族が時間を隔て)この日本の国に到達してからのそれぞれの部族物語だと考えると納得がいくように思われてくるのですね。この国に到達したことを記紀以前、天上界からの降臨として記載したのだろう。それぞれの神々として。

◆時が満ちキリストが誕生して、日本に来ていた旧約の民にも急ぎ伝えられた、それは彼らの聖書にも古代から書かれていたものだったから。秦氏は当時のキリスト教(景教)徒だったろうと言われているのも日本の彼に由来の遺跡から納得の行くところです。  それでは、また 皆さんの健康を祈ります。・・・


世界のベストセラーを読む(596回) 「僕の生まれた小さな村の大きな物語」-遥かなる太陽が昇る地を目指して

2019-10-20 06:18:31 | 小説

親愛なるMへ

◆作家、大江健三郎の故郷は四国である。四国には剣山があってそこにモーゼの運んだアークが埋められているのだそうだ。この類の話が多くyoutubeでみることができる。真言密教の空海が八十八か所がぐるりと四国の島を巡っている。作家として信仰など持たないという彼はおそらく意識はしていなかったのだろうけれど、不思議と聖書の話が彼の小説のメタファーになっている。それに自然、森、それは四国の森から来ているのは間違いないのだが、それと現代の哲学やら思想が結びつくような話が多く小説に取り入れられるのは、なにがしか幼児心象としてその土地からくる記憶が彼の心の底にあるからなのだろう。それが、ウイリアム・ブレイクを採用したり、新しき人(これは新約聖書パウロの手紙に出てくるし、S.ヴェーユも論文に用ている)目覚めよ、若かりし頃の「洪水は我が魂に及び」などとかもろもろ、世界のベストセラー聖書から暗示を多く受けているように思われますね。

◆さて、四国は「死国」なのだそうだ。その島の秘密が封印されるように空海はそれを感知して八十八か所という祈祷所を作り「結界」を作り封じ込めたのだろう。真言宗なので僕の親族は、つるんで車で2年かけて回ったそうである。ビデオも撮ってまわったそうだが、僕は見ていない。いずれ、空海は中国語が話せたそうだし真言宗の最高位の灌頂を師の恵果から受けたそうだから、スーパーエリートだった。高野山には、敵対してきた武将たちの墓も一緒にあるそうだし、いずれ枝葉末節はともかくひとランク上の人だったのだろう。なぜ、ここで世界のベストセラー聖書なのかといえば、彼、空海は中国唐に渡ったときキリスト教に触れているのである。景教と呼ばれた。西と別れてマリアを神の母として持ち上げなかったネストリウスが東へ伝道したのでネストリウスキリスト教と呼ばれるが、実に多くのクリスチャンが大陸には多くいたのだ。パウロが死ぬ思いで苦労して伝道していた時に。大きな「太秦景教流行碑」(シリア語も書かれているとか)が建てられたそうだから、そうとうの人数だったのだろう。この碑のレプリカが高野山にもあるそうだ。当時、空海はグローバルな人だった、今も高野山にはたくさんの海外の観光客は訪れているねぇ。当時は、儒教、道教、ユダヤ教やキリスト教など長安の都には存在した。日本にも多くいろいろなものから影響を受けている。それが僧侶が述べればすぐ仏教だと言われたけれど。

◆浄土宗などは中国で「善導」という方が始祖だと言われているけれど「浄土があるということ」「『南無阿弥陀仏』を唱えるだけで救われる」などは、かなりキリスト教の影響を受けたものだと僕は思いますよ。お釈迦さんはそんなこと言っていないから。僕などは「西方浄土」といわれてきたのは、キリスト教で「神はエルサレムに呼び集める(現代では天のエルサレム)」といわれたので「西方」とは当時から見れば「エルサレム」のことを言ったのではないのかとか、キリスト教の「主の名を呼ぶものはみな救われる」という教えからきたものだろうなぁ、とずっと思ってた

◆パウロが「神の言葉」でもって苦労しながらも、東へ行こうとして「キリストの霊に禁じられた」という不思議な話が使徒言行録に出てくる。彼は、マケドニア人が「私たちを助けてください」との夢を見、ギリシャにわたる。たくさんのクリスチャンが中国にいたときに。ここから、僕ら被創造物である人間が自分の言葉で神をとらえようとする神学が始まってくるわけだ。「知」の西欧、「情」の中央から東アジアという感じ。今の世界を見れば、哲学と合理性、法の順守(パウロはローマ法で名高いそこで殉教)ということが今でも人としての世界を動かす重要な要素。実際面では、経済である。つまり、被創造物の人は自らが自分の言葉で「御心の天になるごとく地にもなさせ給え」と神の同労者として地を変えていかなくてはならない、思い責任を自覚し担うようになったのである。

