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秋田での大きな勘違い

2019-09-15 11:37:14 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道

 

 羽越本線は羽後本荘辺りで一旦海岸から離れましたが、羽後亀田駅を過ぎてほどなく、再び海の見える場所をはしり始めました。


 「岩城みなと」を発車した頃、日本海に沈み始める夕陽が車窓を照らし、電車が線路に奏でるリズムも、心なしか先を急ぐ音色に変わりました。

 

 

 並走する国道7号と海岸との間のマツ林を眺めていたら、4年ほど前に秋田市内でマツ葉の長さを測ったことなどを思い出しました。


 あの時も今日も、「世はすべてこともなし」のままに一日が過ぎ去ってゆきます。

 

 

 電車はやがて雄物川を渡り、

 


 18時19分 秋田駅に到着しました。


 私は昨年も、それ以前も、幾度も秋田に来ていますが、いつも車の旅でしたから、秋田駅に足を運ぶのは数十年ぶりです。


 駅周辺の変わりように、本当におどろきました。

 

 

 記憶にある秋田駅は、駅前ロータリーを渡ると、木造二階建ての居酒屋が並ぶ繁華街があって、そのうちの一軒の「忍」という、小さな小上がりとカウンダーだけの店で、しょっつる鍋に高清水のお銚子を2本、のイメージなのですが、それは40年以上も前の話ですから、驚くのも当然です。


 人生を振り返ればあっという間の出来事でした。


 足元に想い出だけが散り積もります。

 

 

 秋田で1時間程の待ち時間があったので、「忍」のような店を探し、西口を10分ほどもうろついたのですが、全ての店がビルに納まり、ノスタルジックな雰囲気を求めるのは勘違いだと、早々に気付かされました。


 そこで目にした西武の食品売り場へ足を運び、夕刻のタイムセールで3割引きになった弁当と500㏄の缶ビールを手に、19時30分発の青森行き快速電車に乗り込みました。

 

 

 発車まで数分の時間がありましたが、健康的な体躯の高校生がロングシート席の8割方を占め、ほぼ全員がスマホを覗き込んでいました。




 自動化された車内放送は標準語で、乗客の声は全く聞こえません。


 東京からはるばる数百キロを旅してきましたが、「人混みの中に、そを聞きに行く」のような旅愁を期待したことが大きな勘違いでした。


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荒野への憧れがあったあの頃

2019-09-14 11:31:50 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道

 

 跨線橋を渡り、隣のホームに待つ秋田行きの電車に乗り換えました。

 

 秋田行き普通電車は酒田駅を16時30分に発車しました。

 


 

 電車は2両編成のワンマンカーで、運転席の横に運賃表示板が設けられています。

 

 無人駅から乗る客は、車両後方ドアに設置された整理券発券機から番号札を取ります。

 

 乗車する駅ごとに札番号が変わり、下車駅に着くと、運賃表示板に示された整理券番号で運賃を確認して、運転席横の運賃箱に運賃と整理券を入れて下車します。

 

 都会では見られないシステムですが、青春18きっぷの旅客は、該当する路線であれば乗り降り自由なので、18きっぷを運転手に示すだけで下車することができます。 

 

 

 筆者は鳥海山が見たくて、進行方向右側の席に座りましたが、山は厚い雲に覆われていました。

 

 

 吹浦駅を過ぎた辺りで、電車は再び海岸線に出ました。

 

 夕暮れが迫りきて、いつの間にか車内に灯が灯されていました。

 


 

 日本海がいぶし銀に染まり、白いさざ波が磯を洗います。

 


 

 電車は駅に着くたびに丁寧な停車と発車を繰り返しました。

 

 小高い場所の女鹿駅から、密集する集落が眼下に見えていました。

 

 

 雪降る季節ともなれば、海も空も家も、全てが鈍色の光に包まれるはずです。

 

 私は半袖カッターシャツ姿で、晩夏を走る電車の窓から外を眺め、冬の景色を想像しました。

 

 若い頃は、激しく厳しい、清冽な雪の荒野に憧れたことを思い出しました。

 

 綺麗なものが見たいだけで、厳冬の山に登ったあの頃を思い出していました。

 

 

 女鹿駅を過ぎた辺り、山形県と秋田県の県境で、沖に小さな島影を見出しました。

 

 飛島です。

 


 

 私が最初に飛島を知ったのは、全国のニッコウキスゲの群落地を調べる作業中でした。

 

