団塊シニアのひとりごと

定年退職して14年目になりました、定年後の生活で
日々感じたことを伝えたいと思ってます。

長い旅に出た妻を思う86歳男性

2022-12-17 05:05:40 | 夫婦

文芸春秋100周年記年号の中で五木寛之氏の心を打った「う

ましい死に方」には404通の投稿があり10編が選ばれ

た、そのなかで私が注目したのは86歳男性が書かれた「長い

旅に出た妻」進行性すい臓がんを患い余命半年と言われた妻を

見送った思い出を語った内容である。

 

40日間の放射線治療、自宅と地元の病院での約5ヵ月間の闘

病生活、60キロあった体重が40キロまでおちるほど体は衰

していった、余命半年延命治療は拒否、そんな苦しい状況で

も家事経験のない夫に3ヵ月間料理や洗濯など特訓、妻は死に

向かうというよりどこか遠い所へ旅行する気分だった、その後

容体が急変、夫と3人の子どもの前で力尽き静かに息を引取っ

た。

 

それから病院の枕元の机の引き出しを整理してたら弱弱しい文

で書かれた便箋が見つかった「お父さん、今までいろいろと

りがとう、いつ亡くなっても思い残すことはありません、今

生まれかわってもまたお父さんと結婚したいです、いつまで

元気でいて下さいね」年甲斐もなく便箋にぽたぽたと落ちる

を抑えることができなかったという男性、情愛あふれる内容

は、まさに心打たれるものがあった。


いい夫婦の日に思う夫婦円満とは

2022-11-22 05:25:44 | 夫婦

生まれも育ちも環境、感覚、違った二人の人間が同じ屋根の

に住んでると恋愛時代には互いに見せなかった素顔が現れるも

のである、長い年月のなかで仲のいい夫婦でも些細な喧嘩は数

しれずあるのが普通だと思う。

 

なぜこの男性とあるいはなぜこの女性と結婚したのだろうか、

他にもっといい相手がいたかもしれない、いや他の相手でな

から今幸せなんだとそれぞれ思いは違うかもしれない、これば

っかりはわからない。

 

そして大切なのはお互い「ありがとう」という感謝の言葉を

えること、小さな感謝の積み重ねとさりげない日常の会話が夫

婦の風通をよくするし夫婦円満の秘訣のような気がする。

 

 


結婚生活は人生そのものかもしれない

2022-10-16 05:25:25 | 夫婦

夫婦とは不思議なもので感情がまたたく間に伝染する、どちら

かが機嫌が悪いと相手も理屈抜きで気分を害してしまう、それ

だけ結婚生活は綺麗ごとだけではすまない、まさに生活そのも

のである。

 

結婚生活は人生そのもの、決して楽しいことだけではない、生

まれ、育ち、環境、感覚、違った二人の人間が同じ屋根の下に

住む、恋愛時代には互いに見せなかった素顔が現れるもの、本

当の結婚生活はある意味お互いに対する失意の瞬間からスター

トするのかもしれない。

 

そして夫婦だから言わなくてもわかるというのは違うと思う、

言わなきゃわからないし、気持ちは伝わらない、小さな感謝

とさりげない日常の会話が夫婦の風通しをよくすることは間

違いない、私自身46年間を振り返ると、やはり結婚生活は

人生そのものだと実感する。


85歳男性にとって生涯一の悲しさは妻との死別

2022-09-30 05:27:48 | 夫婦

私の母が亡くなったのは2年前の春だった、認知症そして大腸

がんの末期状態、介護付き有料老人ホームから総合病院に入院、

同時期に表題の85歳男性の奥様が自宅の台所で転倒、救急

でその総合病院に搬送された、しかし腰椎の損傷は回復する

となく81年の人生に幕を下ろした。

 

私とその男性とは面識もない、ただ母が亡くなって半年後、地

元の新聞(岩手日報)の投稿記事を読んで偶然母と同じ病院に

同時期に入院、そして同じころに亡くなったことを知った、病

院の待合室、病室、そして病院の前の桜並木が思い出された。

 

「私がこの世で一番見たくない妻の顔」を見ることになった、

悲しく慚愧に堪えない、楽しい日々を過ごしてきた57年、苦

楽を共にしてきた妻との別れは辛く悲しい、ただただ悲しい、

奥様を失った切ない思いが読み手に伝わってくる内容だった、

私の母も男性の奥様も病院前の満開の桜を見ることなく令和

2年の春、帰ら人となった。

 


夫が看取ると余命5年、妻が看取ると余命22年

2022-07-27 05:16:06 | 夫婦

夫が看取ると余命5年、妻が看取ると余命22年といわれるが、

妻に先立たれた夫の寿命は少なくとも15年も縮まるという調

査結果が出ている、愛妻家で知られた経済小説開拓者である城

山三郎氏「毎日が日曜日」や「官僚たちの夏」のヒット作を遺

しているが奥様亡きあとの喪失感、本人でないと理解できない

ものがある。

 

城山三郎氏の奥様が亡くなったのは2000年、68歳のとき

である、そして城山氏が亡くなったのは2007年、79歳の

時である、この7年の辛い日々を著書「どうせあちらへは手ぶ

らで行く」に書かれてる、妻を失ったこと、ただそのことだけ

で後は何も考えたくない、それほどの妻だった、おかげで豊作

の人生だった。

 

さらに46年の結婚生活で積み上げてきたものが一挙に崩れて

消されてしまった思い、強烈な孤独感と不安感、目先のことし

考えぬようにしよう、目先のことだけ楽しんで生きようと自ら

を鼓舞しようとする決意が感じられた、しかしこの翌年間質性

肺炎でこの世を去った、いかに愛妻家でありいかに奥様を愛し

頼り切ってたかが文面から伝わってきた、まさに冒頭の夫が看

取ると余命5年、そんな生き方だった。