marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

(その17)日本に来た黒子達②:世界に散らされた黒子達(宇宙人👽)

2022-10-31 11:41:09 | #日記#手紙#小説#文学#歴史#思想・哲学#宗教

(宇宙人👽D:の話)

イスラエルの国の国歌『希望』の中に「シオンとエルサレムを求めて東の果てに向かおう」という歌詞があるのはどういう意味なのだろうか。いつ頃できた国歌なのだろうか。”東の果て、岸まで”という文言に、それは日本まで来ているのであると、そしてそれは事実であると盛んにYouTubeで先生方が宣べている内容を見ることができる。はっきりした日ユ同祖論ではないが、多くの渡来人が来て帰化したのであった。元々が神に選ばれた民であったからそのDNAは政治的にも優秀なものであった。

シオンを思いだし、それが京都の祇園祭りとなって、あの練り歩くたち鉾の御車にかけられたタペストリーの刺繍にイサクの結婚の話が縫われているとか、エルサレムは、エル(神の都)・シャローム(平和)として、平安京ができたとかの話が伝わっている。

そもそも、天地創造がなされた時、我々(宇宙人👽:あえてこう書かせていただく)の内で、最も優秀だった創造グループはイスラエルであった。地球の人類のドラマの中で、時間経過を経て、地上の人類の歩みを見たとき、その往来の時が来たと思われたとき、地上に選ばれし民族を見届け、その筆頭としてヤコブを選んだのであった。彼は天使と相撲をとったとある(これが相撲が神事である謂れになったと言われる)。そして天使から与えられた名前がイスラエル(神の皇太子)であった。創世記32章に書かれている事件である。

今はイスラエルというひとつの国の名前になっているが、聖書を読めば、BC1000年頃のダビデ王の時に国の統一が図られ、その後、北イスラエルと南ユダに分断し、北イスラエルはBC722年頃、アッシリア今のイラン国に捕囚され、南ユダはBC586年頃にその後に起こったバビロンに捕囚される。さらに、その後に起こったペルシャ国に帰還を許されるが、(その後はローマに支配され属国となっていいとこなし、そういう中でイエスがメシアとして現れるが)、離散したその多くは国元に帰ることはなく、世界に離散したのであるとされる。

その各地で彼らはコロニーを作り、曰く教会を作ってその多くは家庭集会のようであったのだが、先祖伝来の天地創造主のことは結果して忘れず、その物語も戒めとしてそのしきたりもしっかり引き継がれてきたのであった。今もそうである。ここに来て、日ユ同祖論ということが最近、再び頻繁に語られるようになったのである。

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この話は、実は何層にも重層化してるので語るときりがなく面白い。あぁ、天地創造された神は人類救済のために(といっても我々は何処かへ飛んでいくわけではないのだが)神は存在を示されてこの地上の歴史を支配されておられるのだということを思わずにいられなくなる不思議な書物である。一見、そっけない話の寄せ集めのようであるけれど、その更にその深層に流れる川が流れていて、それを必要に書き留めてきた黒子達が多くいたのであることが理解される。今も多くいるのである。

北イスラエルはヤコブの12部族の内、10部族であったのだが、離散後の彼らの行方は分からないとされている。その多くは東に向かうそれぞれの地で居住したが、さらに東に向かった多くの部族が順次、日本に他たどり着いたのであったといわれているのであるがいつ頃であったのだろう。

南ユダ2部族は離散後、正統派として新約になり今の西へ向かいヨーロッパに伝搬された。東に向かった彼らは日本に何度かに渡ってそれぞれの部族が渡来したのである。ここで一転、皆が知っていることから話して行こう。

