幕末気象台

おりにふれて、幕末の日々の天気やエピソードを紹介します。

弘化三年六月十七日(西暦1846年8月7日) 大阪、嶋の赤とんぼう群集して北へ

2023-06-22 23:08:54 | Weblog
この度は、大坂の八軒家絵巻様より頂きました、お題「弘化三年六月十七日(西暦1846年8月7日) 大阪、嶋の赤とんぼう群集して北へ」の時の天気について考えたいと思います。

八軒家絵巻様によりますと、「弘化三年(1846)に大坂中之島の上空を赤とんぼうの大群が北の山をめざして飛んで行ったとゆう怪異現象を調べて」いるとのことですが、
以前、御教示いただきました、竹垣直道の日記に「半晴小雨今朝立秋」とあります。
半晴と言うのが曲者で、全く定義がありません。
竹垣日記と大阪とその周辺の天気を突き合わせてみますと、おそらく、晴れたり曇ったりなのではないかと思われます。
全国的な天気概況を申し上げますと、六月十五日は、関東を除き晴で、翌十六日は全国的に不安定な天気となり雷や夕立があったところが多かったようです。
(本来ですと、天気図を出したいところですが、天気図作成ソフトが見当たりませんので失礼致します)

続きまして、十五、十六、十七と大阪付近の天気記事を挙げてみますと

   十五日   晴【奈良】 天キ【池田】 晴天【池田】 【大坂】 晴【浮世の有様】晴【大坂】 天気、炎熱如きのふ【大坂】 天気よく風吹【東大阪市】

   十六日   晴90度(摂氏度)也、、午後迅雷、是はとおもひしか西北之方え鳴行たり、近山より起りしなるへし【奈良】 天キ、夕雨【池田】 晴天午下刻夕立東風【池田】
         晴、遠雷【竹垣直道日記】【大坂】 晴【大坂】 烈暑、三十二度強、夜廿七度冷気覚【大坂】 天気よろしく、、夜風吹雨少々降り申候、、風吹【東大阪市】

   十七日   晴、きのふはひるも夕かた雷深夜に至り又雷其節少々雨今朝は少すすし【奈良】 天キ【池田】 晴天東風【池田】
         半晴小雨今朝立秋【大坂】 寅刻より雨、辰刻止【大坂】 朝かた夕立在、暑廿八度、四ツ三十度、【大坂】 天気よろしく、、同【東大阪市】

となっております。
当日十七日の
大阪の天気を総合しますと、午前六時ころから午前八時頃まで時雨が降り後は晴れたり曇ったりと言ったところでしょうか。

赤とんぼをの性質をウィキペディアで調べて見ますと、赤とんぼは暑さに弱く、平地で成長したのち、涼しい山岳に移動し、産卵の時にはまた
平地にもどる。とのことでした。

そういたしますと、この弘化三年六月十七日は、避暑のため大挙して赤とんぼが移動していったのではないかと推察し、当時の気温を調べました。
大阪のぶんは記録が乏しく、江戸の霊憲公簿で気温の傾向を調べました。

と言うところで、とりわけ気温との関係がはっきりしてはいないようです。

大阪の記録によりますと、十五日の気温は「炎熱きのふの如し」十六日は「烈暑32度強、27度冷気覚ゆ」十七日は「朝方28度、午前十時ごろ30度」と大変な暑さが続いています。
摂氏30度を過ぎると、赤とんぼの命に関わる暑さのようで、涼しい北の山を目指して必死の飛行だったのでありましょう。

今年の夏も暑そうですね。
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強盗団【頭突(ずずき)連中

2023-05-20 18:11:23 | Weblog
強盗団【頭突(ずずき)連中】

近頃、恐ろしい強盗が流行っています。
文字通り無法で、暴力で目的を達成しようとする輩です。
幕末にも多くの犯罪がありますが、かなり悪質な集団もあり、【浮世の有様】【大坂】の天保九年二月三十日の記事に、

近来盗賊、巾着切の類大に勢ひ振るひ、住吉街道、天王寺辺は申に及ばず、市中にても往来の者共白昼にはぎ取りぬる事、傍に人なきが如く甚しき事也と云、北野、曽根崎の辺には頭突連中と唱へ、大勢の党を結び、頭を以て人に突掛り喧嘩なして、大に人をゆすり打擲せし上金銀を奪取、此連中には角力取なと打交り、甚しかりしかとも、追々に此悪徒共は召捕へられしと云【浮世の有様】【大坂】

とあります。
天保九年はまだ天保大飢饉の影響がさめやらぬことであり、公権力のゆるみもあったのでしょうか、白昼の追剥も多く出現したことが書かれています。
大阪の、北野、曽根崎辺りの悪党の中には、【頭突連中】と言うグル-プがあり、関係ない人に、頭突をして因縁をつけ、喧嘩をして、ゆすったり、暴行を加えたりして、御金を奪い取っていたグル-プがあったようです。
次第に召捕られて行ったようですが、凶悪な輩でございます。
何か、今の強盗に似ているような?

