幕末気象台

おりにふれて、幕末の日々の天気やエピソードを紹介します。

薩英戦争 台風を追え

2008-09-16 00:46:38 | Weblog
 NHK大河ドラマ「篤姫」も回をかさねてきました、このブログでは当分大河ドラマと関係のある事件の日の天気を紹介してみたいと思っています。前回は生麦事件が放送されたました。この事件をきっかけとして薩英戦争が勃発したのですが、この戦争は台風が接近しているときに行われました。
各種の日記から薩英戦争当日の天気を紹介したいと思います。
生麦事件のあと、英国艦隊が鹿児島湾に入港したのは文久三年の七月二日(西暦1863年8月11日)です。この日は全国的に太平洋高気圧に覆われでした。江戸では「晴天89度」となっています。もっとも当時は華氏による温度が一般的には使用されていましたので、今利用されている摂氏にいたしますと32度程になります。また伊勢松坂市では「34度」の記事があり「炎天燃ゆる如し」天気でありました。九州でも鹿児島県肝付町、小倉市、豊前市などでただ奄美大島の桂久武日記には「曇天、雨少々」とあり、台風による影響が出てきているようです。
五日後の七月二日午後二時薩摩藩の発砲によって戦闘の火ぶたは切られました。台場からの射撃は強力で、二時五分頃には英国艦隊のカピタンとコマントルが戦死しましたが、薩摩藩は軍艦三艘を失い、午後三時には鹿児島市内に火災が起こり、戦争は次第に英国有利に傾いてゆきました。鹿児島湾ではお昼頃から風が強くなり戦闘が始まった、午後二時頃には激しい雨が降り、風は陸に向かって南風がふいていました。台風は七月二日日中奄美大島を通過し、二日夜から三日にかけて九州付近をゆっくり通過、翌三日の夜に日本海に抜けたと思われます。大雨や大風が記録されている地区は、奄美大島、肝付町、鹿児島市、豊前市、小倉市、高知市、丸亀市、山口市、周南市、広島市、熊野市などでした。いっぽう大阪府の池田市では「雨悦」京都市では「甘澤」などとかかれていて干天の慈雨と感じられた様子です。    
この台風での被害は肝付町で洪水、高知市で大風大雨、高波のため、柚、柿、栗などが落とされ畑に被害が出ました。山口では、御茶屋屋根が破損し、講習堂大炊事場が倒れ、かわらが吹き散らされ、民家でも屋根や障子などに被害がでました。周南市では大風のため大木が折れ通行が困難となり、激浪が起こりました。 七月三日から後の台風は行方がわかりません。韓国の日記で天気がかかれているものがありましたらお教えください。
さて、薩摩藩で台風の最中に砲撃開始したのは戦略的に正しかったのでしょうか、長州藩の攘夷も雨の日に決行されていることが多いようです。火事になりにくいようにでしょうか、船が揺れれば狙いが定まらないからでしょうか、これまたよくわかりません。
ともあれ、東北の片田舎に住んでいて各地の地理が分からなくて苦労します、旅行にゆきたいのですが、隙も金なく、わずかに「篤姫紀行」で の気分に浸っています。

追伸

この記事を書いてから、5年になりました。

先程、対馬「宗家文書の毎日記」の七月三日の記事を見つけました。記事には
「今未明より北風強、追々吹立、昼頃より暴風雨次第に列敷」とありました。
北風が吹くのは台風中心の左側ですので、台風は七月三日の昼頃、対馬の東海上を北上したと考えられます。
コメント
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