 そしてそれ以来、一度は訪ねてみたいと思ってはいるのですが・・・

 

 与えられた人生の時間と体力が減りつつありますので、早くいかなければなりません。

 

 そして今回、ネット検索で面白いページを見つけました。

 

 山形県の飛島にゲストハウスをつくる。

 

 応援したくなります。

 

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最上川河口の街 酒田

2019-09-13 10:17:09 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道

 

 列車は15時39分に鶴岡を発車しました。


 庄内といえば最上川なので、意識して車窓を眺めていたのですが、鶴岡を出てすぐに渡った川は赤川でした。


 この川は朝日山系の以東岳付近を源流とし、流れ始めから河口まで山形県内を流れる一級河川です。



 

 庄内平野に広がる緑の田の先に、煙を吐く煙突を見かけました。


 鶴岡の工場で物を作っても、運送に費用がかかるハンディがあると思うのですが、何を作る工場なのでしょうか。

 


 やがて待望の最上川を渡りました。さすがにスケールの大きな川です。


 ところで以前から不思議に思っているのですが、松尾芭蕉が「五月雨を集めて早し最上川」と詠われた最上川を、船が下った後、エンジンのない船はどうやって、川を上っていったのでしょう?


 帆を張った? 人が手で漕いだ? 岸から曳いた?


 どなたか、ご存知ありませんでしょうか。



 

 そんなことを考えているうちに、列車は酒田駅に到着しました。

 



 乗り換えの電車は隣のホームから13分後に発車します。


 酒田駅構内を移動していますと、酒田の名の由来が掲示されていました。


 最上川と日本海が出会う狭い潟を意味する狭潟、砂の干潟で砂潟、坂田、逆陀、酒田などから酒田が残ったそうです。


 江戸時代前期に整備された西廻り航路が整備され、最上川舟運との結節点として日本海有数の商港となったそうです。

 



 酒田の「みどころ」も紹介されていました。

 

 

 「日和山公園」 日本最古級の木造六角灯台


 

 「土門拳記念館」 酒田出身の写真家の作品を展示。

 


 の二か所は訪問済みですが、

 

 

 

 「山居倉庫」 明治26年(1893年)に建てられた米の保管倉庫


 

 「旧鎧屋」 酒田を代表する廻船問屋弘化2年(1845年)再建。


 

 「相馬楼」 江戸時代から続く料亭相馬屋を修復。

 

 

 などは見落としています。


 

 筆者の旅は、花を見ることが主目的ですから、旧所名跡などは後回しになります。


 

 ではありますが、次回訪問時には、必ず訪ねてみたいものです。

 


 

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こばと(小波渡)という名の駅

2019-09-12 15:17:20 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道

 

 羽越本線は新潟と青森を結ぶ国道7号と並走して北へ向かいます。

 

 国道7号が山形県に入った頃から、地図によって、国道7号は「おばこおけさライン」の愛称が使われます。

 

 気になって調べてみると、山形と秋田の沿岸部を南北に結ぶ街道を羽州浜街道(うしゅうはまかいどう)と呼び、酒田より南は越後街道、北は酒田街道と呼ばれたそうです。

 

 鼠が関までの北国街道から伸びるため、北国街道と呼ぶこともあるそうです。

 

 はっきりしませんが、多分「おばこおけさライン」は坂田街道の愛称か、あるいは羽州浜街道全体の愛称として使われているようです。

 

 誰かが名付けた訳ではなく、旅人が呼び習わした愛称のようです。

 


 

 列車は15時頃に「こばと(小波渡)」という名の駅に停車しました。

 

 「こばと」という名が気になってネット検索すると、「藤沢周平と庄内」という山形新聞のページを見つけました。そのページに小波渡と隣町の三瀬を舞台にした「三年目」という物語が紹介されていました。

 

 三瀬(さんぜ)の茶屋につとめるおはるは17歳の夏、男に「三年後に迎えにくる」と言われ娘盛りの季節を待ち続けました。

 

 そしておはるが20の夏に帰ってきた清助は、もう3年待ってくれと言うのです。

 

 おはるは一旦断りましたが、次の日の朝、峠を越える清助を追って、舟で近道して小波渡の浜へ向かいました。

 

 山形新聞の記事を読めばきっと、小波渡の様子を理解することができると思います。

 


  

 列車は小波渡を過ぎ、隣の三瀬駅の手前で進路を内陸部へとカーブしました。

 

