おやじのつぶやき2

「おやじのつぶやき」続編。街道歩きや川歩き、散歩がてらの写真付きでお届けします。

7月27日(土)。酷暑の向島百花園。カルガモたちの姿が見当たらない池。風鈴。朝顔。そして、隅田川花火大会(開催前の隅田堤)

2024-07-27 17:30:43 | 隅田川

向島百花園のカルガモたち。いったいどうしているか?

ところが、どこを見渡してもいません。

親もヒナもいません。ヒナも大きく育ち、別のところに移動したのでしょうか?

そのかわり、池の上をシオカラトンボがたくさん飛んでいます。

帰り際に窓口の方に尋ねたら、4日前にはいた(7/23)、とのこと。

こうしてカルガモの姿は、来年までおあずけ。

園内には、

風鈴が涼しそうな音色を響かせています。

         

           

足下には木漏れ陽。 

炎天下で花を咲かせている「はす」一輪。

そしてザクロの実が一つ。

朝顔展の準備が始まっています。

            

売店には「氷」の旗が。

この前、TVで放送していましたが、「氷」の旗は全国ほぼ共通なようです。明治政府の販売許可証だった、とか。

アゲハチョウの姿が(↓)。

遠くにスカイツリー。

今日は、「隅田の花火大会」。スカイツリー近辺は大賑わいになるはずです。

間近で眺める機会もなさそうなので、開会前の様子を野次馬根性で行ってみます。

工事中の隅田公園(墨田区側)は立ち入り禁止のようです。

隅田堤も規制線が張られ、もう厳重警戒中。

シートが置かれ、番をする人も。

いつ頃かシートを敷いたのでしょうか? 

                    もう宴会をしている人たちも。

TV中継の準備中。

その向こうには、スカイツリー。

桜橋脇の打ち上げ地点の準備も着々と。

下流を望む。

何だかゴロゴロ雷の音が聞こえてきます。足立のときのように直前で中止にならないよう。

「隅田川花火大会」。

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成田線「笹川駅」~「下総豊里駅」。その4。(「佐原銚子街道」をゆく。第3日目。)

2024-06-01 13:37:34 | 隅田川

先に進みます。振り返る。

店先にスイカ。今年初めて見ました。

                  それよりも、玉ねぎがたくさん、大きい袋に入ったまま並べられているには驚きました。

右手には田畑が広がる。

左手に高橋農園・いちご園。

                          来た道を振り返る。

道標。「・・・観世音 壱丁」。詳細不明。※丁=町 約100m。

「↑銚子 →下総橘駅」。

右手の奥、丘の上には、

「東庄町国民健康保険東庄病院」・「保健福祉総合センター」

バス停「石出」。

「トゥーノーイシデショウ(旧東庄町立石出小学校)」。

やってみたい!が見つかって、やってみた!が得られる場所

千葉県香取郡東庄町では、2020年3月31日をもって、5つあった小学校が1校に統廃合され、4校(石出小学校、神代小学校、橘小学校、東城小学校)の校舎が使われなくなってしまいました。

そこで、東庄町出身者を中心に設立されたオンラア未来会議では、2020年7月から旧石出小学校を、知るための施設”トゥーノーイシデショウ”として生まれ変わらせました。

あらゆる人が「やってみたい!」を見つけ、「やってみた!」が得られる場と機会を創出することを目指しています。

※「オンラア」とは地域の言葉で「私たち」を指し、町内の地域住民はもちろん、町外の住民も含めて、それぞれが「私たち」として
地域の未来を話し合っていきたいという想いを込めて名付けました。

「下総橘駅」に寄ってみます。

上り電車が到着。

国道沿いに「火の見やぐら」。久々に見ました。まだ現役なのでしょうか?

次の駅「下総豊里」駅に向かいます。

房総らしい屋根のおうち。

この先で国道から離れ、右の道へ。

右に入っていきます。

  

路傍に石仏等。

成田線の踏切を渡ります。

下総豊里駅方向。

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隅田川・お花見客でいっぱい。満開の桜のもと。ユリカモメもたくさん。曇り空の下。

2024-04-06 19:56:04 | 隅田川

一昨日からPCの調子が悪く、電源を入れても起動しない。「ようこそ」がかなり長く(何分どころではない)続く。そのまま画面が動かず。

再起動して先達の指示などを参考にして、あれこれ(例えばF8キーを押す)試みてもダメ。

ますます事態は悪化(したのだろう)。PCにしてみればごちょごちょやりすぎだろ、爺さん! 

