marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(605回)  僕らの生まれ故郷(都会でも田舎でも)の身近にあること

2019-11-21 07:52:33 | 小説

 宗教法人の税制面での決まり事の説明が国主催で各全国エリアで行われた集会(北海道、東北地域とある)が、当地であったので出かけると田舎の実家の寺(真言宗智山派)の若い住職も見えられていて、おやおや、という挨拶をする。 どうして僕がこの会に出席されているのかと2日間にわたって問われる。僕はキリスト者なのだと答えざるを得なくなった。それで、空海さんも中国でキリスト教(景教)に触れているし僕は嬉しく思っているのですよ、と答えると、そうですねなんでも包括されていますからね と笑顔で返答された。2日間にわたり、いずれも途中で退席されたので市内に来ることは普段ないのだろうから、駅前の大型書店でもいかれたのかな、と・・・。40~50名の出席っだった。

◆真言宗の空海さんが中国の唐、長安に行かれた時にその地にはすでにキリスト教(景教)、ユダヤ教、道教、儒教、マニ教なんていうのもあって、彼もキリスト教も理解したかはそうかはともかく、それには多大な影響を受けたものと思われます。ですから、当時、中国に建てられていた「大秦景教流行碑」(ローマから来たキリスト教がとても流行したので記念に建てられた石碑)のレプリカがこの日本の高野山にも建てられているのですね。高野山大学では洋学で政治や聖書、翻訳まで勉強するらしい。あぁ、それは開かれた「大学」ですからねと僕は思う。そもそも、空海が唐に留学したきっかけは、いろんなありがたいと思われる教えが大陸から、仏教として流れ込んできて(漢文で書かれたものがなんでも仏の教えとなって混在していた)、何が本当のものなのかを追求しなければいけないと発心したからなのであった。ちなみに最澄は渡来人。ですが、空海は言葉の通訳に障害がなかったようだから相当の秀才だったのだろう。こう言う人材は、この国に流れてくるあふれるようなありがたき教えに筋道をつけないといけないと選ばれて唐に渡って、最高位の勧請を授かって2年あまりで帰朝したのであった。

◆空海は、平安初期804年に入唐して2年あまりで帰朝してきていたのだが、当時の歴史たるやまったく東北の奥地は蚊帳の外の状態であったわけなのですが、そこに歴史がなかったわけではなく、まして、人が住んでいなかったという訳でもなく、どうも僕が子どもの頃から気になってしかたがなかった神社というものが山の田舎の奥まで至るところにある、これは確かに明治期の国威掲揚のために整備されたものもあるけれど、つまりものすごく古い、言葉や文字で残さなくてもあって当たり前のようなその存在がもともとそこにあったものだったのだ。むしろその長い時代に東北の地は実に豊かな時代にみたされていたのだということが分かるのである。文字という記録がなければ歴史はなかったということは、当たり前だが言えない。(僕の生まれた田舎の山の麓に建てられた板碑3mもある。これは江戸時代のもの)

◆こうして僕がこだわるのは、人には宗教的人間がいるようなので、それに感応するというか、人は「万物の霊長」と言われるくらいに(そもそも「霊長類」という分類は何なんだろう)「霊」に関して思考できる人のことなのである。更に調べると、この国のその神社(ここでは創世時代の古代の神道と言えばいいか)以前のもっと古い時代のものがある時期に、そのシステムが整備されてきているということが分かってきたのであった。 

◆世界のベストセラーはキリスト教の聖書である。天地を創造し、人をも創造した唯一の神である。実は紀元前に、すでにあからさまに文字にはなっていないがその精神性は形を変え、かのイスラエルから大陸を受け継いでこの日本にわたって来ていたのであった。僕が、ずうと思ってきたことが今や、学問的にも明らかになってきたことを僕はとても嬉しく思っているのです。まさに、かの人の到来の時が近い時代に入ってきているのである。 ・・・ 

 


世界のベストセラーを読む(604回) 今日は雨、時折、白いものがちらついて・・・

2019-11-20 15:47:08 | 小説

今朝から雨・・・

◆早朝、うすぼんやりの暗い明け方。肝心なことは、実は書き出すそれまでに至る意欲の源を捜すことだった。ひらめきが空から降ってくるわけでもない。つまり、僕ら凡人は、自分が主体的に言葉を捜す能力というか、つまりはきっかけが浮かんでこないのであるということに気が付いた。生まれて生きて死んでいく、ただそれだけといえば、身も蓋もないのだが、そういうことだけではいけないがために、人には災難があると、まさか、そんなことはあるまいが、そして必然的な死を考えることも、いや、と僕は思う。こちらの方が誰しも例外はないのだから有効だろうとそこに戻ってきてしまう。つまり、僕の不幸な肉体に戻って来てしまう。