 周囲に再び緑豊かな田が広がり、この庄内平野も水に恵まれた豊かな土地であろうことが想像できます。

 


 

 幾つかの田は、黄緑色く染まり、季節の移ろいを告げていました。

 


 

 そして定刻の15時27分、村上を出発した気動車は長旅の疲れも見せず、無事鶴岡駅のホームに滑り込みました。

 


 

 私は今朝の3時半ごろに自宅を出て、12時間も電車を乗り継ぎましたので、流石に腰のあたりにけだるさを感じ始めていました。

 

 ホームに降りて体を動かし、自販機の炭酸飲料で喉を潤しました。

 

 数十年ほど前に、月山に登った帰りに鶴岡駅前のビジネスホテルに泊まり、近くの寿司屋で日本海の岩ガキを食した思い出があります。

 

 あの時飲んだ麗しい酒の名は思い出せませんが、あの頃に比べ、山形にも美味しい酒が本当に多くなりました。

 

 2015年に鶴岡を訪ね、月山の麓の村で見つけた一升ビンの月山ワインは、東京でも手に入り、いまも愛飲しています。

 

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新潟県から山形県へ

2019-09-11 11:37:50 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道

 

 

 酒田行の気動車(ジーゼルカー)は定刻通りに村上駅を発車しました。

 



 村上駅を出てからしばらくすると、気動車は海岸沿いをはしり始めました。


 車窓に瀬波温泉の松林が見えていました。


 これから先は葡萄山塊が海に迫り、岩の海岸の景色が続きます。

 



 海岸をはしる羽越本線に国道345号が並走します。


 新潟市から青森市へ続く国道7号は葡萄山塊新保岳の裏を抜け、勝木で海岸に出ますが、今見る場所に主要国道を整備するのは無理があったようです。

 



 列車が桑川駅を過ぎた頃、海の先に薄っすらと粟島の影が見えてきました。


 そして多分、この辺りが名勝の笹川流れなのでしょう。



 

 列車は岩礁の内側を縫うように走り、島の姿を撮るのに苦労しましたが、何とか一枚だけ手にすることができました。


 粟島は、村上市の岩船港からフェリーで90分ほどの距離にある、周囲23㎞ほどの小さな島ですが、オオミズナギドリやウミウの繁殖地としても知られています。

 



 列車は海岸にしがみつくように庇を並べる家並を眺めながら北上します。

 



 そして列車は鼠ヶ関に停車し、新潟から山形への県境を越えました。


 

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村上で駅の周囲を散策

2019-09-10 13:09:45 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道

 

 日本の国土面積は37万8000平方km、その約3分の2が森林で、森林は68.5%を占めます。


 日本は海に囲まれ、その海に沸いた雲が森に雨を降らせ、森が貯水池となって、流れ出る水が田を潤します。


 イネは畑作物と違って連作が可能なので畑作ほどに広い土地を必要としません。


 イネは平野の少ない日本に適した作物なのです。


 今から300年ほど前の江戸時代、江戸が人口100万人を超える世界有数の大都市となれたのも日本全土に稲作が定着し、安定的に都市に食料が供給されていたからに違いありません。


 森から流れ出る水が育てる稲で、安心して暮らせる人々が江戸や全国の都市で、そして村々で育んだ教養と文明が、日本人が明治維新を乗り切る際の大きな原動力となったはずです。


 食料を安定して供給する稲作に適した自然環境は、日本という国の歴史を考えるとき、常に意識しておくべき条件と思えるのです。

 

 

 電車は、新発田で羽越本線に入り、終着の村上駅を目指しました。


 車窓には、緑の田の上に白い雲が浮かび、その緑と白の狭間に、蒼色の森に包まれる朝日岳らしき山容が望めました。


 この時見えた、緑の田と白い雲と蒼い森の三位一体の光景は、日本文化を育んだ原風景そのものなのです。

 

 


 電車は12時57分に村上に到着しました。




 乗り継ぐ酒田行電車は13時47分に発車します。


 50分ほどの時間を得て、村上市街を散策することにしました。

 



 「青春18きっぷ」は普通列車が1日乗り放題なので、改札で切符を駅員に示すだけで、自由に改札を出入りすることができます。


 村上は人口6万の新潟県最北の市で、雅子皇后の御実家である小和田家ルーツの地としても知られています。


 三面川の鮭や村上牛が名産で、市街地には、職住一体型の建築様式である町屋が保存再生され、城下町としての面影が残ることでも知られています。


 駅前広場には、小学校唱歌の「汽車」のレリーフが飾られ、この歌が村上出身の大和田愛羅の作曲である説明が添えられていました。

 



