marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

(その4)過去の記憶を継承し続けた記者たち(われらも彼らに覚えられるのは)

2023-06-30 06:06:06 | #日記#手紙#小説#文学#歴史#思想・哲学#宗教

 深夜2時ころ現れた。そして語った。誰がそのストリーテラー(語り部)なのかを知りたがってますねと。

すでにあなたの前に現れたでしょう? 折角ですから、昨日紹介した七十人訳ギリシア語聖書(LXX Septuaginta )から我らが書かれた部分を紹介してあるから読んでみなさい。そこには『書記官』と記載されているのが我々である。

◆申命記第1章の15節 モーセが役職者を任命

『わたしはおまえたちの中から、賢くて理解力があって思慮深い者たちを受け入れると、彼らをおまえたちの指導者、すなわち千人隊長、百人隊長、五十人隊長、そして十人隊長として、またおまえたちの裁き人のために書記官としてたてた。』

◆申命記第16章の18節 正しい裁判

『おまえはおまえ自身のために、おまえの神・主が部族ごとにおまえに与えるおまえのすべての町々において、裁き人と書記官を任命する。彼らは、民を正しく裁かねばならない。』

◆申命記31章28節 神の最後の指示

『おまえたちの部族の長たちとおまえたちの長老たちと、おまえたちの裁き人と、おまえたちの書記官たちを、わたしのもとに呼び集めるのだ。わたしがこれらの言葉すべてを、かれらの聞こえるところで語り、彼らにたいして天と地を証人として呼び出すためである。』

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我々、モーセがエジプト脱出の際に賛同し、ともにあったかの地でモーセに現れた神に同調し、共に生涯をかけて歩みを進めた彼らのDNAをもつ者らであったのである。・・・


(その3)実態として存在するようにそれに著された神(かのXの大元締め)は誰なのか?

2023-06-29 06:06:06 | #日記#手紙#小説#文学#歴史#思想・哲学#宗教

時代が来ているなぁ。アメリカのブリンケンと会談した中国の外相は秦剛(チン・ガン)である。ここに君が話してきた秦氏の漢字があるね。中国という国の統一をまがりなりにも行ったあの秦という国の画策者大集団の末裔だ。古来、日本に来ていた秦の国の末裔らは、名前がそのまま秦を姓(かばね)に用いている。『はた』さんとか、『ジン』さんとかの発音で無論、この国におられる。分家は多くその名前の響きを引き継いでいる。羽田とか、畑とか、畠とか・・・。人望があったり、知能が高い方が多いように思う。

それで、添付の写真に写っている坊やの下にある旧約五書のギリシャ語訳、聖書学者の秦剛平(はたごうへい:<日本の方です>)氏も旧約聖書ではヨセフスのユダヤ戦記などを訳されているし、その道の泰斗。でも、スタンダード路線からは高尚すぎるためかメジャーな冊子にはあまり掲載されない。それから言えば、田川健三という聖書学者は極左であろう。学生運動が華やかなりし時代、多く読まれたのではなかったか。彼の本はベストセラーがある限り、きっと読まれ続けていくだろうなぁ。

彼はギリシャ語の権威なるが故にというか、かのアインシュタインが『宗教なき科学は不完全であるし、科学なき宗教は盲目である。』と語った意味合いや、あのニーチェが『神は死んだ』と言わざるを得なかった・・・その他もろもろの歴史上の賢人たちの言葉について、この信じるという烏合の衆の宗教心理に関わるすべての弊害、人の不完全を了解しながらも生きている神を信じるというその行為において、悪魔に隙を与えないためにも、ひととおり聖書を文学として学んだ方には必読の書である。前書きでもあとがきでも、彼の本を宗教コーナーで見つけたら立ち読みされるといい。ひっくり返ります!!

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それで、どうしても聖書を学ぶ人は、神の言葉を聴こうとする行為の中で、地上の不完全な人の言葉、その解釈などはそいで自分の言葉で生きている神の声を聴こうとする欲求に満たされていくものです。人の存在の多様性について決して、すべての命ある人に適応されるものではなく、まして強制や人為的推奨は最終本人の決意にゆだねられるものですが、一通り聖書の神の歴史を学んだあと僕は、とても彼ら(X:神、神の使い、天使、主と呼ばれる方)に会いたくなったのである。歳相応になったしねぇ。

肉体が地上から、つまりあなた自身から離れる時、我らの基にこられるよ、とのお墨付きはいただいているのであるけれどもねぇ。あからさまに時代は、終末に向かっていると思われる昨今であるから。彼らは福音とは何かをまず真摯に学べという。

