marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(709) 命ある地上のすべての人々へ 全人類の救済(その23 完)

2020-09-01 10:07:24 | プロテスタント

◆最後に父から派遣されたイエス様の御言葉を今一度読みましょう。復活したイエス様は言われました。

わたしについてモーセの律法と預言者の書と詩編に書いてある事柄は必ずすべて実現する。」(ルカ24:44)

アブラハム、イサク、ヤコブの神、神は死んだ者の神ではなく生きている者の神なのである。創世記に書かれた彼らは今なお生きて語り掛けているとイエスは語るのです。

天地を創造され、自分の似姿に創造され息を吹き込まれて人は生きる者となったこと、イエスが来られて今も神の救済の歴史が語られている人類の歴史の中で、再び、ご自身の永遠の命の基へ、天地創造来のパラダイスへ命ある人々を呼び求めておられる神の壮大な救済のドラマのシナリオ、その土台が当初からこの創世記の中に著されていたことが理解されてきます。

◆わたしたちはその永遠の命へのドラマに参与させられていることに感謝いたしましょう。神が全人類を永遠の命に再び帰るためになしてくださった独り子を地上に送られたという大いなるその救済の手段をひとりでも多くの方が気づき、救済のドラマに参与されることを皆さんで祈りましょう。

世界のベストセラー聖書の神様は今もそう語り続けているのです。・・・ Ω 


世界のベストセラーを読む(708回) この世に生きる我々すべての人々へ 全人類の救済(その22)

2020-09-01 10:00:44 | プロテスタント

◆ヨセフ物語の後、出エジプトをなした一団はモーセに導かれカナンの地に向かいます。そしてそれぞれの割り当てに民を派遣するヨシュア記へと続いていきます。(ヘブル語でヨシュアはギリシャ語でイエスです。)

◆神はどういうお方であられるのか、割り当ての地にイスラエルの12部族を派遣する前にも、ヨシュアはそのことを民に再認識させ自分たちの言葉で語らせています。民はその証人は自分たちであると言っているのです。その締めくくりとなるヨシュア記の終わりにも再びヨセフの埋葬の事が1節現れ書かれているのです。「イスラエルの人々がエジプトから携えてきたヨセフの骨は、その昔、ヤコブが百ケシタで、シケムの父ハモルの息子たちから買い取ったシケムの野の一画に埋葬された。・・・」(ヨシュア記24:32)ですから、異国の地、つまりこの地上の私たちにおいて信仰を持ち続けたヨセフ物語がとても大切な事柄(注意喚起と見る)を示していることを思わなければいけません。

追)ヨシュア記の教会で特に取り上げられよく話される言葉は信仰表明をしているヨシュアの次の言葉です。『あなたたちはだから、主を畏れ、真心を込め真実をもって彼に仕え、あなたたちの先祖が川の向こう側やエジプトで仕えていた神々を除き去って、主に使えなさい。もし、主に仕えたくないと言うならば、川向う側にいたあなたたちの先祖が仕えていた神々でも、・・・・仕えたいと思うものを、今日、自分で選びなさい。ただし、わたしとわたしの家族は主に仕えます。』ヨシュア記(24:14~15)

モーセはピスガ山頂でなくなりヨルダン川を渡れなかったが、出エジプトで苦労して(からだで言葉化して)霊的に高めれカナンの地に入国したのは、モーセに代わり引率したヨシュアとカレブであり他の人々は第二世代、第三世代だったのですね。多くの奴隷からの脱出希望者がいかに多くのまとわりついた宗教(僕はこれを霊的障害、しがらみとみるのですが)を引きずっていたのかが理解されてきます(簡単ではない)。だからこそ、異国の地(地上)で生きたヨセフの信仰に学ぶ必要があると思われるのです。・・・続く


世界のベストセラーを読む(707) 働いていると言われる神 全人類の救済(その21)

2020-09-01 09:28:35 | プロテスタント

◆しかし、決まりができるとその決まりのみで目的を果せるという逆転が起こる。目的を達成するというその手段は、目的が人の言葉で明確になっているときにのみ手段が有効に働くものでしょう。しかし、目標の神様は目には見えない、罪ある人にははっきりしないのです。手段をはっきりすることで目に見えるようになるとの勘違いが、神の独り子を十字架に架けることになってしまったのではないでしょうか。ですから、第一に神はどういうお方であるかということを祈りのたびに思わなければなりません。そうすれば今も働かれている神様の全人類の救済の物語に参与させられている喜びが湧いてくるのではないでしょうか。「わたしの父は今もなお働いておられる。だからわたしも働くのだ」とイエス様は言われているのです。(ヨハネ5:17)