 駅前広場横の観光案内所で、待ち時間内に散策できる場所を教えてもらいました。

 



 駅前広場の先の十字路を左に曲がり進むと、肴町の掲示が見えてきました。

 

 


 その先の交差点を右へ曲がりました。

 なんの変哲もない、普通の田舎町の光景が見えました。

 



 その道を進んで行くと、村上の作家や伝統工芸士の作品を展示販売する「やまきち」というギャラリーがありました。


 このような格子窓を持つ外観が町屋の特徴だそうです。

 



 時間が少ないので素通りし、通りの先へ歩を進めました。


 次の交差点の角で「ゑびす屋」を目にしました。


 「ゑびす屋」は大工を生業にするご主人が、仕事の減る冬場に作る木工製品を展示販売するそうです。



 村上市で著名な町屋はこの交差点を更に先へ進んだ辺りだそうですが、この場所で右折して、駅へ戻る方角へ歩を進めました。


 以前のブログにも書きましたが、筆者は数十年も前から時計を身に付けていません。


 国内旅行では、どこへ行くにも、時刻と時間は勘が頼りです。


 時刻を確認したいときは、都会ではコンビニや商店などで時計を覗き見ますが、この辺りにそのような施設は見当たりません。


 次の酒田行の電車に乗り遅れれば、全ての計画に影響します。


 街の雰囲気は味わえましたので、早目に駅へ戻ることにしました。


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新潟県は人口が日本一だったことがある

2019-09-09 16:45:17 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道

 

 信越本線の新潟行き快速電車は、長岡駅を10時29分に発車しました。

 



 土曜日昼前の電車に、若い多くの人達の姿を見かけました。


 新潟市内のデパートなどへ買い物に行くのかもしれません。

 



 列車が混んでいたので、車窓の景色をカメラに収めることは殆どできませんでした。


 ですが、車窓から見える三条市の丘陵地に咲くヒメサユリ、加茂市にある加茂山公園のユキツバキ群生地など、この辺りも興味深いエピソードが豊富なので、いずれかの機会にご紹介したいものです。



 加茂山公園のユキツバキ


 長岡駅を出た快速電車は1時間後の11時29分、時刻表通りに新潟駅に到着しました。

 


 新潟で12分の接続時間を経て、白新線の村上行きに乗り換えます。


 白新線に乗るのも初めてです。


 但し、白新線を利用するのは初めてですが、車で何度も沿線の村や町を訪ねましたので、地域の状況は十分に理解できています。


 この先の駅では、食事にありつけそうもなく、新潟駅の短い時間内に駅弁を購入しました。


「えんがわ押し寿司」や「村上牛しぐれ」なども気になったのですが、イクラや舞茸の味が楽しめる「新潟 彩ちらし」に決めて、日本茶のペットボトルも購い、電車が走り始めると同時に、膝の上に弁当を広げました。



 

 車窓には、近代的な装いの街が後方へ流れ過ぎます。

 



 電車はほどなく、阿賀野川を渡りました。


 阿賀野川は、栃木県と福島県の境にある荒海山に源を発し、最初は荒海川、途中から阿賀川と名を変えて会津盆地に入り、会津から新潟県に入ると阿賀野川と名を変える、日本第10位の一級河川です。


 日本最大級の水量を誇り、日本一の穀倉地帯を潤します。



 

 車窓の両側に緑豊かな田んぼが広がりました。

 



 電車は12時23分に加治川を渡りました。


 加治川は、筆者が一度は登りたいと思い続ける飯豊山を源流とします。



 

 川を渡れば、その岸辺からすぐに稲穂のなびく田が広がります。


 


 そして荒川を渡りました。


 荒川は、朝日岳山塊の大朝日岳を源流とする川で、日本一きれいな一級河川のひとつと評されます。



 

 新潟県の東には脊梁山脈が連なり、冬になると日本海で生まれた雲がそれら山脈に雪を降らせ、その雪が豊かな水源となってイネを育ててきました。


 今から145年前の1874年(明治7年)、新潟県は県の人口が日本一だったことがあります。


 そのときの人口は150万を越えていたそうです。


 三年後の1877年に、石川県が富山県と福井県の多くを編入したことで、一位の座を石川県に譲りましたが、


 そのような人口構成の背景に、稲作に適した気候と、海運全盛期の「北前船」の拠点であることが寄与していたようです。


 車窓に広がる豊かな田を眺めていると、さもありなんと思えます。


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魚野川の恵み

2019-09-08 13:51:51 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道

 