改善されない。HPで問い合わせてもらちが明かない。相手はおそらくAI。やり取りしても、行き違う。

結局、PCを初期化することに、意を決して。

昨日、5時間くらいかかって初期化。それで済むはずもなく、なんだかんだ我が家のPC様もご機嫌斜め。

何とか再起動はしたが、今度は、メールやウィルス対策ソフトが起動しない。ここまでは、昨日夜。

これらは、「明日できることは、今日するな」という原則に則って、今日に持ち越し。

今朝。メール。Gメールは無料のせいか、すぐ解決。が、主に使っているメールが使えない。問い合わせたりしながら、やっと解決。

次はウィルス対策ソフトがダメ! HPを見てもなんだかよくわからない。読解力不足?

やってみれば簡単なことだったが、悪戦苦闘。家には聞く相手もいない(職場だったら、一瞬で解決できる方がいるはず)ので、・・・。

というわけで、何とか解決。

気が付いたら、昼飯タイムに。

その後、「初期状態に戻す処理中に削除されたアプリ」一覧を見ると、

日頃愛用する「一太郎」、Canonのプリンターなどけっこうたくさん。

※ワードやエクセルも使いますが、どうも不慣れ。

そこで、一太郎をはじめアプリを再度入れなおす作業。

ほっと一息ついて、

満開の桜見物をどうしよう? 

そういうわけで、3時過ぎに隅田川に出かけました。ヒトデ(海星)ではなく人出がものすごい。

今まで、こんなに桜を愛でていたのでしょうか? シートを敷いて車座になって宴会。親子連れもたくさん。

杖を突いた年寄りや車いすの人なども楽しそうに桜見物に繰り出してきています。

最近の政治や経済の閉塞感が一気に吐き出される感。

というわけで。人ごみの桜見物を避けて「ユリカモメ」を眺めていました。

隅田川堤の桜並木。

川面ではボートの練習中。

ユリカモメが次第に増えてきます。

            

柱に止まる。細い線に揺れながら。

ずらりと並ぶユリカモメ。

気が付くと、たくさん。はるか向こうまで。

 

墨堤通りの桜並木。

近所の公団。ソメイヨシノ。

大島桜。

紅枝垂れ桜。

ついでに、近所で見かけた「飛び出し坊や」女の子編。

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墨田区鐘ヶ淵散策。その5。向島百花園。くずの棚。葛粉・葛餅。カルガモ。ヤマユリ。・・・

2023-07-19 18:33:14 | 隅田川

くずの棚。足元には、花びら。

               

※秋の七草の一つ。 開花時期は、 8/15 ~ 9/末頃。まわりの木々を  つるでおおってしまう程の生命力。ひと夏で10mぐらい生長する。花は下の方から咲いていく。大和の国(奈良県)の  国栖(くず)というところが葛粉の産地であったところ からの命名。漢字の「葛」は漢名から。

葛餅」は、葛粉から作られる透明でプルプルとした舌触りのいい

しかし、同じ「くず餅」という名前の和菓子でも、関東と関西とではまったく別物。おもに関西地方で作られている「葛餅」は、葛粉に砂糖と水を加え、加熱してできた透明な餅にきな粉と黒蜜をかけた物ですが、関東で作られているくず餅は、小麦粉のでんぷん質を発酵させてできた白っぽい餅にきな粉と黒蜜をかけていただく物をいいます。

「関東のくず餅の起源には諸説あります。弊社は、1805年創業。度々、亀戸天神に通っていた船橋屋の創業者(勘助)が、ここで甘味を出したら売れると見込み、地元の千葉で食べられていたおやつを『くず餅』として売り出しました。

当時、千葉では小麦の生産が盛んだったため、小麦農家では、小麦粉を水で練って蒸した物をおやつとして食べていたようです。小麦の生産地が、以前は「下総国葛飾郡(しもうさこく・かつしかぐん)」という地名だったため、葛飾郡の『葛(くず)』を取って、『葛餅』と呼ばれるようになったのではないかといわれています」(株式会社 船橋屋 広報担当の篠原優奈さん)

(この項、「」HPより)

東京・亀戸にあるくず餅の老舗「船橋屋」は2022年9月27日、SNS上で渡辺雅司社長(創業者の一族)が赤信号を進んで交通事故を起こし、事故の相手方に怒鳴った様子を撮影した動画が拡散されていることについて、公式サイト上で「事故並びに現場での対応は概ね事実であり、弊社としても到底容認できるものではない」と公表しました。渡辺社長は29日の取締役会で辞任しました。新社長に神山恭子氏が就任しました。

ところで、漢字の「葛」。

は古代のかつしかと呼ばれた地域のごく一部にしか過ぎません。古代の「かつしか」という領域は広大なものでした。古代の「かつしか」は、旧南葛飾郡かつしか・江戸川・墨田・江東区)と、千葉県市川・柏・流山・松戸・船橋市や埼玉県栗橋および茨城県古河・総和市までおよぶ広い地域がその範囲でした。
「かつしか」の地名は、当時のかつしかぐん全体の地形的特徴を捉えることで説明ができます。つまり、「かつしか」の「かつ」は丘陵や崖などを指し、「しか」は砂州などの低地の意味をもっています。「かつしか」とは、利根川流域の右岸に低地、左岸に下総台地が広がる旧かつしかぐんの地理的な景観から名付けられたと考えられます。