◆「人はパンのみにて生きるにあらず」とキリストは言われた。「パンを食べなければ第一に人は生きてはいけんでしょう」と考えたユダヤ人を現実面で選民族として土台として備えられた神の摂理とはこれまた敬服しなければいけないね。そこから見えない世界のシステムが作られて来たといってもいいと思う(学校ではならいません)。離散したユダヤ人がいなければシルクロードなど、第一統一された取引の仕組みがなければ、できっこないのですから。イエスが、サマリアの女に「救いはユダヤ人から来るからである」といわれた言葉の疑問が解けたように思った時、僕は正直泣けた。

◆さて「僕の生まれた小さな村の大きな話」の「大きな話」とは、紀元前に地球の裏側で国を失ったイスラエルの10部族が東へと向かい、時代を経て、それぞれの国に同化しつつも、順次、この国にやって来ていたということなのである。それが学問的に科学的にと言えばいいか。ユダヤ人とこの国の民族の40%ほどもDNAが同じで、中国や韓国には見られないものだということである。さらに、今までブログに写真を掲載もした僕のにもある「八幡神社」が渡来人(秦氏や鹿嶋氏・・・)が伝えたものだということが神道辞典に掲載されていたのである。・・・続く 


世界のベストセラーを読む(595回) 「僕の生まれた小さな村の大きな物語」-例えば大江健三郎の小説の四国の兵衛伯父さんの革命について

2019-10-19 12:56:52 | 小説

親愛なるJ

 台風19号の影響で甚大な被害が毎日ニュースに流れ、被災された方々、多くのインフラが破壊されたことに心が痛みます。こちらは、普段と変わらず、雨と多少の強風がありましたけれど本当に申し訳ないほどに青空が見えてすがすがしい秋晴れの天候が続いています。

 ◆ブログ更新期間がひと月ほど空白がありましたね。このブランク・・・「僕の生まれた小さな村の大きな物語」を書こうとしましたが、「大きな物語」という部分が、日本古代や世界史を巻き込むようなとてつもなく大きな話になってきそうで、少し勉強しなければいけないなと思わされました。僕の生まれた村が、否、日本中のといっていい読者の方の住まわれているところの町や村の古代の歴史が地球の裏側の世界の歴史につながっていたんだと思われるような物語が眠っていたのだと気づいてしまったからです。

◆そのような中でいろいろ本も読みましたし、youtube(ほとんどのコメントに高評価をいただきましたよ)もたくさん見ましたよ。東京に遠征的?散歩に行ったときは、キリスト教の神学者や牧師先生にも会ってきました(東京散歩はブログに投稿しましたがこちらの方は専門的なので書いてませんが)。それから当地区でも訓練セミナーも著名な先生(youtubeでもお会いできるとは)をお招きして参加しましてね。いろいろ勉強になりました。それら、僕が考えてきたこと(神様から示されて来たことと書けば抹香臭くなるが)が、少しづつ学問的にもあらわになって来たと思っているので嬉しく思っているのですよ。

◆きっかけは、古い本になりますが、だいぶ以前にO先生からいただいていたヨルダン社から「日本の神学」という本です。共著のF先生は昨年、亡くなられました。主にF先生が書かれている内容がメインですが、貴重な重鎮がいなくなりとても残念に思います。これからのT神学大学はなかなか困難になるのかなぁ。いただいたこの本は1996年4版。だいぶ昔のだが、今は更新されて出版されているのかしら。いずれこの国の大戦後の洗脳から、神学といえども偏った見方があるようで、と書いたらとても叱られるのですが・・・。偏った?その例を言えば、世界史の高校の教科書がどうして西欧の歴史から始まっているのか? 最も古いと言えばシュメールあたりだろうけれど、僕らの住んでいるアジア大陸の方が文字としても古い歴史を持っているのにね。西欧はその当時、森に覆われた未知の世界の方がほとんどだったのに・・・。

