*「魁!!女塾」*

京都でギターを弾いています。

夜の無言なふたり

2024年05月15日 | blog
 
 
 


 
 

若い頃、ギターの練習をあまりしませんでした。
ふつーにはしたけれど、技術の限界に挑戦したことはなかったです。
アホだったので、ギターの練習をせず
バンドメンバーと飲んだくれていました。

ギターを練習するより、曲を作ることほうが好きでした。
なので、いまだに華麗なる技術をもっていません。


数年前からにわかに、練習するようになりました。
自分の、弾けそうで弾けないギリギリのところを攻めます。


平日はなかなか時間が取れないけれど
夜にダイニングテーブルで弾きます。
受験生の14才息子が、
向かいの席で勉強しています。


以前は、勉強している横でギター弾くのは勿論ダメだよねと思っていました。
息子こそ、2階の自室で勉強すればいいのに
なぜわざわざ爆音でギターを弾いている人のそばに来て、勉強するのでしょうか。笑


息子は「全く気にならんからむしろ弾いてくれ。かまへんで」
と無表情で言います。
BGM?! にしてはラウドよ?

いやいや、かまへんで、じゃなくて、、
と、何度も遠慮したのですが


息子「俺にとっては、そよ風みたいなもんや。
ていうか、集中してるから、ほとんど耳に入ってない」


…そう? じゃあ遠慮なく、、、ということで
2年くらいそんな習慣になってますが

ふと我に帰ると
なんだこの光景は、、と思います。

ダイニングテーブルに向かい合い
爆音で16分音符を弾き続け、
たまにギョエーーーーっとチョーキングをする人と
意に介さず数学の勉強をするひと。
お互い真顔で数十分無言です。


今日、ふと
「ねえ、うちら、ふと我にかえると不気味」

と言うと

「そうか?」ですって。


でも、だんだんわかってきました。
息子がわたしのそばで勉強する理由。


自習室みたいな感じ。
勉強が好きじゃないから、
誰かがそばで、苦手なことに打ち込んでいるのがいいんでしょうね。
スタバでお勉強する学生さんみたいな感じでしょうか。


だから、わたしがギターを弾いていない日には
「アンタ、今日はやらんのか? え?やらんの?
さぼってるんじゃねー、アンタもやれー笑」と、しつこく言ってきます。
(反抗期なので、お母さんと呼べずアンタといいます)


息子の受験に役立つような、役立っていないような夜の自習室です。
出来ないフレーズを何度もミスして弾けるまで弾き続けるイラッとするBGM付き♪








母の日

2024年05月13日 | blog





きのう、母の日でした。
息子からは何のアクションもありません。
まぁ14才とはそんなものでしょう。

今日が母の日ということも知らないのだろうな〜くらいに思っていました。


が、今朝
息子が学校へ行ったあと家のポストを見ると、ハガキが届いていました。
塾で、先生の計らいで書いた母の日のメッセージのようです。


謎に漢字クイズが出題されていました、なんだそれ😆


受けて立とうじゃないか〜♪

1、らせん

2、ござる

3、... ...わからん💧

4、わからん!

5、きんじとう。
いや、これは引っかけだな、こんな普通の読みを出題してこないだろう、きんじとうではなく「ピラミッド」だ(笑)

6、コンクリート

7、ヨウ素


以上、ファイナルアンサー‼️


それにしてもイマドキは
「母の日」じゃないんだね
「保護者の日」て!









