marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(472回目)脱線3:クリスマス・イヴの説教前司会者の祈り

2017-12-25 15:03:27 | 日記
◆天の父なる神様
 2017年クリスマス、あなたの独り子、主イエス様を送っていただきましたことに、礼拝に集いましたひとり一人が心から感謝を献げます。
 私たちの住む地上の歴史に於いてイエス様の誕生と十字架の出来事は、世界を変えて参りました。暗きところに光を与え、争いのあるところに平和を、やめる者には癒やしを、差別された者には平等を、そして死の恐怖のある者には復活の希望を与えてくださいました。しかしながら世界は、まだ多くの貧困と差別があり、そして特に2017年昨今の動きは大変不穏なニュースが飛び交っております。どうぞ、主よ、私たちにあなたを第一に見上げていくことの幸いを、共に分かち会う喜びを与えてください。あなたに慰めと忍耐と希望があることをお教えください。
 私たちのこの教会の歴史の中で多くの困難を乗り越えながらも先人達がみ言葉を伝えて参りました。宣教師により、この地に初めてプロテスタントの福音の種がまかれ、133年の歩みを進めて参りました。
 イエス様は私たちが真に自由になるために、私たちが永遠に生きるために十字架の死に渡されました。世界中のイエス様の教会はクリスマスをその十字架を掲げるその場においてその誕生をお祝いしています。
 私たちの罪の身代わりとなられたイエス様の死とご復活、そしてご誕生、永遠の命への招きがこのクリスマスから始まりました。
このクリスマス、世界がまさに変わろうとしているような出来事の中で、神様、あなたの独り子、主イエス様を私たちにお与えくださった意味を深く知ることが出来るようになり、いっそうその喜びを祝い、共に分かち会うことができますように、神様、ここに集いました一人ひとりを覚えてください。どうぞ主よ、私たちの世界があなたの望む世界にふさわしいものとなっていきますように。
 今晩、イエス様のご降誕を心からお祝いしこのお祈りをわれらの救い主、主イエス・キリストの御名によって祈ります。 アーメン

 (注:133年の歩みとは僕の居る町でのことです・・・) 

世界のベストセラーを読む(471回目)脱線2:クリスマス(キリストのミサ)彼の『死と誕生』

2017-12-23 09:31:23 | 日記
 明日24日は、今年はクリスマスでも朝のクリスマス礼拝から夕方にはイブ礼拝があります。イブ礼拝の司会担当。どうぞ、近くのキリスト教会へお出かけください。(全ての今までの巷の雑多な騒音、言論から統べて解放されて讃美歌を歌い、一日をお過ごしください。本当にいいもんですよ。)

◆『死と誕生』(本来は、『誕生と死』なのでしょうが、基督教会には建物に十字架が掲げられています。毎週の礼拝で聖餐式(パンとブドウ液に預かること)が教会で行われる中で(毎月1回、月の初めの週に行われるというところが多いかもしれませんが)、式文の中で、再び彼(イエス)が来られるまで、彼の死を告げ知らせるのである、と語られます。つまり、世界中の基督の教会は、十字架を目立つように建てて世にそのことを示している訳です。その「死」を普段、知らしめている建物で、毎年クリスマス(キリストのミサ)は彼の「誕生」を祝う訳です。この地上においては、このこと「死と誕生」が繰り返される。彼をこの地上で信ずる者は、気が遠くなるような地上での長い精進の旅から、すでに解放されて死後に迎えられる処がどこかがはっきりしている処への招待が行われているのです。生きていて私を信ずる者は死ぬことがない、とイエスは言われたのです。今も、ひとり一人に語りかけているのです。「今は恵みの時、救いの日です」ということばは、まさに「今」なのです。

