今日も元気で頑張るニャン

家族になった保護猫たちの日常を綴りながら、ノラ猫たちとの共存を模索するブログです。

エサをやるなは殺せと同じ・第4弾 ~言葉の真相を暴く~

2021年03月31日 | シリーズ:エサをやるなは殺せと同じ
ネット上に猫のサイトはたくさんありますが、自分が愛読するのはSippoやフェリシモ猫部。他にもねこちゃんホンポ、ねこのきもち(webmagazine)、peco、ねとらば、まいどなニュース(猫部)などもよく見ます。どのサイトもネコちゃんへの愛情に溢れていて獣医師など専門家の監修付だ。

ただ、野良猫に関しては共通した気になる記事があるのです。
「野良猫がかわいそうだと思うなら、餌をあげてはいけません。」

行方不明になったノラたちより:ソトチビ

当ブログではノラへの餌やり禁止の(書き方の)誤りについて何度も指摘してきました。しかしこのような読者の信頼が厚く閲覧数が多いと思われるサイトまでが同じ過ちを繰り返し、その結果としてノラたちがいわれのない迫害を受けている現実は見過ごすことができません。そもそもこの一見矛盾した表現、なぜこんな言い方になるのでしょうか。今一度論点を整理してみたいと思います。

1.まず第一に、餌やり禁止は法律違反
餌やりを禁止することは動物愛護法違反とみなされます。実際、愛護法の対象動物である野良猫へのエサやりそのものを禁止している自治体はありません。エサをバラ撒くなど"不適切な"餌やりを禁止しているのです。下に紹介した記事(ねこちゃんホンポ)の中で、「野良猫への餌やりが禁止されている地域(自治体)がある」という記述は明らかに誤りです。和歌山県では、「適切な餌やり」の表現がわかりにくいとして条例が改正された。その要点を下に抜粋したので参考にしてください。

2.野良猫は人間の施し物を頼りに生活している
「野良猫の食べ物」でネット検索すると、前出のサイトも含め判で押したように同じことが書いてあります。YahooやGooなどの質問サイトでこのようなスレが立つと、それらの記事をコピペしたような回答が続きます。要は小動物を食べ虫を食べ鳥を食べ・・。しかし考えてみて下さい。春夏秋冬毎日、自分の身の回りでそのような生き物と出会いますか? つまりこの説明は、イリオモテヤマネコのような野生の猫についての説明なのです。田舎ならまだしも、人間のために開発された住環境ではこのような猫が捕食する生物はそう簡単には見つからない。特に冬は、動くものしか捕食しない猫にとって、自然の食べ物は皆無と言ってもいいでしょう。人間の申し子であり人間社会で生きている野良猫は、人間の施し物を頼りに、人間と密接な関係の中で生きているのです。

つまり、誰も餌をあげなければ野良猫は生きていけない。まさに表題の通りです。それでも野良猫は死なないと言うのなら、それは結局「あなたが餌をあげなくても他の誰かがあげるから大丈夫」と言っているようなもので、それこそいい加減の極致になってしまうのではないでしょうか。

ダイフク

3.餌をあげてはいけない理由、その①「近所迷惑」
近所迷惑とは主に糞害のこと。他に植木鉢を壊したり鳴き声がうるさかったり。猫好きはさほど気にしなくても、猫が嫌いな人にとっては迷惑そのものだろう。継続的な餌やりは野良猫を集めてしまい、これらの迷惑が顕在化してクレームに繋がるという理由です。だから餌をやらない(=殺してしまえ)? 

いや、他の誰かがやるから大丈夫だ。あるいは何とか生きていくから大丈夫ということか。でも、生きているということはどこかで糞はするし悪戯もするだろう。要は顕在化しなければよいのでしょうか。仮に餌をやらなくてもたまたま野良猫が通りかかって糞をした場合、その猫嫌いさんはどうするのでしょう。誰にクレームを言うのかな? それとも野良猫を殺しますか?(犯罪だけど) 要は許容限度の問題なのです。より多くの人がより多くの場所で餌をあげれば問題解決。さらに継続的に餌をあげるなら、マナーを守ってあげれば完璧だ。野良猫がかわいそうだと本当に思うのなら、「餌をやるな」なんて言わないでもっと前向きな提案をしましょうよ。

4.餌をあげてはいけない理由、その②「繁殖して数が増える」
過酷な環境下に生きるかわいそうな野良猫を増やしたい、と思う人はいない。猫嫌いに限らず、保護団体もボランティアさんもみな同じだ。犬猫を食い物にする悪徳ブリーダーやペットショップ業界の経営者たちだって、同じ思いに違いない。でも、野良猫を増やさない、だから野良猫に餌をやるな? 何かおかしくないか。つまり、餌をあげればその子が生きながらえて将来子供を作って野良猫が増えるから餌をやるな、ということだ。それ以外に意味があるだろうか。

