団塊シニアのひとりごと

定年退職して14年目になりました、定年後の生活で
日々感じたことを伝えたいと思ってます。

人は平然と生きてるように見えるが

2024-05-02 05:49:23 | 生き方

行きかう人々がどんな悲しみを抱えて生きてるか、どんな苦し

みを抱えて生きてるかなんてわからない、人それぞれの事情を

抱えてるだろうが平然と生きてるように見えるものだ。

 

NHKの「ドキュメント72時間」では、市井の人々の本音をさ

りげなく引き出してくれてる、食堂でラーメンを食べてる50

代後半の男性は妻をがんで亡くし独りぼっち、さらに自分は脳

梗塞で左半身が不自由、何のために生きてるかわからない、寡

黙に見えたがカメラの前で饒舌である、それでも時折見せる寂

しい表情が彼の波乱万丈と言うか紆余曲折の人生を映しだして

いる。

 

生きる苦痛の根本的な解決など誰もできない、みんなそれなり

に何かを支えに必死に生きてるのかもしれない、誰もが平然と

生きてるように見えるが人それぞれ事情を抱えながら生きて

ような気がする。


居心地のいい場所と悪い場所

2024-04-23 05:25:34 | 生き方

誰にとっても居心地のいい場所、悪い場所があるはずである、

学校、職場、家庭、趣味のサークル、それらの居場所が居心地

のいい場所か悪い場所かは人によって違う、ある人にとっては

よくてもある人にとってはよくないということがあるものであ

る。

 

それは当然人間関係が絡むことが多い、相性が悪いことだって

ある、人間なんて個人個人が違う、みんな同じタイプで気持ち

が通じあって仲良くできると思ったら大まちがい。

 

例えば座が盛り上がってるのに、なぜか話題についていけない、

いわゆる疎外感を感じた経験は誰にでもあるのではと思う、逆

にその場にいると疲れない、しゃべらなくてもなぜか間がもて

る、要は自分らしくいられる場所、それこそ居心地のいい場所

だといえるし、そんな場所を大切にしたい。

 


人間の価値は何で決まるのだろうか?

2024-04-10 15:38:17 | 生き方

作家の森博嗣氏が「やりがいのある仕事という幻想」という著

書のなかでこんなことを書いている、古来、人間の価値という

と、その人がしている仕事で判断される事が多かった、それだ

け職業というのは人の価値を決める重要な要素だった、だから

人よりも立派な仕事につきたいと願ったりする、そうすると人

間としてレベルアップしてみんなから尊敬されるだろうと勝手

に思い込んでいる。

 

しかし職業に貴賤はなく、どんな仕事でも人の役にたっている

、無職であっても人の価値が下がるわけではない、同じように

金持ちが貧乏人よりもえらいわけではない、どんなに仕事で成

功しても人間として偉くなれるわけではない、確かにその通り

であるが実際問題としてお金のある人や権力のある人が人を動

かすことで偉いと思わせてることも事実である。

 

職業で人間の価値が決まるのではないとしたら、何で人間の価

値が決まるのだろうか?森氏は自分がどれだけ納得できるか、

その人の価値というのは自分が評価することだという、しかし

自分で自分を評価するのは難しい、人それぞれかもしれないが、

人間として尊敬できる、信頼できる、生きる姿勢等やはり他者

からの評価で決まるような気がする。

 


年収200万円で豊かに暮らすとは?

2024-04-05 05:41:41 | 生き方

「年収200万円で豊かに暮らす」という雑誌が発売と同時に

X(旧ツイッター)でトレンド入りするほど話題になった、年

収200円で豊かに暮らすとはどんな内容だろうか?と思い

購入してんでみた。

 

ツイートの多くの内容は「年収200万円で暮らせるわけな

だろ」「これを見た時色々と地獄を感じた」と明らかにタイト

ルだけをみての反論だった、しかし本書の内容は節約すること

が楽しくなるというもので、年収200万円という文言はどこ

にも見当たらない。

 

スマホ代は月3000円~5000円、財布にはお金を入れす

ぎない、買った食材はすべて使いこなす、外食を減らす、気が

進まない職場の飲み会は回避、ポイントカードを年に一度の見

直し、家計簿で有意義なお金の使い方を見る、1週間分の作り

置きで食費3万円に削減等「年収200万円で豊かに暮らす」

タイトルと違い、よくある節約術の本だった。

 

 

 


父の悲痛な叫び「まだ死にたくない」

2024-03-24 05:45:03 | 生き方

人間は寿命が尽きた時に死ぬのが昔の医学の原則だった、今は

寿命がつきても人工的に生かす医学に変わってきた、それでも

死ぬときはどんな人も孤独である。

 

そこは貧富の差もなければ社会的地位もない、ひとりで生まれ

てひとりで苦しみ、そしてひとりで死んでいく、みんな孤独で

ある、高齢になると先は長くない、だからいつ死んでもいいと

いう心境で私はいるけれど周囲を見渡すとそうでもない。

 

私の父は病院に搬送された時「まだ死にたくない」悲痛な叫び

だった、86歳だったが生きることに執着していた父、母も私

も弟も父には生きていて欲しかった、延命治療を選択、気管切

開して生きることに一縷の望みを託したが力尽きて半年後に息

を引取った、老いるということは醜くく、つらく孤独で悲しい

面も背負うものだと痛感したものだ。