*「魁!!女塾」*

京都でギターを弾いています。

ユニクロ

2014年12月26日 | blog

今日久しぶりに服を買いました。
仕事中に。ユニクロで。

真冬なのになんでいつもそんな首もとの開いた服ばかり着ておるのか、
と言われるので
開いてないのにしてみました。



一乗寺ハリソンのメンバーは
全員ユニクラーです。

こないだのライブの衣装も
フロントマンふたりとも
トップスユニクロです

ドラマーのMさんも
全身のどこかユニクロだったかもしれません。


その時着てたチェックのネルシャツ
グランジロックぽくて気に入ってる。
ギターHさんが着てたボーダーの長Tも
いらなくなったらちょうだいといいたいくらい。

ファストファッションの代名詞だけど、
よく探すとロックなのがある。

ネルシャツも
毒々しい色合いのものが多いんだけど
毎年10種類くらいある中に
ひとつくらいシックでロックなのがある。

チェックのネルシャツは
色合いや、チェック柄の絶妙な大きさの違いで
オタクっぽくもなれるし、
アイオワ州でとうもろこしを作っているおじさんのような
カントリーな雰囲気にもなれる危険アイテムでもありますが

これはどうかなぁ、微妙…
と悩んだときは

カートコバーンが着てそうなやつか、否か
でキマリです。


クリスマスに

2014年12月25日 | blog

近所のお店で演奏をしました。

一乗寺ハリソンではなく
セッションです。


息子(5才)
わたしのアンプと荷物を持って会場入り。
ちっちゃいスタッフ。


とにかく悦に入りたいお年頃で
こちらから特に頼まなくても

「アンプ運べる俺、カッコイイ
「役に立ってる俺、カッコイイ」と

何でもやってくれるお年頃(期間限定?)。
やたら男らしさをアピールしてきます。




この間手に入れたおニューのフェンダーUSA。

ライブハウスでもまだ弾いてないのだけど
今回、初めて使用してみました。


すると
そこのお店に
台風のような小学生の軍団がやってきて。


私がベースを肩にかけてスタンバイしていると
軍団に取り囲まれ

前方からお菓子食べた手でバンバン叩く者アリ。
弦をひっぱる者アリ。

後方からもネックに手をまわしてくる者あり。
アンプをすべてフルテンにする者あり。
ピックケースを開け「ちょうだーい」と持ち去る者あり。

(弦が)4本しかないヘンなギター、と突っ込む者あり。


いちばん困ったのは
左側から
ペグをぐるぐると勝手に巻いている者。

「弦切れるからやめてぇ

と叫ぶもむなしく、
おニューのベースはベタベタ、
弦はベロベロ、
そして私もグダグダ


悦に入りたいお年頃の息子は
すかさずやってきて

「てめぇら!俺のママの楽器に触るんじゃねぇ!!」と
ちゃんと警備員の役割も果たしていました。

(私本体ではなく、アンプを必死に守っていた

そして
「ああ俺ってー、すごーく役に立ってるよなあ」と
また悦に入る。


しかし小学生の威力って
すさまじいのね。
ああびっくりした。

でも、あいつらさぁ、
そんなに好き放題やってるくせにさぁ
クリスマスソングとか演奏してみたら
無邪気に声張り上げて、
直立不動でいっしょうけんめい歌ってんの。

「きみら、可愛いとこあるじゃんか」と
後頭部を小突いてみました。



今度はライブハウスで。
1月31日(土曜)
堀川丸太町AFTER BEATに
一乗寺ハリソン出演します。

よろしくお願いします。


書斎

2014年12月24日 | blog

父が亡くなって5年が過ぎたけれど
父の部屋は、在りし日のままになっています。


ほとんどが書物。
専門書の類は
気軽に読むにはヘビーだけど、
いろんなジャンルがあります。

ときどき、宝探し的に潜入を試みます。


今日見つけた本、2冊失敬してきました。

パパが中原中也すきだったなんて
ぜんぜん知らなかった。




河原町の丸善がなくなる時
父と出向き、
この際買っちゃおうぜ、と
読みたい本を
オトナ買いしました。

