のびたとブレイク

生き生きと第三の人生を歩んでいます
うたごえ ウォーキング ボランティア 時々花と金魚

それぞれを 過ごしバンドも 半世紀

2016年10月18日 08時54分17秒 | うたごえ

昨日の東京は気温17度 札幌や青森より下回る そして雨の一日だった

来月の本所での下町のうたごえ 私のコーヒーブレイクが友情出演する

その準備の曲目も決めて 楽譜を4人分作成した

 

バンドとして出るのは嬉しいが 構成メンバーが減ってしまい少し寂しい

永く一緒に活動したメンバーは ピアノ ベース ドラム リズムギター リードギター

それとパーカッション あとは 何でもさせてきたマネージャー兼ソロシンガーである

 

これが結成以来 50年近くになると 高齢化で身体の不調となり出演出来ない方も出る

3名が抜けて 今度11月に2度ある機会は 4名で演奏することになる

途中でのメンバー交代もあったが 今度出る私を含めて男性3名は創部以来共にしてきた

 

 

コーヒーブレイクは 会社内の部活動として 正式に発足したのが40数年前である

それまで非公認で活動をしていたのが数年あり この3名は特に50年近いバンド活動だ

マネージャーでさえ 30年近く パーカッションをさせたり 前座で歌わせたりしてきた

 

会社の倉庫にオルガンが使用もせずに片隅にあった

その昔 コーラス部があったと言う ふたを開けて鳴らせば音が出る 足踏み式のものだ

これが私をピアノに誘うきっかけとなった

 

ピアノを習いに行くのは嫌だ 今のように中高年が気楽に始める時代では無い

ましてや あの音階だけの指運び そして 注意されるのが嫌なのである

最初から 遠くに行きたい の楽譜を置いて 右手 左手で挑戦する

 

これはなかなか思うようにいかない 時には足で踏むことを忘れる

右手を集中すれば左が分からない まず指を置いて鳴らす 次も確かめて音を出す

まあ この期間の長いこと どのくらいだったか覚えていない

 

ただし この曲が何とか つっかえながらも弾けるようになると 同じような曲を試せる

こうして いくつかの曲が未熟ではあるが 聞けるようになって行った

そこで 社内にいた楽器のできる奴 ギターとベースの現在の彼等と話が合った

 

バンドを作ろう すぐ決まった 練習場は非公認の社内の小屋である

ギターはエレキで現役で他所でも活動している ベースは同じくハワイアンバンドに居る

素人は私だけである いつも足を引っ張る それでも彼らは腹を立てたり注意はしない

 

小屋で練習していると 同じ工場の連中が入ってきて 酒を飲みながら聴いている

そのうちには 俺に歌わせろとなり 恰好の練習材料にもなるから 喜んで伴奏した

いつしか たまり場となって 練習を始める前に飲む 中間で飲む 終わって飲む

 

40年前くらいだろうか 八王子の老人ホームに慰問に行く

生きていてよかったと入所の方が喜んでいた 生バンド演奏何て当時は無い

熱心に支援していた真ん中の男性 同じ会社だが 今は故人となってしまった

 

私は飲めないが いつの間にかリーダーとなって行った

社内の催しに出るようになる 運動会の応援に恥ずかしくなくバンドで出る

何と言っても 足踏みオルガンとエレキギターとベースはウッドベースと言う組み合わせなのだ

 

当時は部活動が盛んであった 申請して通れば補助金も貰える

これを目当てに創部したのが40数年前である 社内で唯一 部室も確保できた

それからは目覚ましい 社内の納涼祭 街の老人会 納涼会 ボランティアにも出る

 

会社では定時間後 金曜パフと称して 安く飲める場所を提供した

バンドは必ず出て 酔って心地良い男性たちが歌う

夏になれば 話題の豊洲でビアガーデンが何回か開催される

生協が主催 ギャラはビールを飲ませること おつまみを食べさせること

議員さんの後援会の主力の方 喜寿の祝い 福島・母畑温泉の八幡屋

千葉 薬湯健康ランド 次々とスターのようにバックバンドで歌う

 

私が内外の依頼を受ける 報酬が無いのに メンバーは喜んで活動する

会社がおわってからとか 休日であっても来てくれる 文句は言わない

音楽で結ばれたメンバーの絆である 私の定年後も活動は続く

 

健康ランドでは 売れない歌手よりお客様がいっぱい集まる

中野の商店街でのボランティア演奏

上は介護施設でのボランティア

クラブツーリズム本社貴賓フロアで うたごえの集い

下は数年前 ある介護施設

 

だが最近 病気で付いてこられない 寂しいが仕方がない

半世紀も共に活動してきて 内部で乱れない 解散も無い 出演機会が減っても続く

こんな人生を歩いて 今が生き生きと出来るのも 彼等に感謝でもある

 

それぞれの家庭は 波乱万丈もある

みんなが乗り越え 音楽でつながった友情でもあるのだ

そして その恩義を私は あちこちに おすそ分けして元気と笑顔に変えていく

 

ドラムが居なくなった 雑用何でもさせるマネージャーに依頼をした

このこと予想して ヤマハの電動ドラムセットを購入していたのである

彼女は雑務一切を引き受ける パソコンも駆使する プロジェクターも担当だ

 

ドラムは叩けば本物に近い音が出る しかし リズムボックスも内蔵している

決めた曲のリズムを探り速さを入力する 昨日は何時間か二人で調整した

これに合わせ ピアノやギター ベースが付いて行けばよい

 

ダンスパーティのバックバンドをしたことも思い出した

このリズムは難しい マンボ チャチャ ルンバ タンゴ ボサノバなど多様である

私などは カラオケボックスにも行って 未知の分野を取り込んでいったものである

 

97年の写真 まだ若かったぁ~

 

 

       最後までお読みくだ-さいまして有難うございました m(_ _)m

 

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