◆露わになったきたこと、それは先に写真を掲載しましたおそらく古代からあるであろう「神社」、無論、現在僕らがこんな田舎でも目に見ることができる「神社」という建物は明治の国威掲揚のために建て替えられたものが多くあるのでしょうけれど、これがなぜ日本中にあったり、広く住んでいる地域の名前になっているのか。これがおそらく、日本の古代の基本、この国に住んでいた人々の精神性をなしてきたものの現れが今の僕らの身の回りの至る所に残っていると改めて発見したということなのです。それは古い古い時代に遡ります。神話の時代・・・それは僕の頭にすぐ浮かぶのは本居宣長という昔の学者や丸山真男というような学者さんが通奏低音のように流れている精神性というようなものの起源。さらにそれはもっとあるかもしれない。ある時には「その場の空気」と呼ばれたりするものを助長するものだったりしたけれど。

◆それらが今や正式な学問として「あらた(新たにこれが正しい解釈だろうと)」眼前に現れてきたということなのです。そもそもどうして僕が面白くもない事柄を考えているかと言えば、この国の神を求める心というのは、聖書の語る全知全能の神が居られるとするならば、求める指向性が、それ(神の摂理)に最もそう仕組みだったのではないかと考えはじめて来たからなのです。この古代の精神性と現代の例えば西欧の思想のなりたちは、どちらがいいとか悪いとか、評価の対象としてその思想(言語化された精神性)などとして取り出されたものではなく、まさに人を含めた創造者の天上界の僕らには到底知り得ない深いシナリオの元に動いているように思われてきているのです。

◆大江の小説「揚げソーセージの食べ方」から、・・・レヴィー=ストロースの親戚関係で、僕と兵衛爺さんとの実際の関係がーーおおいに心理の真相にかかわりつつーー母方の伯父と自分の、関係のありようにつうじると自覚されるものである。・・・

◇僕が彼の「いかに木を殺すか」という文庫本をいつも手元に置いてきたのは、彼の田舎の四国の田舎にいる親族が、あの時代、現代にも通づるような不思議な革命なんぞというようなとんでもない行動を起こすことや、村の話に「旧約聖書のレビ記」の言葉を載せているからなのである。古代と現代、実は古い時代、安穏と山の猟や野の百姓を営みながらも内実は、四国の島や東北に押し分け逃げ込まれてこなければならなかった、実に政治的な人々が僕の生まれた道沿い数キロもない小さなにもいたということなのである。・・・ 続く 

 


ピーター・フランクルさんの問題:解き方と回答(例)

2019-10-11 07:00:00 | 日記

前回の問題を書きます。

ℚ:一番下の数値が112ですが、110となるように一番上の1~6の数値を並べ変えなさい。(スペース足りないので解き方を右に書きます)

     1  2  3  4  5   6     →    a     b       c      d       e       f   (と文字に置き換えます)

      3  5  7  9  11             a+b    b+c      c+d      d+e      e+f

        8     12     16      20                       a+2b+c   b+2c+d    c+2d+e    d+2e+f  

                               20     28     36                             a+3b+3c+d  b+3c+3d+e   c+3d+3e+f

                                   48     64                               a+4b+6c+4d+e   b+4c+6d+4e+f

                                      112                                   a+5b+10c+10d+5e+f

 ◆解き方(例) 問題は一番下が110になるような a~fの並べ方でしたので

  a+b+c+d+e+f     =21  -①

  a+5b+10c+10d+5e+f =110   ー②

  ②-①

  4(b+e)+9(c+d) =89   ここからが難問で  44+45=89  b+e が11、c+d が5 になる組み合わせになると 

    これを捜すと b+eは 5と6 or 6と5 c+dは 1と4 or 4と1、 2と3 or 3と2 ここでb,eとc,dの組み合わせを決めたとき残りの2数字をaとf にする。

◆答えたくさんあります。(16ケ) a,b,c,d,e,f =1.5.3.2.6.4、4.5.3.2.6.1、4.5.2.3.6.1、1.5.2.3.6.4、2.5.1.4.6.3、3.5.1.4.6.2、3.5.4.1.6.2、2.5.4.1.6.3、2.6.1.4.5.3、3.6.1.4.5.2、3.6.4.1.5.2、2.6.4.1.5.3、1.6.3.2.5.4、4.6.3.2.5.1、4.6.2.3.5.1、1.6.2.3.5.4  以上です。

◆試しに どれか数字を並べて初めのように下に足していき110になるか試してみましょう。 ・・・他にやり方あればご連絡を!