思い出の場所

2024年05月13日 | blog
 
 
 
羽束師の運転免許試験場で
免許の更新を待っているところです。
 
最近は、京都駅前の免許更新センターでも便利に速く更新できますが、
久しぶりに、あえて羽束師に来ました。
ここ、好きなんです。
 
殺風景な試験場だけど、
高校生の頃にはじめて原付の免許を取りに来た、思い出の場所です。
 
高校に入学してすぐ、
校風に全くなじめないことに気づきました。
京都のお嬢様が通う私立女子学院だったのですが
公立の中学校から来たわたしには異世界でした。
ドラマ『花より団子』の世界でした。

わたしは牧野つくしですが、
つくしほどジャンヌダルクではなく、単なる隠キャです。
 
 
 
母に「1年遅れになって1学年下になってもいいから違う高校を受験しなおしたい」と真剣に頼んだのですが
当たり前ですがもちろん許してもらえません。
 
 
その代わりといっては何ですが
母は、校則で禁止されていたアルバイトと、原付の免許を取ることをこっそり許してくれました。
母、厳しかったのによく許してくれたなと今になって思います。
 
 
羽束師は高校生にとっては家からとても遠く、交通も不便なところですが
ここに来て、なんとか免許を取った日、
狭い世界からすこし抜け出せたような気がしました。
大げさだけど、わたしにとっては自由の象徴です。
 
 
そして、貯めていたお年玉で
ホンダのDioを買い、
いろんなところへアルバイトへ行きました。
 
 
アルバイト先でたくさんのバンドマンに出会ったことがきっかけで
わたしはギター弾きになりました。
 
 
この写真の窓から見える技能検定のコース、
免許取りにきた日もここから見てた。
同じ景色。
 
さっき「17才っす」と言いながら喫煙所でたばこを吸っている男子がいて、
とても若くて可愛らしかった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

平和な午後

2024年05月09日 | blog

中3の息子の参観日にいきました。
参観日を見にいくのは、たぶん5年ぶりです


参観はピースフルな空間でした。
いろんな意味で
今日はいろんなものが眩しかったです。
そんなことを思うわたしはいつの間にか
尾崎豊が『15の夜』で歌う『大人達』になったのでしょうか。




理科室で物理の実験をしています


生徒のことを「おまえら〜!」という先生。
ふだんジャージの先生が参観日だけスーツ姿なのを生徒はつっこむ。
実験でおちょけて女子に「もーちゃんとやんなさいよ」と叱られる男子
女子はこちらをチラチラ見て「あれは誰のお母さんか」を小声で噂します。
はしゃぎ倒す子に「ダメやぞぅ」とか言う若い健全そうな先生の笑顔
謎の雄叫びをあげる男子が各所に複数出現
色気づいて保護者陣に目くばせを送ってくるイケてない男子(笑)
LGBTの子(女子だったけど男子)も、完全に野郎として生活しています。

アレ、反抗期ってこんなにピュアだったっけ?



男子のお母さん方と
「むすこが朝、“今日参観日ぜったい来るんじゃねーぞ”と言っていたので
来たら怒られるかもです」
「うちもです。でもそれは変換すると『来てほしい』という意味だと思うので来ました」
とか話す。


息子が「おまえの母さん、お前とそっくりやな」と友だちに言われ
「はぁ?!やめてくれ、どこがやねん」とか言ってるのが聞こえる。


障がいのある生徒が同じクラスにいます。
そのお母さんが、
休み時間に息子たちのそばに行き

「修学旅行の班、一緒に組んでくれてありがとうございます。
みんなも知っていると思うけれど、あの子は空気が少しも読めなくて、いつもみんなに迷惑かけてごめんなさい。
いっぱいイラッとすると思うけれど、どうか仲良くしてやってください」

と言って頭を下げているのが聞こえてきました。

それを聞いて、何か答えている息子が
家での息子とは違う、初めて見るような息子でした。

「あんな、あいつな、全然ふつうやで。
俺ら、イラっとしたことなんかなかったで」





13時半。5時限目。快晴。
午後の陽光が差し込んで白くなる3階の教室は
あまりにも平和で、そんな白昼夢をみているようです。
大きく開け放った窓から風が入り、白くて分厚い帆布のようなカーテンが大きく揺れます。


30年以上前、わたしもここの中学校に通っていました。
午後に、窓辺の席で
白いカーテンが大きく揺れるのを見ていた5時限目のひときわうららかな感じ
デジャヴーじゃない既視感にはっとする。

