*「魁!!女塾」*

京都でギターを弾いています。

ミシンと母と私

2024年04月16日 | blog
 



今日、息子の制服の丈を直すのに
ひさしぶりにミシンを使いました。

去年か一昨年、母のミシンを引っ張りだしてきたら
38年前のミシンが、まだ現役で動いたのです。
びっくりしました。
今日も、しっかり動いています。


 
38年前、わたしは中学生。
当時ジャニヲタだったわたしは
母のミシンで、今でいう「推しグッズ」を量産していたのです(男闘呼組推し)


そしてロックにハマってからは
ストリートスライダーズのライブに行く用に
インドのサリーのような布で、スカートとか作るようになりました。


お裁縫もミシンの使い方もなにも知らないのに
情熱だけでミシンを使えるようになったヲタク魂!
きっかけってそんなもんだよね
難しいことは今もできないけど。



母は、1950年代に文化服装学院に入り
卒業してからは鐘紡のデザイナーをしていました
(同級生にコシノジュンコさんがいたと聞いたことがあります)。


でも、私に服飾のことやミシンを教えてきたりは、一切しませんでした。
やりたかったら勝手にやったらぁー?的な。


そういう押し付けないところがいいなと思っていたのだけど
母が認知症になった今、
母からそういうの習ってみたかったなと、ちょっと思います。



デザイナー母によく
「あんた、なにその服の組み合わせ、センスないわぁ」
と、たびたびダメ出しされて育ちました。
大きなお世話です。笑


そういえば高校生の頃
夜ご飯のあと、ライブハウスに行こうとしていると
「待ちなさい! 絶対行かせへんえ!」
と、母が本気で追いかけてきたことがありました
(校則でライブハウスとディスコは禁止されていたのです)


玄関で捕まりました

あー今日はライブ行けなくなった、、、と思っていると

「その上着をを脱ぎなさい! ロックかなんか知らんけど、その服はそんな品のない着こなしをするための服じゃ無い!」と
理不尽に怒られ、しぶしぶ脱ぐと
「・・・行ってよし!!」と仏頂面で送り出されました。

母よ、娘がライブハウスに行くのはいいんかい!



そんなふうに母は、認知症になるわりと直前まで
わたしの服のセンスを、ナチュラルに常時なげいていました。
(でもそれは本当のことで、わたしは服のセンスがわりと残念と自覚あり)

こちらも慣れたもので、まったく傷つきもしないし、
鉄板のお約束で、むしろ笑いです。


でも、母が認知症で施設に入り
面会に行くと
「ええね、その服、あんさんによう似合てはる」と褒めてくれたことがありました。


自分の娘だということを、もうわからなくなり
私のことを施設の人だと思っているみたいだったけど
そういえば、ええねーとか言ってくれたことってあったっけ?!と驚きました。


それから数年経ち、現在は母とはもう会話ができません
(言葉を話せなくなりました)

服のセンスをディスられていた頃がなにげに懐かしいです。







 

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