魚島時かの龍馬して仁王立ち 笑子
うおじまどきかのりょうましてにおうだち
【魚島時】晩春の季語です
外海の鯛が産卵のため瀬戸内海に入りこみ
その群らがった状態 が小島のように見えること
鯛に限らずはまちや鰆、鯖などでもおこる
1枚目の写真は 仙酔島にて
下は今回の旅で唯一の自撮り写真(笑)
1人だったので自撮り棒を持参したけど
龍馬とのツーショットの場面のみの出番で
あとは荷物になっただけでした(;^_^A
もう持っていくのはやめよう・・・
鞆の浦は坂本龍馬ゆかりの地でもあります
「いろは丸事件」
1867年(慶応3年)4月23日坂本龍馬率いる海援隊の「いろは丸」
紀州藩船「明光丸」が瀬戸内海の六島沖で衝突。
鞆の浦へ曳航される途中にいろは丸が沈没した。
この「いろは丸事件」発生によって龍馬と紀州藩との談判は
鞆の浦へ曳航される途中にいろは丸が沈没した。
この「いろは丸事件」発生によって龍馬と紀州藩との談判は
鞆の浦で4日間行われたが決裂
その後龍馬は万国公法に基づいて紀州藩から多額の賠償金をとることに成功 したそうな・・・
海岸山千手院福禅寺の本堂に隣接する対潮楼は
江戸時代の元禄年間(1690年頃)に創建された客殿で国の史跡に指定されています
座敷からの海の眺めは素晴らしく、1711年(正徳元年)朝鮮通信使の李邦彦は「日東第一形勝」と賞賛したそうです
上の風景をスマホで撮ると・・・↓
「日東第一形勝」の額が写りました
スマホは暗さに強いですね(;^_^A
明日は向こうに見える仙酔島へ続きます(^_-)-☆