所沢市側は都県境直下まで家並みがあります。
広場に出てきました。
眼下に東村山市の家並み。
「あおぞら広場」。犬を連れ、散歩する女性。
東南に市街地が広がります。
ベンチで小休止し、西のゴール目指して、
眼下に、ほっこり広場。
右は、所沢市側。
尾根伝いにのんびりと。
振り返る。
ということで、今年のブログも、終わり。皆さん、良いお年を。
ソウタ。アンズ。
仲良く新年を。
所沢市側は都県境直下まで家並みがあります。
広場に出てきました。
眼下に東村山市の家並み。
「あおぞら広場」。犬を連れ、散歩する女性。
東南に市街地が広がります。
ベンチで小休止し、西のゴール目指して、
眼下に、ほっこり広場。
右は、所沢市側。
尾根伝いにのんびりと。
振り返る。
ということで、今年のブログも、終わり。皆さん、良いお年を。
ソウタ。アンズ。
仲良く新年を。
「都立八国山緑地」案内図。
八国山は標高89.4メートルの狭山丘陵の東端にある山です。その頂きから 上野(かみつけ)・ 下野(しもつけ)・ 常陸(ひたち)・ 安房(あわ)・ 相模(さがみ)・ 駿河(するが)・ 信濃(しなの)・ 甲斐(かい) の八国が見渡せることから、その名が付いたとされています。 新田義貞(にったよしさだ) 鎌倉討伐や武蔵野合戦などが行なわれた場所で、山のふもとには久米川古戦場碑があり、山頂には将軍塚が残されています。(「」HPより)
たどる道が、都県境(緑地の北限)になっています。
「八国山緑地」東側。
「同」西側。
明治以来、都県境に変化はありません。
振り返る。所沢市内。
右手が所沢市。
緩やか坂道を上がっていきます。
埼玉県側の案内板。
この案内板には、「埼玉県狭山丘陵」とあります。
右が埼玉県、左が東京都。
「元弘青石塔婆所在趾」碑。この左手奥に、
「将軍塚」解説板。
狭山丘陵の東端に位置するこの山は、かつて駿河・甲斐・伊豆・相模・常陸・上野・下野・信濃の八か国の山々が望めたことから八国山と呼び伝えられ、鎌倉時代には、この付近を鎌倉街道上道が南北に通っていた。
元弘三年(一三三三)、鎌倉幕府を倒そうと上州で挙兵した新田義貞は同道を南下し、小手指ヶ原で幕府軍と対戦したが苦戦を強いられ、分倍河原(現東京都府中市)の合戦でようやく勝利するが、このとき義貞がこの地に一時逗留し、塚に旗を立てたことから将軍塚と呼ばれるようになったと伝えられる。江戸時代に編纂された『新編武蔵風土記稿』には「此ニ一ツノ塚アリ。是ヲ将軍塚ト呼ブ」とある。同書には、この塚は富士塚とも呼び、あるいは古代の塚ではないかとも記されている。
先に進みます。散策を楽しむ人、ジョギングの人・・・、けっこう行き交います。
眼下に広がる所沢市街地。
都県境は、まだまだ旧所沢街道を越えて南西に進みますが、道が不明なところもあり、柳瀬川の右岸(東村山市)を歩くことに。
「柳瀬橋」。
柳瀬川(上流)。
「二柳橋」から。対岸は、埼玉県 所沢市。
現所沢街道。
この付近で都県境は、柳瀬川に。
ポリオ研究所(株式会社BIKEN)東京事業所―ポリオワクチンの研究及び製造拠点―。(東村山市久米川)
西武線新宿線をくぐります。
二瀬橋交差点。対岸は、所沢市久米。
「二瀬橋」が架かる柳瀬川が都県境。
東村山市マンホール。市章と市の木ツツジのデザイン。
「勝陣場橋」からの柳瀬川。
下流方向。
ここから、都県境は北西に進みます。
左折した道の右手の緑地が都県境。
いよいよ都県境になる「八国山緑地」の道をたどることに。
秋水園。
ごみ焼却施設、リサイクルセンター、し尿希釈投入施設、とんぼ工房、グランド。
さらに、ふれあいセンターが併設されています。
※「秋水園ふれあいセンター」
秋水園周辺住民の交流を促進し、地域社会の発展と文化の向上、及び地域住民の福祉の増進を図ると共に、資源が循 環して利用されるまちづくりを目的とします。(「」HPより)
とんぼ工房。
秋水園には、皆さんの家から出された家具などの粗大ごみが日々運び込まれていますが、その中には修理をすればまだ使えるものや、少しの工夫で活用できるものがたくさんあります。
とんぼ工房は、それらのそのまま「ごみ」として処分してしまっては「もったいない」ものに手を加え、再生できる家具等の修理・廃材の再利用を行なう施設です。
運営団体である「とんぼサポーター2」が、廃材を使った木工品の製作を行っています。
木工品は、とんぼ工房内の「とんぼギャラリー」や「美住リサイクルショップ」、産業まつりなどのイベントで販売しています。(「同」HPより)
この施設の北側・柳瀬川が都県境になっています。
道なりに歩きます。右手に「西武研修センター」。
再び「柳瀬川」沿いに。
ただし、柳瀬川左岸奥までが東村山市秋津になります。
「光あまねし」碑。
詩人の草野心平氏は昭和38年から秋津に住み、あたりを自然のままという意味の「五光」と命名しました。その後、秋津橋のたもとに氏の筆により「光あまねし」の木柱が立てられましたがその墨痕も薄くなったため、昭和56年11月に地域の人々により、石の記念碑が立てられました。
解説板。
元・一本橋 現〔秋津橋〕
●昭和24年ごろまで、河原に厚さ約五寸・長さ約四間・幅約一尺五寸の板橋がありました。その後、木造橋になり、台風による洪水で倒壊。現在の橋は二代目になります。
●川沿い北側の緑地は「一本橋緑地」として、平成24年12月に愛称名をつけました。。・・・
(「緑地保護区域の緑を守る会」)
上流を望む。
しばらくこの界隈を歩きます。
柊(ひいらぎ)の生垣。
広い通りに出てきます。前方を都県境が横切ります。
旧所沢街道。
12月25日(日)快晴。風もあまりなく、穏やかなお天気。日本海側、北日本の人たちには申し訳ないほど。
秋津駅に10時頃到着。最近は、最寄りの交通機関の関係(特に鉄道)で距離を伸ばせません。ますます軟弱に。
所沢の観光案内板。
歩く道は、図の下の方、所沢市と東京都東村山市と境。都内は、真っ白になっています。
左は東村山市、右が所沢市。
東村山市のマンホール。
図柄は村山貯水池の取水塔。村山貯水池(多摩湖)の所在地は東大和市。それが、東村山市のマンホール蓋に描かれているのか? ここで取水した水が東村山市にある「村山浄水場」に送水されるということから。中央下に「ヒ」と「ム」をハトの形に図案化した市章がある。
所沢市のマンホール。
中央に、ヤマノイモ科の多年生つる草の「野老(ところ)」の葉を図案化し、周りをカタカナの「ワ」3つで囲んだ市章。
武蔵野線のガードをくぐります。
柳瀬川。
松戸橋公園。
安松橋。
柳瀬川。淵の森緑地。
トトロの森。
川の中に人が。清掃をしているのでしょうか、丹念に歩いている様子です。
この向こうが都県境。
川面までは深く、しっかりした護岸になっていて、遊歩道はありません。
向こう岸に渡りたいのですが、
結局、東村山市側を歩くことに。
秋水園ふれあいセンター。