「傍に人なきが如く甚しき事也。」

桑原、桑原
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週休二日 下総国貝塚村 與治右衛門の休日

2022-11-19 15:59:18 | Weblog
先日、下総国貝塚村 與治右衛門の年中日記帳を読みました。



この日記は、貝塚村(千葉県匝瑳市)に住む御百姓、與治右衛門の日々の生活と世状が記されています。
この日記は安政五年の一年分の日記ですが、珍しいことに月毎の労働日と休日が書かれています。

以下紹介しますと、
    一月 〆 十二日休   
         十七日働
    二月 〆 十日休
         二十日働キ
    三月 〆 九日半不働休
         十九日半働申候
    四月 〆 十日休
         十九日働キ
    五月 〆 六日半休
         二十三日半働
    六月 〆 二十日働キ
         九日休ス
    七月 〆 二十日半働
         八日半休
    八月 〆 五日風待   
         二十五日働
    九月 〆 十日不働
         二十日働
    十月 〆 四日休
         二十五日働
    十一月〆 八日休
         二十二日働
    十二月〆 七日休
         二十三日働




  凡 三百五拾四日之内
年中〆 九十九日休
    弐百五十五日働
 とありまして、農繁期の休みは少ないことが分かりますが、年間で354日のうち255日働き99日休みと書かれています。
割合にしますと、二割八分が休日となっています。これを週に直しますと1.96日の休日となっています。
 貝塚村 御百姓 與治右衛門さんは、概ね週休二日だったことが分かります。

ちなみに、一月の日記から労働記録を抜いて見ますと、
   元旦                      休
   二日   縄壱ツなへ              休
   三日   草履作る 弐足            休
   四日   熊手□本拵へ             休
   五日   宮本より八日市綿買ニ行、ヲダキ削り  休
   六日   朝山入前嶋、夫より赤羽根山刈、昼より宝光寺へ働キニ行
   七日   斧柄拵へ、小仕業
   八日   長崎□□□ 山刈
   九日   長崎赤羽根 山刈
   十日   前嶋赤羽根 山苅
   十一日  前同様山苅
   十二日  屋形年玉ニ行
   十三日  長崎山苅
   十四日  赤羽根ソダマルキ
   十五日  酒屋ニ而若蔵nへ行
   十六日  平兵衛□□礼
   十七日  平兵衛花ゆキ
   十八日  飯倉山苅
   十九日  飯倉山苅
   二十日  昼より祭礼ニ行
   二十一日 四ツ半より祭礼ニ行
   二十二日 早朝より善右衛門葬礼ニ行、穴掘役
   二十三日 飯倉山苅
   二十四日 草履作る
   二十五日 ヲダ木棟削り、昼より祭礼ニ行
   二十六日 飯倉山苅  麦作入
   二十七日 七兵衛へ山茅カケ渡ス、四ツ□鎮守田土入 休
   二十八日 瓜保タメ出し              休
   二十九日 モツコ拵へ

とあります。
一月は、農閑期なにで、山仕事が中心のようです。
十二日休みと記していますが、休と書いてあるのは元旦から五日迄と二十七日、二十八日の七日間です。他の五日は日記の内容から、平兵衛の花に行った十六、十七日、祭礼と葬式の二十、二十一、二十二日が休みではないかと思われます。
ただ、休みの日でも縄や草鞋熊手などを作ったり、タメを出したり、ちょこちょこ仕事をしていたようです。

結論を申し上げますと、週休二日位を、当人の與治右衛門は意識していたようですが、勿論曜日の感覚はなく、用事があると休みを取っていたようで、一日の労働時間も分かりません。

私の感覚では、明治から昭和の人程は働いていなかったような感じです。

明治政府によって民衆はネジを巻き込まれ、労働に戦争に駆り出されて行ったような気もします。

今の世の中を見ますと、物騒で世の中終わりになるかも知れません。

鎖国をして、儒学を学問の中心に据えた、徳川幕府は偉大な平和主義だったと思います。











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唐丸のこと

2022-09-03 22:22:18 | Weblog
 ご無沙汰しております。
ようやく涼しくなってまいりました。
相変わらず、夜な夜な各地の日記を解読して楽しんでおります。
先日、仙台藩重臣の茂庭周防の家来の日記「日穆清 掌中録」を読んでいまして、
元治二年三月二十三日(西暦1865年4月18日)の記事の中に

「峯松手かへ之唐丸、猫ニ被取、半死半生ニナル」
とありました。
さて、手飼の唐丸とは、何かペットのようなものだと思いましたが、気になりました。
翌々日の三月二十五日の記事には、次のようにありました。