◆真摯にこのことを認め、早めに受け入れることをお勧めします。旅をする母体、この地上自体が滅亡に向かって時が縮まっていると感ずるからです。仏教で言われるところの生まれ変わりをするこの地が汚染されて来ているからですね。「天地は滅びる、私(イエス)のことばは滅びることがない」と言われたイエスを素直に信じることです。(このブログを当初から読まれた方は、隣国、中国や韓国での原発のことの新聞記事を掲載されたことを読まれた方がおられるでしょう。北朝鮮の核ミサイルどうのこうのもあるでしょうが、その隣国で原発の事故が一度でも起これば、天気予報でも雲の動きは画像で示されますが、この国は確実に死に向かいます。今でも日本のある地域にはどうして癌が多いのだろう、その多くは食生活と説明されますが科学的因果関係が証明されないのでなんともいえないのですが、思う時があります。東日本大震災でもその影響がハワイやアラスカまで到達する手前で、いっさい放映されなくなったのを覚えているか方もいるでしょう。)

◆今一度、仏教でいうところの生まれ変わりとしての気が遠くなるような旅をしなければ成仏しない=天国(涅槃)にいけないのかを誰でも、その必然の死を考えて見ることです。

※25日(月曜)夜、僕はこの地の尊敬する長老さんをお二人、車に乗せて夜、小規模教会ではありますが本当に毎年あたたかなクリスマスの礼拝とお祝い会に参加します。巷の事は全てを忘れて、喜びます。・・・ 

(・・・などと、又、このような事を書くと読まれる方に先入観をインプットしてしまうかもしれませんので、これはメモ程度に留めてください。次回は、再びこの国の宗教に戻ります。)

世界のベストセラーを読む(470回目)脱線:米国トランプ大統領のイスラエルの首都エルサレム表明について

2017-12-22 23:50:57 | 日記
 仏教のお話から少し脱線します。前に書いてきた「終わりの始まり」ということのブログの中に、これからはキリスト者が試練を受ける時代に入って行くかもしれないと述べた。この非難は、キリスト教を信じている人の、国は・・・、歴史は・・・、などど一般に流布された通念からの思いを持っておられる方達からであり、まさに人間の思考のそのしがらみにまとわりつかれて、全くもって自分に疑いを抱かない人々からのみ(といってもこれが殆どなのであろうが)からのものであろうと思っています。十羽一絡げの思いから、いよいよ本当に人類の罪と、本物は何かということと、何を真に求めるべきかを人々に問うている時代に入ったということであろうと思います。「終わりの始まり」を世界の人々に知らしめる時代に入ったということなのだろうなぁ、やはり・・・。
◆21日、朝の7時台のNHKニュースで、トランプさんが何故、無理難題のような宣言をしたのかという理由ごときを解説していました。娘、婿が大統領のブレーンでもあり、ユダヤ教徒であるとうところから考えて来て(このブログでは、こういうところからも世界のベストセラー、聖書(旧約)は、根の深いところで世界を動かしているのかということになるのでしたが・・・)。で、今回の件、アメリカのキリスト者はどう思っているのかということを書きましたが、その答えのようなことをNHKで放映してましたので気になり書留めておくことにしました。
◆米国の人々の宗教構成において、プロテスタントがおおよそ半数近くにもなり、そのうち福音派は全宗教構成の1/4にもなるということでした。今回のトランプさんのイスラエルの首都をエルサレムにの宣言は、国連に於いて否決されました。(各国への支援経済脅かしにも拘わらず・・・)それにしても、まったくアメリカと言う国は建国当初からの理念が地に落ちました。NHKで放映されただけですが、トルコの外相の国連での反対演説の方が実にまっとうです。先の宗教構成において、1/4というのは実は、その大半が共和党とかで、選挙がらみの人気とりのものだとか・・・? それなら割合が多い残り民主党の人々、他の宗教を信じている民衆にしてはどう説明するのか、国の大統領ですよ! 
突然割り込ませたこのような、くだくだしい説明は、ブログの主旨から実に大きく逸脱させる事態がいまこの地上で始まったということの警告を書き留めておきたいと思ったから。”全てのしがらみから解放されて・・・”と進めてきたこのブログの、まさにその”しがらみ”というのも人間が罪深い限り、その聖書自体がその”しがらみ”の元となるものでもあるということなのである。人間が総括し始めて、それをもとに周囲を評価し始めた時に、実はその当時者が最もその主旨からずれていくものであるか、不在となるものなのだということです。
◆このブログの主旨、人間の言葉で総括された多々の解説は参考程度に、今に語るイエスの言葉を自分の言葉で得ようとする。これにつきるのです。「福音主義」と検索すると、頭が痛くなるほど、人間の言葉での総括解説が書かれているが、なんだこれはぁ!です。このような周辺事項から多々キリスト教があるから倦厭されると、大いにそれらにパウロの手紙のごとく例え新約聖書の時代とはいえ、塵芥の知識という思いがする。例えば、日本基督教団の冒頭に、聖書は・・・・信仰と生活との誤りなき規範なり、とありますが、誤りがあるとか無いとか、そもそもそのように人が決めてしまうところからも逸脱しないと真の今を生きて語るイエスの言葉に触れることは出来ないのではないかと思っているのです。文字は人を殺し、霊は人を生かせばなり。・・・ 

