marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(541回) 脱「男らしさ」社会 “依存しない”男女平等社会にするには?

2019-01-20 21:14:16 | 日記
脱「男らしさ」社会 “依存しない”男女平等社会にするには?

◆聖書の専門の研究者たちにさまざまに解釈されている外典『トマスによる福音書』からのイエスの言葉・・・後半に

 トマスというのは、使徒の一人。僕はこの疑い深いといわれたトマスが好きなのね。福音書にも出てくる「私は自分のこの指を槍で刺されたイエスの脇腹に差し入れて見なければ、その方が復活したなどとは信じない」と言ったリアルな確認を、ちょうどそのときトマスはいなかったのだが、復活して現れたのだという弟子たちに言い放った弟子。

 その後、復活したイエスは現れてトマスにとても有名な言葉をいう。「見ないで信ずる者は幸いである」と。キリスト教は事実リアルに復活したイエスという方がおられなければ、今日までは決して伝えられなかったであろう。観念として心の安寧として頭の中で捉えるか、そればかりか事実、僕らが今、現存しつねれば痛いと感ずるようにそれは、物証としても肉体で確認できたか、そして今も目には見えないが事実、あると捉えるかは、まさにイエスをどう捉えるかにかかっているのです。

 トマスは、奴隷まで身を落とし伝道のためインドまで行きそこで殉教したと言われている。まあ、あの時代、地中海を巡ったパウロの活動は使徒言行録などに書かれ僕らは新約聖書で読むことができるが、東の遠くまで離散したであろうユダヤ人たちに伝えにインドまで足を伸ばしたのは、彼は生き返ったイエスに見て、触れて確認する神の力をイエスに見たからなのだな、そうとしか思われない。あの時代あの地には多くの雑多ないろいろな宗教があったのだから・・・。彼はそこで殉教した。

 死後イエスが復活し最初に現れたのはマグダラのマリアという女性だった。このマリアは商売やり手でとてもバイタリティーがあった人だったと僕は思う。あの男尊女卑の世界だからこそと言うか、このマリアはイエスに7つの悪霊を追い出されたといわれているけれど、それは男の日和見のように思われるな、僕には。男の使徒であるペテロや弟子たちにこのマリアは復活したイエスに出会った以降、預言的な物言いをガンガン言ったらしい。それが気にいらないペテロがイエスに向かってマリアを非難した後の言葉。トマスが書いた(口述?)といわれる外典『トマスによる福音書』にイエスがこう言ったという不思議な言葉があるのです。

◆ペテロはイエスに向かいこう言う。
「マリハム(マグダラのマリア)は、私たちの元から去った方がよい。女たちは命に値しないからである」(114) 
 これに対してイエスが謎めいた言葉で答えるのです。
見よ、私は彼女を(天の王国へ)導くであろう。私が彼女を男性にするために、彼女もまた、あなたがた男たちに似る活ける霊になるために、なぜなら、どの女たちも。彼女らが自分を男性にするならば、天国に入るであろうから」(114)・・・ また、別の一節。・・・
あなたがたが。男と女を一人にして、男を男でないように、女を女(でないよう)にするならば、・・・そのときにあなたがたは〔王国に〕入るであろう」。

◆さて時代は進み今の僕らの時代、旧約の時代から神は、頻繁に「わたしがいることを人々は知ることになろう」と語っているのです。目に見る五感で確認できるという言葉の解釈から、いわゆる深い霊的な意味からこのイエスの言葉を読み取ろうとすれば、なんとなく分かるような気がしてくる。時代が進み、それが少しずつ露わになってきたということなのではないだろうか。僕のこのブログの主旨から言えば、自分が選べない「性」という肉にまとわりつく「しがらみ」からの解放も意味していると捉えることができるのです。 ・・・  

 

世界のベストセラーを読む(540回)世界の解体、個人の基軸への問いかけ、そして未来

2019-01-02 17:30:03 | 日記
新しい時代の始まり・・・思いつくことを書き留めておこう、それにしても仰々しいタイトルだなぁ。
◆僕は昨年、夏からほとんどブログ更新ができなくなった。頭の老化が始まって意欲が欠落が始まったも一因だろうけれど、世界の出来事、個人の出来事、それから未来についても、そら これもあれも僕が書いてきた世界のベストセラーに書いてある事態でしょ・・・という声が聞こえてきて、無論、聖書に書いてある事柄で、youtubeで見ることができるような正確な勉強はしていないのだが、よく読んでみてもあのキリストの父なる神が、創造の神がこの世界を動かしているというのであれば、そしてそれなりにこれからの世界に「感じ、思い巡らす」のであれば、なぜか書かれた記事のこのことなのだろうと結びつけることができそうだと感じてきたからに他ならない。あくまで、パウロが手紙で書いたごとく「文字は人を殺し、霊は人を活かせばなり」であるから、宗教にかかわらない人でも人それぞれの思いに語りかけていると僕は信じる。
◆世界の動きに対して、例えばアメリカで「馬鹿、まぬけという idiot」という単語を入れるとトランプさんの顔写真がずらっと出てくるとか、彼も聖書に手をおいて就任の宣言をしたのにどうしてというような、世界の経済がガタガタなるようなことをと思ってしまうのだが、それなりにアメリカ第一は、意味のあることなのだろうと。(実際、アメリカの知人の話によれば言動は阿呆のように思うらしいけれど)。世界の富の半分はアメリカの富豪8人が牛耳っているとか、その経済の仕組みはどういう具合になっているのかなど、そのような反発にほとんどの大衆は激動の変化をもたらすドラマを見たがっているのだろうという、つまり、あの聖書に手を置き、すべての政府の要職の就任に宣言する人々がいる政府にどうして、一致が見られないかということである。そう・・・世界の解体が始まっているのだな。
◆突然に話が変わるけど、お笑いのサンドイッチマンの僕の好きな間の手に入れる言葉・・・「ちょっと何言っているかわかんない」、なぜにこの遮断の言葉が笑いを誘うのだろうか。実は人という生き物にとってこの問いかけは深遠な意味があるからと思っているのだ。お互いの会話で先に理解をし会わなければならないことがピントを外れていた・・・その先理解ということ。
◆これを書き始めるとブログを始めた一昨年あたりからの人が理解するとはどういうことか、ということまで考えなくてはいけない。差し障りのないことなら、それで済ますことができるけど、いざ「永遠の命」などという仰々しい課題に取り組む、聖書の中の神のひとり子といわれるイエスが「救いはユダヤ人からくるからだ」と述べたり、あるいは使徒パウロが、「神に選ばれし同胞ユダヤ人の為には、この自分の身はどうなっても構わない」と手紙に書いていることなどは、実にかの本当のユダヤ人(偽のユダヤ人も現れると書かれている)が、神がこの世を創造せし天地創造来の、あの歴史を現代まで体現してきているからなのだということになる。先理解のその内容の先理解、永遠の命で住まう天国から、地上の天と地の創造、その神が「戻って来なさい」と今も思う人には声をかけ続けているということの前提である先理解を多くの犠牲を払った歴史の中で体現して、それを信じ続けているからなのです。
◆「信ずる者は救われる」と昔から言われて来たその内容は、イエスという男が誰であり、なにゆえ我々はブローチにでもその十字架を首に書けたりしているなどのその真の理由を信ずるなら、つまりそのイエスを信ずるなら、この必然的に誰でもがこの世から飛び去っていくであろう永遠の世界に、「この身自体として永遠に生きる」といことなのです。時代の大きな曲がり角は、まさにすべての解体が始まり、一人一人に問いかけが始まり、個人の基軸が問われ、魂の選択の時代に入っていくのである。すべてがつながり、すべてが明らかになり、一人ひとりの心の機能(あえて理科的な言葉を使わせていただく)、その「霊の質」が問われていく時代に入って来たように思うのです。僕らは、永遠の世界から創造された地上に今生を生き抜いているのです。そして、彼が再び地上に迎えに来られたとき、天上の世界で永遠の世界に生き続けるのです。

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 「初めに、神は天地を創造された。」(創世記 第1章1節)

    ・・・(この間を僕らは生きている)・・・

 「わたしはまた、新しい天と新しい地を見た。最初の天と最初の地は去って行き、もはや海もなくなった。」(ヨハネ黙示録 第21章1節)

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