「峯松手飼之唐丸養生不叶暮ニ隕ル」
猫に襲われた唐丸は養生の甲斐もなく暮に死んでしまいました。
唐丸とは一体何なのでしょうか?❓。
次の日の二十六日

「峯松手飼之鶏、山ノ中段へ寅治両人ニ而埋」
とありまして、唐丸は鶏だと分かりました。そうとうに大事にされていたようです。

唐丸とは鶏の個別の愛称なのか、種類の名前なのか、分からないので、早速インタ-ネットで検索してみました。
運良く、唐丸が検索に引っかかりました。「鶏の種類」様の記事によりますと   
曰く
    蜀鶏 とうまる(唐丸 とうまる)
昭和14年9月7日、天然記念物に指定されている鶏で、
   蜀鶏は、東天紅鶏、声良鶏とともに日本三大長鳴き鶏のひとつです。
   謡の標準は数メ-トル離れて、人が聞こえる範囲で15秒です。
とありました。
また、ユ-チュウブで実際の声も聞けました。
便利とは言いながら、恐ろしい世の中になりました。

幕末に、宮城県の松山町で、貴重な唐丸を大切に飼育していた、峯松寅治という人がいた事が分かりました。
何でもないようなことかも知れませんが、江戸時代の多様性がまた一つ見えて参りました。

私こと、唐丸の鳴き声を真似てみましたが、声が枯れてしまいました。
小さな体で、声の出ること、さすがは、天然記念物でありますな。
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石楠花

2022-05-01 15:43:38 | Weblog


この頃、またお天気史料が集まり、データベースに入力しており、
さっぱり、記事を投稿していません。

庭の石楠花がとても美しく咲いています。
花の写真をアップします。

「天のみやげに何もたそう、 奥州仙台石楠花の花」

と言う民謡があったような
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吉原放火 遊女の意図 嘉永二年八月五日(西暦1849年9月21日)

2022-03-13 14:07:17 | Weblog
先日、晩酌をしながらテレビをみていますと、「歴史探偵」と言う
番組で、遊女による吉原の放火事件を放送していました。

放火には、必ず意図があり、その意図により放火日の天候を選ぶのが
通常です。
「吉原遊郭」は大変興味深く拝見しましたが、天気好きの私には、もう少し放火当日の
天気を掘り下げて頂きたいところです。

そこで、吉原の梅本屋、豊平他遊女16人放火の日江戸の天気を見ますと、

 雨、8つ後より晴【鎌田日記】【江戸】
 朝雨午後晴【林日記】【江戸】
 小雨 巳の刻過止 曇【江戸日記】【江戸】
 雨降昼後晴暮時より又雨【月岑日記】【江戸】
 雨天【梅若実日記】【江戸】
 朝より四ツ時迄降夫より天気、夜に入又雨多分【二宮尊徳日記】【江戸】
 朝雨西北風、74度、29寸4分3厘【霊憲候簿】 23.3
 午正雨西南風、75度、29寸4分6厘【霊憲候簿】 23.9
 昏曇南風、昏後雨、77度、29寸5分2厘【霊憲候簿】 25

となっており、江戸も広いので一概には言えませんが、
朝から午前10時~昼ぐらいまで小雨、昼すぎには止み曇り
夜になるとまた雨が強めに降った様子です。
ちなみに気温は摂氏23~5度で、風もなく湿気の多い温暖な一日でした。

天気の概況を見ますと、七月末ごろから、八月中旬頃まで関東付近に丞
秋雨前線がかかり、湿気の多い日々が続いています。

このような状況での、火災は広がりにくく、放火の目的は火事を起こすことの
他にあったようです。
吉原から抜け出すためだったのでしょうか。

北町奉行遠山左衛門尉は、その辺も考慮に入れてのお裁きだったと思われます。
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権威より金 弘化三年山之内豊熈大井川越え 

2021-10-11 18:34:34 | Weblog


手元に弘化三年の、土佐藩主山之内豊熈の参勤に随行した{小原與一郎(武市半平太らと他藩応接役、維新後は倉敷県知事となった人のようです)の記録がある、参勤御供の通達から、江戸到着までの子細が書かれています。
なかでも、大井川越えの部分の記述が面白いので紹介してみたいと思います。



弘化三年三月九日、高知を出発した山之内容堂の行列は江戸を目指し四月三日増水して濁っている天竜川を渡り日坂の宿に入った。
折しも大井川も増水しており、島田本陣の新右衛門によると、大井川は、三月十七日から四月三日までで川明の日は、三月二十二日と二十九日のたった二日だけであった。足止めを喰った旅行者で日坂はごった返しで、
「下宿、ウドン屋平吉二階座鋪也、旅籠ニ非ス」
とあり、與一郎は、旅籠屋にも泊まれずウドン屋の二階で泊まったようです。
翌日の四日も川留めで、ウドン屋にもう一泊です。
脚止めとなり,
本陣の豊熈侯は当然不機嫌です。
五日は川明となり、七ツ半出発
  「大井川今朝ヨリ明川故大混雑ニテ、宇和島侯、分部侯、二條御番等群集、川端ニテ休  
  ム也、然ニ伊達ノ同勢早ク渡ル、川役ノ者料ヲ増シテ渡ル也、駕籠夫荷夫四人共逃テ不居合、家来不案内故ナリ、依テ島田迄三人三百文ニテ自力雇イニスル 」