世界のベストセラーを読む(469回目)その2:少し勉強、仏教について(真言宗から)

2017-12-20 07:56:07 | 日記
 前回からの続きです。・・・それを書いた理由を述べる前に、もう少し僕ら誰もが地上の生涯を終えて次の世界に行く前に(次の世界などないと思われる方はもともと僕のブログなど読まないでしょうが、人といえども回避できない必須事項ですから、こんな考えもあるのかと一読されてください)、で、そんなこと知ってどうするのかという考えもありましょうが、江戸幕府の方針で、たいていの家は仏教の何々宗に入っていると思うので、その仏教の教えでは、この地上から完全成仏するにはとても長い旅をしないといけないことになっているはずです。生まれ変わって、輪廻転生。
◆遙か昔、空海があまりにエリートだったので、以降の人は、実の所、空海のような仏教一途の方からは雑多な雑学所作を(今で言えば宇宙規模の教養と言えばいいか)会得することなど出来なくて、何でも取り込んで満足、下手をすると漫然総括のような海に流されてしまう方向になっていったのだが、実は、それはいいか悪いか別にして先のテレビで放映の若い住職のような言葉に出てくるのでしょう。
◆その「仏(ホトケ)」(これが実はお釈迦さんではないことは誰でも知っているようだけれど僕が何となくしかわからないところ)が言うところの長い旅が次の世界にでもあるということを、この三次元の世界で考えることができる今、自分の死んだ瞬間、自分の抜け殻に背に合わない杖を持たせ草鞋を履かせ、頭陀袋に六文銭入れて(宗派により異なるのでしょうが)△頭巾をつけてあの世の旅をするにも、是非、その意味を知っておきたいと思うのです。
◆真言宗の場合は、大師さん(空海)と共に旅をする同行二人という、あの四国の八十八カ所ではないだろう極楽への旅路という事になるのだろうけれど。そのツアーコンダクターは毎日のお勤めをするお坊さん(住職さん)であろうし、どこまでの旅となりましたというのは何回忌とかいう儀式なのでしょう。身近なところで49日とか、百か日とか、・・・五十回忌、・・・百回忌、長い旅があることを空海さんの言葉から、そしてそんな気の遠くなるような旅をしなくてもというのが「即身成仏」という考えがでてくるのですが、まずが空海の言葉を聞いてみます。
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「諸々の経綸の中に、皆三劫(サンゴフ)を説く。いま即身成仏の義を建立する。」(『即身成仏義』の出だし)意味は、諸々の経典や論書の中では、みな計りしれないほどの時間をかけて修行して、やっと仏になることができると説いている。それに対して、いまここに即身成仏を提唱しよう。
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 つまるところ、どのような教えでも何度も生まれ変わって気の遠くなるほどの時間を掛けて修行をしなければ成仏できない、すなわち仏となることができないと全ての仏教では、生まれ変わり(前世の態度によってどういう生まれになるかは不明、自分の今の苦労や困難もそれが原因かもと考えるのは、そうかもしれないがはっきり分からないので僕には断定できない)によって今生で解脱の過程を日々過ごしていくのであるようです。しかし、前世での行いが成仏とやらができない霊魂は、地上に於いて又、新たな命が生まれるときに、その肉体に入り、転生をして成仏するための人生を歩むという・・・ことらしいです。・・・ 続く 