 「かつ」と「かつ

 ところで、「かつしか」という漢字を書くときに困ったことはありませんか。「かつ」の字が、「かつ」や「かつ」などまちまちだからです。
かつしかくでは「かつ」と書くのが正しいと説明していますが、「かつ」と書く人もたくさんいます。

歴史的にみた「かつしか」の表記

「葛飾」721年 下総国葛飾郡大嶋郷戸籍(正倉院文書 宮内庁正倉院事務所所蔵)

「かつしか」が文字として表記されている最も古い史料は現在のところ、下総国府が都に提出した「養老五年下総国かつ飾郡大嶋郷戸籍」にみえる「かつ飾」です。大嶋郷戸籍と同じ8世紀に編纂された万葉集の中にも「かつしか」が表記されていますが、基本的に音に漢字をあてているだけです。また、下総国府付近から出土した奈良時代の土器には、「かつ」の字が墨書されていました。
中世になると、千葉県の香取神宮に所蔵されている寛元元年(1243)の古文書には「下かつ西」とあり、応永33年(1426)の奥津家定寄進状に「かつ西庄」、永禄5年(1562)に小田原の北条氏が本田氏に宛てた書状には「かつ西」と記されています。このほかにも、「かつ西」と記した史料が多くあり、中世においては圧倒的に「かつ」の字が用いられています。
こうしてみると、古代から中世にかけて「かつしか」の「かつ」あるいは「かさい」の「か」という漢字の表記は「かつ」とする事例が多いように思えます。
江戸時代になると、「かさ井」「笠井」なども使われ、実に様々な表記がなされます。中世や近世においては、当て字なども頻繁に使われており、字よりも音のほうが重要だったようです。

 「かつ」と「かつ」をめぐる混乱

 その後も「かつしか」を表記するときの混乱は続き、現代まで尾を引くこととなります。「かつ」と「かつ」は、新聞の紙面や官公署関係の表示でも、人や機関によって異なった表記がなされていました。
このような混乱を避けるため、昭和61年、かつしか区ではCIサイン(区のマークやロゴ)を選定する際に、区の関連の表示については、略字ではない正字の「かつ」の字を使うことにしました。

国語的に見た「かつ」と「かつ」について

  「かつ」の異体字が「かつ」です。どちらも漢字として存在する正しい字です。異体字ですから、その差は字体のみであり、文字としては同一の意味をもっています。「かつ」の字が、誤字や俗字であるということではありません。なお、第21期国語審議会の「表外字印刷標準字体表試案」では、「かつ」は中国起源の正字「かつ」の略字として扱われています。

法的に見た「区名」の根拠

警視庁・東京府公報(昭和7年5月24日付)

 区名を法的な観点から見るとどうでしょうか。
かつしか区の区制施行を告示した、「警視庁・東京府公報」(昭和7年5月24日付)には、「かつ」と明記されています。また、戦後定められた地方自治法第3条第1項には、「地方公共団体の名称は、従来の名称による」と定められています。したがって、従来からの名称である告示時の名称「かつ」が正式な区名である、というのが本区の見解です。

(この項、「より)より)

さて、カルガモたちはどうしているか? 池の奥の方にいました。

                

水中にけっこう長く潜っています。

そのうち石橋のところに、

             

前見たときは橋の下をくぐっていましたが、橋の上に上がり、そして池の中に。体が大きくなった証拠。

そして、隣の池へ。

ハスの花が一輪。

ヤマユリ。強い芳香を放っています。

             

せんのう。

           

寺島なす。

さわぎきょう。

         とけいそう。

むかでらん。<img src="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/63/89290940f800b5d32818a2c3c19488a6.jpg">牧野富太郎の命名。

夏の百花園にも、また新たな発見があります。

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墨田区鐘ヶ淵散策。その4。東白鬚公園。纏(まとい)。隅田宿跡。石枕の伝説(一つ家伝説)。

2023-07-18 18:35:49 | 隅田川

東白鬚公園。

「まといのシンボルタワー」

公園の中央にそびえるシンボルタワーは、江戸時代の火消し人足組が高く掲げた「まとい」をイメージしたもの。「火事と喧嘩は江戸の華」といわれたように、町人町に家屋が密集し、ほとんどの建物が木と紙で組み立てられた江戸時代に火災はつきものでした。江戸時代の消防は、延焼防止を目的とする破壊消防を主として、中期以降は、瓦屋根の普及、土壁・土蔵造りなどの防火建築が発達したといわれています。江戸城や大名屋敷の消防隊である「定火消し」の発達に対して、町方の自衛消防隊の組織化はなかなかすすみませんでした。しかし、八代将軍吉宗の政治改革の過程で、町奉行大岡忠相のしどうによって「町火消し」の設置が進められました。町火消しは、地域ごとに火消し組合を組織し、町が火消し人足を定置する消防隊、火事場で互いの勇敢さを競う火消し足の活躍は、文学や演劇の題材となり後世に語りつがれます。

        纏のシンボルタワー。

かつて、この地は、古代東海道の宿駅でした。

 

            ↓が、古代東海道。

当地は古東海道の渡河地で、平安の末頃には隅田宿が成立していたといわれています。隅田宿は、治承4年(1180)に源頼朝が布陣したと伝わる宿で(『吾妻鏡』)、元来は江戸氏など中世武士団の軍事拠点であったと考えられています。遅くとも南北朝時代までには人と物が集まる都市的な場が形成されたようで、歌人藤原光俊が詠んだという13世紀中期の歌には、多くの舟が停泊しにぎわう様子が描かれています。(『夫木和歌抄』)また、室町時代成立の『義経記』には「墨田の渡り両所」と見え、隅田種宿が対岸の石浜付近と一体性を有する宿であったらしいこともうかがわれます。対岸との関係については今なお不明な点を多く残しますが、隅田川東岸部における宿の広がりについては、江戸時代の地誌に載る一部の伝承と絵地図が参考になります。それらを分析した研究成果によれば、所在範囲はおよそ図示したように想定されます。なお、人質にさらわれた梅若丸とその母の悲話を伝えた梅若伝説、そして罪業深い老母と娘の悲劇を伝えた石枕の伝説(一つ家伝説)など、隅田川流域にはいくつか著名な伝説が残されました。この付近に成立した隅田宿は、そうした伝説を育む場でもあったようです。

石枕の伝説(一つ家伝説)ー浅茅ヶ原の鬼婆(あさぢがはらのおにばば)

東京都台東区花川戸に伝わる伝説一つ家の鬼婆(ひとつやのおにばば)、一つ家(ひとつや)あるいは土地の名前だけをとり浅茅ヶ原(あさぢがはら)とも称される。

浅草寺(東京都台東区)の観音菩薩にまつわる伝説として江戸時代以後には書籍や演芸・芝居なども取り上げられ、広く知られていった。一軒家に棲む老女が宿泊する旅人をあやめて金品を奪っていたなどとする話は各地にみられ、これもそのうちの一例と見ることができる。

用明天皇の時代、武蔵国花川戸の周辺に浅茅ヶ原と呼ばれる原野があり陸奥国下総国を結ぶ唯一の小道があったが、宿泊できるような場所がまったくない荒地で、旅人たちは唯一の人家であるあばら家に宿を借りていた。この家には老婆と若く美しい娘が2人で住んでいたが、実は老婆は旅人を泊めると見せかけ、寝床を襲って石枕で頭を叩き割って殺害し(『関八州古戦録』巻二では、天井から縄をつけた大石を落として圧殺したと記す)、亡骸は近くの池に投げ捨て、奪った金品で生計を立てるという非道な鬼婆だった。娘はその行いを諌めていたが、聞き入れられることはなかった。老婆が殺した旅人が999人に達した。ある日、ひとり旅の稚児(ちご)が宿を借りた。老婆は躊躇することなく、寝床についた稚児の頭を石で叩き割った。しかし寝床の中の亡骸をよく見ると、それは自分の娘だった。娘は稚児に変装して身代わりとなり、自分の命をもって老婆の行いを咎めようとしていたのだった。老婆が自分の行いを悔いていたところ、家を訪れていた稚児が現れた。実は稚児は浅草寺の観音菩薩の化身であり、老婆に人道を説くために稚児の姿で家を訪れたのだった。その後、観音菩薩の力でと化した老婆が娘の亡骸とともに池へ消えたとも、観音菩薩が娘の亡骸を抱いて消えた後、老婆が池に身を投げたとも、老婆は仏門に入って死者たちを弔ったともいわれている

鬼婆が身を投げたとされる池は姥ヶ池(うばがいけ)と呼ばれてあり、現在花川戸公園に残っている。池の大きさは、古くは隅田川に通じるほどの水をたたえた大きなものであったが、明治時代に宅地造成などのために大部分が埋め立てられており、かつての姿とはかけ離れたものとなっている

(この項「Wikipedia」より)

遠くにスカイツリー。

                

木々の多い静かな公園。

       

「明治通り」に出ます。「向島百花園」がすぐ近くにあるので、ちょっと寄ってみます。

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