というわけで、大井川川辺は土佐二十四万石 山之内侯、宇和島十万石 伊達宗城侯、大溝二万石 分部侯、京都二条城御番役の幕臣などが休んでいました。大名たちの家来だけでも千人を優に超えたと思われます。中に、後の四賢侯の一人伊達宗城の一行は手配良く、人夫を高額で雇って大井川を越えます。
一方土佐藩の小原與一郎には来るはずの四人の人夫が来なくて、自費三百文を払って三人の人夫を雇って漸く川を超しました。
大名といえども、油断のならない川越人夫のしたたかさが面白いですね。

「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」やはり「地獄の沙汰も金次第」といったところでしょうか。

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文久三年七月九日、十日の大風雨

2021-08-15 13:00:55 | Weblog
 文久年間の台風と思われる風雨をみてまいりました。
やってみて、レ-ダ-や衛星雲画像のない時代の、台風予報の難しさを痛感いたしました。
台風予報で、富士山頂のレーダ-設置は画期的なものだったのだと改めて分かった次第です。

今回は、文久最後の台風と思われる、文久三年七月九日、十日の大風雨について調べて見ました。
先ず、七月九日の天気を見てみますと、

文久三年 7月9日 新暦 8月22日 英艦横浜に帰着

晴天夕少々雨気也【奄美大島】晴天北風【鹿児島】晴天【豊前】晴天【高山】晴【小倉】
晴【下関】 晴天【田之浦】 晴、時々曇【山口】照、風高し、夕そはへ【広島】
陰小雨風後甚雨【京都】雨下【若山要助日記】【京都】 昨夕より大風雨【木津】雨降風荒吹夜同断【京都】昨夜より烈風,今日風雨【大坂】辰刻より大雨【池田】
雨、、晩方雨やむ、夜月明也【土佐市】
昨夜より大雨、今日終日長瀬もやう大降、前川昼後船留ル【松坂】 雨ふり天気【豊田】曇天、朝風雨【紀州田辺】雨天、時々大雨風荒吹しける、、終日同様、夜前より出水、定水より七八尺上ル、夕方より風立雨とも止む【熊野】
晴【鯖江】晴昨夜より今朝小風【巻町】 雨天【鳥取】雨降【鰍沢】雨【甲府】
北気ニ而陰、時々時雨、少々辰巳ニ替、大時雨、又々息、又降【横須賀】雨天、久々照続候処昨夜中より折々雨今日も折々降余程湿ニ相成候【生麦】曇天【藤沢】
辰巳風天気夕刻より大雨【新島】夜中より雨ふる、四頃止、又昼前より強く降る、、夕方少し晴る、日暮又降出し、深夜風雨【齋藤月岑日記】【江戸】終日雨夜更ニ成大風【世田谷】晴朝より折々大雨度々81度【江戸】
曇り五つ半頃降り八つより晴れる間もなく曇る【江戸】大雨【武蔵村山】今暁大雨追々引続降、、夜中雨降大風【多摩】 大雨【国立】 ●朝より雨大降いたし【あきる野】雨多くふり、水出ける、是にてよくしめりける【青梅】
雨天西南風【銚子】朝大雨、夫より時々雨【吉野家日記】【流山】雨降、四月より今日迄夕立或俄雨のみにして本降の雨一日もなし、されとも折々夕立有て田畑ともに作物よろしく人気穏なり【中之条】
久々ニ而雨ふり、78度、86度、明七ツ前より雨降、明六ツ時止六ツ半時より雨ふり、五ツ時迄大雨夫より快晴暑気、八ツ時より又々雨降半時斗にて止、夜中も至極晴【大高氏記録】【水戸】昨夜ヨリ雨,今朝五ツ頃ヨリ甚【日光】
朝より時雨昼頃大雨南風有夕八ツ頃より雨夜ニ入迄【相馬】
曇【山形】 晴【川西】大暑成【田代】晴【津軽】
曇天【日鑑記】【厚岸】


とありまして、九州や中国地方は殆ど晴天となっていて、天気の崩れはありません、四国では、晩前に影響あった様子です。一方近畿では日中に雨風が強く、関東では夜に大雨強風となっております。
東北でも 南部の太平洋側で影響が出ています。 してみますと、台風は近畿から方面から関東方面へ東北東へ進路をとったような感じもします。
翌十日は、