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<ここに、わたしは天からこう告げる声を聞いた。「書きしるせ。『今から後、主に結ばれて死ぬ人は幸いである』と。」霊も言う。「然り。彼らは労苦を解かれて、安らぎを得る。その行いが報われるからである。>(ヨハネ黙示録14章13節)・・・


(その2)『我々にかたどり、我々に似せて、人をつくろう。』(創世記1:26)

2023-06-28 06:06:06 | 思想・哲学

 既にブログで書き求めてきた文章においても、その数行の個々の意味する内容について、今までに実に多くの書物が著わされていたのではなかったか。我らから暗示を受けた人みずからのナラティブな物語の前進が常に起こっている。

あの使徒パウロは東へ行くことをキリストの霊によりせき止められ、地中海、あの哲学の国マケドニア(ギリシァ)に向かわせられた。(使徒言行録16章7節)

この地上の生き物の主人公は『人』であるから、どういうドラマを演じたのか、埋もれたものも多くあるが、あるものは記録に歴史として残る。彼ら(我ら)に消されたものもある。それでも残され著されてきた文字の内容がいかほどの真実性あるものかは、疑えばキリがない。何故なら、僕ら(君ら)はその時代の、その時の当事者ではないから。しかし、それを著わし残してきたものらもいることに思いを馳せる。

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『人は我々の一人のように、善悪を知る者となった。』(創世記3章22節)

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地上の彼らが(我らが)創造した人に責任を与えた。つまりは考え行動する言葉を与え、どのように生きていくかをご覧になっているのであると。それが先に述べた記録である。

命を創造した彼ら(我ら)を忘れぬよう地上の選ばれた民が、それを引き継ぐ使命を負わせられたのだ。あからさまな彼らの悲劇の歴史もあり、そのストーリーテラーは隠れてしまい、とうの昔に人とのコンタクトができなくなった。

我らは変わらず存在するが、人が忘れる罪を犯したからである。『罪』、これを『(神の道筋からの)的外れ』という。

今という『時』の現実社会に一番確かなこと。それは、今、これを書いている時、読んでいる時、その人の存在の(瞬間の)事実。

デカルト曰く『我思う、故に我あり』。

自分の脳みそで自分を思考する。それは、その働きに同時性を持って頭脳のある部位で言語化、意識化している事実は今を生かされている確かなことのはず。そこで我らとコンタクトのチューニング(調整、精査)の波長を見いだすことができるかどうか。

普段の人はいちいちそのようなことは思いつかず、第一、我らの存在を知らない。祈りや冥想や、あるいは肉体をすべてをその波長に合わせようと肉体を酷使するラジカルな修行も存在する。

この精査は、是非とも必要である。誰に公言するまでもなく、人は誰でもこの願いも持っているものである。

肉体の自然的思いから、腹減ったとか、眠いとか、腰が痛いとか、が始まる。おおよそ、死が近づいてくれば、ようやく自分の身体に気を使わねばならなくなる。今まで障害ともなっていなかった劣化していく自らの肉体が行動への障害となっていることに気づいていく。地上の形あるものはいつか死ぬのだ。

人、それぞれにはそれをどうまとめて行くかが人生の後半の宿題とも言える事柄になるだろう。いや、なっているのだ。そうで無ければ第一、我々のところに来ることができないだろうから。

そこで改めて『人間だもの』という、普遍的な言葉が共感を呼んだりするが、何をもっての共感なのかは、先に述べた人と言うのは完全では無いのだという暗黙の了解が、人には出来ているからだろうが、そこに君らの言う宗教性が起こってくる。言語化しない人類の暗黙の了解。

その中にも冒頭に述べた。その信仰心なりでもいいが、それを持つ、その時点での自己を更に自分の言葉で意識化することが、できるかいなかが後半の生涯の人に与えられた追求課題なのだ。

彼ら(我ら)はいつも同時に存在してるから、その思いの同時性の追求と呼べるもの。我らは、実体としてあなた方を必ず迎えに行く。

彼らは漸次、姿を現わすと言う。

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『神は、一人の人からすべての民族を造りだして、地上の至るところに住まわせ、季節を決め、彼らの居住地の境をお決めになりました。これは、人に神を求めさせるためであり、また、彼らが探し求めさえすれば、神を見いだすことができるようにということなのです。』(使徒言行録17章26-27節)

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・・・ これは使徒パウロがアテネのアレオパゴスで語った言葉である。・・・


