のびたとブレイク

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北方領土と知床旅情の歌

2014年02月08日 01時30分25秒 | うたごえ

昨日7日は北方領土の日だった
日本固有の領土 国後 択捉 歯舞 色丹諸島の返還を求める日
当時のソ連によって 戦争でかろうじて息をしている日本に進軍した

不可侵条約をも無視して 終戦の日を超えても なお樺太へも侵攻した
一説によると 米国へ打診して 網走から留萌以北をソ連の領土とする
これは消えたが そのままだったら 今の北海道は無い

北方4島も占拠され 住民を強制的に追放した
以来 父祖伝来の地には 墓参くらいしか認められていない
更には この近海は花咲カニを代表とする 豊富な漁場もある



納沙布岬に立つと 数百メートル先に貝殻島があり ロシア領になる
更には根室から知床が大きく西に弧を描く中に国後島が突き出ている
何度 日本の漁船が拿捕され 舟は没収 お金を取られたか限りない



知床旅情の歌の背景には 森繁さんが主演した映画がある
『地の涯にいきるもの』で オホーツク老人を描いていた
更にはこの小説の背景にも しけで遭難した船の悲劇が語られる

北方領土に避難すれば もしかしたら助かった 拿捕を怖れて迂回
この間に波間に消えて行った
安部首相がオリンピック開会式に行った 返還の促進になって欲しい



映画の完成を見て 森繁さんが世話になった地元の方に歌をプレゼント
羅臼よさらば というタイトルで 現在多くの愛唱歌となる知床旅情だ
知床が有名になり この地も半島の反対側にあるウトロに重きが置かれた

羅臼は小さな漁港であり ウトロは次々と温泉やホテルが建って行った
この歌のふるさとは羅臼であったのに ウトロに行ってしまったと嘆く
それでも知床横断道路も出来て 双方が交通が便利になった



この知床半島からも 納沙布岬の方からも 国後は大きく見える
納沙布には 北方領土返還大会に参加したこともある
ドライブでも行った そして 添乗員でもご案内した想い出がある

知床旅情をうたごえで歌う時 いつも走馬灯のよう想いが浮かぶ
墨田のうたごえが昨日あった 少し解説して歌って貰った
森繁さん 良い曲を残してくれたものだ



高校を卒業してすぐ 私の親友は この羅臼から当時ウトロヘは道が無い
何時間も山を歩いて反対側へ降りて行った
なんでか理由は分らなかったが 多分 この映画を見て行きたくなったのか

結婚式は当時 流行っていた人前結婚 私が司会をした
まだ20歳を過ぎて僅かな時だった
3人の子供に恵まれたが ある朝突然心筋梗塞であっという間に他界した

上の子どもがまだ小学校2年生の時だった
何回か奥さんを励ましに行ったが そんなに行けず 力にもなれなかった
その後の消息は やくざの男に騙され 子どもは離れ離れになったと言う



私の弟は33歳で他界した
親より先に行くことは 逆回向 親不幸な奴である
遺品を整理した時一本のテープがあった 知床旅情をギターで弾いていた



知床の岬に はまなすの咲く頃 思い出しておくれ俺たちのことを
飲んで騒いで 丘に登れば遥か国後に 白夜
は明ける

旅の情か酔うほどにさ迷い 浜に出てみれば月は照る波の上(え)
君を今宵こそ 抱きしめんと 岩かげに寄れば ピリカが笑う

別れの日は来たラウスの村にも 君は出て行く 峠を越えて
忘れちゃいやだよ気まぐれカラスさん 私を泣かすな白いかもめを


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