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聖徳太子が厩戸皇子と言われるのは何故なのか。イエス・キリストも馬小屋で生まれたと言われる。クリスマスには宿屋がいっぱいで家畜小屋でイエスは誕生されたと毎年、挿絵などで見られる。しかし聖徳太子は仏教を保護した蘇我一族だったとされる。本来の古代神道に仏教が入って来て、その仏像に羨望した天皇にそって、彼は仏教を保護したと言われるが・・・。天皇を頂点にして大衆の基盤を作るということは彼らの歴史からあってしかるべき国形成の仕組みであった。

聖徳太子が仏教の庇護者であったということ。実は、これはどうなのか、改めて書くが”言葉”というものについて考える。彼がつくったとされる17条憲法の初めは”和をもって尊しとなす”であったが、”ひろく三法を敬え”とは、仏、法、僧とされるがこれはどうなのか?これは仏教の保護とされるが、第一に仏も法も僧もきちんと確立されたものがあったのかということ。天皇が仏像に所有心を起こしたが故にこれは後に仏教者がそのように解釈したものに過ぎない。

厩戸皇子と言われたのちに聖徳太子と言われた彼の本来のDNAから言えば、憲法に一つの宗教をあがめるような思考はまったくなく、常にその目線は被創造物である民衆にあったのである。三法とは、当時の神道、儒教、仏教であると言われる。手段そのものをあがめることではなく、常に人々へのその効用の方に目が向いていたということである。互いに争ってはいけない、それがあるそのものの意味を考えよ、ということであった。

実は、彼ら一族は、西からのこの国に渡来し帰化した例のその一族の人々であった。離散した紀元前のことである。東へ向かっての(無論、一息に渡来したわけではない、途上の様々な歴史は一応端折る)旅の途中で、古来から自分たちの聖書に言われてきた救い主が故郷(エルサレム、正確にはナザレという田舎になるが)で誕生したと聞き及ぶのである。そこで、旅の途中でその多くの部族はキリスト教に改宗したのである。有名なのは、日本にたどり着くのが後発だった”秦氏”である。

”秦氏”程、この国に良心的に大きな貢献をなした一族はいなかったろう。最もこの国の成り立ちを土台で支えた一族であった。決して表舞台には出てこない。聖徳太子のブレーンだったのが教科書にも出てくる秦河勝であった。横暴となった仏教徒に平城京をあらため、自分の広大な土地を提供し平安京を造成し、あの当時、海だった湿地帯の大阪を造成したのも土木技術を持っていた彼ら一族だった。八幡神社や稲荷神社は彼らが起源である。多くの技術を残しこの国に貢献したことは調べると多く出てくる。日本のあちこちに八幡という名がついた地名があるのは彼らがいかにこの国に受け入れられたかを物語っている。

当時の彼らの情報網は当時においては驚くほどであった。新約聖書にもあるように手紙は、離散したコロニーで多く回し読みされたのである。時には改竄されたのもあったろうけれど。蘇我氏は、日本に順次たどり着いていたその一族であった訳である。イエスは死後、復活し甦ったとされる。それで彼らは、自らの部族を”われ、よみがえる”(蘇我)と名付けたのである。

東へ移動した彼らのDNAは非常に優秀だったの書いたとおり蘇我氏の中でも厩戸皇子(聖徳太子)は非常に人徳も有り、多くの話を一度に聴けたと言われたくらい非常に優秀だった。それで、彼らは家畜小屋で誕生した救い主イエスになぞらえ、厩戸皇子と名付けたのである。

東からの部族は、政治中枢にも入り込む能力にも非常に長けていた。それは、既に今日、世界中で読まれているベストセラーの預言者と呼ばれる黒子達が、多く神から預かった言葉を政治に反映するにその策略に長けていたDNAを持っていたのである。

先に来ていた彼らの政治力に非常にたけたもう一つの部族が、あった。陽が昇る国を目指して遙か、東の端まで行った部族であった。鹿島、香取神社という伊勢より、それと同等の格式を持った神社を創設した部族であった。それはどういう一部族か。彼らは蘇我氏に代わって政治の中枢に入り込んでその後の一族の反映を謳歌した藤原一族である。