文久三年 7月10日 西暦 8月23日

晴天北東風【鹿児島】晴天、今晩雨【高山】晴天【豊前】 晴【小倉】晴、昼時分白雨、両度岡水流【小倉】
晴、、夜中小雨【土佐市】晴風、小震【丸亀】
晴【山口】 晴天【田之浦】快晴午時白雨【下関】 晴【長府付近】照、、四ツ過地震、長々三度に至る【広島】
西風新涼陰天【大坂】朝陰小雨後属晴【京都】雨降夜曇【京都】  雨間雲西に変ル、昨日出水川留、間々てらてら、折々雨降ル、、夜雨降ル【熊野】
天気【松坂】 朝より雲登る辰巳風強し、、夜大雨【豊田】
半天【鳥取】 曇折々小雨【巻町】晴【鯖江】
西風天気【新島】南気ニ而大時雨、後ニは息、又々時雨降【横須賀】 雨風【藤沢】 陰天、昨夜中より大風吹【生麦】
風雨、、四時前より雨止、曇、風【江戸】朝七つ半大雨降る五つ頃晴れる【江戸】昨夜より嵐今朝雨止、風【江戸】
嵐【世田谷】四ツ時頃迄ふる、後日天気にて南風吹【青梅】大雨風【国立】
雨天南風【銚子】 暁より大南風雨、四ツ時頃雨止、夫より南風【流山】昨夜ヨリ大雨、昼後ヨリ止【日光】曇或雨折々ふる【中之条】
暁七ツ半頃南大風雨朝少々風静ニ成り雨有夕七ツ半頃より晴【相馬】 昼頃より大雨也【花巻市】【矢沢地区】 雨、夜大雷雨【山形】大暑昼過より雨ニなり度々ふり【田代】
昼頃大雨半時計降【鯵ヶ沢】 雨天【厚岸】

とあって、大雨強風は関東で午前中、北東北では午後からとなっています。また、北海道厚岸町でも雨となっていて、台風の影響があるように思えます。

文久三年 7月11日 西暦 8月24日

曇雨【奄美大島】曇、晴天【高山】晴天西風【鹿児島】 晴天【豊前】晴【小倉】
夜涼、78度【丸亀】 半晴、、夜月明なり【土佐市】 晴【下関】晴、、大分冷気ニ成【山口】照、雲あり【広島】
半天【鳥取】晴、昼後雨【鯖江】晴暑甚敷夕刻雨諸有人悦無限夜ニ入益々降雨【巻町】
晴【京都】 晴又曇【京都】 陰辰半後晴暑【京都】双天夜同断【京都】晴【大坂】曇未刻小雨【池田】
夜雨降ル【熊野】雨ふり、、夜天気【豊田】曇り、四ツ過よりてらてら、、八ツ過より一しきり雨降ル、、 折々雨【松坂】
大風雨【駒ケ根市】 雨降【鰍沢】 雨【甲府】
辰巳風雨【新島】 大南ニ而大時雨、夜ニ入大雨降、雷鳴あり【横須賀】雨降り【藤沢山日鑑】 雨天、南風強シ【生麦】
朝晴、夫々少し雨、、冷気なり、、夜も雨【江戸】大風折々雨78度【江戸】 午後風雨【江戸】朝晴時々小雨風【世田谷】晴天、、四つ時雨降る【江戸】 雨ふる【青梅】
七月中、79度、83度、朝より快晴むら雲折々雨振り、大南風ふく、夜中も大南風ニ而夜明方止【水戸】朝晴、四ツ時頃より時々大雨、南風【流山】 晴曇或雨降【中之条】 天気西南風【銚子】大雨大風【国立】揚げ雨【武蔵村山】
雨天【石川日記】【八王子】 風雨【富沢家日記】【多摩】
朝より暑気強し晴夕八ツ頃大時雨【相馬】 晴【相馬】半晴【山形】天気【尾花沢】朝風八ツ過より雷声雨夜入強し【田代】下り風ニて少々ふり、盆中折々ふり雨【鯵ヶ沢】
晴天【日鑑記】【厚岸】

七月十一日台風は一過したと思われますが、東日本でムラのある天気となっています。
水戸や銚子、流山では南寄り風が吹いています。本来ですと台風の反時計まわりの風の循環から、西または北よりの風が吹けば分かりやすいのですが、実践では理念通りは動かないようです。

また、はっきりしない分析になりましたが、文久年間は猛烈な台風の上陸はなかったようです。
敢えて、被害の大きい台風をあげれば、薩英戦争時の台風だったと思います。
もし、砲弾の中をペリカンが飛んでいたとしたら、大変珍しい景色だったでしょう。

ながながと台風を調べてまいりましたが、能因法師の一句にて締めたいと思います。

     都をば 霞とともに立ちしかど 秋風ぞ吹く 白河の関
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文久三年六月二、三日大風

