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愛宕山の柚子発祥地

2013-11-20 20:42:48 | 山も海も 晩秋の花旅

 

 京都府立植物園を出てナビへ、愛宕山の麓である左京区嵯峨愛宕町を入力しました。

 

 車は丸太町通りを西へ走り、嵐山から北へ向かいます。

 

 久遠寺横を過ぎて、細い道を曲がりながら、くねくねと峠を登り始めました。

 

 後で調べると、どうやら六丁峠(171m)だったようです。

 

 峠の急斜面を下り、桂川に沿って走ると、川の対岸に保津峡の駅が見えてきました。

 

 カーブ先の離合困難な場所で、対向車との擦れ違いに10分程も掛かったりしながら、更に先へ進んで行くと、柚子の里と表示された水尾集落へ出ました。

 

 京都市内からほんの数キロの場所なのに、まるで飛騨の山奥のような雰囲気です。

 

 京都も奥が深い。

 

 やがてナビは、杉林に包まれた辺りで、目的地に着いたことを告げましたが、案の定、花の百名山である愛宕山は見えてきません。

 

 尾根筋へ登って行く林道のような道を走り続けますと、右手杉林の斜面の上に空が覗きました。

 

 幸い、車を停められるスペースを見付けたので、車を降りて、強引に50m程も杉林の斜面を登って行きました。

 

 尾根の上に出て、最初に目にしたのがこの光景です。

 

 

 目の前のピークが愛宕山なのでしょうか?

 

 地図を持ってこなかったので見当が付きません。

 

 今居る場所の左手200m程の尾根上に送電線の鉄塔が見えます。あそこまで行けば、視界が開けるだろうと、ススキ繁る踏み分け道を登って行きました。

 

 しかし、鉄塔のある場所まで行っても視界は開けず、その先へ、更に尾根は上っています。

 

 此処まで来たのだからもう少し、と登って行くと、踏み分け道は杉林の中に続いていますが、何だか不思議な光景です。

 

 

 ムムム、これは、ただの山道ではなさそうですね。

 

 苔むした石標も目にしました。

 「従是保津峡 明治十?年」などという字が読みとれます。

 

 

 しかし、だんだんと辺りは薄暗くなってきました。

 

 こんな所で熊や猪にでも出くわしたら、ただではすみそうもありません。

 

 冒険心はほどほどにして、暗闇迫る前に、車へと戻ることにしました。

 

 杉林をゆする風にススキの穂が揺れていました。

 

 

 後から地図で確認すると、この時は、京都市と亀岡市の境となる尾根を彷徨っていたようです。

 

 私はこの後、京都市左京区最奥の嵯峨越畑を抜け、国道9号線を福知山まで走りました。

 

 福知山に着くと、まずは銭湯を探して汗を流し、閉店間際のスーパーマーケットで幕の内弁当と鯖煮の缶詰を買い求めました。

 

 その後更に、丹後大江山の麓のパーキングエリアまで走り、三日目の夜を過ごすこととしました。

 

 

 柚子の里と称する水尾集落が気になったので、少し調べてみました。

 

 愛宕山の中腹にある水尾集落は、日本の柚子の発祥地だそうです。

 

 古くは水雄(みずのお)と呼ばれ、700年代に光仁帝や桓武天皇が遊猟されたことが「続日本記」などに記載されているようです。

 

 昔は丹波から都へのぼる道は「水尾」と南の「老ノ坂峠」しかなく、繁盛した頃は百を超える戸数があったようです。

 

 日本の柚子発祥の地である水尾では、数軒の民家が開放され、柚子風呂や鶏なべを楽しませてくれるそうです。

 

 あ~ぁ、こんなことを知ってしまったら、これはもう気になって、気になって。

 

 これは、柚子の花咲く頃に是非もう一度。

 

 愛宕山に登った後で、水尾の里で柚子風呂と鶏なべを、などと考えただけで、ムフフフ、幸せな気分がひろがってきました。

 

 

 

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