おやじのつぶやき2

「おやじのつぶやき」続編。街道歩きや川歩き、散歩がてらの写真付きでお届けします。

国立劇場・歌舞伎鑑賞教室。その2。「藤娘」。藤間紫。華麗なる家系。

2023-06-30 18:33:24 | 歌舞伎鑑賞教室

令和4年7月舞踊公演「花形・名作舞踊鑑賞会」より『藤娘』

舞踊として名高い「藤娘」。

    

             

真っ暗な中で幕が開くと、「若紫に十返りの、花を現す松の藤浪・・・」と長唄が始まります。

一瞬にして舞台に明かりが灯ると、大きな松の木に絡んだ藤の花が一面に咲き誇り、その下には黒塗りの傘を被って藤の枝を持った美しい娘が立っています。

実はこの娘は人間ではなく、若い娘に姿を変えた藤の精なのです。

傘を被ったまま一時舞い踊った後、松の陰に姿を隠した娘は、今度は傘を手に持って藤の花房をかき分けて姿を表します。

           

そして近江八景の情景を読み込んだ長唄の詩に合わせて、初々しい娘の浮気な男への恋に身を焼く女心を見せる「クドキ」の場面になり、艷麗に舞い踊ります。

            

再び松の陰に隠れた娘は、今度は傘を持たず衣装を変えて登場し、この舞踊の見せ所でもある「藤音頭」を披露します。

藤の花の精が娘の姿で現れ、女心を踊る作品です。とりたててストーリー展開はありませんが、衣裳を何度か着替えて、娘の愛らしい姿を見せていきます。笠を使った振りでは、「男ごころの憎いのは他の女子(おなご)に……」と男性の浮気性をなじる詞章で、すねてみせるなど、切ない反面可愛らしい恋心が表現されます。次の「藤音頭(ふじおんど)」は見どころの1つで、お酒を少し呑まされて酔い、恋しい男性を思う踊りです。鉦(かね)という金属音のする打楽器が醸し出す、美しくリズミカルな曲を背景に、男性が帰るというのを引き留めたりする女心満点な振りがついています。両肌脱ぎ(もろはだぬぎ)をした格好になると、テンポのよい曲調になり、明るく楽しく踊ります。「まだ寝が足らぬ……藤に巻かれて寝とうござる[まだ眠いので、藤に巻かれて眠りたい]」という詞章で、寝そべったりする仕草が可愛らしい部分です。やがて鐘の音が聞こえてくると、娘は藤の枝を担ぎ夕焼け空に飛ぶ雁を見上げるのでした。 

              

ここからは、下世話話になりますが。

                        (「」より)

祖母は日本舞踊の紫派藤間流・初世家元藤間紫。祖父は藤間流宗家の舞踊家で人間国宝二世 藤間勘祖(六世 藤間勘十郎)。父は元俳優藤間文彦。母は元女優の島村佳江。兄は元ジャニーズJr.で日本舞踊家の初世藤間翔(藤間貴彦)

幼少より祖母・初世家元藤間紫に師事。7歳で歌舞伎座の舞踊会で初舞台を踏む。小学4年生の時に舞った「羽根の禿(はねのかむろ)」は二代目市川猿翁が絶賛し、藤間紫が嫉妬したほどで、早くから後継者に指名されていた。藤間紫の死後、二代目を襲名した猿翁に師事してきたが、弟子からも技術が認められ、2018年に三代目襲名が決まった

女優としては、2017年に連続テレビ小説ひよっこ」(NHK)でデビュー。2018年には野田秀樹脚本、中屋敷法仁演出の舞台「半身」で桜井玲香とW主演を務める。

2021年2月28日、東京の日枝神社で三代目藤間紫を襲名し、日本舞踊の紫派藤間流家元となった[3]。兄の貴彦は初代・藤間翔(かける)を襲名している。襲名披露公演は2022年1月に国立劇場で行われる。女優業は当面、藤間爽子名義で続ける意向を示した。師匠の二代目市川猿翁(二代目藤間紫)は「初世の遺言通り、『孫の爽子が年ごろを迎えた暁に、3代目家元として藤間紫を襲名させて欲しい』という遺志を実現する時期に達したと思い(中略)継承させる運びとなりました。それに伴い、妹を支えて共に芸道に励む覚悟をした兄の貴彦には、私の生き様を示す『天翔ける心』から藤間翔と命名し、初代として名乗らせることを決めました」と文書でコメントしている

