左手奥に大きなお屋敷が。寄ってみます。
「青木家住宅」。
「建立年代は、当家にある文久2年の祈祷札と同時代と推定される。・・・名主造りと呼ばれる住宅である。」「幕末期に建立された書院座敷を有する地方豪農の上層大型民家で、建物と屋敷構及び庭園は、水戸の弘道館と下屋敷を摸して造られたと伝えられている。」
※文久2年=1862年。
東側から。
江戸時代初期に至るまでの青木家(屋号「本家」)の沿革は不詳の所が多いが、江戸時代後半から大きく屋を伸ばし幕末から明治期にかけての歴代当主は豪農として地域社会の教育振興、勧農などに貢献している。特に青木正太郎(一八五四〜一九三二年)は自由民権家として活躍した。
当家は多摩丘陵最南部の一隅に位置し、屋敷地の前を町田街道旧道が走っている。裏の丘陵に接した平地の中央やや西寄りに南面した主屋(文久二年1862年)を構え、南には表門、東には裏門が建てられている。
主屋西南に上蔵一棟が建っている。生活関係の付属屋は屋敷の東南に建てられ、裏門の西南に木小屋兼堆肥小屋、北にクミアイ、オチャバ、ミソベヤの三棟が建ち、裏山は自然の傾斜を利用した庭園となっている。
青木家の屋敷は旧態を良く留めており、この地方の幕末から明治期における豪農の生活様式を知る上で非常に貴重なものである。
指定面積は7003平方メートル
平成12年3月設置 東京都教育委員会
現在は、開業医をされています。
「国道16号線(東京環状)」が通る「両国橋」からの境川。
対岸は、神奈川県相模原市。
こちら側は、東京都町田市。
途中、街道沿いのお蕎麦屋さんでお昼を食べ、ラストスパート。「多摩境駅」へ折れる右手に「境川」。
右が町田市、左が相模原市。
沿道に大きな屋敷。
ここを左折し、駅に向かいます。「八王子絹の道」で通った道に出くわします。
こちらから来て、
町田街道へ。
京王線「多摩境駅」。
改札口までけっこうな坂道と階段が続きます。今回は、ここまで。次回は、小田急線「町田駅」までの予定です。
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