 
 





 


ギターヒーロー

2024年05月03日 | blog
 


 
うわさの『壁美人・ギターヒーロー』
 
ホッチキスの針で取り付けるというのが前から気になっていて。

石膏ボードの壁にもギター掛けられてうれしい
考案者さんすごいなぁ✨
 
「全国のギターヒーローのみなさんへ」という紙が入っていたよ

 
商品名が
「壁美人 ギターヒーロー」
サブタイトルが「Rock 'n' roll Gear」
なんかいいね😊
 
ホッチキスの針がたくさん見えてしまうのを隠す専用カバーも売っているのだけど買わず。
かわいい折り紙のカバー♡
 
 







 
 

ダサい奴にならんといてくれや

2024年04月29日 | blog

きのう、テツという友だちのライブに行きました
10代の頃のバンドメンバーです。

18からハタチくらいまで一緒にやっていて
(お互いギター)
そこからは、ずっと会っていなかったのです。


当時はふたりとも ド下手くそだったけど
テツは、ほんまええギター弾きになってた。

ステージの上でサウンドがうねって
波動みたいなものが渦巻くのを感じた。
そういうのは全てのバンドにあるわけではないし
あまり見ることはできない。
プロのバンドにだって、ないときはない。
そういうものを見たくて、ライブに行ったり自分もバンドをしてるのだと思った。


昔、テツに言われたことで
すごく印象に残っている出来事があります。


わたしは22歳の頃
いちどバンドをすっぱりやめようと思ったことがあります。

いま思うと、若くて考えが幼く、精神的に弱かっただけなのだけど
ひとり暮らしで、アルバイトで生きていく生活に疲れたのだと思います。

(「いちご白書をもういちど」の歌詞のような感じ?
とにかく、いま思うと、何も白黒つけてやめる必要なんて全くなかったのです。)


若くてアホなわたしは、
もういらなくなるギターとエフェクターボードを
手放そうと思った時
大事だったギター、中古屋さんに売るくらいなら、アイツもらってくれないかと思い
ギターと機材を全部持ってテツの住むアパートに行きました。


もうバンドやめる。
迷惑じゃなかったら、全部、あんたにもらってほしい
と言いました。

ふだんよくしゃべるテツは黙ったあと
そうか、、ほな俺が使わせてもらう

とうなづきました。


わたしはその後、就職し会社員になりましたが
カッコ悪いことに、バンドで自分らの曲を作る生活に戻りたい気持ちが日に日におおきくなりました。


最悪にカッコ悪いこと承知の上で
意を決して、再びテツのアパートに行きました。


やっぱりやめきれん。
最悪にカッコ悪いけど、ギターもういちど私に戻して欲しい
と頭を下げると
テツが激ギレしました。



こんなようなことを言っていました
↓↓



おまえなぁ!!!
俺があの時どんな気持ちやったかおまえにわかるんか

俺はギターなんも弾けんかった頃
おまえが弾くのを見て、ギター弾けるようになったんやぞ

だからこそ、そのお前がギターやめる言うてきた時
お前がそう言うんならよほどの決心なんやと思って黙ってうなづいたのに
それをなんやお前、
かんたんにくつがえすんちゃうぞ
お前はそんなダサい奴に頼むからならんといてくれや



テツはひとしきり激ギレしたあと黙り
感情的になってすまんかったなと
玄関にそのまま置いてあったギターと機材を返してくれました。


それ以来、一度もやめようとか思ったことはありません。



それから数年後、地元に帰ったのでテツとは20年以上会っていませんでした。
久しぶりにあったテツは、ずっとバンドをやっていて
わたしもずっとやっていて、
昨日はライブ後
「おまえのバンドと今度対バンしよーや!」
「うん、絶対な!」
と言い合って、手を振って帰った。

いまでも最高のダチやと思っている。


 

 