「かわいそうな野良猫を増やさないためにも、野良猫に餌をあげるのはやめましょう。」
もうおわかりでしょう。この表現には、明らかに野良猫を殺せという意味が含まれているのです。それがこの表現の最大の矛盾であり胡散臭さであり欺瞞なのです。野良猫を守るどころか、人間性のかけらもない残酷で身勝手な表現だということを、肝に銘じてほしいのです。野良猫はいつも飢えています。衰弱しています。目の前のその子に手を差し伸べることこそ、人間性に満ちた行為と言うべきです。参考までに、自分が推奨する言い方を下に添付しておきます(どうぶつ基金)。

5.猫嫌いさんたちとの協調
野良猫の繁殖については、「1頭のノラ♀が3年後には2000頭になる」 という環境省のパンフに基づいた記述が多く見られるが、これがいい加減であることは本シリーズ第3弾の前編に記した。実際には過酷な環境下、交配頻度や一才生存率が理論最大値には程遠い低さなのです。それでも自然増があるという事実に変わりはないが、それを言う前にすべきことがあるはずだ。

最近書いた「動物愛誤と書く諸兄へ」という記事で、野良猫の自然増に匹敵するくらいの人為的な増加(猫捨て等)をなくすために協調することを呼びかけた。不幸な野良猫たちを減らすために何ができるか。まだまだやれることはたくさんあります。 

カブキ

※ 参考にしたねこちゃんホンポ、ねこのきもちの記事は以下の通りです。
   (クリックしてポップアップ)

※ 当ブログが推奨する記事(考え方)です。

※和歌山県の条例改正の要点
 1.一度だけの餌やり、偶発的な餌やり、衰弱しているような野良猫への見るに見かねた餌やり等の反復又は継続しない餌やりは、生活環境に支障が生じないものとして行えることとします。
 2.野良猫に対し、反復又は継続して餌やりを行う場合には遵守すべきルールを定め、野良猫への餌やりは、このルールに則って行うこととします。

※シリーズ過去記事
 ★ 雑感:「エサをやるなは殺せと同じ」 2017.6.30
 ★ 続・「エサをやるなは殺せと同じ」 ~理屈で勝負の巻~ 2018.8.23
 ★ エサをやるなは殺せと同じ・第3弾(前編)2020.6.30
 ★ エサをやるなは殺せと同じ・第3弾(後編)2020.8.31

コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

おっとりレオ、頑張って吠える

2021年03月28日 | レオ(テンチビ)とココ
ココが店に加わって1年が経ちました。
正直、当初はココが長く続くとは思っていなかった。
というのも、いまだに人を怖がって触らせてもくれません。
ココが店に居着いたのは、何と言ってもレオの存在が大きかった。

この時期はスタッフの残業が多く、眠れないレオとココ

気難し屋のレオが唯一受け入れたのがココ。
ココはそれ以来、とにかくレオ命です。
今では何かと甘えるココの面倒を見るレオ。
もともとおっとりした性格にますます拍車がかかってきた。

動きもゆったりして、人も怖がらないので人気者のレオ。
1日20時間くらいは寝ている感じ。
起きているときもじっとしてることが多く、動いている時間は2時間くらいか。
ココは仕方なく独りで遊ぶことが多くなった。

事務所におやつおねだりに来ることも日課になったココ
おかげで少し距離が縮まった

昼間は殆ど店の敷地か、人混みを避けて店裏に退避。
スタッフや常連のお客さんが見守ってくれるので安心です。
閉店時刻までには屋内に戻って夕食をとる。
その後は寝るだけ、いや、"夜の部"の来訪者(モドキです)と交代の儀式が。

以下、ある日の閉店後の出来事を写真で綴ります。

モドキがやって来ました。床の上で様子を伺うレオとココ。

お、ココが中のレジ台に乗りかけた。最近のココは勇敢になりました。

その後、店長さんが来たときは内レジ台に飛び乗って窓越しにモドキと唸り合ったレオ。
店長さんがいなくなるとそそくさと下りて陰から様子見?

いえいえ、レオ、陰から頑張って小さな声で吠えてました。

夜はこんな儀式がしょっちゅう。
レオはバックにスタッフがいると急に頑張って強くなる。
それ以外のときは、ココが用心棒になりそうかな。

さあ、今年こそココの手術をやらなければ。


夜の店内を見張る2匹

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

テンちゃんの思い出 ~佐竹さんの来訪~

2021年03月27日 | (故)テン
テンちゃんとの出会いは2017年、正月明けの4日のことでした。
Xmasの日に消息を絶ったシャッポを捜して街を彷徨う自分に、店からの連絡が。
「新しいネコちゃんが来てる。よれよれなんだけど。」

店に来て初めてのテンちゃんの写真

それは激ヤセで、顔が張り子のようにコチコチで目も塞がった小さな猫だった。
ヒゲも切れ、体毛のあちこちが剥げて血が滲んで痛々しい。
傍に置いたご飯を探すのにも苦労していた。

店長さんにに抱かれると、自分から膝の中に納まった
(後で疥癬と知ってギョッ!)