追)『フィリポよ、あなたと共にこんなに長い間、いたのに分からなかったのか。わたしを見たのは神を見たのである。』イエスに「神をお示しください」と問うた弟子のフィリポにイエスはそうお答えになった。

◆復活したイエス様は、弟子たちの宣教が始まったガリラヤでお会いできると言ったのです。そこは弟子たちの日常の場でした。私たちの普段着の場に居られるということです。目標と手段が決して逆転しない神様の思いを第一にする民衆の中にあるひとりひとりが本来の弟子なのです。そこでは応答としての責任も果たさなければいけないことを忘れてはいけません。「油断」という言葉があります。その起源ではないかと思われる油を絶やさず主が来られる準備をしていた五人の乙女の例え話がありました。その応答としての私たちの信仰がイエス様の体なる教会を立ち上げていくのです。復活されて語るイエス様を礼拝に今朝も私たちは集められています。・・・続く


世界のベストセラーを読む(706回) 「いつも喜べ、絶えず祈れ」 全人類の救済(その20) 

2020-09-01 09:19:15 | プロテスタント

わたしたちが目指すのは、イエス様が言われる「あなたは聖書をどう読むか。あなたはわたしを誰と言うか。」のそれです。このことがイエス様が、父に願い、助けぬしを送ろう、弁護者を送ろうと言われた弟子達です。そのことを支えに日々歩む人々のことです。聖書を語る様々な書物が、この世には限りなくあります。しかし、最後はご自分の言葉で納得することを心がけることです。他人の言葉を参考にすることはいいでしょうが混乱と争いの元になってはいけません。まず、第一には聖書の中に求めることにあります。イエス様ご自身が助け主をおくろうと言われているのですから、わたしたち自身に語りかける聖霊によれば必ずや分かるようになるでしょう。そう自覚するのがプロテスタントであり、デサィプルス、弟子たちではないでしょうか

人が個人から集団となり、生きて生活し社会を維持するには共有する決まりが必要になります。それが次の時代の律法として著されます。すべての人が神の臨在、歴史を動かし給うているその方に主体的に少しも関わらない、そういう人がいるかもしれない。不祥事を起こす人がいるかもしれない。それは二千年たった今も同じです。そこで、方向性を失わないためにその手段として、「決まり(律法)」が必要になるわけです。この受け取りも、あなたはどうなのかとの選択を神はいつも語り続けているのです。人の決心と言うものほどあやふやなものはない、神というお方に対しても、ましてや生きる、死ぬなど考えなどしない。肉体が安楽ならばなおさらそうです。「神様は霊である」と言われ「いつも繋がっていなさい」とイエスは言われているのです。・・・続く 


世界のベストセラーを読む(705回) 「わたしが必ず連れ戻す」 全人類の救済(その19)

2020-09-01 09:08:16 | プロテスタント

◆「全人類の救済」と大きな題を書いてきました。この当時、モーセが率いた出エジプトにはへブル人の他に多くの奴隷の身から脱出したいと願った人々が賛同して大集団となって紅海を渡ったのです。その集団はその後、導かれた神を12部族に分かれていきます。壮年男子だけでも60万人であったこの集団はユダヤ人とはまだ呼ばれていません。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教なども無論、まだなかったのです。全人類の救済のひな型。誰でも人は地上に命を受け、必ずその生涯を終えるのです。イエス様を信じた人々をパウロは、「天地創造の前に神はわたしたちを愛してご自分の前で聖なる者、穢れの無いものにしようとキリストにおいてお選びになりました」(エフェソ1:4)と述べています天地創造以前から神様は、今日礼拝を捧げているおひとりお一人をも覚えておられるのです。壮大なる救済のファミリーヒストリーです。そのことを再認識しましょう。

世界のベストセラー聖書の中心に貫かれて書かれていることは創世記が土台になっています。そこには、全人類の救済のドラマの予型、ひな型が描かれています。無論、全人類ということはいわゆる選民族だけではなく、天地を創造し人に命を吹き込んだという神様の歴史を知らない人々も含まれています。それは見える肉の異邦人に係わらず人が生きて死に天に帰るまで永遠の霊の故郷に選ばれた人々が、地上で過ごす救済の予型が、そのひな型がヨセフの生涯によって示されていることを知ることです。そのように、ひとり一人を導いておられ生きておられる神様が主体なのであって、日々それに応答するひとり一人に祈りと霊的なつながりを求めておられるのです。「神様がわたしが必ず連れ戻す」とヤコブに語られたように天におられる神様というお方は、第一にこういうお方であられるということです。・・・続き