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前回、紹介致しました、「村井直壽」の日記を読み進んでおりましたら、
安政六年六月九日に「大坂 伊丹屋四郎兵衛より年始状来る」
とありました。
やっぱり、大坂から舟で江戸に下り、江戸から石巻を経由して盛岡に届いたのだと
思います。
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なんと遅いことでしょう。
「書中見舞いが戻ってきたのは秋だった」
と歌の文句にありましたが、
安政六年の六月九日は、西暦では1859年の7月8日です
歌の文句にいたしますと、
「年賀状が戻ってきたのは夏だった」
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となるようです。
現在は相手に御正月に届くように、年賀状を出しますが、
江戸時代は、相手が何時読もうが頓着しなかったようです。
幕末の人々は以外に自己中心主義者が多いようです。
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きまりに捕らわれた現代人より、人間として奔放だったのでしょう。
もっと遅く届いた年賀状の記録がありましたらお教え下さい。
遅い年賀状較べをいたしましょう。
謹賀新年
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