◆だから、心がけることは淡々と生きていても内実だけは崇高にレベルアップしていかなくてはならないと。けれど、その評価はどうなるのか、だれが決めるのか。そこに他人が出てくるのであるが、僕は極力、人の評価とやらを耳にしないようにしてきた。僕はまったく、誰と誰が結びついたとか・・・つまり、噂話がすきな、三面記事であっても結局、話しているその本人の優位性を持った批判が生じている話題。ああ、人を褒めることをしても、けなすことは良くない、というのはその人を愛しているであろう神をけなしていることになるのだろうからと、僕は思ってしまう。それは、結局、そのけなす人間の人を作られた神をしらないことなのだろうから、それを知らせるために神はあなたに試練をお与えになるだろうからと。

◆僕らは何か大きな勘違いというか、その存在を知らないのである。つまり自分を知らないのである。神はおられるのだから、それなりにお教えくださるであろう。意識するとしないとに関わらず我らは、自分の与えられている生から抜け出すことはできないのだから。だから、まずは世界全体を知りなさい。それから、その中には目に見えないことも含んでいるということ。しかし、ああ何と神というコトバはまったく目に見える世界から見えない世界、過去、現在、未来、黄泉の国まで支配されて現存しているのに、小さくなってしまったことだろうと思う。それは、一般化できることではなく、物言う人の霊のありようの反映なのだ、と言われてしまえば、ああ、それは確かにそうなのかもしれないと思わされてしまった。つまり、自分にまたもや戻って来てしまうのだった。

◆だから、僕のような凡人は心機一転、新たな世界に飛び込むというようなことは許されなかった。気が付けば、この地上でのやらなければいけない多くの宿題が残された居たのだから。

*****************************

 われわれは過ちを重ねることによってのみ真理に到達するものなのである。 「評論集」(20A,354:ドストエフスキー)  ・・・ 


世界のベストセラーを読む(603回) ブログ580回目に記載の手帖(絵)が見つかりました。

2019-11-15 19:53:10 | 日記

◆本棚を整理していると、この2000年の手帖だけ無くなっていたのですがボロくなってましたが出てきました。

ブログ580回に書きましたけれど、中国の某社東莞工場に出張に行った時、昼休みに窓から見えた風景を手帖に落書きした風景を掲載。

◆工場3階から、建屋の裏手にこのような風景が見えた。あまりに面白いので休憩時間の静かな誰も居なくなった部屋で描いた。手前に緩やかに川が流れて、遠く右手の高台には座った仏像らしきもの、高み櫓のような赤い屋根の建物は後で尋ねるとホテルなのだそうだ。このような絵になりそうな箱庭感覚の風景の面白さは、中国のあちこちにあるなぁと思った。ただ、あの高台まで水を引き上げるのは、大変コストがかかるな、べらぼうに高い値段か、人は景色を見るためには登るだろうけれど宿泊はしないだろうな、などと思ってしまったことを思い出した。大阪浪速から行っている日本人総経理は、中国の蚊の殺虫剤は人まで死にそうになる程のやばいものだそうで、大変な体験をしたそうである。・・・・19年前の思い出 

 


世界のベストセラーを読む(602回) みちのく「秋田の赤い靴」 ミュージカルを鑑賞

2019-11-11 14:06:16 | 日記

♪ 赤い靴履いてた女の子 異人さんに連れられて行っちゃった ~♪  (※秋田市図書館「明徳館」前に建つ「秋田の赤い靴」像)

◆当時は、日本各地にこのような話があったのだろうなぁ。僕も小さいころから覚えていた童謡。昨日、三種町という町で第4回三種ミュージカルを見てきた。(当時の三種町は秋田県八郎潟の北より海側のとても貧しい村だった。ここが舞台となった物語)体育館会場は目いっぱいの人々。椅子は間に合わないので前方ゴザに座り。2000人以上はいたんではないだろうか! このお話は現在映画も作成中で2020年公開予定とのことです。(※下にパンフを掲載します)

◆話は1884年宣教師たちによって秋田に初めてプロテスタント・キリスト教の種が蒔かれた時代にさかのぼります。最初の宣教師がスミスとガルストで、スミス婦人ジョセフィンは秋田に来て一年足らずで出産後に天に召されました(秋田の教会墓地に眠っています)。彼女の死を受けて1886年にミス・ハリソンが婦人宣教師として秋田に派遣されてきました。

◆ハリソンは、教会や学校の他、刑務所でも聖書を教え、服役していた身重の金子フジと出会い、ハリソンが生まれたハツを引き取って育てました。ハリソンが帰国する際、ハツを連れて横浜から出発(その時、子供ハツが履いていたのが赤い靴でした)、ロスアンゼルスの大学で学ばせた後、その後、日本排斥運動があったためハワイにわたり、共に日本人の為に働きました。 (※秋田を離れるとき人力車に乗る。人力車は北の京都と言われる「角館町」から出演。)

