美智子さま、雅子さま、共に和歌に出会われたのはお妃教育とされている。
美智子さまの指導は五島美代子さん。
昭和34年、お妃教育のうち和歌は3か月で10回の予定だったという。
五島美代子さんは、初対面の美智子さまに
「歌をつくるのに虚飾はいらない。はずかしくても苦しくても、ありのままの自分を神の前にさらすような気持ちでお歌いにならなくてはいけない」
と、告げ、「一日一首百日の行」を課した。
のちに美智子さまは美代子にこうおっしゃったという。あの頃は「お互いに殺気だっておりました」。
五島美代子さんの写真が無い。夫君の五島茂氏は上皇の和歌を指導。
😔 五島美代子さんの「ありのままの自分を神の前にさらすように」という言葉は基本、世界観がキリスト教の美智子さまの心に響いたのではないだろうか。
真剣勝負のように対峙しての指導も美智子さまの御好みに合っていたでしょう。美智子さまが相応しい師と出会われていたことに縁の不思議さを感じます。
雅子さまの指導は岡野弘彦氏
昭和58年から宮内庁御用掛を務め、皇后様と初めてお会いしたのは平成5年のご結婚の少し前。「お妃教育」として、1週間ほど集中的に和歌の講義を受けていただき、ご結婚後も月1度1時間ほどご進講を申し上げていました。歌は初めてなので、とおっしゃいましたがとても御熱心で時折鋭い質問を挟みながら私の話をお聞き下さいました。最初は別々にご進講をとおっしゃっていた天皇陛下も、皇后様とご一緒においでになることが多くなりました。東宮御所の階段をお二人が手を取り合って、若々しい軽やかさで下りてこられたこともあります。「いいなあ。やはりこうしたお立場でも新婚のご夫婦らしい時間がなくては」と微笑ましく思ったものです。皇后様の表情は輝いておられました。皇后様にとって初めての歌会始のお題は「波」。お詠みになったのは、新婚わずか2カ月後に陛下と訪問された滋賀県での思い出でした。君と見る波しづかなる琵琶の湖(うみ)さやけき月は水面(みのも)おし照る(2019年11月7日 13:30 文春デジタルより)
😀 まあ、何んともお優しい師でいらっしゃる。
なるほど、この師なら詠みたい題材すら見つけられずに居る雅子さまに、さりげなく題材を示して助け船を出されるのも、さもありなん。
雅子さまに五島美代子さんのような師が付いたら師も弟子も不幸な結果になったことでしょう。
自分に大甘の雅子さまには岡野氏のような師でなくては務まりませんわね。
それにしても、皇太子を寄せ付けないと巷間噂された雅子さまにも、イチャイチャの甘い新婚時代があったとは…。良かったですね。
2人手をつないで階段を下りて来られたという描写に、あらためて東宮御所の広さを思う。
庶民の家の階段は余程の大邸宅で無ければ1人が上がり降りするのが精いっぱいです。
岡野さんは好きな歌人ですが、雅子さまの歌を読むと何を教えて入るのかと疑問に想うことばかりで、ここ最近はう~んとなっています。歌会始の儀は毎年の楽しみでしたがもう新年から不快な言葉を皇后が好んで使われるのでウンザリします。アレでいいと思っているのでしょうか?
まだ結婚してまもない頃でしたか…歌会始で雅子さんが唇ブルブルしているのを見て、こんなにスーパーキャリアウーマンと言われていても緊張するものなのか、と思ったのは遠い昔。
素晴らしい先生に習っても、お正月早々から何故この言葉を使うのか?という和歌を出すのは意地なのか何なのか。
日本の古典をお勉強なさっている愛子さんの和歌はどんなのかしらね?楽しみです。
今回の記事は、次に何か変な歌を詠まないかと(あの愛子さんやダンナも含め)戦々恐々としている「歌会始め心配症」のあかりにワクチン接種の効き目があるのかも・・
あらかじめ覚悟して、あまり怒らないように、とですね。でも、ワクチンもなかなかに副反応アリ、でした。
自分の欲望だけで生きて、並人と同じ権利が無いと思うだけの皇后は、先生が提案したテーマに沿って、知っている言葉を並べ、強制された作歌をしたと思っているのでしょう。彼女、皇后と呼べる点は皆無です、あかりには・・。
愛子さん、中性の歌の言葉など一度忘れ、素直な感情をできるだけ平易な言葉で詠むよう努力したら?永田先生もそうおっしゃったと、何かの文章を読んでお察ししました。メディアの勝手な引用で絶賛したと言われては耐えがたかったでしょうね。あかりなど、永田先生もご用歌人に成り下がったと軽蔑しましたもの😓
それにしても、絶賛メディアは皇室を支えているのか、滅亡させたいのか、年の暮れに悲観的になるばかりです。どうか、新年早々妖しげなお立ち台を見せられませんように!