誰でもぜったいできる

2024年04月28日 | blog


会いたかった人に再会した話です。


わたしが大人になってからルービックキューブができるようになったのは
ある京大生の影響です。

当時、京都大学のそばに住んでいて
一般の人も利用できる京大の学生食堂をたまに利用していました。


すると、食堂の一角に
土曜日の夕方にはいつも
ルービックキューブ全面を10秒ほどで揃えてしまう人々がいました。
目隠しをして全面揃えることができる人もおり
すっかり見入ってしまいました。

京大のキューブサークルの人でした。



当時7歳くらいだったむすこが
「俺もなかまに入りたい!」と100均でキューブをねだり

「突然にすみません
お邪魔でなかったら、そばに座っていっしょにキューブを回してもいいでしょうか」
という内容のおねがいをしました。


わたしと息子もそばに座らせてもらい
キューブを回すようになりました。

お兄さんたちのスゴ技に感嘆しつつ
ただ、黙ってキューブを回す土曜日をいくつも重ねました。


でも、いつまでたっても
わたしたち親子はキューブを揃えることができません。

「ダメだ、いっこうに出来ません…」

と愚痴ったわたしに京大生は

「そんなことはない。絶対に誰にでもできます」
と言いました。


それなのにわたしは

「いやいや、それは京大生という日本最高レベルの天才だからではないでしょーか
我々になんて出来る日は来るのでしょうか」

などと、自虐的なダサい発言をさらに重ねてしまいました。


京大生は
「それは違います。絶対に誰でもできます」と再度断言しました。



その日帰って
ああ、自分、超ダサいな
「京大生だから」なんて言って
出来ない言い訳を探してるだけやんか

と思いました。


そんな自分、キライだ、
わたし、かっこわるい
と思いました。


その日は土曜だったので
翌日、日曜日。
午前中からずっとキューブを研究しました。
8時間かけて、夜には、はじめて全面が揃いました。



そして息子に教えました。


あの頃の京大生はもう京大を卒業し、
二度とあうことはできません。

キューブサークルも
今は存続しているのか不明で
彼らのあとを継いだ後輩に会えないかと思い、
去年、息子は何度も京大の食堂に探しに行きましたが
キューブをしている人はどこにもいなかったそうです。

 

 





あれから7年、
息子はそこそこ腕を上げ、
ルービックキューブの日本大会に出場することになりました。

そこには、日本屈指のキューバーが集まります


わたしは、つきそいで一緒に行っていたのですが
実のところ、そんなにキューブに興味はないので
試合を見ずにキョロキョロ、ぶらぶらしていました。


すると会場でたまたま
古株の人と話す機会が訪れました


すみませんが、この方々の中で
京都大学のキューブサークルご出身の方はおられないでしょうか
とダメ元で聞いてみました。

すると、「ひとりだけいますよ」とある青年を紹介してくれました。



見知らぬ人です。



わたしは、話しました
今日ここにいるのは
京大のキューブサークルの方々に出会ったことがきっかけです
きっとあなたの先輩の方々ですね
みなさんには感謝しています

そうそう当時の写真があります

と、この写真を見せました。

 


 



すると「えっ、この
息子さんの隣に写ってるの僕ですよ」


えっ?!ほんとですか?
だって、手しか写ってないじゃないですか!?


「絶対に僕です
ほら、右手のここにほくろがあります
それに、この色の服、いまも着てます
僕、すごく体重が増えちゃったからわからないでしょう」



!!!!!!