そもそも神社とは、燈明や手を洗い口をゆすぐ、奥の院があり、これはイスラエルのしきたりと幕屋の形式を模したもであると言われる。確かにイスラエルの神殿はそのように造られた。だから、各地の神社の造りを見るとこの配置があるのは、紀元前モーゼに引き出されて途中、幕屋を造り神を礼拝し続けたその深層の思いを受け継いでいるのを知っている人は思い出すのである。

蘇我氏は、天皇が仏教を保護しはじめたことに乗じて横暴を極め始めた。なにぶん彼らは政治の中枢部に入って、思い通りにすることにたけていたからであった。そこでこれではいけないと、征伐に立ち上がったのが、藤原鎌足(藤原氏の祖)、中大兄皇子とされている(大化の改心)が中臣鎌足(藤原鎌足)はこれまた、政治的策略DNAを持った策士であった。

思うに、旧約のヤコブも非常に癖のある男であった。相撲を取った天使には”私を祝福するまでは離さない”といい、天使に”神と人共に勝利したからイスラエルという名前にしろ”と言われるくらいの男だったのである。さらには自分が徳をするには、自然の道理までを考慮できる男だったからである。今のロシアがウクライナに戦争を仕掛けているのは、こういう背後の歴史的怨念があるのかもしれない。民主化を語るが背後で搾取、画策してきたのは彼らではないかと。

つまるところ、聖徳太子一族を抹殺した背後の黒幕は、藤原鎌足である。決して自らは表立って手をださない。そうして今度は彼ら代々の策士が藤原氏として天皇政治体制の中枢に入り込んでいくのである。政治や歴史をも塗り替える方法を知っていたからである。

聖書が世界で今も読まれているがごとく、文書主義、書かれたものは文字として残り、書かれていないものはなかったも同じ。後の人間が第一知る由もないのであるからということになるのであった。世界の焚書はこうして行われたきたのだから。

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あの昔栄えたアレキサンドリアの大図書館が燃やされることがなければ、我々(宇宙人👽)の世界をもっと早く知ることができたであろうが。・・・続く

 


(その16)世界に散らされた黒子達、日本に来た黒子達①

2022-10-30 18:31:36 | #日記#手紙#小説#文学#歴史#思想・哲学#宗教

 天に返られた神学者と生前話をしていて僕がそれは違うのではないだろうかと思っていたことは、基督教を学ぶ方は、すべて一辺倒である欧米であるその学問的歴史観であったように思う。歴史神学・・・それは、神が歴史を動かしているとすれば、すくなくとも人々の暮らしは後退せずに進化してきたのであるから、とても面白いものではあったけれど。欧米におけるキリスト教国においてはその黒子の筋書きは、調べると面白いようにその深層が繋がっていた。今もそれは生きている。

彼ら黒子達にとっては、歴史はつくられるものであるからであった。天地創造の神と呼ばれる方からの地上における歴史操作の背後のまさに黒子だったのである。

人の心の動き、肉体から来る影響、人同士の社会において、文化において、その伝統において、少なくとも光が当てられたところにある人々は暗きに戻ろうとは決してしなかったのであるから。過去に戻ることはなく前進のみである、というのは分からぬでもない話であった。だが、自分の国に神の言葉を広めようとすれば、自国の歴史を知らなくて良いのかというのが、僕の疑問であったのだ。

しかし、欧米のその基督教が社会の基盤としての長い歴史にあってその現れた文化や人々の深層感情、哲学や神智学、心理学、社会学、経済学・・・ありとあらゆる学問が発生してきたことに敬服しなくてはならない。言葉の宗教と言われる基督教は、人々に祈りを自分の言葉で表明することを要求する。人は言葉で思考する生き物であるのだから。思考の基点であるそこには天地創造し人をも作ったという動かぬ基点がそこにはあったのである。