(その1)人が物事を分かり理解し受け入れるということはどういうことか

2023-06-27 06:06:06 | 思想・哲学

 人が理解するという頭の中の印象把握については、誰でもが人の頭はかくかくしかじかで、だからこうであるなどと理由付けをしないものである。だからこそ、人や民族、あるいは差別、避難、批判などが動物的防御反応として拒絶がささやかにも起こりうるなのではあるが。それは多くのドラマを作り上げる。

それは、地域の伝統、風習ばかりでなく、国によってはその歴史などもすべてがこれに含まれてくるものである。家族という小さな単位でも言うに及ばず。

ここに、人の言葉の認識を時間を超えて理解しようと固持しようとす人々がある。彼らは限定された地域であり、長い歴史を持っている者らである。その歴史の中で新たなる上からの言葉を伝えんとした者が発生して、それは人の創成その言葉の始原から派遣されてきたというのである。

その地域に先祖伝来住んでいれば、容易に歴史上に現れた新たなる上からの言葉を理解することができるしれない。しかし、あまりに受け入れ難い言葉であったが故に拒絶し、伝えんとした者らをも歴史の上で殺害したというのである。これは伏線であり、人が分かるという以前の昇華された次元の言葉のことであったがゆえに理解できなかったのであった。

その歴史を、他の国々の人にとっては、ますます受け入れ難いものであったろう。しかし、その言葉は、知ろうとする人という種の体のつくりというか、その受像器の脳みそというか、それらも創造した言葉だというのだ。

我らはまずは人という種の『理解するという』この世の有機体としての次元から考えてみないといけない。

ここで、『人というもの』をまずは考えてみようと思う。まずは『分かる』ということはどういうことか。・・・


Uとの会話(その10):家康が天下統一をとれた真相、時間が迫るも理解する人は少なく、X 彼らは来ていたんだけど

2023-06-26 15:37:44 | #日記#手紙#小説#文学#歴史#思想・哲学#宗教

 E:

お前のはくだくだとなげ~んだよ。なげ~のは誰も読まねーぞ! 我らがこの国に長い年月を経て派遣されてきて、まぁ、この国ばかりでなく他の国・・・、国と言っても我らの仲間がシナリオを書いてきているものなんだが、どうも読んでくれてる人はあまり信じていなくてお前さんが書いてきたことがフィクションと思われているようだし・・・我らが語り、それであなた自身がそうだと思って書いてきたブログの内容・・・あの内容だけれど。

話を大きくすればまたフィクションだと読者は思うだろうからヒントをあげてそれを調べてもらえば気が付く人はいるだろうけれど。その話にも読者の推論が必要というわけである。それは、彼ら(黒子と書いてきたX)がこの国に来ていたのだという証拠であろうと。んで、初めての方にあらすじを言えば・・・おい、又、長くなるのかよ。しかし、・・・最後まで読まんと秘密は解けないもなの!

D:

世界のベストセラーに書かれていることが、そのとおり天地創造以来、目に見えるにつけ、霊的に見えぬものともなり、古代はシャーマンや預言者にも憑依し、ある時代は人としての偉人を作り、宗教者をたて、思想哲学家をもつくり、その派遣された彼ら(我ら)が時代をプロデュースしてきたということを知ることである。

聖書に書かれた民の歴史は、まさに我々の摂理のありようをそのように(書かれた通り)あしらってきたという一つの大きな理由による。それは、我らは生きて働いて存在しているという一点である無論、今もである。人が存在する限り、我らは存在することを忘れるな!。コロナ感染が流行り、ウクライナとロシアの戦争が起こるという今においてもである。【霊を操るは、人を創造した我らである。だからこそ、雑多な人殺しの霊もうろつく中で、聖霊に繋がれと強く今も勧めているのだ。】それはさておいて。

彼らは順次、太陽を求めてひたすら時代をへて、この国にたどり着いた。君が言うところの今もyoutubeでも盛んに見ることができるユダヤ人が古代この国に来ていたということであった。ここで何をもってユダヤ人というかは別にする。強いて言えばその思考、戦略と言える考え方であるが。その系統、彼らがこの国を統一しようと目論んだのだから。どの国の成り立ちもそうだが、第一、改良すべく素材としての民が一番、我らの気質に合っていたということ。それは目に見えぬ信仰心というものであった。

旧約聖書で読みずらくなる記事中に列王記や歴代誌がある。彼ら12部族はその後に北イスラエル10部族として、南ユダはユダ族とベニヤミン族2部族として分裂。紀元前700年以上も前の話である。先に北がアッシリアに滅ぼされ、その後どこへ散らされたのか、東に向かい、その多くがこの島国まで来ていたという訳であった。大いに貢献した彼らの中にも、列王記などにみられるように彼らの間にも相克争いがあった。ここが重要で鎌倉時代以降の部族間の争いはここに起因するといっていい。