ようやく食べ終わると、よちよちと人の気配を追ってくる。
固まった目やにをお湯でそっと拭く。すると、つぶらな瞳が現れた。
それがテンちゃんとの初めての対面でした。

全身手当てするスタッフにもなされるままだった

重度の疥癬と低体温。先生は一見して首を横に振った。
しかしスタッフの懸命の介抱と本人(猫)の生命力で持ち直し、先生を驚かせた。
当初は子猫かと思っていたが、10才は過ぎた老猫だと言われた。

病院で手当てを受けるテンちゃん

それから3週間後、すっかり回復したテンちゃん。
昼は3mのリード付、夜は事務所に独りお泊りの生活を始めたのです。

それからの2年間、本当にいろいろなことがありました。
自分はテンちゃんとの散歩が日課に、スタッフも何かと場所を移動してくれた。
甘え上手のテンちゃんはすぐさまお客さんの人気者に。
テンちゃんのいる風景が当たり前のようになっていった。
その一方で、リード暮らしがテンちゃんにとって幸せなのかと毎日のように考えた。

初めてのリードも慣れたもん?だった

2018年の晩秋、テンちゃんの体調がおかしくなった。
暮には食欲もなくなり、療養のため家に引っ越すことにした。
佐竹さんの来訪は、そんな晩秋の頃でした。

事務所やスタッフルームで仕事のお邪魔虫をするのも日課に

佐竹茉莉子さん。
「猫のいる風景」(Sippo)や「道ばた絵日記」(フェリシモ猫部)など、
温かい目で猫たちの生活を見続け、淡々と書き綴るライターです。
単行本も何冊か出版。その中の「里山の子、さっちゃん」では、
全身マヒの猫が仲間たちに支えられて元気に暮らす日常を綴る。
やさしさに溢れるその暮らしは動物番組などでも何度も紹介された。

テンちゃんはお花屋さんの看板猫になりました

佐竹さんはテンちゃんの評判を聞いて店に来てくれた。
そしてテンちゃんの暮らしぶりを書いてみたいと。
自分はお会いできなかったけど、すごいねテンちゃんと、店のスタッフ全員が喜んでいた。

しかし年が明けて佐竹さんの2度目の来訪のとき、店にテンちゃんはいなかった。
わが家に引っ越して療養生活に入っていたのでした。
病院が店の隣なので通院のときは店にも寄ったけど、残念ながら佐竹さんには会えなかった。

春には遊歩道の桜の下で戯れた

テンちゃんは慢性腎不全の末期でした。
家に来た当初は元気復活かと思われたテンちゃん、容態は徐々に悪化し通院が負担に。
慣れない自宅輸液の開始。しかし保護者の不安が伝わるのか拒否するテンちゃん。
嫌がるテンちゃんに追う保護者。
テンちゃんにとって何が幸せなのか、今度は「命」について考えさせられた。

SC内散歩中のテンちゃん(奥は公園の丘陵)

その年、2019年の6月に、テンちゃんは添い寝する自分の横で逝きました。
最後は思い出に浸りながら、いつまでもテンちゃんを撫で続けた。
楽しく充実した2年半でした。テンちゃんにとってもそうであったと信じたい。

その中でも、断片的に脳裡に焼き付いて離れない場面がいくつか。
また折を見て、書いてみたいと思います。

テンちゃんのキラキラ瞳
(疥癬完治後も殆ど目が開かなかったテンちゃんの滅多に見れなかった瞳)

※テンちゃんと過ごした2年半は、「テン」カテゴリーに思い切り詰まっています。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人情だぜ

2021年03月23日 | サクラ(新顔)とキジロ(黄白)
サクラとキジロの行動に変化の兆しが。
サクラは今月になって寝床と離別、同時に来訪頻度が1日1,2回まで激減。
日暮れ時の定期便だったキジロは、妙に夜遅く来るようになった。

ときどき自ら中に入りそうになるキジロです

急に暖かくなって、夏支度に忙しいのか食欲もなさそう。
まずは皮下脂肪を落とし、もふもふ毛(アンダーコート)を抜かなければ。
彼らにもいろいろ事情があるようだ。

サクラ:「この冬もお世話になりました」

昨年はほぼ皆勤賞だった2匹、最近になって"空け日"が目立ってきた。
2匹とも来ないと、家裏に生活感がなくなって妙に殺風景に感じる。
依存されていたつもりが、実は依存していたなんて。
いつもながら思います。ネコって不思議な動物だ。

