*「魁!!女塾」*

京都でギターを弾いています。

1990年夏の記録

2022年07月24日 | blog


1990年・夏。
2階の自室のベッドで目を覚ます。
午前7時半、窓からの日差しはすでに強く、今日も真夏日になることを思う。

カットオフしたデニムと、新京極の詩の小路ビルで買ったTシャツに着替え、階下に降りる。
母親との会話もそこそこに、顔を洗う。
寺町通のインド雑貨店で買った布製のあざやかな赤のバッグには、財布と、ウォークマンと、タバコとライター。
自転車で家を出て、バイトへと向かう。学校で禁じられているアルバイト。


朝の北山通を東へ、叡電修学院駅へとこぎ出す。
日差しに、視界が白くなる。
午前8時だというのに、耳鳴りのように激しく蝉しぐれが響く。
ウォークマンの中は、T.REXのブギーアルバム。
ストリートスライダーズのギタリスト蘭丸の影響で聴き始めた。
イヤホンを耳に入れ再生すると、マークボランの暑苦しい声が回った。

テレグラムサム、ジップガンブギー、20thセンチュリーボーイ。
ルーズでちょっと怠惰な音楽が好きだ。
お酒を飲んでもいないのに、ちょっと視界が揺れるような。
酔ってもいないのに、ちょっと遅れて聴こえる気のするルーズなブギー。



自転車のハンドルを握る手の甲が日差しに灼けていく。熱い。
まだ指輪もはめたことがなく、買ったばかりのギターも下手くそな私の白い手。
前方から太陽が照りつけ、蝉時雨で頭が痺れる。さらに気温が上昇するような気さえするねちっこいマークボランの歌い方。
帽子も被らず、日焼け止めさえ塗っていない無防備な高校2年17歳の夏休み。
この時以来、30年経っても、T.REXを聴くたびに、この夏のことを思う。
不可逆に人生が変わってしまう時というのは、案外自分ではそのことに気づいてはいないものだ。
後ろなんてない。明日しか見えていない。



バイト先で、たくさんのロッカー、バンドマンに出会いました。
ブラウンの制服のお嬢さん学校に通っていた私の時空はこの時点で分岐し、並行に走るパラレルワールド(ロック版)へと、さっさと並行移動したようです。

毎年、7月と8月
北山通を通ると思い出す断片的な記憶です。















じわじわと未来予想図

2022年07月19日 | blog

10代の頃から
原動力はいつも、年上のバンドマンでした。
東京のプロのバンドマンも、京都のバンドマンも。


いつか、追いつくんだ
憧れた人にいつか「お前のギターいいじゃん」と言われるようなギター弾きになろうと
そんなことばかりを考えていた10代でした。


京都のあのバンドと同じくらい売れっ子になって、いつかミューズホールで対バンになるんだ、
または、いつかスライダーズの蘭丸の耳に、私のバンドの曲、私のギターが耳に入る機会が来ないか、、、と
まさに中二病というやつです。


そしてその中二病は
まだまだ終焉を迎えておりません。

いまだに諦めていません。笑


ところで私が今やっているバンドは
ドラム、ベース、ギター(私)、ギターボーカルという編成なのですが

ギターボーカルの人は、そんな年上の人のひとりです。

20年ぐらい前にライブハウスで見て
いかすなーーーと思っていたギターボーカルさんです。

去年「ギター弾いてくれない?」と声かけてもらってやっています。



最近、中二病が少し報われる瞬間が訪れました。

ギターボーカルから
「あんた、やるじゃん」
と、たったひとことの謎のLINEが来て

「何が?!なんか送信先まちがってませんか?」返信したら。


スタジオ録音を聴いてたら
リフも、音色も、アレンジもいい
これからもどんどんアイデア出して


と、書いてあった。


少なくとも20年前は、一緒にバンドやれるような人ではなかった人に認めらること。
それは私にとって
例えば世界のエリッククラプトンに褒められるよりも嬉しい。



中二病の未来予想図は
予定よりそれはもう、大幅に大幅に大幅に 遅れながらも
超低速でじわじわ実現中。














13年目の涙

2022年07月16日 | blog

13年前、父が他界しました。

悲しくないはずはありません。
でも私は泣きませんでした。
泣けませんでした、の方が正しいかもしれません。
まるでフリーズしてしまったかのように。

 

でも13年後の先週、
フリーズが不意に解ける日が訪れたのです。



もうすぐ、私の息子が通う中学校で三者面談があります。
そのことを考えていたら、
私が中学生だった頃の三者面談の記憶が、急によみがえってきました。



父は仕事人間で帰りが遅く、
完全なる母のワンオペ育児だったのに
父がなぜか、平日に休みをとり、私の中2の三者面談に同行すると言ってきました。
父も母も来るので、四者面談になります。