 ◆この教会は秋田で最も歴史のあるプロテスタント・キリスト教会で1884年6月1日が創立の日となっています。今年で135年になります。ハリソンが来た当時の秋田基督教会は現在「日本キリスト教団 秋田高陽教会」となり、この教会では秋田で最初に幼稚園も始められました。現在の「秋田幼稚園」となっています。

◆初代の宣教師、ガルストも映画になりそうな方です。最後の遺言は「My life is my message.」 日本に骨を埋め、東京青山墓地に眠っています。・・・

********************************

(※ハツのお墓について) ホノルルの日本領事館からヌウアヌ(ハワイ語で「涼しい高地」の意)通りを北西約800m進んだところにオアフ墓地があります。ここに「赤い靴の女の子」CORA・JULIA・HARRISON(コラ・ジュリア・ハリソン)、日本名「金子ハツ」が眠っています。<1922年4月30日没、享年32>「ENTERED LIFE ETERNAL(永遠の命に入れり)と墓石に刻まれています。これを刻んだ母親代わりの宣教師CALLA・JAMES・HARRISON(カーラ・ジェームス・ハリソン 1859~1937)彼女はハツの隣に並んで眠っています。・・・ Ω 

 

 


世界のベストセラーを読む(601回) 不思議の国ニッポン。親鸞さんも伊勢神宮をお参りしていたのですね。

2019-11-04 17:16:28 | 手紙

親愛なるMへ

◆(599回に少し重なりますが)キリスト教に法然の浄土宗、親鸞の浄土真宗の教えが似ていると言われる、霊的なと言えばいいいかそのルーツが知りたかったのですよ。(新約聖書のパウロの手紙、エフェソ書の第1章)。そこで分かったことは法然さんの両親は、古代の日本の国家の形成にかかわったであろう、聖徳太子のブレーンであった秦一族の分類に属していた渡来人だったというのです。秦氏はキリスト教徒ではなかたかと言われてますから、やはりそうかなと納得がいきました。法然さんの父の名前は漆間国時といって漆を扱う技能を持っていたようです。母は錦織ですから、織物か。機織りということばがあるように秦氏は織物の技術も伝えた集団で、いずれ大変な技能集団で実に多くの数の一団だった。(僕はここで「津波のように押し寄せる」というその漢字の「津」という文字が気になって仕方がなかったが日本の各地のもあるこの漢字のいわれも調べたいな)。で、東北の秋田にはハタハタといって冬にたくさん採れる漁法も伝えたのだろうと僕は思っているのです。ハタハタは漢字で魚偏に神と書くから(「鰰」)。だからあのテニスプレーヤーの錦織圭選手にユニクロがスポンサーになったのかななどと思ったりしましたけど。ところで漢字というのもそもそも秦氏が原案を作っていたものだったろうと思っているのです。(神が申し、示す。これが「神」という感じになったなど・・・そうかも、という漢字がたくさんありますねぇ。)

◆前に書きましたけれど、昔、道なきこんな山の中の東北の小さな村にも「八幡」という地名があるんのはなぜなのか。

秦氏は、イスラエルの失われた10部族の一団ではなかったかと言われていました。いまも盛んにyoutubeで見られますね。時代を経ながらも紀元前の捕囚によりイスラエルの失われた部族で東へ向かった一団だったとあります。途中で国も作っていきますが、中国で初めて国を統一した「秦(しん)」という国はありますでしょう。英語のチャイナになる謂れとなった国ですね。この歴史も調べると面白ですよ。そもそも彼らが背後で支えてできた国ではないのか? 日本で天皇を支える八幡神社の本山なる「宇佐八幡」という神社、日本各地にある「八幡神社」も神道辞典を見ると渡来人、秦氏、鹿島氏などの渡来人が伝えたものであると書かれている。こんな東北の山の中の田舎にもその地名があるのは、それが旧約聖書の民につながっていたと考えれば勇気が湧いてきませんか?八幡平という山、都会には近江八幡、代々木八幡などがあるでしょ。もっとたくさん。まさにその数、八万以上の神社があるそうです。

この日本にきて彼らが学んだのは、宗教によって民が分裂、争うのは決して良いことではないということを長い体験をとおして学んできたことではないでしょうか。(ピーター・フランクルさんもこれは日本の良いところですというのでした。前述ブログ)それで聖徳太子のブレーンだった秦河勝もあって「和をもって尊しとなす」と語ったのだろうと思います。蘇我、物部の争いもありましたからね。しかし、東北に地には竜が刻まれた神社や天井に絵が描かれていまけれどこれは物部のシンボルとなったものです。そのルーツも面白そうなのですが、この日本のいずこの神社の作り(その配置)などが争いがあったにもかかわらず旧約聖書のモーセが多くの民を引き連れ旅した幕屋に似ているのはどうしてなのだろう。僕はこんなところからも古代失われたイスラエルの10部族の民が順次、日本に来ていたのだと思わざるを得ないのです。記紀などの物語は、そういうベースがあって書かれたものだとするとより理解できるように思われるのですね。・・・