2022年1月、延期になっていた紫派藤間流舞踊会を国立劇場にて開催し、三代目藤間紫を襲名披露。『京鹿子娘道成寺』白拍子花子、『道行初音旅』静御前などを務めた。(この項「Wikipedia」より)

華麗なる一族。

市川照之(市川中車)とは叔父と姪の関係。図にはないが、今、世間を騒がせている市川海老蔵とも遠縁に。   

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国立劇場。令和4年7月歌舞伎鑑賞教室。紅葉狩り。

2023-06-29 18:34:29 | 歌舞伎鑑賞教室

このところ、出歩く機会がなく、ブログも滞りがち。訪問者も激減、ということに。

そこで、「YouTube」を視聴。第三回目の「歌舞伎鑑賞教室」さらに「落語鑑賞教室」でも開いてみることに。

今回は、去年行われた夏の「歌舞伎鑑賞教室」を。

実は、とある関係で、この公演の予約取りに協力したことがありました。

         

紅葉が夕日に照り映える戸隠山。余吾将軍平維茂(よごしょうぐんたいらのこれもち)が従者の右源太、左源太とともに紅葉狩にやって来る。そこには宴を張る先客がいた。聞けば、やんごとない女人が侍女たちとお忍びでお出掛けとのこと。維茂が遠慮しようとすると、その高貴な姫自ら、是非ご一緒したいと誘う。そこまで言われてひいては男がすたる。言われるままに維茂は宴に加わることにする。

美女に美酒

さっそく酒よ、肴よと下へも置かぬもてなしぶりに、盃を重ねる維茂。腰元が舞を舞い、調子に乗った右源太、左源太も滑稽な踊りで座を盛り上げる。


なおも一献とすすめられた維茂は、その代わりにと姫に舞を所望する。恥ずかしがる姫だったが、局に手を取られ舞い始め、やがて二枚の扇をつかってあでやかに舞いすすめてゆく。

だが、ふと見ると美酒に酔いしれたか維茂はうたた寝をしている。姫は用心深く何度か様子を窺い、維茂が熟睡したことを確認すると表情を一転させ、維茂と従者を残して一同とともに山へ姿を消す。

山神の警告

入れ替わりに眠りこける維茂主従の前に現れたのは山神である。この山奥には鬼神がいて人を取って喰う、こんなところで寝ていては命は風前の灯同然と、山神は杖を突き、肩をゆすり、地団駄踏んで維茂らを起こそうと躍起になるが、一向に目覚める気配がない。とうとうあきれ返って帰ってしまう。

鬼女の出現

夜風にようやく目が覚めた維茂は、姫の正体を見届けようと山奥へ向かう。従者二人は恐れわななき、ころがるように山を下りていく。やがて維茂に追われて出てきたのは、形相凄まじい鬼女。

    

勇猛な維茂もたじたじと押されていくが、平家に伝わる名剣小烏丸(こがらすまる)の力を借り、鬼神を追い詰めていく。

信濃国の戸隠山にがおり、平維茂によってそれが退治されたというのが共通する伝説の要素である。その鬼は女性であり、名前を紅葉(もみじ)であるとするものが一般に流布されている。

室町時代から江戸時代にかけて、浄瑠璃歌舞伎では「紅葉狩」(もみじがり)という題名で描かれつづけ、平維茂が戸隠山におもむき、そこで出会った紅葉見物の美しい女性たち一行に出遭うという展開を設けている。その女性たちの正体が戸隠山の鬼、鬼女・紅葉であるとする。をもとにして作られた河竹黙阿弥による歌舞伎『紅葉狩』(1887年)は、紅葉に相当する鬼の名を更科姫(さらしなひめ)としている。

※鬼無里での紅葉伝説は他と違い、紅葉が村人に施した事が伝えられている。一般には主人公の「紅葉」は妖術を操り、討伐される「鬼女」であるが、鬼無里における伝承では医薬、手芸、文芸に秀で、村民に恵みを与える「貴女」として描かれる。 

(この項、「Wikipedia」より) 

美女が鬼に変身して暴れる、という意外性が面白い。当然、同じ役者が演じるわけですが。

華やかな舞台が繰り広げられます。

女性の俳人・三橋鷹女の有名な句、この樹登らば鬼女となるべし夕紅葉」を想起させます。

燃えるような夕紅葉には鷹女の句を通して、ゾクゾクとさせるものがあります。

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鎌倉野草園。ひつじぐさ。やぶかんぞう。半夏生。ぶどう棚。ガマの穂。ききょう。なでしこ。とくさ。・・・