よくみると笑顔に面影があります!
完全に記憶が一致しました。



「あの時、
こんなんできるの京大生だからだろー
なんてインネンをつけた(笑)自分を
ああほんまにダサいなと思って
こんなままじゃいややと思ったんです
目が覚めた思いでした。
あの頃のみなさんありがとう」


なんて、7年ぶりに伝えることができました。



その人は、あれからアジア大会2位にまで上り詰めたそうです。














いつまでも慣れない

2024年04月23日 | blog

息子の通う中学校はわたしの母校です。

今月は、修学旅行説明会と保護者懇談。
保護者としてたまに母校へ来るようになってもう3年目だけど
いまだに、慣れません、いつ来てもエモすぎて。


校庭に立つと、エモエモ爆風が吹いてきて、
吹き飛ばされないようにするのでたいへんなんだけど。



放課後、午後3時。
右から、ラグビー部の掛け声
左から、体育館でバスケットボールが跳ねる音
上から、3階の音楽室から吹奏楽の管楽器


保護者、センチメンタルの濁流に飲まれ
立ち尽くします。

でも不審者にならないよう
すまし顔で、努めて平静を装います


このウォータークーラー
わたしのときも、ここの同じ場所にあった。

陸上部で、水を飲んだらいけない地獄のトレーニングして、
飲んでよし!ってなったらここに駆け込む。


今日、個人懇談だったんだけど
息子の教室、わたしが使ってた教室だった。
センチメンタルがクライマックスで、もう息も絶え絶えで倒れ伏しそう!
しかし、そんなことはおくびにも出さず
息子の進路について担任の先生と話します。

 

ものすごくエモい気持ちになるけど
あの頃に戻りたいとは思わない。

戻れたとしたら、違う人生を生きるのも楽しいかもだけど
でも、けっきょく同じ道をゆくと思わない?
なんか、そんな気がするんよね。







高速道路の星

2024年04月19日 | blog

 

今日、はじめて高速道路をひとりで走行しました。
 
これまでは、運転してもらって助手席に乗るばかり。
または誰かに助手席に乗ってもらって、練習がてら高速を走ったことがあるだけでした。
 
これまで「手汗」というものをかいた記憶がないのですが
緊張して手汗を初体験しました。
(汗で手が冷えてつめたくなるのね!)
 
文字どおり、手に汗にぎるアドヴェンチャー。

 
えっETCのバーが開かないんじゃないか?!
とビビりまくり、
 
また、出口には出ていないからと安心していたら
いつのまにか違う高速道路に分岐しており
明らかに行きしと違うさびしい山道を、夢のように走っているではないですか!(◎_◎;)
 

吾輩が単に走行車線をミスったのではないか、という可能性は否定できない。
 
しかし
高速道路に棲む魔物のしわざという見解もまた否定できない。
吾輩は、これを、都市伝説の一種であると考えたい。
 

一般道に降りることを余儀なくされた私はようやく魔物の呪縛から解き放たれ、
 
グダグタで再度高速道路に乗り直し、
ようやく京都タワーが見えてきたときには「ふるさと!」と大げさにに喜んだのでありました。
 

遠視&乱視のコンタクトレンズをしていると
夜になると、あらゆる遠くの光が
裸眼の時の5倍くらいきらめいて見えます。
 

時速80キロくらいで端っこを走行する初心者のわたしの横を
ベテランのみなさまが、時速100キロほどで華麗にかっ飛ばしていきます。
 
その赤いテールランプが十文字にきらめき、
おおこれはディープパープルのハイウエイ☆スターかと。
きれいなものなんだなと見とれたのでした。
 
 


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

アクセス数が

2024年04月18日 | blog
 

本日、gooブログアプリを開いたら…

いつもは白地の画面が
なんかオレンジ色になってます

アクセス数がすごいことに。
なにごとかと思いました





数日前に書いた「ミシンと母と私」という記事が
gooブログトップページの、おすすめ記事に選ばれたそう。


さかのぼってほかの記事も読んでいただいたようで、
アクセスランキング
先週などは、4,000位〜10,000位くらいの間らしいのだけど

本日4月17日は、9位 !!


このブログ始めて18年目。
そんなことってあるんだー
オチもなく無防備に書いていたのでびっくりです。


このブームは一過性のものだと思うので
これからも今までどおり、刺さる人が限られる偏ったものを書き散らしていきたいと思います♪