日本ハムの知りえたチーム作りをお話します。
東京ドームや後楽園球場をホームグランドにしていた時代、巨人戦では毎回満員御礼であるのに、日ハム主催の試合になれば毎回閑古鳥が鳴くスタンドは哀れなものでした。
それでも日ハムフロントは、チーム改革に手を抜くことなく、一生懸命でした。
それは故人となられた大社オーナーの熱意だったと思います。
大沢監督時代、エースの高橋直樹を放出し江夏豊を獲得し優勝したり、名将と呼ばれた上田利治監督を迎えたり、常にチームを勝てる軍団にするため投資を惜しみませんでした。
力が衰えたとは言え、落合博満の獲得もそうでした。
北海道に移転するのは、日ハムに大きな転機をもたらしました。
しかし、最初は本当に勇気のいる大変な行動だったと思います。
何せ…北海道にプロ野球チームを誘致なんて、当時ではまさしく夢物語でしたから。
毎年9月後半には雪が降り始め、4月まで残雪が残る・・・
私も10年以上前の話ですが9月上旬に北海道に行きました。
夕方6時過ぎの気温低下には正直ビックリしたものです。(現地の人は慣れていましたが、私はセーターが必要でした)
いくらドームと言え、また…道や地元の後押しがあるとは言いながらも、球団首脳は移転までの決断に苦悩が伴ったと思います。(パ他球団の移動経費含め)
しかし日ハム球団の凄さは、道民に根付くサービスもですが、同時にチームを強豪にするための施策を繰り返したことだと思います。
球場内サービスの充実はもちろんのこと、地域密着に関し底辺まで裾野を広げチームの認知度を図った。それも人任せにすることなく…
またプロジェクトチームが機能するための投資も惜しみなく使っていると聞きます。
それらを駆使し、ファンを飽きさせない企画演出の数々…(新庄やダルビッシュの会見など)
選手獲得におけるスカウティングの細かさ…
そこにはチームが強く魅力もないと、多くのファン開拓できないという、まさしく地元北海道の歴史にうまくマッチしたのかもしれません。
それもすべて、現在の大社オーナーが先頭に立ち、チーム改革を伝統化させた影響だと思います。
ダルビッシュや中田翔に斎藤などの人気選手を獲得し、一人前にする方針や積極的な補強姿勢。
高校生もドラフト指名する条件として、最低限二軍レベルに達した選手しか獲得しないという方針。
また、小笠原、新庄、ダルビッシュが抜けても、それを感じさせず補いのある選手層の厚さは、日ハムの確立したスカウティングにあると思います。
最後に、フロントと現場の姿勢がハッキリしているのも、日ハムの強みです。
選手獲得や補強にコーチ人事など。
フロントが責任を持って行っています。
ここも多額な投資行い、導入したシステムをうまく活用されているのでしょう。
それらの積み重ねが、監督経験のない栗山氏を招聘しても、チームに混乱はないとの結論に達したのかもしれません。
いずれにしても結果社会の世の中ですが、日ハムに限りは、フロント・現場スタッフ、選手と三位一体になっていますので、ここまでの結果は必然だと思います。
カープも見習ってほしいものです。