 それにしても、美しい田園風景です。


 冬になれば、身動きできぬ程の豪雪に降り込められますが、その豪雪が豊かな水源となって春の田を潤します。


 魚沼地区は、山に囲まれた地形が昼夜の寒暖差を大きくし、美味しいお米を育てるそうです。


 豊富な雪解け水が米に十分なミネラルや栄養を与え、日中に光合成で作られたデンプンが夜間の低温で定着しやすくなり、お米が美味しくなるのだそうです。

 



 そんな光景の中、五日町を過ぎた辺りで大きなカントリーエレベータを目にしました。


 米の貯蔵施設であるカトリーエレベータは東京都や神奈川県にはなく、千葉に1基、埼玉15基ですので東京に住む人が目にする機会はほとんどありません。



 

 浦佐を過ぎた辺りで、電車は魚野川に沿ってはしり始めました。


 魚野川は谷川岳を源流とする一級河川で、魚沼地方を北方へ流れ、長岡市付近で信濃川と合流します。


 豊富な水量と水質を誇り、豊かな水とコメに恵まれた魚野川の流域には、清酒八海山や久保田などを醸す蔵元が全国に名を馳せます。


 魚野川は鮎やニジマス、イワナなども豊富で、魚野川の流れをせきとめた「堀之内やなば」で供せられる鮎の塩焼きや鮎飯は、この地を訪ねた時には必ず賞味すべき一品です。

 



 電車は只見線が分岐する小出に近づきました。


 筆者は昔、この町の旧家で、径50㎝ほどもある、ウルシ塗の見事な盃で鯉のコツ酒を振舞われたことがあります。


 輪になって囲炉裏を囲んだ客が、両腕に盃を捧げて回し飲むのですが、その酒に使われた鯉は、清冽な湧水に半年晒し、数か月囲炉裏で燻したそうで、燻製となっても見事な姿の鯉が朱塗りの大盃にどっしり横たわり、その鯉が熱々の酒に浸された姿と、その味の記憶は今でも鮮明に蘇ります。

 



 電車は10時ちょうどに小千谷に到着しました。




 昨今は着物を着る人も減り、小千谷縮を知る人は多くないでしょうが、小千谷縮みは苧麻(からむし)を使った麻織物で、国の重要無形文化財に指定されています。


 また、小千谷で元禄時代から縮問屋を営んでいた西脇家は、ノーベル文学賞候補に名が9度も挙がった、英文学者で詩人の西脇順三郎の生家でもあります。

 

 私は数十年前に新潟に暮らしていた頃、小千谷地区を担当していましたが、この街の方達には本当に親切にして頂きました。


 私は今でも感謝の気持ちと、小千谷には特別な思い入れを持ち続けています。

 

 数十年前の懐かしい思い出が、車窓を流れる景色に重なります。


 そして電車は、水上駅を出た後、国境の長いトンネルを抜け,106.5㎞をはしり続けて、無事終着駅の長岡に到着しました。


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駒子のイメージに重なる

2019-09-07 16:08:40 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道

 

 国境の長いトンネルを抜けると電車は緑に包まれました。

 

 

 山の斜面にスキー場が広がり、その裾野にリゾートマンションが聳えます。


 バブルの頃は数千万円もしたマンションも、今は100万程で手に入るらしく、老後は緑あふれる土地で、リゾートマンションをセカンドハウスに、山菜取りや渓流釣りをしながらのんびり暮らすのも悪くないかもしれません。

 

 

 それにしても群馬県側とは打って変わり、車窓に緑の田が広がり、山々の尾根が柔らかな曲線を描きます。


 群馬県側は、赤城山や妙義山に限らず、山容がごつごつした印象ですが、新潟県側の山は、日本列島が成立した頃からの豪雪に削られ、「雪国」のヒロイン駒子のイメージと重なる、嫋やかな姿を見せています。 

 

 

 レモンイエローと淡いピンクのラインに彩られた電車は、9時ちょうどに越後湯沢駅のホームに停車しました。

 

 