なのに、その時の本、
まだ読んでないのがある…

来年はたくさん本を読みたい。


クリスマスイブですが
ひとの書斎にて、
埃にまみれて本を漁っています。


エンジェル係数

2014年12月19日 | blog

こども
意外とお酒のあてのようなものを好みます。

凝った献立より
シンプルな味付けのほうが
よく食べます。

今日は
ごま油で白葱に焼き目をつけたものと
トースターでパリパリに焼いたおあげを合わせ
白だしと生醤油と赤唐辛子であえたもの。



とか

蓮根をもちもちに焼いて
おしょうゆ、てんさい糖、カレー粉をからめたもの。

とか。


白葱に焼き目がついたのを見ると
思わず呑みたくなりますなあ。


今日は早く帰れて時間があったので
5品作ったところ

こども(5才)に

「消費税が上がったのにだいじょうぶ?
エンジェル係数たかくない?」と
つぶらな瞳で心配されました。

どこで覚えたんだエンゲル…。

(こういうときは大概、出典はクレヨンしんちゃんの母・みさえなんだよね)


忘年会

2014年12月17日 | blog

きのうバンド関係で居酒屋にいた。

一乗寺ハリソンの現メンバー3人と
元メンバー2人の、計5人で。

元メンバーのおふたりとは2度目。


去年の暮れには
このひとたちと出会ってもいなく
バンドやってもいなかったのだなぁと


最中にふと、
不思議に、そしてうれしく思ったりしていた。





わたしは
お正月にはともだちと
ある同じお店に行き、
誰も制止する人のいないなか
ふたりで妄想ファイヤーを吹きあげ爆笑する、
ということを恒例にしている


今年のお正月にも
例によって
お互い自由自在に妄想を操り
「なにその細かすぎる設定~」と
お腹を抱えて笑い転げていた。


この遊びは
その内容が
現実味を帯びていなかったり
まったくもって身の程知らずであったり
実現の可能性が限りなくゼロに近いにもかかわらず
設定がやたら細かいほど高ポイントであり


わたしは
綾野剛と温泉宿に行く妄想を詳細に披露し
ともだちは
斉藤和義と万博公園にデートに行く妄想を
詳細に語り、
バッカだねぇと笑っていたのだけれど


そんなばかばかしいのに交じって
数々の妄想のなかには

実はまじめな願いであったり
実は野望であったり
実は切なる夢であったりと
そんなものも
こっそり含まれていたりした。



そしてもうすぐ今年が終わる12月。

そのなかのいくつかが
妄想でなく現実になっていることに気づいた。


馬には乗ってみよ
人には添うてみよ
妄想は語ってみよ
である。


途中経過

2014年12月10日 | blog

今週、息子が5才になった。


この5年間、
観察してきたことがある。

今週、その途中経過を、
知りたかったことを
すこし知ることが出来た。



私の兄は障害があるのだが、
そのことを息子にはまだ説明していない

いつか息子が疑問に思って何か聞いてくるまで
こちらから先に話さないつもりでいる。


自然界の
生物として
違いをどのように受け入れていくものなのか。

また逆に、偏見とはどうやって生まれゆくものなのか。

垣根なく、偏見なく
接することは本来可能なのか。
阻害するものは、何なのか。

それの、ありのままを
知りたく思う。




動物の世界は弱肉強食なわけで
弱いものは淘汰される。

にんげんも動物であるのだけれど、
人間には、
理性があり、こころがある。
動物とは異なると思いたい。


偏見は、大人からの固定観念の植え付けが
大きな要因となると私は考える。


わたしは、
自分の子をもってして
幼い児童の純粋なこころが
障害をどのように理解し、交わっていくのか
その自然なる姿、その過程を知りたく思う。


だから固定観念(ここでは親である私の見解)はあえて排除する。
偏見を否定することさえも固定観念につながるから
今はとにかく、障害に関する情報を与えていない。
それが正解かどうかはわからないけれど。