2021-07-18 15:41:57 | Weblog
この度は、文久三年六月二、三日大風について調べて見ます。


文久三年 6月1日 7月16日 米艦下関を砲撃する。庚申丸沈没壬戌丸被打、、【広沢真臣日記】

晴天【厚岸】 朝より晴暑気強し【相馬】皆晴、87度ニ上る【山形】天気南風【銚子】
四ツ時雨直止、九ツ時雨直やむ、九ツ半時より快晴暑気つよし【水戸】
明前雨、朝より晴る、、夕方少々雨直ニ止む【江戸】晴天82度【江戸】
南気ニ而少々時雨、後ニは晴、又々陰【横須賀】辰巳風天気時雨【新島】
晴天極暑【巻町】 曇【鯖江】半天【鳥取】
雨天強雨風荒吹、夜前より川越不出来【熊野】夜晴、、雨ふり、、巽より雲登るざんざふり【豊田】
天気風雨時化 初更ノ頃ヨリ強雨屡来【赤間関】辰刻より折々小雨【池田】曇或雨未刻過より雨【京都】
照【広島】晴暑89度、晩間疎雨一霎【丸亀】半晴、九ツ頃より小雨、、夜ニ入雨大ニ降る、、波大ニ高し【土佐市】
晴天【豊前】晴【小倉】 雨、晴天【高山】
東北風晴天【奄美大島】


先ず、六月一日(西暦7月16日)の天気分布を見ますと、
北海道、東北では台風の影響はなく、関東では、天気が変わりやすくなっております。
中部、近畿地方では、熊野で「雨天強雨風荒吹、夜前より川越不出来」とあり台風の影響が顕著です。
台風のスパイラルバンドの影響でしょうか、京、大坂では時々雨になっているようです。
下関では、「天気風雨時化 初更ノ頃ヨリ強雨屡来」とあり、また土佐市では「半晴、九ツ頃より小雨、、夜ニ入雨大ニ降る、、波大ニ高し」
とあり、中国、四国地方では夜になると雨風ともに強まった様子です。
九州では、晴の記述が多く、高山を除き台風の影響は見られません。
(史料の気温は華氏です)



文久三年 6月2日 7月17日

晴天【厚岸】晴【久那志利、戸鞠】
天気吉【盛岡】朝より晴【相馬】 晴、86度ニ上る【山形】 大暑し、風もなし静ニ而宵過前より雷声大雨ニ成【田代】
夕刻風立晩少々雨降悦入【巻町】晴【鯖江】雨天【鳥取】
79度、89度、朝より快晴大暑終日南風吹むら雲あつし、夜中殊之外晴【水戸】曇時々晴、夕小雨、大南風【流山】雨【日光】
晴天折々曇り83度【江戸】天気よし、、八過至少し通り雨【江戸】南風時雨【新島島役所日記】 天気西南風【銚子】
晴天南風強し折々吹風雨【生麦】大南ニ而時々陰、又々晴【横須賀】曇天雨降【藤沢】 曇【甲府】
朝よりざんざ日和、、瓜茄子切る【豊田】雨天時々大雨、風荒吹大ニしける、川水不減いよいよ川留、、夜通し大ニしける【熊野】雨天【紀州田辺】
陰、小雨時々降ル【京都】朝曇或雨未刻過より雨【京都】双天折々雨降夜同断【高木在中日記】【京都】晴辰半後陰雨【中山忠能日記】【京都】
照【延命録】【広島】時化天気宮川支 微雨【馬関攘夷従軍筆記】【赤間関】
雨、四ツ頃より風添ひ、大雨、晩景やむ、夜ニ入又ふる【真覚寺日記】【土佐市】風雨晩晴【鳥居日録】【丸亀】
晴天【友枝手永大庄屋日記】【豊前】晴【中村平左衛門日記】【小倉】雨、晴天【守屋日帳】【高山】 晴曇東南風【桂久武日記】【奄美大島】

六月二日には、北海道、東北では台風の影響はなく、関東では台風の影響下に入り、南風がつよく所々で雨になっております。
熊野では「雨天時々大雨、風荒吹大ニしける、川水不減いよいよ川留、、夜通し大ニしける」下関では「時化天気宮川支 微雨」
と雨のため川止めとなっており、四国では「雨、四ツ頃より風添ひ、大雨、晩景やむ、夜ニ入又ふる」【土佐市】風雨晩晴【丸亀】
で、暴風雨は土佐市で午前10時頃から晩頃までがピークだったようです。
また、九州では高山を除き台風の影響は見られません。



文久三年 6月3日 7月18日 江戸大火、江戸城西の丸類焼。今暁明前より麻布飯倉町より出火寅ノ御門ニテ止ル八半時比迄焼ル【梅若実日記】【江戸】筑後国洪水【日本の気象史料】