五島先生もお褒めくださったかしらね。
岡野先生は雅子さんの歌をべた褒めしていてあんな歌に褒めるところがあるのね?と不思議に思ったものです。
何でもそうですがその道の素養は無くとも上手いか下手かは分かりますから。
その岡野先生が目撃されたという皇太子夫妻が手を取り合って云々、ほんまかいな~。
皇太子がオズオズと背中に手を回そうとしていたご出産後の会見やオランダ即位式で他のカップルは腕を組んで入場するのに雅子さんはバッグを掛けて組まれないようにしていた等の事実は人前では素っ気ない振りをしているだけなんでしょうかしら。
清けき月の光透りて
この光景に、成婚までの喜びや不安、慌ただしさなどが鎮まり、清らかな月の光に皇太子殿下のお導きで妃として生きて行くこれからの力をいただけた気がしました。
などと、あかりなら付記しましょう。
元歌は君と、静かな水面と、清けき月の光の3主題が並立して、まさに脳裏に浮かんだ情景をそのまま落とした感じで、何が言いたいのか分からない、そのうへおし照るなんて聞き慣れない言葉を入れるのは無理がありませんか。こういう言葉は、上皇后が練りに練って効果的に使われる類いでは?
すみません、つい皇后陛下のお歌で遊んでしまいました。あかりの歌も、やっぱり定型的で平凡で、ダメ歌で、作り直しっ!のレベルでした💦付記で恰好つけました。というか、付記のレベルに歌を持っていくべきですね。おや、庶民の分際で、あかりは何を考えているのでしょう?月の光で、少々ルナティックに!頭を冷やしますわ<(_ _)>
こんばんは。
歌の才能が無いのは雅子さまの責任では無いのですが、やる気の問題でもあると思うのですよね。
雅子さまには和歌でもそのほかのことでも「しなければならないことは何が何でもやる」というような気迫が見られないところも、物足りないところです。
彩夏さん
こんばんは。
「やりたくないことはやりたくない!」とすぐに責務を投げ出す雅子さまの機嫌をとって歌を作っていただくだけで一仕事。
何でも良いから作っていただけたら御の字で…。世渡りに長けた岡野先生だからこそ雅子さまの御守りが出来るのかも?
さて、来年はどんな歌が出て来るのでしょう。
みやこさん
こんばんは。
遅いですね。正月気分抜けてしまってますね。何事もぐずぐずと先延ばしする雅子さまらしいです。
こんばんは。
唇ブルブルは結婚後初めての歌会始でしたね。歌会始の厳粛さには元外交官でも緊張するのか、と驚くと共に、こんなことでやって行けるのかと心配になった記憶があります。
中世の歌を卒論のテーマにされた愛子さまの歌が楽しみですね。
あかりさん
こんばんは。
皇室の伝統文化を破壊しまくりの雅子さまでも、歌会始めだけはどうにもならなかったようですね。
詠みたくもない歌を作らされるのは人権侵害にも感じられることでしょう。笑。
「ほめて伸ばす」と言いますが、それは雅子さまに合っている方法なのでしょうか。
煽てられたら木に登る豚なら良いのですが、煽てられて天狗になってしまう人もいますものね。
愛子さまの卒論のテーマは何でしょうね。
「中世の歌」では漠然とし過ぎて論文にまとめるのが大変そうです。
そのうち公表されるのでしょうか。是非とも読んでみたいですね。
雅子さまの琵琶湖の歌は結構好きでした。
ともすれば皇太子を下に見る風の雅子さまが、素直に新婚の喜びを歌っているのにはオヤ?と思いました。
初めてですから背伸びもするでしょう、これから段々上手になって行かれるのだろうと、楽観していたのですが、、、。何だか変な方向へどんどん進まれて、、まあ、そこが雅子さまらしいといえば言えるのでしょうが、少なくとも「皇后の歌」では無いですね。
岡野先生も「歌の態になっていれば良し」と割り切っていらっしゃるのでしょうか?
ダブルワイさん
こんばんは。
階段を手をつないで、、、ほんまかいな、ですよね。笑。
岡野先生が褒める、、、元歌が目も当てられないくらい酷いもので、それを「岡野作」にならないように名人技で手を入れてた、その名人技が「素晴らしい」と?(^^♪