 隣のホームには、魚沼丘陵を抜けて六日町から十日町へ、更に東頸城丘陵を横切り上越市へと走る、ほくほく線が発車の時を待っていました。

 

 

 私の乗る電車は越後湯沢を出たあと、六日町盆地を北上してゆきます。

 

 車窓の両側に田園風景が広がります。


 この辺の田に稔るのが有名な魚沼産のコシヒカリです。

 

 越後三山の頂きが雲に覆われていました。

 

 

 上越国際スキー場前駅にお洒落な建物を見かけましたが、夏は扉を閉ざしている様です。

 

 

 ほくほく線が分かれる六日町駅に停車しました。

 

 新潟市に住んでいた頃、週に一度は仕事でこの町に通っていました。 

 

 この町での業績が寄与して、全国表彰された嬉しい記憶が蘇りました。

 

 

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国境の長いトンネル

2019-09-06 13:12:37 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道

 

 電車は6時55分に高崎に到着しました。

 

 上野から1時間42分かかったことになります。

 

 筆者は山茶花の咲くシーズンになれば、一般道を使って、毎年3時間ほどかけて車で隣の前橋市に来ていますが、それに比べれば、あっけない程の旅のスタートとなりました。

 

 

 17分の接続時間を経て、上越線の水上行き電車に乗り換えました。

 

 上越線に乗るのも、70年弱の人生で全く初めての経験です。

 

 上越線といえば、川端康成の「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」の一節を思い浮かべます。

 

 中学生の頃だったと思うのですが、本棚にあった川端康成短編集で「雪国」を読んで以来、頭に描き続けてきた光景に出会える期待に胸が膨らみます。

 

 電車はしばらくして利根川を渡りました。

 


 

 車窓右手にギザギザしたシルエットを見せる赤城山が白い夏雲をたなびかせていました。

 


 

 電車は利根川の右岸から左岸へと、川を縫うようにはしり続けます。

 

 岩本駅付近では、綾戸ダムが堰き止める利根川が、モスグリーンの川面に山影を映していました。

 

 

 

 そして電車は8時5分に後閑に停車しました。

 


 

 筆者は後閑という地名を初めて目にしましたが、後閑の名は戦国時代に新田伊勢守信純が群馬県安中市の後閑を所領し、後閑氏と改姓したことに始まるようです。

 

 しかし、ここは安中市とかなり離れたみなかみ町でので、この場所が後閑である所以は謎のままのようです。

 

 今回のような普通電車の旅は、見慣れぬ地名に出会い、その地名に思いを馳せることの楽しさを知りました。

 

 水上に8時17分に着き、8時28分発の上越線長岡行きに乗り変えました。

 


 

 水上駅を出た後、9分ほどで土合駅に到着しました。

 


 

 土合駅に到着すると、数多くの登山客が下車してゆきます。

 

 土曜の始発電車なので、乗客の半分以上が土合で下車したようです。

 

 土合駅は新清水トンネルの中にあって「日本一のモグラ駅」と称されます。

 

 トンネル内のホームから地上の駅舎まで高低差は70mもあり、地上に出る為に462段の階段を上るそうです。

 

 しかし私はこの時点で、土合駅の構造を十分に理解していませんでした。

 

 この記事を書くに当たって、ネット検索で知ったのですが、土合駅の地下ホームは新潟へ向かう列車の下り線専用で、上り線ホームは地上にあります。

 

 土合駅の状況を説明する概念図を書いてみました。

 

 

 群馬県水上と新潟県湯沢を結ぶ清水トンネルが開通したのは1931年(昭和6年)のことだそうです。

 

 ウィキペディアの「清水トンネル」の項によれば、清水トンネルを挟む石打‐水上間は開業当時から電化されていたようです。

 

 やっぱり、そうですよね。

 

 蛇足ですが、実は川端康成の「雪国」(1935年から執筆)の外カバーに使われる絵の列車は全て蒸気機関車なので、煙を吐く蒸気機関車が長いトンネルを、どのように走り抜けたのか、常々不思議に思っていましたが、これで疑問が解けました。

 

 ま~しかしやっぱり、「雪国」を映像化するとき、電車でトンネルを抜けたら絵になりませんよね。 

 

 ということで、1967年(昭和42年)に新清水トンネルが開通すると清水トンネルは上り(東京方面)専用、新清水トンネルは下り(新潟方面)専用となり、下り線の土合駅は新清水トンネル内に作られ、ホームから地上へ出るまでに高低差70mの階段を上ることになったのだそうです。

 

 はい、これで長年の疑問が解消されました。

 

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 注意喚起

 「プロダクトキーが異常な状態と解決手順について」とのマイクロソフト発信を騙るメールを受信しました。

 Office Support<account-security-noreply@095.jp> 

 

 [大切]すぐマイクロソフトのプロダクトキーをご認証ください。さもなくば権限付与が中止されます! 

