のびたとブレイク

生き生きと第三の人生を歩んでいます
うたごえ ウォーキング ボランティア 時々花と金魚

この道は いつか来た道

2016年02月27日 07時47分13秒 | 旅行

この道

この道はいつか来た道
ああ そうだよ
あかしやの花が咲いてる

あの丘はいつか見た丘
ああ そうだよ
ほら 白い時計台だよ

この道はいつか来た道
ああ そうだよ
お母さまと馬車で行ったよ

あの雲もいつか見た雲
ああ そうだよ
山査子(さんざし)の枝も垂れてる

 

この曲が ふと頭に浮かぶことがたびたびある

車で走って居ても 家に居ても 何かの想い出が浮かんだ時に自然にメロディが出る

北原白秋が晩年旅した北海道と 故郷の柳川の想い出が刻まれている歌だ

 

 

23日に ふっと訪れた高村光太郎の妻 智恵子の無心に戯れた九十九里

そこから海岸線を南に下ると 房総半島は南端 白浜辺りまで高速道路は無い

かつて この道は数えきれないほど車で走ったり バスで揺られたものだ

 

見えてくる建物や 景色は 50年前とは大きく変貌しているが 道はそのままだ

道に沿ってあった家々やホテル 遊園地も今はどこにも面影も無い

時代の流れが変わり そこにあった生活も象徴も変わって行ったのだ

 

まだ幼かった子どもを連れて 家族旅行にも行ったっけ

グループでドライブもした ツアーバスでお客であったり添乗員でもあった

うたごえバスでは 車内で童謡唱歌も多く歌った 月の砂漠 や 浜千鳥

 

 

幹線道路を車で走っていたら そんな想い出が次々と出てくる

大東岬の標識が見えた あるのは知っていても そこへ寄ったことは無い

岬 この言葉には 一文字で浮かぶ情景は 数々浮かんでくる

 

映画の主題歌 喜びも悲しみも幾年月 や フォークソングの 岬めぐり

みだれ髪 瀬戸の花嫁 二十四の瞳 など 何故か言葉に詩情がある

一車線の道を 少し曲がりくねって 小高い丘の上に立つ

 

 

灯台がある 幾分 幹の先端より離れている

崖の端に 戦争の遺跡が残されていた

迫りくる米軍の空襲に対して ここに機関砲やレーダー基地を置いたのだ

 

 

5歳の時に 茨城・荒川沖の予科練のそばに 短い期間 住んだことがある

空襲のアメリカ機の編隊が それこそ あの雁が渡る様に隊列となっていた

そのうちに 機銃掃射の音が聴こえてきたが その時は防空壕に私は居た

 

小さな岬の上には 地元の女性が数人 談笑をしている

それ以外は 静かに拡がる展望と 波の音だけが繰り返されていた

もう引き返そう 今度は 今来た道を北に向ける

 

 

東金の市街に出る いつもは 通り過ぎる街

最近ネットで見た 八鶴湖が近い ここも小高い丘の上にある

人影が見えない 小さな湖畔 桜の樹が多く見られ 満開には賑わうのだろう

 

 

重要文化財にもなっている旅館 八鶴亭が存在感がある

残念なことに休業日であるが ここで味わう懐石料理が評判らしい

帰り道は高速道路だが ここも 私の中の この道 である

 

 

     最後までお読みくださいまして有難うございました m(_ _)m

 

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コメント (14)
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