残念ながらこの国は、元来、当初から言葉以上の語り得ぬものを求めてきたのだったのではないか。2022年しきりに古代の声が騒々しくYouTubeなどを賑わしている。北海道・北東北縄文遺跡群のユネスコ世界文化遺産登録や律令以前の古代の歴史がしきりに流れているが、その中で分かることは、古代にこの国のアイデンティティーを掴むためにも操作したのが、西からひたすら太陽が昇る東を求めて歴史の旅を続けてき、この国に帰化した黒子達であった。

彼らはこの国についてく国というありようを自身の考えによって歴史の上からそれまでの過去の歴史を消したのであった。この国の基本のストリーを創作するために・・・。

欧米でも今でも見聞きするくらいに、どうも抹香臭いものもあれば一方において、これまたかなり世俗化来ていて、その歴史上に普遍化してしまったように思われる文化の上で、表層文化、それは人の五感が満たされ、少しの暮らしの金銭に苦労しなければ、人と言う生き物がどこまでも流されていくうわゴミのように思われてくる、その伝搬は世界に広がりつつあり、状況はさらに悪くなるのではないかと気がつく人は気がついている。だからこそ、流されぬ核を掴む為にもこの国の古代の歴史を知ることが求められるのだ。

僕らは光を好み、それが五感を刺激するものであれば、その提供物の媒介となっている金銭に結局振り回されているということになるのではあるまいか。とすれば、実体よりも媒介となるその手段を得るためのプロデゥースによる演出に人々は振り回され、それは結局、人の欲求を満たすことに還元できることに過ぎなかったという実体にハタと気がつく。そういう間隙に動き回る黒子達、彼らはその方向に流れを作っている物らでもあるのであった。・・・知らぬ間に国の中枢部にも入り込んでいて国民を洗脳していたのである。・・・続く


(その15)世界(地上)に散らされた黒子達!島国大英帝国、次は日本

2022-10-30 05:42:02 | #日記#手紙#小説#文学#歴史#思想・哲学#宗教

 ピューリタン思想が怖いといったのは、第一に彼らはこの地上に自らの安住の地はない「エミグレ(移住者)」として大西洋を渡ったその原動力の起源となったものは何だったのかということにある。キリスト者と言わず世界のあらゆる宗教の魂願には、この永久の命への移行があるのは人がそもそも命の故郷に帰還したいとその思いがあるであろうけれど。

英国の当時の王制がどうであれ、国王は神に立てられるものだとしていた時代に対して、権威は神に建てられるだろうが地上の制度は人のものであるからと、人が国の体制についてあれこれ考えるべく時代になり、その王制が人を心見るものでないとすれば、我々はそれを変えることを神が赦し給う時代、そういう時代になった神の摂理によるものであると、王の首をギロチンにかけてしまったことである。この国では、間違ってもおこらないであろう事件がおこった。

これは考えると言葉で表現はできない、不思議でとてつもない衝撃的な事件ではなかっただろうか。古き体制は抹殺し、時代は新しくひとりひとりのものにしなければいけない、という『人権思想』のはしりともなった実験があの英国で行われた。その根本思想は、現代は戦後(第二次世界大戦後)になって世界に広まっている。英国は世界に多くの植民地を持っていた。この思想の布石が作られていたと考えることができる。

しかし、そういう考えでない国もそもそも今も存在するのは、何故なのかも神の摂理であるのか。あるいは、さらに次の新しい時代の予兆なのか。この地上において、世界の出来事が瞬時に分かるようになり、戦争もあり、洪水があり、干ばつがあり、地球温暖化という言葉も世界中の人々に流布され・・・。世界の人は、地上の人類という次元で物事を考える時代になってきたということである。