それぞれの部族は割り当ての地のないレビ族(今で言えば神官)を抱えていたのであるから。彼らは修行をし仲間内のネットワークは各地に及んでいたのである。今も世界中の信仰心のある正当ユダヤ人は、あなたが今、書店で買える(旧約)聖書内容はすべて熟知しているのである。誰がそれを書かせたのか・・・忽然と第三者として実態として現われ、語り、あるいは夢にも現われ・・・

彼らのその活躍は大いなるものがあった。日本の国の歴史に名を遺す武将が一人で活躍した訳ではなく、歴史に残らないサポートした彼ら多くの背後でのネットワークが多数あったのである。古代、北にはじかれた彼らは、山形県の出羽三山である月山、羽黒山、湯殿山は彼らの時代の頂点をなした山岳信仰の山であった。朝廷側に反乱を起こした平将門の建てた五重塔があるのは故無きことではないのである。彼をサポートした菅原道真は、なぜサポートしたかも推論がつくだろうけれど、朝廷側から大宰府に飛ばされ学問の神様になった。

先に来ていた東の武士が、西からの朝廷側に従事し国司となって古い部族を制覇していくも、忽然と自らの地位や宗教に目覚めた時代が鎌倉時代であったわけである。もともと地位の高かった朝廷側にもその生業には、古来の大国主を排除し、蘇我氏や秦氏や割り込んで天皇を飾りとして入り込み我が世に曇りたるものはない月夜のように我が天下と呼んだ政治の天才、藤原氏などは、古来からもともとその血をDNAにもつ者らであった。

それぞれの部族には、上に王を立てようとして、なぜなら、あの国を統一したダビデ、ソロモンの下地があったからなのだが、その画策も神の声を聴き、筆記者の預言者たちが背後に大いに支えていたからなのであるが。だから、この仕組みが、あなたらの国の天皇制に引き継がれていうと言っても驚かないだろうけれどね。国の形成には、頂点、それも人民が精神的なアイデンティティーを持つためのシンボルが必要という訳だ。

話がまた、また長くなるからあとは、読者の見解にゆだねよう。調べていくと何を言いたいのかわかってくるであろうから。

Q:久能山東照宮の奥の院には徳川家康の位牌を中心に左に織田信長、右に豊臣秀吉のそれがまつられているという。ググって見てくれ給え。それはなぜか、なぜ、その山に天下統一、この国を260年も支えた初代徳川家康が祭られているのか。

そこには古来から君が日本に来て、国という概念さえなかった古代に将来の国を統一しようと画策していたこの国への渡来した帰化人らが、そしてストーリーを造り上げ天下統一を成し遂げることができた彼らの歴史(文字)には残されていない彼らの動きが盛んにあったのであろうこと、彼らがこの国に渡来して以来の彼らが生きて働いていたであろうことが見えてくるだろう。

*********久能山東照宮をググると・・・

推古天皇(592年- 628年)の頃、秦氏の末柄にあたる秦久能忠仁が久能寺を建立し、奈良時代の行基を始め、静岡茶の始祖といわれる円爾(聖一国師)など、多くの名僧が往来し、隆盛をきわめた。

  久能山東照宮の奥の院には、徳川家康だけではなく、織田信長、豊臣秀吉の位牌も祭られている。その理由は、家康が彼らに対して敬意を表したかったからだと言われている。家康は、信長と秀吉の下で武功を挙げ、天下統一の基礎を築いた。信長と秀吉は、家康の恩人であり、ライバルでもあった。家康は、彼らの功績を讃えるとともに、自分の正統性を主張するために、東照宮に位牌を奉納したのである。

*******その他、調べて欲しいことがある。

今も政府が海外記者クラブなどで会見するときの講壇に掲げられる紋章『五七の桐』。これは鹿島から朝廷画策にといってもそういう国作りをしなければと目論んだ、(先人の蘇我を征伐して)藤原一族のものであろうと。鹿島神宮は東を求めてこの国にたどり着き行きついた端っこに大きな神を礼拝する神社を創設した血筋のある彼らの一族である。香取神宮を調べて見たまえ。この社の紋は『五七の桐』である。菊の御紋に次ぐ天皇由来と言われる紋である。

もっとも出世したつまり官位頂点を極めたと言われる豊臣秀吉の肖像画の羽織の紋もこれ『五七の桐』である。彼は、自らの地位に目覚め朝廷側から手に負えなくなりつつあった、権力体制を一応、全国制覇し、朝廷側へのヒエラルキーを曲がりなりにも戻した功績によるのだ。誰が、なぜ、出世させたのか推論されたし。