そんなキャラではなかったので
びっくりしてしまったことを覚えています。


そしたら当日、ちょっとした事件が起こってしまいました。


担任は、とてもオトナゲのない先生でした。
生徒たちを挑発するようなことを日頃から平気で言う先生でしたが、
私はおだやかな子どもだったので、そんな挑発にまさか自分は乗りはしないと常々思っていました。


でも、おだやかな子ほどキレたら怖いのかもしれません。
私はその日に限って、親の前で先生の挑発に乗ってしまったのです。
進路の話をしている時でした。
教師に歯向かったのは、それが初めてでした。

「そんなこと言うなんて人間的にどうなのか、そんな先生アリなのか」
的なことを言い、一歩も引かなかった記憶があります。
突如キャラ変して激ギレしている真面目なはずの我が子に
両親もさぞ驚いていたと思うのですが

父が突然、流れを変えました。

父が私の頭を押さえつけ、机にギリギリとねじ伏せたのです。


「先生、手前どもの娘が、偉そうなことを申しまして申し訳ありません。
私の教育の至らなさを恥じる次第です。」

…的なことを言い、
そしてわたしに向かい

「ええか、世の全ての先生に何があっても逆らってはいけない。
師は敬うべきもの。よく覚えておけ」

…的なことを言ったのです。

えええ?!
何この流れ?


帰りに、喫茶店に寄りジュースを飲みました。

さっきのあれ、本心? それともパフォーマンス?
何であそこまで言われて黙ってるなんて、それはもう人間でなくなってしまうよ、、
と尾崎豊ばりに青いことを言う14才の私に対し、父は


「いやーほんましょうもない教師やな、
でも、そんな奴は商売してたら山のようにおる、
だからこっちは、クレバーにいかなあかん。
それに、まだ子供のお前に
どんなに理不尽なことがあっても
頭を下げなあかん場面があると言うことを、教える機会やと思った。

無駄にキレるな、
キレたほうの負けや。
だから今日はお前の負けや」

というような内容のことを、笑いながら言ったのでした。
実に納得の1日でした。



しかしながら父もまた
当然ながら至らないところのたくさんある人であり
いろんな失敗をしてきた人でした。

人でなし!とけんかしたことも
どれだけ流そうとしても、私の中に固い小石のように残り続けた父との確執もありました。


父が亡くなったとき、
私はまだ若かったです。
でも、今くらいの年齢になると、
父がどういう気持ちで生きていたのかわかるようになってきます。
冷酷だと思っていた言動にも、
バックグランドがあって、ちゃんと理由があったのだと。
人間らしくて逆にいいじゃんかと。


三者面談のテレビドラマみたいな笑える場面を思い出し、
父が亡くなって以来はじめて、お風呂に入りながらちょっと泣けました。


18歳までしか一緒に暮らさなかった父との、
あまり心の交流を持てなかった父との
数少ない、大事なエピソード、三者面談。笑







 


フォーエバー

2022年07月07日 | blog

会社の社会保険の1年に1回の健診を
去年、サボりました。

そして今年は受けました。
すごく間が空いてしまいました。

前回受けた頃は
コロナ前だったのかまだジムにも行っていたので、
けっこう筋トレをしていました。


この2年間は、運動していなくて
ライブもしていなくて、
筋力も体力も落ちたのが自分でもよくわかります。


結果が返ってきました。
いろいろと結果が良くないだろうなぁと思っていたのだけど
予想外に、体脂肪率も、中性脂肪も、コレステロールも、血糖値も前回より下がっていました。
え! あんなに運動していた時よりも?!
運動したほうが、お腹が空いて食べすぎるパターンかもしれません。


あくまで当社比のため、めちゃくちゃ細いわけではないのですが
19歳のころの体重をかろうじてキープしています。
ちょこちょこ太ったりもしますが、絶対にもとに戻します。

わたしは全然ストイックな人ではありません。
欲には流されるし、本当は太りやすい体質です。
でも、大幅に太らないわけがあります。

理由はただひとつ、
わたしがかつて憧れたギタリストは、みんな細い人だったからです。

10代の頃の価値観は、この歳になってもフォーエバーなんですね。


ちなみに、過去に最もヤセていた時期の理由は
ジムでもダイエットでも失恋でもなく、子育てでした。
おさなごを育てるのはたいへんハードでした。


体脂肪率が下がっていたので
さっそく調子にのって、炭水化物をたくさんいただきます。
ごはん3合、ぜんぶ使って焼きおにぎり。
こうやってすぐ欲に流される♪
いいの、太ったら、またヤセたらいいんです♪