考えてみると、この地上の人のドラマにおいて、結論から言えば天地創造以来からの、神という存在の長い長いストーリーにおいて僕らは、その個々の事件の一点だけを見て、その累積を歴史であったと過去のことを学ぶわけだが、そもそもそれも地上におけるその創造されし地上の人のドラマは、未来に向かってその神の摂理の中での救済、救われる一員になりたいとして、放棄することではなく、なんとかその人類の延命に寄与したいと一人一人が願っていることにあるのでないか。

そういえば神が天地創造の時以来、その時代時代において常に叫んでいるのは、現状からの『脱出』という概念ではなかったろうか。アブラムに対して、モーゼに対して、新約時代においてその独り子イエスにおいては、地上からの、さらには自分自身からの脱出をも含めて。あの使徒パウロは、地上から去って(死んで)、主(イエス)とある方を自分は強く望んでいる、とまで言った。

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英国の当時のドラマが無ければ、英国にインド系のスナク氏が首相になることは無かったであろうし、少なくとも外見では多くの移民が国を形造っていて違和感のない体制になっている。これは、世界中に多くの植民地をもっていたからでもあろうけれど先に述べた重要な歴史上の多くのドラマが無ければ発生しない現象でもあった。労働党という政治の党が何故、あるのか。マルクスやエンゲルスも著作を表したのは英国であったし。

しかし、人が一人や二人、時代において正論を言ったところで時代が多くに変化するということはそもそもそもあり得ないのだが、なぜ国の体制をひっくり返すような大きな流れになって、それが世界に広まったのか。それは、皆が知っているあのオリバー・クロムウエルが聖書を信じて、神とアブラハムとの契約を信じてそれを継承しているユダヤ人を英国に受け入れたからである。彼らが時代を経て、世界に離散させられて来たという布石があったからなのであろう。

神(ここでは宇宙人の統治者)に選ばれし、目に見える地上での黒子たち、その働きは現状では背後にあって表立った分かることはない、その背後での(大衆操作の)大きな動き(うねり)があったからである。今でもそれは、高い次元でのシナリオライターとして、時折、世界を牛耳る闇の支配者として話題になったりするのであるが・・・。

英国と言う島国で世相を動かした神に選ばれしDNAをもつ黒子達。そもそもこの地上では割り当ての地が与えられていなかった黒子達の筋書きが、新世界を見出すために大西洋を渡らせたのであった。あの北イスラエル、南ユダの国が消滅してそれぞれの時代を経て世界に離散した彼らは西を目指した黒子達であった。

東を目指した黒子達は時代を経て、太陽の昇る方角を目指し、長い時間をかけて古代この日本に到着したことは、今もしきりにYouTubeで放映されている。彼ら選ばれし天才的な予見はこの国の方向性、良きにつけ悪しきにつけ体制に大きな影響をなして来たのであった。・・・次は日本、彼らのドラマを覗いてみよう。

 

 


(その14)地上に散らされた黒子たち:ここでまた登場だ(宇宙人👽)!

2022-10-29 10:25:57 | #日記#手紙#小説#文学#歴史#思想・哲学#宗教

 今回のブログは、実際にこの地上に黒子が派遣されて歴史を作ってきたそのプロデューサーだったのであろうという推論である。以前に、大英帝国と大日本帝国という表題を載せた。この国の歴史の黒子の暗躍を宣べて見たい。

先の「ピュリータン」については、僕らが高校の世界史で学んだのは、ルター、カルバンの宗教改革から、その後宗教戦争も起こり、当時自由国オランダを基点に、イギリスの権利章典やら名誉革命などということが起こり、チャールズ一世がギロチンにかけられ、クロムウエルに先導されメイフラワー号に乗り清教徒がアメリカ大陸に渡ったということであった。

すべてを捨てて天の故郷に向かって前進する。「エミグレ」・・・移住するということであるが、この思想は少し恐怖を覚えるものである。あの中東エルサレムからのユダヤ人の課題からの歴史に神が関与されて、その人を創造した天の神の(宇宙人👽)らのストーリー(筋立て)の中にある歩みだったと思われてならない。新しい新教の教えの神の啓示として彼らはアメリカ大陸を目指した。