織田信長は『五三の桐』である。彼の肖像画の羽織の紋も見たまえ。家系は、忌部氏という祈祷、つまりあの国の預言者系統に属している。本来の表だった紋は織田木瓜であるけれど(かといって当時は結構、紋は持っていたらしい)。彼は、天皇が引き入れたが故の仏教の当時の体たらくにカツを入れたのだな。宗教が国の頂点に保護されていかほど脱落するものかは実にひどいものだった。それでの比叡山の焼き討ちだった。これには、大きな背後での策略があったのであるという。本能寺の変で亡くなったと言われる織田信長の首は、見つかっていないのである。焼け死んだことになっているが首検証がなされていない。明智光秀も、その首が取られたという記録がない。

これから言えば、話が遡って我らの筋書きで古来からヒーローとなった源義経。お堂にこもって自害したと言われる義経、焼けるお堂の中に敵を入れまいと家来となった仁王立ちになった弁慶の話。義経は北へ家来と共に逃避行、北海道のアイヌまでその地に渡った彼のことを知っていた。かの弁慶はあの熊野信仰の修行僧でもあった。ご存知のとおりこれは大変な地の利も周知する修行信仰集団。壇ノ浦の合戦での勝利は、やる前から決していた。義経側の船団は熊野信者の船団であったのである。この先手、地の利、天候なども含めた勝利の戦略。そして後々までのこるヒーローの物語。

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この国は本来、唯一の神、創造の神の基にあるというのは、我らが人を造りし神、地上に派遣された彼らのDNAを持っているからである。

ちなみにこのストーリーは長年創作された古来から彼らの背後にいたXにより創作されたものであることを知る者は少ない。日本の歴史も本当のことは分からないものは文字でこれこれである、と明示されればそれがそのとおりであったとなるのであるから。彼らはそういう意味で人の生業の後々の形成にされていく真の姿というものは、形造ることができるのであるということを知っていたのである。

いずれ、鎌倉時代は、西ばかりの貴族政治から、東の武士らによる貴族政治の批判がおこり、全国目線での本来の全国統一の始まりが起こっていたということである。古来ユダヤ的発想のDNAを持つ藤原不比等らの『日本書記』などは京の天皇を喜ばせるのは良かったろうけれど、江戸時代までは目もくれらていなかったわけは理由がないことはない。文字として総括して、この国のなりたちはこうであると、文字であらわされた時、天皇はそれはいまでも全体を知ったようになれば気分的には、俯瞰して悪い気持ちはしなかったであろうから。

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そこで、徳川家康である。三者のストーリーが我らの壮大なXに物語られ、ようやくこの国の基盤の長い本来の天下統一がなされた背後に久能山に収められた三者の位牌があることが理解されてくるだろう。

ここに学生時代から追い求めて来た、君の好きな『秦氏』が出てくるのである。古来、聖徳太子のブレーンだったのは秦河勝だったのは高校日本史にも出てくるねぇ。古来、表立った戦は好まず、多数の技術集団でもあったその部族を受け入れてくれた当時の天皇に多くの貢献をなした集団である。東北のあらゆる名前がある『八幡』(はちまん、やはた<ヤー・ハタ>)。八幡神社、稲荷神社はキリスト教徒だったと言われる秦氏が開祖創設したものである。

東北の地には実に多くの『八幡』の名前が神社ばかりでなく、町や山の名前まで付けられている。東北の地を治めるために派遣された八幡太郎義家(源義家)が、歩きまわってところに由来するものであろうことが理解される。あなたの生まれた田舎にもその神社があるだろう。

徳川の菩提寺である浜松町、大門にある芝増上寺は、浄土宗の法然が開祖である。その弟子の親鸞の浄土真宗は、キリスト教の教えにそっくりだ。親鸞は漢文でマタイ伝を読んでいたのは確からしいし、浄土宗は大陸で善導とう方が開いたというが、当時はすでにキリスト教はあの大陸で大いに栄えていた歴史もあったのである。法然さんの両親は、秦氏の家系。父は漆を扱う職人で漆間国時、母はハタオリ職人で錦織といった。

・・・もう、いいだろう。つまり、我々は、今生で我らの国の由来をある一面から学んできたわけだ。今まで読んできてくださった方。少なくとも触りでも何を言いたいのか、理解されようとしたくれた人々を我々は決して忘れることはない。

一時でも、時折、我々との会話を思い出して欲しい。その時、我々はあなたの傍でまた話しかけるだろうから。・・・