ご利用のオフィスソフトの授権が終了されてしまう恐れがあります!

 

 と記されており、IDを入力する直前で気付き、ネット検索で確認すると、フィッシングサイトであることが分りました。

 

 うぞ、皆様もご注意下さい。

 

 それにつけても「浜の真砂は尽きるとも、世に盗人の種はつきまじ」です。

 用心用心。

 

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青春18きっぷで北海道へ旅立つ 

2019-09-05 11:44:17 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道

 

 旅好きな人は誰もが知る「青春18きっぷ」は旧国鉄時代の1982年(昭和57年)に学生向け商品として発売されました。

 

 しかし、当初から利用者の年齢制限はなく、最近では中高年の需要が増加しているようです。

 

 2019年8月現在「青春18きっぷ」の価格は11,850円で、全国JR普通列車と快速列車の一日乗り放題5回分がワンセットで、使用期間内であれば、複数の日に一人で5回使うことも、5人で一緒に利用することもできます。

 

 実際の利用状況をネット検索して驚きました。

 

 「青春18きっぷ研究所」という「青春18きっぷ」がテーマのホームページがあって、<これまた驚き!> そこに以下のようなデータが紹介されていました。

 

 2012年度 65万枚

 2013年度 67万枚

 2014年度 69万枚

 2015年度 71万枚

 2016年度 73万枚

 

 ワンセット11,850円ですから、2016年度にJRが得た販売額は86億5千万円となります。

 この金額は筆者の予想をはるかに超えていました。

 

 2019年度の日本の大学入学者数が60万人ですから、それを上回る数の人達が「青春18きっぷ」を利用していることになります。

 

 筆者も大の旅行好きで、以前からそんな「青春18きっぷ」を使って旅をしたいと、PCで何度もシミュレートを楽しんできました。

 

 そしてとうとう、「青春18きっぷ」を使って北海道を往復してきましたので、その様子をご紹介しようと思います。

 

 

 先々週の土曜日、自宅付近の駅からJRを乗り継ぎ、上野発5時13分の高崎行き普通電車で、北海道への旅が始まりました。

 

 初日の目的地は青森で、到着予定は17時間後の22時13分です。

 

 青森から夜中のフェリーで函館へ渡り、始発電車で旭川へ向かいます。

 

 はたして、無事に到着できるでしょうか? 

 

 高崎行の電車は予定通りに上野駅を発車しました。

 


 

 こんなに早い時間でも、席はほぼ埋まり、立姿の乗客も見えます。

 


 

 車窓に流れる景色を眺め続けました。

 

 数十年ほど前、転勤生活で新潟に暮らしたことがあります。

 

 会議の為、月に一度は新幹線で新潟東京間を日帰りしましたが、在来線の高崎線に乗るのは今回が初めてです。

 

 今回の旅を決意した理由の一つに、東京新潟間を普通列車で旅するスケジュールだったことがあります。

 

 数十年前のあの頃、新潟東京間を新幹線で走り過ぎるだけでなく、いつの日か、谷川岳や越後三山をのんびり眺めて旅してみたいと、あの頃はそんな時間を手にする日々を夢見ていました。

 

 電車が上野駅のホームを離れて30分程、車窓に民家やビルが軒を並べる景色が続きましたが、埼玉県の上尾辺りから、少しずつ緑の景色が目に飛び込むようになってきました。

 

 一時間程経って熊谷を過ぎると、電車は何時の間にか、緑広がる畑の中を、快適な走行音を立てながら目的地へひた走っていました。

 

 日々の都会の暮らしの中で、めったに目にしない景色に、心が徐々にほぐれてゆきます。

 


 

 電車は倉賀野という駅に停車しました。

 

 こんな何気ない駅名が心に残るのも、日々のしがらみから心が解き放たれていたからに違いありません。

 


 

 旅に出るといつも、自分と異なる誰かが、景色を眺めるような不思議な感覚に囚われますが、この日も私は完全な旅人になりきっていました。

 

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