雨天【厚岸】雨【久那志利、戸鞠】
雨ニ而四ツ頃より洪水ニ相成候、、出水ニ相成候【田代】昼頃より七ツ頃迄雨ふる【盛
朝より晴曇り暑気強し夕七ツ頃雷鳴有【相馬】明け方雨、半晴【山形】天気、雨少々【尾花沢】
照【鰍沢】 晴天【巻町】晴【鯖江】晴【甲府】
晴或雨降【中之条】 天気南風【銚子】朝よりむら雲南風吹、あつし、夕方迄南風つよし、夕方止、夜ニ入雨ふる【水戸】
晴、大南風、夕小雨【流山】南風天気【新島】日和南風大ニ吹昼後折々霧雨【多摩】
天気よし、風、、南大風四時頃西御丸炎上【江戸】雷大風、六ツ時微雨其後晴西南風也【江戸】 晴大風85度、、南風【江戸】 晴天南風烈しく、、火、、【江戸】
大南ニ而陰、後ニは晴【浜浅葉日記】【横須賀】
折々雨追々空宜西風、川止、、時化追々様子宜、宮川支【松坂】雨天、時々大雨風、風荒吹しける、、九ツ時時より雨細ル、宵の間晴又夜雨降ル【熊野】朝より雲戌亥へ登るざんざ日和也【豊田】
晴天未刻雨【池田】 雨或曇【京都】雨、夕立【京都】双天【京都】 照夕雨【広島】
雨、蒸【丸亀】雨九ツ半頃やむ、暑しやむ、暑し夜星皆見ゆる【土佐市】
六ツ時微雨其後晴西南風也 晴天【豊前】 曇【小倉】雨、晴天、今晩風強【高山】東南の風【奄美大島】

六月三日は、
北海道東北では日本海側を中心に雨、田代では洪水になっております。
関東は強い南風が吹き晴または微雨となっています。
紀伊半島では、折々雨追々空宜西風、川止、、時化追々様子宜、宮川支【松坂】雨天、時々大雨風、風荒吹しける、、九ツ時時より雨細ル、宵の間晴又夜雨降ル【熊野】とあり
昼頃まで大荒れで、台風は通過して空宜西風となったようです。


文久三年 6月4日 7月19日
天暑気甚シ七ツ時氷雨俄ニ降【厚岸】 晴【野付】
朝より晴暑気強し【相馬】
半晴、雨【山形】 天気【尾花沢】晴間々少々ツツキリアメハラハラ【巻町】度々雨ぬれす【田代】
テンキヨシ、雷ニ而フル【玉村】五時80度、八時89度、朝よりくもり、五ツ時より小雨ふる、四ツ時より雨上大暑?分ニ凌かね候、夜中も戸を明休候程也【水戸】南風天気【新島】
天気南風【銚子】 晴【江戸】晴天87度【江戸】 北気ニ而晴【横須賀】快晴【藤沢】
天気快晴、五ツ過川明【松坂】雨天、四ツ時より晴ル【紀州田辺】朝より天気暑し【豊田】雨天時々小雨間々てらてら【熊野】
快晴五ツ頃川明烈暑 晴【京都】晴【京都】 晴天【池田】
晴天【鳥取】晴【鯖江】
風、曇【広島】半晴四ツ頃急雨直ニやむ、夜半天ニ星有【土佐市】
曇、軽雨暫時【小倉】雨、晴天【高山】東南の風【奄美大島】


六月四日には、特に台風の影響は見られないようです。


さて、台風進路の進路ですが、四国付近通過は六月二日夕方で、熊野付近通過は六月三日お昼ごろと考えられます。
非常にゆっくりした速度で進んでいます。その後の進路については、太平洋上を東進したか、急速に衰えて日本を縦断したか
はっきりしません。六月三日の田代での洪水は台風からの南風が、前線に吹き込み大雨となったような気がします。

またも、十分な解析ができず、残念です。

次回の台風ですが、安政三年七月二日に薩摩に到来していおり、折しも薩英戦争の日で、当ブログの「英戦争 台風を追え」で
取り扱いましたので、そちらを御参照ください。
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文久二年七月二十四、二十五日の大風

2021-05-23 18:33:52 | Weblog
 続きまして、文久二年七月二十四日、二十五日の大風について見てみます。

文久二年 7月23日 西暦 8月18日 暁、嶋田左兵衛の首四条河原にさらさる【京都】

陰天,四ツ頃より晴ル、九ツ頃急雨、、夜中陰る【土佐市】 晴天東風吹【伊予松山】
風雨まじり【京都】晴天風強【池田】霽、、未牌天忽陰、、風挟雨到、、須臾天光如拭、、夜陰【海南市】
雨天、時々大雨、風立川越大造也、、夜大雨、川水いよいよ大水、風立しける【熊野】
東風天気時々雨【新島島役所日記】辰巳風あら吹、昼後南風ニ替る【八丈島】
天気よし、、夜中雨【齋藤月岑日記】【江戸】 晴天82度【梅若実日記】【江戸】
75度、84度、朝より快晴暑気、終日夜中迄つよし、八ツ過より折々雨南辰巳風【水戸】
朝より晴【相馬】