そもそも、当時、太陽の沈まぬ国と言われたポルトガル、スペインにおいて、当時彼らはザビエルで有名だが、宣教を楯にして世界制覇、植民地化をもくろんでいたのであるが、新教にのめり込んでいた王政によってユダヤ人たちは排斥されたのであった。彼らは当時、宗教にも自由なオランダにも多く逃げ込んだのである。彼らの居住地はこの地上にはないように思われた。クロムウエルは、旧約聖書のアブラハム契約を信じ、ユダヤ人を英国に受け入れたのである。そこで、その後、イギリスは大英帝国ともなっていく黒子達の受け入れによる背後での筋描きがあるのである。

そもそも、旧約での神の言葉を預かるとされるレビ族は地上にはその割り当ての地がなかったのである。各部族の長とその民衆の間に立って神の言葉を預かりそれを伝える役目を果たす。神は、部族に隷属し神の言葉を伝えるが、彼ら自身の割り当ての地はないと言われたのであった。

 


東京散歩。Mr.Puritanが天に帰られた。

2022-10-26 11:33:14 | #日記#手紙#小説#文学#歴史#思想・哲学#宗教

  東京に散歩に行ってきた。今回の出来事は僕の人生にとっても記録すべきことなので、別途、記録として残しておくことにした。若き頃からの(つまり学生運動下火の荒れた若者の時代、血気盛んな時代と言ったらいいのか)、自分の無知と自己同一化、とかモラトリアムとか、そう言った時代に影響を受けた方。・・・相変わらず、僕の話は深刻な事柄ばかりだけれど。

僕が、Mr.ピューリタンと呼んでいたキリスト教神学者が召天された。2022年10月12日夕亡くなられ、葬儀が21日に教団の滝野川教会というところでもたれた。YouTubeで見ることができる。名前などはプライベートなこともあり、ここではあまり詳しくは書かない。と言っても世界的に著名な神学者で検索するとすぐ出てくるし分かる。

個人的にもお話を何度か伺ったことがある。共に食事をしたことも。略歴などは葬儀の中でも話されておられるが、少し関心があるところ、ICUで神学者エミール・ブルンナーに学び、薦めでアメリカのラインホールド・ニバーの元で学んで翻訳もある。自称、最後の弟子(生徒)であると話されていた。

ニーバーの「平静を求める祈り」を日本に紹介され、オバマ大統領の本棚にもあったニーバーの『道徳的人間と非道徳的社会』があり翻訳された方。(難しい訳だと話されていた) その他、多くの著作あり、歴史神学はとても面白く時代を感受する示唆を多く受けた。

それになんといっても、著作の中では『ピューリタン』である。今でも述べていることは重要な事柄である。『人権』や『民主主義の源流』、近代化の精神構造・・・。今でもこの一点を深く掘り下げて、我々は考え続けなければいけない。

※ここで、また全くの私見を述べる。今までブログで書いてきた黒子が多くこの歴史の背後で多く動いていたように思われてしかたがないのである。この時代のドラマに宣べられているだけの文章だけでは、どうしても分からない背後があったように思われてならないのである。

『ピューリタン』は聖学院大学出版会から出ているが、その”初版のはしがき”にこのような文があった。

『アメリカの欠点は、絶えず未来に目を向けるという長所の反面で、自己の精神的伝統を歴史的に検討し、継承して発展させることをあまりしないことにある。』(2006年9月20日初版第1刷発行 p6) 

この言葉は、1884年10月にアメリカに上陸しその後、アメリカのキリスト教のその当時の現状に落胆した内村鑑三の思いに同じものがあるように思う。彼は、知識や教派による信徒の奪い合い、実情の生活者のその精神との隔たりを見て、彼らの先祖らはキリスト教の精神を卒業してしまったのだ、と落胆した思いに近いだろう。

スピリットとなるそのシリアスなその核心というべきこと、その忘却。今のアメリカを見てもあからさまに分かる言葉であると思う。この本の意味する処は実は怖いものである。すべて捨てて前進する、という思想?! 地上の故郷を捨てて天の故郷を求めて前進するというところ。回帰はしない、直線的に前進あるのみ。この神学者は例えで、山手線と中央線の例えでよくお話をされていたことを思い出す。

それで、彼らは、清教徒と呼ばれメイフラワー号に乗って故郷を捨てて、アメリカに渡った。大陸での彼らの墓は、いつも西部に向けられて建てられていた。我らは死しても神に示された西部に向かっていくと。まさに西部開拓史の始まりとなった。・・・そして、ロッキー山脈を越え西海岸に着き、彼らは更に太平洋を超えて日本に着いたのであると。

僕の在籍する教会もそうして出来た秋田で最初のプロテスタント教会である。初代宣教師は、この国にも大きな貢献をなした。スミスとガルストという両宣教使夫婦であった。ガルストは伊藤博文に税金のことを教えた方である。東京の青山外人墓地に眠っている。又、スミス夫人はお子さんと共に秋田の教会のお墓に眠っている。

 スミス夫人亡き後、応援に駆けつけた婦人宣教師のお一人、ミス・ハリソンは、秋田での殺人女囚人の赤子を引き取って小学校まであげ、共にアメリカに帰り高等教育を授け、排斥運動が激しくなりその後、ハワイに渡りお二人は日系移民に多くの貢献をなした方である。お二人のお墓はオアフ島に並んである。「秋田の赤い靴」で映画も作られた。先行上映会は東京では11月。ネット検索されたし。

多くの著作がある中、歴史神学としてもとても示唆を受けたが(これは実は神の目線での高い次元でのという意味なのであるが)小生の考えと違うなと思ったことが先生との会話の中にあった。先生は、日本の過去は振り帰らない、と常に言われておられたのだが、先生は戦時中のエリートだったが、更に士官学校に進学されんとする時、終戦となった。それまでの価値観は一転した。基督者になったのである。

それが理由なのか先生が、例えば、2000年ころだったか、梅原猛の”縄文に帰ろう”などというキャッチフレーズを語った時、かなり批判されていたのを覚えている。日本の過去の歴史は振り帰らないと言われていたのは、戦前まで学んだ歴史観が眼中にあったからなのだろう。しかし、僕らは、日本の本当の歴史を教えられてはいないのである。すべて、体制側の作られた歴史なのである。東北にもともと住んでいた人々の歴史は消されてきたのである。

この日本にキリストの福音を伝えるとするなら、”自己の精神的伝統を歴史的に検討し”、と著作の文言にたいしそれでは、第一にこの日本の本当の歴史を知らなくてよいのか、ということを思っていたのだ。第一、時代が異なればその国の歴史観など完全に塗り替えられるのであるから、敗戦を迎え、更に国民の目に触れてはいけない歴史は消されたのだし、さらに古代に遡ればまさに、体制側に都合良く一方向性に向かっての歴史観でしかない。東北地方は、体制側からの逃げ場所であり、いつも搾取される側だったのである。

僕らは、日本の国の本当の歴史を教えられていない。しかし、隠れて顕わにならないものは無いと聖書にあるごとく、すべては神の目に白日にさらされてくるだろう。北海道・北東北縄文遺跡群がユネスコの世界文化遺産に登録されたし、更に、古代のことからその教えられていなかったこの国の本当の歴史がYouTube などで顕わになりつつある。

そうして流布されつつこの国の歴史が一般常識になってきつつあるところから、改めて我らが世界に散らされた黒子達は、宇宙からの飛来しこの地球を選び、人を創造し人類を次の世界に招かんとしてしている壮大なドラマが理解されてくることであろうと思うのだ。 fine