のびたとブレイク

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異国の丘 シベリア抑留者の必死の想い

2012年07月21日 06時58分41秒 | うたごえ

長崎の鐘 異国の丘 岸壁の母 いずれも戦争のもたらした悲劇の歌である
実話に基づいた歌だけに これらの歌を歌うと それぞれの想いが胸を打つ

来月は 終戦記念日もあり 鎮魂の月を迎える
昨日 うたごえの中で この3曲を取り上げ 解説して歌ってもらった

【長崎の鐘】あの原爆投下後の 永井博士の実話に基づき サトウハチロー作詞となる
自らも被爆 負傷しながらも 次々と運ばれてくる被爆者の治療に寝食忘れて取り組む
やがて自分の妻のことを思い出すが 無事に生きているだろうと念じた

自宅のあった場所は 瓦礫の野原と化していた
妻の遺体は 僅かに黒こげた腰の部分の小さな塊りであった
そばにロザリオがあり 妻であることが判明した

博士は たとえ戦場のような病院で必死に被爆者の救護に当ったとはいえ
少しの間でも 妻のことが頭の中から離れていたことが痛恨であった
このことなど書き留め 更に病院で患者の治療に専念 約5年後妻の天国へ旅立った

【異国の丘】は 軍歌ではない
無条件降伏した日本に ソ連は不可侵条約を一方的に破り 樺太や満州に侵攻した
それも 8月15日を一週間も過ぎてからである

満州に居た日本人は シベリアに抑留され 過酷な労働を強いられた
約60万人が強制連行され 厳しい寒さや労働で6万人が現地で死亡した
そうした中に 作曲の吉田正さんも居た

元歌は軍歌の為に作曲したが 抑留者が必死で綴ったこの詩に触れて書き留めた
日本語を書くとスパイと見なされ 厳しい処分があるからセメント袋の端に小さく書いた
そして 口伝にみんながこの歌を歌い いつか帰れる日本を想い描き 耐えた

抑留者であった一人の方が 日本に帰ってNHKの のど自慢で歌い多くの反響を得た
当初 歌の作者は誰であるか 分からなかったが ようやくこの話とともに判明した

【岸壁の母】は あまりにも有名になったが 子を想う母の必死の気持ちが胸を打つ
東京の方だが 引揚船の報せがあると 舞鶴まで行き 息子の姿を捜し求めた
遂には役所から死亡通知を貰ったが それでも もしやもしやの想いで岸壁にたった

その舞鶴の引揚記念館を私も訪れたことがある
ここに あの母がいて 同じ想いの方も 更に多く居ただろうと鎮魂の祈りを覚えた
今は 平和の中にあって 戦争の犠牲になった多くの方の慰霊を改めて想う


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