となりまして、九州地方には悪天候はなく、近畿地方で「風雨まじり【京都】」など台風の前兆が感じられるようです。
八丈島で「辰巳風あら吹き」とありますが、関東東北地方では、まだ」はっきりした影響はないように思えます。
続きまして七月二十四日は、

文久二年 7月24日 8月19日 駿河越後諸国大風雨洪水【日本の気象史料】

曇晴【奄美大島】晴【小倉】曇、晴天【高山】
五ツ頃より雨、、晩方小雨大風、、日入頃より風斗ニ成る、夜中風やます暑し【真覚寺日記】【土佐市】
烈風雨【京都】折々雨大降小降或風雨、、七つ頃より風雨烈し、、終夜風雨弥夥し、夜中座敷はもる大騒に御座候【京都】双天雨降風吹夜雨降風大荒吹風増々大荒吹雨降【京都】
雲リ天気、大風吹、、七つ時より小雨ふり出し、壱日壱夜大風ニ成【枚方】八ツ時より大風にて、又大雨、、大風雨中、、夜通し大風雨【木津】
陰、、午後より風甚敷吹、、晩來風益甚夜不止、、鶏鳴後雨来ル到暁漸止【海南市】雨天荒吹大雨洪水になる、満水、壱丈余り上ル、、夜明方より雨上ル【熊野】
風雨強し、、終夜風雨不休【豊橋】夜入同断【岡崎市額田】
しぐれ、、晩大風ふき【小諸】
辰巳烈風雨【新島島役所日記】
北気ニ而陰、雨降、後ニは大南ニ替、大雨降、夜ニ入辰巳ニ替り大吹降【横須賀】雨天、南風強シ【生麦】
くもり、雨ふる、風、時々ふる、夕方本ぶり、少し冷気なり【江戸】78度、夜九ツ時より南辰巳風にて雨風つよし明方迄大風雨明方より止大くもり【水戸】
曇天南風昨夜中降雨時々降雨【銚子】雨、夕方より大風【中之条】
朝より曇り時化模様夜入雨降大風【相馬】
終日天気好暑気候様【チフカルへツ】 晴天【厚岸】

となっています。この台風では、奄美大島や九州地方では特別な強風大雨の記録はなく二十四日も「曇晴【奄美大島】晴【小倉】曇、晴天【高山】」など
大風の影響を受けておりません、従いまして台風は九州地方の東側を通ったと想定されます。四国地方にも台風の影響は見られますが、直撃程ではないようですので台風の進路は四国の東方
にあると言えそうです。近畿地方の記事には「八ツ時より大風にて、又大雨、、大風雨中、、夜通し大風雨【木津】雨天荒吹大雨洪水になる、満水、壱丈余り上ル、、夜明方より雨上ル【熊野】」
などとあり、近畿地方では午後2時頃から午後4時頃にかけて強い風雨となり、明け方まで悪天は続いたようすです。関東や東北も夜中に風雨が強くなったようです。
北海道では、まだ台風の影響はない様子です。


文久二年 7月25日 8月20日 山内容堂入洛

曇天六ツ半時風止木津川水壱丈八尺増夜同断【高木在中日記】【京都】
雲リ天気、中風吹く、、川表壱丈弐尺水丈ニ御座候【枚方】今日も風雨強し、大川出水六号【豊橋】烈風雨、ハロルメートル一寸弐分下り【松坂】
風雨烈し、、終日雨降、昼七ツ頃より西風替ル【諸色台所日記】【岡崎市額田】
大風フク、片品川大水【沼田】
烈風雨【新島島役所日記】昨夜より大南ニ而時々大雨降、少々のち息、又々大降雨【横須賀】殊之外大風雨、、終日大風雨降り不止【藤沢】
風雨甚し、夜小雨、深夜又つよく降る【江戸】昨夜より大風雨、玉川出水【多摩】雨、野分不止【中之条】76度、宵より雨ふり南風にて終日雨ふり、むしあつし、夕方風ハ止【水戸】
朝より雨降り終日北時化【相馬】朝あれ風、昼頃迄雨降、夫よりはるる【院内】明方より風雨五半頃雨止曇【羽黒町】
朝晴天四ツ時分よりかす天気ニ相成、、八ツ時分より雨天ニ相成【砂原沖】

7月二十五日は上の史料のようになっており、近畿中部では強風が残り前日の大雨で河川の増水しております。関東でも前の夜から夕方まで一日強風雨でした。
東北では、朝から昼頃まで風雨、北海道では夕方より台風の影響があったのではないかと思われます。

まとめますと、文久二年七月二十四、二十五日の大風を引き起こした台風は、二十四日の夜近畿中部地方に上陸したとおもわれます。
中部、北陸の史料が少なく、台風が日本列島を縦断したかどうかは定かでありません。今後史料が出ましたら書き足そうと思います。
また、近畿、中部、関東地方などで長い時間大風雨が続きましたので、進行速度の遅い台風だったようです。

やはり、今回も寸足らずな内容となってしまいました。 どうも






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