キジロは甘え声しか出さないので本当の声を忘れました

でも、心配性の保護者を気遣ってか、たまに顔出すところが心憎い。
さもなければ警察だ清掃局だと電話しまくったり、
FIPで逝ったルイの二の舞かと疑ったり、保護者の心配は尽きるところがない。

中外でちび太とお話する機会も増えてきた

一昨日の雨の日、サクラが寝床で雨宿りしていた。
昨日は深夜に雨が降って、びしょ濡れのキジロがしきりに何かを訴えてきた。
とりあえずご飯を出したら、雨がやんで2匹とも食べすに消えた。

最近はしきりに何かを訴えかけているような・・

もともと、2匹にはそれぞれ本家があるはず。
だから縛り付ける気持ちはさらさらないけど、無事の便りは送ってほしい。
それが人情というものだけど、やっぱりネコには無理かなあ。

少しなら触れるようになったサクラです

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

脳裡に蘇った悪夢(脱走劇)

2021年03月19日 | 大家族の日常
「Shappo in dream」という記事を書いたのは4年近く前のこと。唐突に姿を消したシャッポを捜しているうちに、店にはテンちゃんが居ついたりで刻々と状況が変わっていく。シャッポが見つかっても元の生活には戻れないという現実を、夢にして突き付けられた気分だった。夢の中でシャッポは店に戻って来たけど、様相が一変した店に驚いて再び立ち去ろうとする。何十年ぶりかに見た、いわゆる明晰夢と呼ばれる夢でした。

左:今は懐かしい行方不明になったシャッポ (右はニャー)

その時以来の夢を、年甲斐もなくまた見てしまったのです。外ネコたちの世話で開閉機会が多い勝手口、そのドアラッチの調子が今一つなのが気になっていた。ある上天気の日、2階の自室で仕事をしていると裏のお宅から電話が。出た自分に奥さんが告げる。「お宅のネコちゃんたち、外に出ちゃってるわよ。」 大慌てで確認すると閉めたはずの勝手口が少し開いていて、シロキ以外は全員外に出た後だった・・。

ちび太も脱走しことがあるけど、家の近くですぐに保護できた

それは明晰夢ではなく、まるで現実と区別がつかないような夢でした。思い切り途方に暮れたところで目が覚めて救われたのです。ああ、何でこんな夢を見たんだろう。ことによると今週ようやく見つかった「ふくまる」くん(※1)の影響か。それとも何かの虫の知らせか。そういえば昨年はネコたちの脱走が一度もなかった。しかし一昨年までは、それこそ心労と自虐的後悔の連続でした。
※1 ドラマ「おじさまと猫」の主人公。次週最終回(関東)

家猫となったみうも一度脱走、でもその日のうちに帰って来た

かつては庭にいたテツのリードが外れて行方不明に。(※2) ニャーは家に移った初めの1年で7回も脱走した。(※3) さらにはキーとクウなど大型脱走が続いた3年前の出来事は「大脱走」のカテゴリーにまとめてあります。一昨年もキーが2回脱走、テンちゃんが旅立ったときはニャーが脱走中だった。
※2 過去記事 「テツとの対話その6・ 絆 ~帰還への想い~」2017.1.24
※3 過去記事 「ああ、またしても  ~ニャー脱走の軌跡~」2017.9.17

懐かしいテツも、一度だけリードが外れて行方不明になった

不幸中の幸いなのは、わが家からの脱走で失った子がいないこと。特に思い出すのはニャーが家に来たばかりで脱走したとき。土地勘のないところで当時家裏にいたみうを追いかけて路頭に迷った。執念の捜索を続け、夜更けになってあるアパートの空室の庭でニャーの影を発見。足元に寄って来たニャーを抱き上げたとき、ニャーは小刻みに震えていた。ふくまるくんと同じなんです。脱走しちゃったネコちゃんだって心細い。

「ノラと家猫と」の主人公キーとクウには、随分鍛えられました。

そのとき以来の自分の方針は「絶対に諦めない」。もうまさに執念そのものです。その結果として、これまで脱走した全員が事なきを得た。なんて、本当はそんなエラそうな話じゃないです。ネコたちは結果的にみな自分で帰ってきました。もちろん諦めないことが大事だけど、ネコたちを信じ切ることも大事。帰ってきたネコちゃんが家に入れず諦めちゃう、なんてことが間違ってもないようにしたいものです。これ、わが古女房殿から学んだことです。

何と言っても脱走回数が圧倒的に多いニャー
今なら脱走しちゃっても、100%自分から帰って来る自信があります

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする