のびたとブレイク

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智恵子が千鳥と遊んだ九十九里へ

2016年02月24日 09時26分02秒 | 旅行

 

千鳥と遊ぶ智恵子

人っ子ひとり居ない九十九里の 砂浜の砂にすわって智恵子は遊ぶ
無数の友達が智恵子の名を呼ぶ


ちい、ちい、ちい ちい、ちい


砂に小さな趾(あし)あとをつけて 千鳥が智恵子に寄って来る
口の中でいつでも何か言ってる智恵子が 両手をあげてよびかえす


ちい、ちい、ちい


両手の貝を智恵子がねだる 智恵子はそれをぱらぱらに投げる
群れ立つ千鳥が智恵子を呼ぶ

ちい、ちい、ちい、ちい、ちい


人間商売さらりとやめて
もう天然の向こうへ行ってしまった智恵子の うしろ姿がぽつんと見える


二丁も離れた防風林の夕日の中で
松の花粉をあびながら私はいつまでも立ち尽す

高村光太郎

 

 

九十九里は何度も訪れているが 高村光太郎と智恵子の愛を感じるには今だ

そんな気がして 昨日 思い切って車を飛ばした

日頃ボランティアなどでチョロチョロ走っているが 高速道は気持ちが良いものだ

 

もう少しで九十九里波乗り道路に出る直前に 真亀のパーキングがある

ここにある光太郎と智恵子の銅像に その由来がある

晩年の智恵子は 光太郎の愛に包まれているが 身体は蝕まれ統合失語症にもなる

 

 

実家である東北道 郡山の先にある造り酒屋は 今でも観光名所である

ところが嫁いだ後 実家は破産 以前から病んでいた肋膜炎も症状が進む

光太郎が2週間三陸の旅に出た時 睡眠薬の服毒自殺もはかった

 

精神病にもなり 過去を全て失った智恵子に 癒しの場があればと連れて行った

この近くの松林に別荘を持ち 7か月の間 智恵子を海岸に誘う

もう記憶も何もない智恵子 ただ童女となって 千鳥と戯れるだけである

 

 

最期は品川の精神病院で 肺結核を発病して 50年余の生涯を閉じる

いまわの時 光太郎がレモンを与える

これを数滴 嬉しそうに飲み この時だけ意識が正常に戻ったように見えたと言う

 

レモン哀歌


そんなにもあなたはレモンを待っていた
かなしく白くあかるい死の床で
わたしの手からとった一つのレモンを
あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ

トパアズいろの香気が立つ
その数滴の天のものなるレモンの汁は
ぱっとあなたの意識を正常にした
あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ

わたしの手を握るあなたの力の健康さよ
あなたの咽喉に嵐はあるが
こういう命の瀬戸ぎわに
智恵子はもとの智恵子となり
生涯の愛を一瞬にかたむけた

それからひと時
昔山巓(さんてん=山頂)でしたような深呼吸を一つして
あなたの機関はそれなり止まった

写真の前に挿した桜の花かげに
すずしく光るレモンを今日も置かう

 

写真の前に 今日もレモンを置こう

高村光太郎の 智恵子を想う心は切ないくらい崇高である

智恵子抄の歌が良くうたごえでリクエストされる この歌が愛される所以だ

 

 

樹下(じゅか)の二人

あれが阿多多羅山(あたたらやま)
あの光るのが阿武隈川(あぶくまがわ)

 

あどけない話

智恵子は東京に空が無いといふ
ほんとの空が見たいといふ
私は驚いて空を見る

 

いずれも智恵子の没後 光太郎が偲んで書いた詩集の一節である

2編とも この後にひしひしと智恵子を思い 智恵子を描く詩が続く

若い時だけでなく こうして錯乱の晩年になるまで愛せる姿が尊いといつも思う

 

 

     最後までお読みくださいまして有難うございました m(_ _)m

 

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コメント (12)
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