世界のベストセラーを読む(468回目)今一度、この国の死生観を考える、仏教について

2017-12-17 21:10:30 | 日記
 高野山のご住職が、ツアーされている外国の方にざっくばらんに説明されていたのだから、言われてみれば確かにそうなのだろう。民法のテレビ放送。ニッポン視察団!34か国!外国人観光客全国一斉”出口調査”「日本のココに満足」2017年ベスト25決定!という番組。ご覧になった方もおられたかもしれません。高野山のあの伽藍の建物、そして沢山あるお墓を夜にまわるナイトツアーなるもの、引率する若いご住職が冗談交じり?に説明。22位でしたが外国人にはよく知られているということだ。それでその若いご住職はこう話す。
◆「私の母は神道の出、仏教徒の家に嫁ぎ、結婚式はキリスト教、ハワイで結婚式を挙げました。これが一般の日本人です」と。ナイトツアーの出かける前にそう説明し来ている外国客に笑いが走る・・・。確かにそうなのですね。高野山の弘法大師空海さんは、当時もダントツの国際人でしたから、ただの仏教者というだけでなく、全地万物を含む歌を作ったのもあれば、評論もあり、唐の国で学んできた土木技術で満濃池をつくったり、私立学校のような綜芸種智院なる学校もつくたりとまれに見る飛び抜けた人だった。高野聖という門徒が日本中をまわったので僕の田舎も真言宗なのか・・・、そういえば田舎の爺さんが僕が幼稚園に入る前のことだがお寺に行ってお堂のなかで護摩を焚いていたのを一度見たことがあるような記憶がある。随分薄暗く、本道内が殆ど黒く見えたのは、あれは護摩を焚いたときのススだったのかなぁ。今はお寺も新しくなり、護摩を焚くためには消防法がどうのこうの、護摩を焚く天上部には廃棄のダクトを付けないといかないとかどうとか、後を継がれた若い住職が言われていたなぁ。新年とか特別な時には行うとか言われていた。聖とは「火を知る」から来ているそうで、いわゆる護摩を焚いて祈るシャーマンのような存在。本地垂迹(神と仏の同一)のような考えは空海さんなしには考えられない。つまり、現代の僕らの小難しく考えない一般人に近い考えなのだねぇ。
◆一方、最澄さんの永平寺は、仏教一筋、スーパーエリートのような博学多才な空海さんに対して、仏教一筋、これは道を求めるには雑学など覚えずとも一筋で、永平寺は沢山の日本の著名な仏教者を産み出す学校となった。したがって、現代では間違っても外人さんがツアーでまわって冗談交じりの宗教感を話し、笑うような場所にはならない。1000日間も山の中を日夜歩きまわる行などがあるが、途中やめるときは命を落とす時らしいのだが、2度も行った酒井僧正のような方もおられて、これはこれで怖い。これ体験しましょうなどは、間違ってもおこらない。
◆ここまでくだくだ書いて、僕は何を言いたいのかなのだが、実は「お経」というのは、誰に語っているのかという疑問。その中でも筆頭知られているのが「般若心経」なのだがこれはこれで説明本なども当然ごとく本屋さんの宗教コーナーにあるのですが、それでだ!これは説明なのか解説なのか・・・。実際そうなのだと教えられたとして(仏教の方ごめんなさいです)、それが分かったとしてそれからどうするがさらに問題ではないか。・・・だから、仏教徒は毎日、お勤め(お経を唱える)するということになるのだろうか。で、やはり空海さんはその宗教の最終形態「真言」(サンスクリット語なので”おまじない”のような呪文)に行き着く。で、一般人には到底、理解できない「即身成仏」なる考えまでいくことになるのか? *****それで、あまりよくわからんから考えないようにしよう・・・でいいのだろうか。人々は何とはなく・・・だろう。しかし、肉体は消滅しても霊は消滅しないものであることは、キリスト教でばかりではなく仏教でも語っていることなのである。おまけにというか実に多くの人が漠然としか思っていない完全成仏するには、仏教の教えにおいても気が遠くなるような長い時間をようするのだということなのです。そこで、空海さんは今生において成仏する、即身成仏ということを唱えるようになるのでしたが・・・。
◆実は、イエスがキリスト(救世主)であること言われること(つまり、彼を信ずる者の罪を肩代わりして、全てになって十字架に掛かられた)が、ここでどうしても必要になる理由がここにあるのです。・・・ 続く