marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(550回) 「神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強い・・・」(コリント信徒への手紙Ⅰ-1:25)

2019-03-19 23:19:29 | 日記
 肉においてどんなに頑張っても優秀とはなれない僕らは、それでも生きている・・・神の霊を受けて ですから安心しなさい。人であることは神の霊が吹き込まれどんな状況であっても神は人を愛されて、永遠の世界に導かんといつもいつも声をかけておられるのである・・・と。この件に関しては、何も恐れることはないのだ・・・と。

◆新訳聖書の中で最も多く手紙が残されている使徒パウロは、コリントという町の信徒へ手紙を書いた。コリントの教会はパウロによってたてられた教会で、たいそう遊興娯楽の町だった(今でも辞典でコリントゲームと調べるとピンボール、今のパチンコのはしりがでてくるくらいだから)。パウロが旅立った後、すでにさまざまな問題が生じていたので、それを知ったパウロがエペソという町から書簡を送ったのがコリント前書。その中の数節を紹介。

 ********************************
 
 兄弟たち、あなた方が召されたときのことを、思い起こしてみなさい。人間的に見て知恵のある者が多かったわけではではなく、能力のある者や、家柄のよい者が多かったわけでもありません。ところが、、神は知恵のある者に恥をかかせるため、世の無学な者を選び、力ある者に恥をかかせるため、世の無力な者を選ばれました。また、神は地位のある者を無力な者とするため、世の無に等しい者、身分の卑しい者や見下げられている者を選ばれたのです。それは、だれ一人、神の前で誇ることがないようにする為です。(コリントの信徒への手紙Ⅰ 1:26~29)

 ********************************

◆今の僕の解釈するところは、つまりイエスが地上に立たれたこと、その意味を理解するであろう人は、この地上の肉による優位などには全く関係がない次元の事なのであるということだ。肉において優秀な方は、その能力を発揮されて人々を豊かにするかもしれないし、逆に戦争を起こし悲惨な方向に導くかも知れない。
ここで言わんとすることは、最終僕らに魂があり、霊が出入りしているとすれば、僕らは違った次元でイエスが神の世界(同時にあるが別次元での)を、現存する世界の中に見えておられたということを知らなくてはならないだろうということだ。だから、肉における人は、神の霊につながっていなければいけない(心の安寧は得られない)ということ。誰しもが神様という概念は持つけれど、それは何かと言うことをしっかりと理解しないといけないということだ。
◆それであれば、イエス・キリストでなくてもいいだろう・・・ということにはならないのである。彼は、十字架に掛かりすべての肉における”しがらみ”を断ち切ったからだ。何もこれは、日和見ではない。ここに人の宗教ということのしがらみ(情的思い込みと言おうか、朽ちていく肉体にべっとりまとわりついたしがらみ)があるのである。だから、次のイエスの言葉の意味をもそこから理解されよ。肉的次元から捉えれば非常に厳しい内容も、霊的な次元からの言葉なのだと理解されよ。これを理解しない限り、この言葉は自分には関係ないとして捨て鉢になり無視されることばとなるだろうから。

 ********************************
 
 イエスは言われた。「はっきり言っておく。わたしのためまた福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子供、畑を捨てた者はだれでも、今この世で、迫害を受けるが、家、兄弟、姉妹、母、子供、畑も百倍受け、後の世では、永遠の命を受ける。・・・」(マルコによる福音書10:29~30)

 ********************************  ・・・

世界のベストセラーを読む(549回) 読んで自分を生きて初めて理解できること

2019-03-18 07:47:33 | 日記
世界のベストセラーを読む(492回目)「美味しんぼ」作者:雁屋哲さんのブログから、「加藤周一の受洗」
 僕が至るところで”しがらみ”と書いていることについて下記は2009年6月29日に雁屋哲さんのブログをコピーしていたものです。文章のそろえは変えましたが、内容編集はいっさいしてお......


◆息子の大学受験前の推薦図書にかの知の巨人と言われた加藤周一さんの「羊の歌」というのが上がっていた。僕のところには彼の残した「続 羊の歌」もあるけれど、のっけから御優秀な血筋に生まれた方、この加藤周一さんに対して、僕にとっての「しがらみ」以前のつまり肉におけるレベルの違い(東京大学医学部卒、養老孟司さんも同じだが養老先生のお母さんはお医者さんだった、つまり肉においては御優秀)にあって、そもそも普段の受験生はどのようにして読む者だろうかと考えてしまっていたことを思いだす。僕の息子は買ったもののきちんと読みはしなかったろう。今の学生の考えはかなりレベルが高いのだろうが、これを読みこなせるとすれば、文字や言葉の言い回しなどにとって、よほどの文字や言葉に早い時期に慣れた若者なのだろうと思わされてしまうのだった。僕などは、このブログでも紹介した事はあるけれど、それもようやく大学中に読んだものばかりであったから・・・。雁屋哲さんの限界は、神(宗教)を創造した人の次元で留まっているのであって、これだといくら何を読んでも真の理解には到達しない。人は神が創造したのであるとう逆の階層に切り替えない限り、決して理解しえない次元のものだからなのです。

◆掲載の1年前に書いたブログについての思いは更に深く進んだ。これについて思うことを書こうとした理由は、井筒俊彦さんのことも書かれていることだった。イスラム文化に造詣があり、「意味と本質」という小難しい本も書かれていたことが気になって、お高い本だったが今は岩波文庫からも出ているので読んでみるとこれまた小難しいように思われたが(井筒先生曰く考えの及ばない人には、つまり分からない人にはわからないだろうと、と身も蓋もないこともチラリと書いている)、世界のベストセラーである聖書のイエスの言葉に、当てはめて考えると一見矛盾したような言葉のその内容に、ストンと腑に落ちるように思われたのだった。「意味と本質」の中には、表層意識と深層意識からの言葉のことが書かれていて、イエスの一見矛盾したような言葉は、この階層の異なる次元からそれぞれ発せられた言葉なのだろうと思わされたことであった。この本の内容を元に、聖書のキリスト・イエスの言動を解説でき、精神的東洋にも通ずるものであることが解説できそうだと思わされたことであった。

◆聖書は、読んで分かるものではなく、読んで自分を生きることで 初めて理解できてくるものだからである と僕は実感しているのだ。・・・ 

世界のベストセラーを読む(548回) 「自分の命であってもこれを憎まないなら・・・」(ルカ14:26) とはどういう意味なのか

2019-03-17 20:23:29 | 日記
親愛なるJへ (2019年は今月3月6日から受難節に入りました)

◆年齢により仕事の一線から外れた僕なのだが、今も勤める工場において品質の外部監査が行われ中。 さて、僕があと数ヶ月で完全フリーとなったら、もう少し体力的にもへばらなくて、そう僕の残りの人生の3分の1を始めようと思うわけだ。御両親様を天国におくるためだったと思われくらいに今までの人生の時の3分の2を費やしたように感じている。自分の人生の困難さも含めて、僕のブログに時折でてくる、親を選べないということ(悪い意味ということではなく)・・・これはあたり前のことなのだがあえて言葉で、文字でそれを書かねばいけないということは、僕の追求している、人が生きているその通奏低音のような、つながりの目に見える肉体は、自分では選択のしようが無いという前提と、それを受け入れるに意味を見いだすため、つまり積極的な自己肯定を見いだそうとする暗中模索の時代を過ごしてきたということである。まったく僕は、一旗揚げようとか、好きな趣味を活かしたりして人生を楽しむなどということは、やはりというか到底できなくて、むしろその暗中模索が、僕の今までの人生だったと考えれば考えられなくもない。何しろ、考えをもって積極的に生きようと思えば、心臓がえらく痛くなって、情緒性はかなり不安定になり真昼でもすごい恐怖感に襲われるときがあったから、小さいころからそうだった。

◆だからというか・・・キリスト・イエスに僕が引かれるのは彼の癒やしの話にでてくる「生まれつき目が見えない」とか「生まれつき足が悪い」とか、というような当人が選べない肉体の制約を、イエスは解放する、癒やすという場面なのである。まさに、イエスは、肉体の本来の回復を起こすわけなのだが、当の原因でもあろう神との和解、あなたの罪は許された、という言葉で癒やすのであった。

◆肉体を癒やすことと、罪を許すこととどちらがたやすいかとイエスは問う。イエスは「私には罪を許す権威がある」というのであった。罪が許されるということは永遠の許しを得たに等しく、肉体というのは被創造物の一時の借り物に過ぎないと考えるとイエスが何を言いたかったのかが理解されてくるように思われたのだ。人生80年も生きるだろうか? そのひとときの肉体の回復より(無論、生まれつきの障害から癒やされることは願っても無いことなのだが、それ以上に)永遠の世界で完全な肉体をいただいて生き続ける方がいいだろうと誰しもが思うのではないだろうか。

◆だから、彼イエスは矛盾したと見えることも言うのだ。「精神を尽くし、思いを尽くし、主なるあなたの神を愛せよ。自分を愛するようにあなたの隣人を愛せよ」とこれは黄金律と呼ばれているそうなのだが、次のようにも言っている。「自分の十字架を負って我に従え。(更に、その前の記事には)自分の命であろうともこれを憎まないなら私の弟子ではありえない(ルカ福音書14の26)」。そして、昇天の際、弟子たちに「世界に出て行って私の弟子にせよ」と言う。・・・これをどう読むべきか。そこにはどうしても不完全な人という生き物の、神の似姿に創造されたと言われた人という生き物の不完全さ、これは神から離れたからなのだという理由がつけられるのだろうが、だからどうすればいいのだ、という答えを求める追求が無意識のうちにも誰しも心底にあるのではなかろうか・・・・それが人それぞれとしても宗教性(無論、既存のものばかりではない)を求め続ける持ちとなるのだろう。キリスト者はそこに自分の限界、自分の為にかかられたキリストの十字架(その痛みを同期する)を見いだすのである。

◆そういう生き様の中で最終的には、イエスの父なる神は、地上のすべての人類を取り巻くすべての障害からの脱出の推奨がなされているように思われるのだ、最後には自分自身からの肉体からの脱出を心がけるよう(これが新訳聖書で言いたい内容と総括できそうだが)、神の言葉を聞く者に勧めをしているのである。誰でもが地上の肉体を脱ぎ捨てる死を迎えるのだから。だから、キリストの十字架以外には永遠の世界への救いにはあずかれる方法はない とキリスト者は考える。彼は復活し、その復活はまさに不思議なぼんやりしたものではなく今、あなたが目で見て、触れているように、そのように復活するのであると。しかもすべてがベストな状態で・・・。彼を信じた者は、この地上で死んでもその霊がうろうろすることはない。次の復活の時まで、眠り続けるのであると。そして目覚めた時、次の世界で彼を信じた多くの人々と再会できるのだ。
                ここまで付き合ってくれてありがとう・・・では、また 


世界のベストセラーを読む(547回)(4)K・ゴーンさんの弁護士さんへ

2019-03-11 18:53:47 | 日記
 神の言葉、聖書は 3800億冊以上出版され、2770言語に翻訳だとか。まさに世界のベストセラーです。しかし、多くの者はまともに自分の言葉として読んでいないと思われる。読んでもよう分からんから・・・。というのは、先理解された事柄が、前提として知識として無ければ、何の事やらの書物ではある。

◆・・・が、しかし、彼のご先祖様が伝来の知識として体得されて、それで生きた来たとなれば、改めて言葉にしなくてもDNAの片鱗に埋め込まれていると僕は思う。で、彼のご先祖様のブラジル以前の国はあの旧約、新約聖書の場所であった。僕が思うに彼の思考プロセスは、極めてヘブライズムが底辺となっている。だから、あまり合理的過ぎる欧米にはお金はばら撒いていないでしょう。トップにたってのお金もクロスファンクショナルに処理しようとしたのだあろうと。いい意味での野心家、冒険家、挑戦を常に好む、ピンチはチャンスと、粘り強く諦めない、分析し入りと出では、何を優先、何を減らすか・・・。

◆この国の村感情、しがらみ世界に来訪神として現れた。この国の人民は黒船に弱い、というか外来からの第三者的目線で改革を起こすことは極めて困難なのだった。少なくとも日産には。

   
 

 時代を感じ取り、ブラジルに渡り、更に若き頃、カトリック神父の教えに影響を受けたことは、先に書いた。すでに先祖伝来の旧約からは脱出していたのだ。彼の伝記ともいえる本のさらなる続きを書いて欲しいものだ。自分は無罪と言っているだから、どうか弁護士さん その後の伝記を書かせて欲しい

◆この本の中でなぜ、日産が当時完全アウトだったのかは、結論から言えば、待ちの姿勢の稲作人種の村意識が強かったのだ。同じ農耕ベースでの意識が共有化されていた時代の二宮尊徳のような人が現れても、すでにでかい組織が存在していて依存気質のあった横のつながりには、来訪神がいつもこの国には必要なのだろう。現代で言えば京セラの稲盛さんあたりが必要だったか、でも、彼は自分で立ち上げた会社でしたからね。しかし、目覚めたこの国の民族の気質は結局優秀だったのだよ。本当に。カリスマ依存も気がつけばフランス、ルーノー傘下かよ、俺たちの方が稼いでいるのにと窮鼠猫をかむでクーデターか。

◆彼の世界中を視野に入れているのは、僕にとってはやはり現存する異界から介入する旧約の神が彼の思考にはあるのだろうと。とすれば無論、サタンも顔を出しているということだ。彼は、自分の行ったことは、当時の日産組織が承認しているではないか、ということで正当化するのだろうか。

◆ごたごた書いたが、僕の「善悪の判断とは」、「組織とはなにか責任とはなにか」を1954年生まれの彼の事件からいろいろか考えさせられているのである。・・・  

世界のベストセラーを読む(546回)(3)「見えない世界と現実の世界」(ゴーンさんは見えている物でも見えていない物があると言ったのだが)

2019-03-09 06:44:06 | 日記
世界のベストセラーを読む(490回目)(その4)仏文学者、渡辺一夫・評論家、加藤周一・作家、大江健三郎・神学者、近藤勝彦
 すなおに頭に浮かんだ、知識人を表題にならべました。前のお二人は故人、大江健三郎はご存じノーベル文学賞を授与された作家、最後はもと東京神学大学学長を歴任、現在牧師でもありばりばりの......


親愛なるJ 

  誰でもが朝目覚めた時にとても不快に思われる肉体を持つ年齢になってきたものだ。コーヒーを入れて飲み、前頭葉が少しずつ言葉を探し求め(静かなこのひとときが大切と念じながら・・・)会社に行こうとする。 年齢からして第一線から身を引いて、身体的に強いて動かさねばならない部門のいちワーカーにあえて身を投ずる。身体の経時的劣化(無論、頭脳も含めて)、それに伴う自分の身体の不調部位の弱点などの確認などを行うことを一日の始まりとする。

 ◆僕は、ゴーン氏の名誉回復の自己弁明がどのように主張されていくのかに関心があるのだ。何度も書くが、彼は心底にヘブライズムを持っているからね。  僕らがこの光のもとでのあらゆる事において”解のない問題はない”と著書の中で言い切っていたのだから・・・。
 しかし、本来の見えない世界、それは彼の言う”見てはいるが見えていない部分(彼いうところの裏での関係、詳細な分析そのロスなどのこと)”事物としての事柄ではなくて、僕らが”見てはいるが見えていない部分”の事柄に、はっきり言えば〔霊〕の世界(・・・どうぞ笑わないで欲しい。このことは実は人が地上に生存する限りにおいて、あなたの、僕の、そしてすべての人類の目には見えないが異界の最終段階の非常に高いレベルの次元に関する事柄であると僕は思わされているのだが、理解することは少数だろうけれどそれはおそらく間違いではない)に関する事なのである。
◆宗教的人間の僕としてはこう言い方しかできないが、本来すべて現実世界の人の自然の行動欲求は、肉体を媒介としてのその働き、この地上で入ったり、出たりしての〔霊〕、そこから影響を受けていると僕は考えているので、世界のベストセラーとはまさにそのことからくる霊を媒介とする人類すべてが、唯一の救済主という人を創造され生きる霊を吹き込まれた神のひとり子といわれるイエスについて書かれているのだからと・・・使徒パウロは”霊の法則”と言ったそのこと。いずれこのことは僕のライフワークのようなものでもあるので又、書いていこうと思う。
◆彼がプライド維持の為にどう弁明をしていくのか。今回の事件において”解の無い問題はない”と考えるならば、どのように弁明し名誉挽回するのかなのです。彼の若い頃、影響を与えた神父の教え、物つくりの品質工場勤めの方は理解される品質システムISOなどには、”説明責任”というアカウンタビリティーという神学用語まで英語で書かれるくらいの合理的な考えは確かに、キリスト教社会からのものであるのだが、神父の働きとは本来、その段階まで教えたかったとしてこの世の勤めをなしているのだが、次元の異なる事柄で限界があり・・・人はそれぞれ、自分の言葉で自分の宿題として、キリスト教的には、自分の十字架を負ってこの残りの世界を生き抜いて行かなければ答えは見つからないものなのである。イエスは、いつも一人ひとりに問われているのだ「あなたは私を誰と思うか」。この回答は一般化できるものではないが、ひとり一人に必ず返ってくるものなのであると僕は信ずる。
 
 ****************************************************

 求めよ。そうすれば与えられるであろう。捜せ、そうすれば見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば開けてもらえるであろう。
 すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者は開けてもらえるからである。(マタイ福音書7章7節)

 ****************************************************

  つじつまの合わなくなった拙速の手紙に付き合ってくれてありがとう。それでは また。 ・・・