なるべく自然な形で。私にはそれが大事だった。



唯一言ってあるのは
「みんなと違う人がいてもジロジロ遠慮なく見てはいけない。
そんなにも見ることは、相手を傷つける。」
ということだけだ。




兄と息子の関わりを
いつも興味ぶかく観察してしまう。
5年間、つぶさに観察しつづけた。

その間、
息子はなにか私に聞いてくることはなかった。

みんなと違う事には
3才くらいから明らかに気づいている。

そして今週、息子の感じていることを
すこしだけ垣間見ることができた。


誕生日のお祝いに
息子と、私の母と、私の兄とで
ホテルへ食事に行った。


息子はホテルで
私の兄の世話を焼いていた。

トイレいきたくない?
トイレはあっちだよ
俺いっしょにいこうか
デザート食べない?
おかわりたのもうか

など。

5才児が
40代のおっさんの世話をやいているのである。


帰ってから
「どうして伯父さん(兄)のお世話いろいろしてたの?」と
聞いてみたら


「うーん、伯父さんてさ、優しいやろ。
伯父さんは悪口言ったり絶対しないんやで。
だから優しくしてあげたくなるねん。それだけ。」

とのこと。


「ひとりで出来ないから」とか
「障害があるから」だとは
息子はコメントしなかった。
そうか、それもまた自然な姿で良し!


「障害」と言うことばさえまだ知らぬ幼い子。
この先、彼なりに何を感じ、何を信じていくのだろうか。

これからどうなっていくか
ひじょうに興味がある。



そして息子は、
私の兄にはたいそう親切で優しいが
私には結構辛辣である。

化粧品カウンターにて
「ママ、その色ぜんぜん似合ってない。
こっちにしとき、間違いないから」
と、超・上から目線でダメ出しをされたりする。


「ママにも優しくしてほしいんですけど」と言うと

「ママはひとりで何でもできるだろっ」ですって。


後悔と愛情

2014年12月06日 | blog

風邪っぴきで休んでいる息子に
絵本をAmazonで注文。


ハンス・ウィルヘルムの
『ずーっとずっと、だいすきだよ』




今夜、ねむる前の読み聞かせをしていている時、
いきなりウッと喉がつまってしまった。
主人公の少年がケナゲすぎて涙。



純粋な子供にとったら
当たり前の内容だろうけど
大人にとっては、おもいきり痛いところなんだわ。


でも読み終わって、息子が寝て
ちょっといろいろ考えてしまった。



大好きな人との別れは辛い。
死別も離別も。
進行形で大好きであればあるほどに。


でもこの本に出てくる少年は

いつか来る別れを感じてしまった日から
まいにち「ずーっと大好きだよ」と言い続け、
限りない愛情を注いで残りの日々を悔いなく過ごしたからこそ、
突然の別れがやってきた時、
悲しいけれど、いくらか気持ちが楽だったんだって。


すごいなぁ…
わたしなら、3年くらい泣き暮らすんじゃないか。


別れのつらさは
かなしみ以外にも、
「後悔」が占める部分がひじょうに多いのだろうね。
もっと大切にしたかった
もっと愛情を示せばよかったと。


当たり前のことなのに
こうして言葉になったものに触れないと
いろんな出来事や気持ちに流されて
忘れてしまうことがあるから。

この絵本は息子よりも
わたしのために
注文が必要だったのかも、なんて思ったり。


後悔なきよう、
常に愛情を注いでいたなら
別れの時も
もしかしたら
笑顔で手を振れるのかな。


いや、やっぱ3年くらい泣き暮らすな。


でも、
しておけばよかったという後悔は
本当に悔やみきれないから
その後悔がなければ全然違うのだろうな。


いや、でも3年くらい泣き暮らすな