今日も元気で頑張るニャン

家族になった保護猫たちの日常を綴りながら、ノラ猫たちとの共存を模索するブログです。

みう ~もの静かなリビングの主~

2019年02月16日 | (故)みう(おかあさん)
久々にみうの近況です。
わが家の生活はリビングが中心。みうはいつもそのリビングにいるのに、まるで置物のように目立たない猫です。意識して書かなければ忘れたままになっちゃいそう。もっともそれは保護者ばかりでなく、他の猫たちにとっても同じようだ。とにかく控えめで遠慮の塊のようなみうは、自分から主張することがありません。お腹が空いてもピーピー言わずにじっと待つだけ。でもそんなみうの心の中が、少しだけわかるようになりました。


床上専門のみうが珍しくピアノの上に

リビングでのみうは寝るでも香箱座りでもなく、背を低くしてじっとしている。やがて少し場所を変えてまたじっとしている。これの繰り返しです。そして人や他の猫の動きを眺めている。リビングから出るのはトイレのときだけ。かつては1日に何度もやっていたひとり運動会も、今では数日に1回程度で短くて控えめです。悪ガキたち(キー、クウ、ちび太)にちょっかい出されても乗りが悪いので見放されちゃう始末。


窓際で日向ぼっこ

家裏に寝泊りしていたノラ時代のみうは、とても俊敏で運動能力の高い猫でした。近隣の人たちにも認知されていたので縦横無尽に町内を駆け回り、神出鬼没でどこにでも現れた。もの静かで人を威嚇することもなく、ちょこんと座って往来の人々を見送る仕草が評判でした。


瞬きする間に5m木の頂上まで登っていた(再掲)

今のみうを見ていると、またぞろいつもの疑問に襲われます。みうはこれで幸せになったのだろうか。幸せにすると誓って家にお迎えしたみう。ところがニャーに狙われて家庭内隠遁生活、ベット下の住人(猫)になってしまった。しかしやがてニャーの矛先がハリーやリンに変わったおかげで、自由を手に入れた。そう、ようやくのんびりした日々を満喫できる・・はずなんだけど・・。 もし猫に思い出が持てるなら、みうはソトチビと過ごした家裏時代を懐かしく偲んだりするのかな。

いつも書いているように猫には安心安全という概念がないから、失ったもの(自由)はわかるけど得たものがわからない。しかも安心と言ったって猫の安心と人間の安心とは違う。家に閉じ込めて保護者は安心しても、(特に多頭飼いの場合は)猫にとっては必ずしも安心ではない場合もあるのです。


テンちゃんが近付いても軽く躱(かわ)しちゃいます

一方みうが抱えているもうひとつの問題。顔を中心に生じる"ただれ"が後を絶ちません。目、耳、それに最近は頬(耳の下)にも増えました。慢性結膜炎と言われた目は1年にわたる軟膏目薬の使用でようやく改善の兆しが見えてきた。アレルギーと言われた耳はいまだに改善の兆しなし。頬の傷もどうしてできたのかわからないけど現在治療中です。

しかも難聴気味のみう。機能的な異常はないが、音に疎い(反応が悪い)のは何らかのストレスが原因じゃないかと言われている。では、ストレスがなくなれば回復するのかと思えば、いまだにその兆しもない。でも治るものなら直してやりたい、それが親心というものです。

少なくともみうをわが家に迎えてよかったなと思うことは、みうが抱えているこんな症状を慌てず騒がず、じっくりと治療に専念できることです。


最悪の頃のみうの目は血糊(目やに)と涙に溢れていた


アレルギーと言われた耳は真菌の仕業に似ている


耳の下は怪我が化膿してしまったようです






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