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あの年この歌 1968年『栄光のグループサウンズ』

2015年01月24日 | JULIE

今日は、1月24日、タイガースの解散記念日。
昨夜のBSジャパン 
あの年この歌 1968年
『栄光のグループサウンズ』

http://www.bs-j.co.jp/anotoshi/42.html

今回は、1968年『栄光のグループサウンズ』ザ・タイガースなど人気バンドが続々とデビューをお送りします。 1968年、「いざなぎ景気」真っ只中の日本。人々は次から次に時代の最先端を求め、受け入れていった。 そんなこの年、音楽界でもそれまでの価値観を一新する最先端のミュージックが大ブレイク。 楽器を自ら演奏しながら歌うグループが日本で次々とデビューする。 ザ・タイガースをはじめとする人気バンドたちが誕生し、「グループサウンズ」が全盛期を迎える。
【出演者】 <コメンテーター> 高見沢俊彦 野瀬泰申(日本経済新聞社 特別編集委員)  <進行役>佐々木明子(テレビ東京アナウンサー) <VTR出演>富澤一誠(音楽評論家)

                     

1968年は、価値観が一新する最先端のミュージックがブレークした。
音楽シーンを賑わわせたのはGS、若者を虜にしたメロディー、パフォーマンスに日本中は熱狂した。ここで「君だけに愛を」を歌うジュリーが登場。真夏の世の夢の映像

 

     

ベンチャーズ来日をキッかけにおこった、インストゥルメンタルバンドがボーカルを加えて登場。 初期の人気バンドはザ・スパイダース、ザ・サベージ、ジャッキー吉川とブルーコメッツ。
私はスパイダースは大好きだったけど、正直 サベージのイメージが殆どわかない。曲は知っているんだけど。 

1967年、GSの人気を決定づける、ザ・タイガースが「僕のマリー」でデビュー。ジュリーが「君だけに愛を」で、指をさすとキャー!と女の子が
ひっくり返る、と解説者。 
今でもひっくり返ってるもんね~(笑)



「真夏の世の夢」のジュリーの画像が流れる。細い体をしなやかにくねらせ、軽やかにステップを踏むジュリーGSの定義は、エレキを持っている、ドラムにベースにギター。甘い歌詞、星の王子様、貴公子
それって、ジュリーが登場したからこその定義。 ジュリーのお陰で、全然似合わないのに、王子様ルックをさせられた、気の毒なヒトも多数

評論家が「白夜の騎士」が好きだったと話す。GSの歌は夢の中のお伽話、ファンタジーの世界、とタカミー。私もロマンチックな「白夜の騎士」が大好きだったけど、作曲の山上さんがあれは失敗作と言っていたので、かなりショックでした。

翌年には、GSはブームの終焉を迎えた。 ブームはわずか3年半。何故かというと、GSの乱立。玉石混交で飽きられた。ブーム終了後も、メンバー達はソロで活躍と「時の過ぎ行くままに」が流れる。元メンバー達は、その後の日本のエンターテイメントに多大な影響を与えた。最後に「シーシーシー」が流れて終わり。


1月20日、フォーラムライブの前に、私が とある商店街を歩いていたら商店街の店の中から流れる「時の過ぎ行くままに」を聴いた。その続きは後日・・・
                      

どちらかというと、GSを知らない人のための番組かな、という感じがしましたが、ほぼ、タイガースとジュリーが取り上げられて、ァンには嬉しい番組でした。当然なんですけどね。
時代が刻んだ名曲たち、1968年。この年おこった事件、流行
あの、3億円事件の年でした。私が「当時、3億円はすごい金額だと思った」と言ったところ、家人が「今でも凄い金額だ」と。確かにそうですね!
この数年後、ジュリーは「3億円事件」の犯人を演じる。



サベージは「いつまでもいつまでも」しか知らないなー
どうも、曲調と寺尾聰さんに、GSというイメージが私は無いの。
1966年は、さすがに記憶が・・・

コメント

旧岩崎邸、1月20日

2015年01月24日 | JULIE

20日のフォーラムのライブ前の続きですが、J友様からのメールが嬉しくて

『会社に感じの悪い、コワいコワい会計のおばちゃんがいて
新年会でジュリーの話しになり、何で あんなデ●
いつまで追っかけてるの?と、言ったあと

だけど、ベテランになると上手に聞こえるよなテクニック
使って歌う歌手が多い中、ジュリーが全身全霊で歌ってるのを
見て驚いたって。
ひとりで30分くらいの番組って言ってたから

還暦の時のソングスだと思います。

普段、愛想もお世辞も言わない人だから本当だと思う。 

嬉しかったよ
 
                   

20日は、東京駅に着いてから、山手線に乗り換え御徒町でおりた。何か腹ごしらえをと思い、上野松坂屋のデパチカの浅草・今半で3色丼。浅草・今半の名前は有名だし、食事時間をかけたくなくて ここでいいかと即 決定。でも昼時なのに、よく空いているなーと思ったのも納得、全然ボリュームなしの850円

    

もうここで二度と食べることはない と思いながら、御徒町の街中を歩いてゆく。この街には まだなんとはなしに、レトロな感じの佇まいの民家やお店があって、江戸下町の懐かしい感じが残っていた。 猫たちがデートしている、レトロな風情の澤田医院もあったよ。

御徒町駅から真っ直ぐに直進したら、長い階段が目の前に現れる。湯島天神の男坂。かなりの急勾配で、お年寄りにはキツイな、と思いながら登った。梅まつりと赤い幟に書いてあったが、残念ながら 梅の花には時期が早い。

 

明るい陽光に照らされた、湯島天神だが、それほど広い境内ではない。大都会の真ん中、周囲はビルなどの建築物に囲まれ、いささかの閉塞感はある。
さすが湯島の白梅だから、新派の石碑があった。
天神さんだけあって、只今 受験時期で、平日というのに御札を求める行列ができていた。やっぱり、神様にはすがりたいよね~ その行列の中を すいません、と謝りながら通り抜けて天神さんの社殿正面へ。


もちろん世界平和を願い、家族の健康長寿 そして、毎度 ジュリーの曲が売れますように・・・と昔は祈っていたが、今は新曲が売れますように、よりも、ジュリーがいつまでも長く健康で歌えますように、と祈る。

 



次がJ友様のおすすめ、今回のお目当ての、旧岩崎邸庭園(重要文化財)。
http://www.tokyo-park.or.jp/park/format/about035.html
それこそ、都会の真ん中に広大な敷地の岩崎邸があるのだが、こちらも周囲がマンションやビルに取り囲まれて、かなり風情を損なっているのが非常に残念でもったいないと思うけど、仕方がないなぁ。

しかし、さすがに三菱財閥の岩崎家の本邸。いままで私が見た洋風建築の中で、その規模、美しさ、華麗さ、重厚さにおいて、他に並ぶものがありません。 鹿鳴館を作った、ジョサイア・コンドル作。まるで、宮殿のような華麗な建築。 正面




庭園に面したバルコニー





撞球室(ビリヤード室)はスイスの山小屋風

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かつては、もっと広大な敷地に20棟以上の建物があったそうだけど
今は三分の一になった敷地に、洋館、和邸、撞球室が残るのみです。



重厚な石造りの門が、さすがの立派さです。
そして次は、都営地下鉄銀座線に乗ってお次の場所へ・・・そこで、出会ったのは あの某ハンサム達、昔のアイドル3人組。

                     

20日のフォーラムでジュリーが心配していた人質事件で、非常に残念で痛ましいことがおこってしまいました。
あの日のジュリーの言葉からは、今の世界で起こっている対して心からの痛切を感じました。 ほんとに 今ここで歌っていていいのか、でもやっぱり歌うことしかできないという、もどかしさ。止むにやまれぬ気持ち 焦燥感・・・。それはとても痛いほど伝わりました。真面目に話を聞いて欲しいという想いが、あの言葉になったのだろう。


今の平和な日本に生まれて来て良かった、とてもラッキーだったと、何事についても特に深く考えることもなく、過ごしてきました。ただ暢気に、戦後の長い平和を享受し続けた世代の私。今はただ、祈ることしかできないのは、世界の片隅のちっぽけな一個人の私も同じです。

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