2023-06-26 18:33:07 | 向島百花園

6月25日(日)。晴れ。

久々に出かけました。以前に来た時とのすっかり変わって、ずいぶんとこぎれいになっています。

案内板。

ひつじぐさ。

              

やぶかんぞう。

                

半夏生(はんげしょう)。

                 

ぶどう棚があります。

公園ではあまり見かけない。

ガマの穂。

小さな流れを配置し、水辺風に仕立ててあります。

 

池では子供たちが、

東側は、公園になっています。

付属施設。

水槽にはフナやメダカが。

桔梗(ききょう)。秋の七草。

撫子(なでしこ)。これも秋の七草の一つ。

バックは、とくさ? 

                

暑いさなか、休日のせいか、親子づれが屋内外で遊んでいました。

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小田急「片瀬江ノ島駅」~江ノ電「藤沢駅」~「鎌倉駅」。その4。

2023-06-25 13:49:18 | 境川

振り返ると、江の島上空は晴れてきそうですが、

行きのときの記念碑付近は、ビショビショ。

そのまま、藤沢駅に戻りました。すっかり晴れてきます。

このまま帰るのも、もったいなので、藤沢から江ノ電で鎌倉に行くことに。

江ノ電「藤沢駅」。

鎌倉から江の島、また途中駅まで何度か乗ったことがありますが、全線通して乗るのは、初めて。

4両編成ですが、江の島駅付近からけっこう混んできます。

路面電車風に走るところも。

車窓からの湘南の海。

長谷寺のアジサイなどちょうど満開の時期。外国人観光客などどんどん乗ってきます。

席を立って外を撮るわけにもいかず、そのまま鎌倉駅に。

久々に海でも眺めようか、と。

由比ヶ浜まで歩きます。

                            逗子方向。

稲村ヶ崎方向。

 海岸では、「海の家」づくりが盛んに行われています。

トンビが低空飛行。              

以前、弁当を広げたところ、おかずを見事にさらわれたことがありました。

海開き前ののどかなひととき。

JR「鎌倉駅」に戻る途中に、「畠山重保邸趾」。

畠山重保ハ重忠ノ長子ナルガ嘗テ北条時政ノ婿平賀朝雅ト忿事ス朝雅其ノ余怨ヲ蓄ヘ重保父子ヲ時政ニ讒ス時政モト重忠ガ頼朝ノ薨後其ノ遺言ニ依リ頼家ヲ保護スルヲ見テ之ヲ忌ミ事ニ依リテ之ヲ除カント欲ス乃チ実朝ノ命ヲ以テ兵ヲ遣シテ重保ノ邸ヲ囲ム重保奮闘之ニ死ス時ニ元久二年六月二十二日此ノ地即チ其ノ邸址ナリ其ノ翌年重忠亦偽リ誘ハレテ武蔵国二俣川ニ闘死ス 大正十一年三月建 鎌倉町青年団

JR横須賀線「鎌倉駅」。

こうして、中途半端な江の島の旅を終了します。

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小田急「片瀬江ノ島駅」~江ノ電「藤沢駅」~「鎌倉駅」。その3。

2023-06-23 18:34:00 | 境川

島の東側、海沿いにある集落を歩いてみます。

 

細い路地の両側に家が並ぶ。

                  背後は森(江島神社)が高く広がる。

藤沢市のマンホール。

         江の島モース臨海実験所跡推定地。

エドワード・シルベスター・モースは1877年(明治10年)7月17日~8月28日ここに東洋初の臨海実験所を設け、海産動物の研究・指導を行い、我が国の近代動物学の基礎をつくりました。

※エドワード・シルベスター・モース

アメリカの動物学者。明治10年6月日本腕足類研究のため来日して、江ノ島で研究。
1度帰国し、翌年再び、来日、東京理学部で動物学の初代教授となった。横浜から東京への車窓から大森貝塚を発見、その後発掘を行って報告書を刊行した。これによって、近代科学としてのわが国の考古学研究の基礎がつくられた。・・・

モースは、大森貝塚発見で知っていましたが、江の島にも縁があるとは。

海岸側に出ます。背後は切り立った岩山が続きます。

          

江の島の今昔。

                     1880年代のようす。集落は海に張り付くように。

                     2010年代のようす。

海に広がっているのは、「江の島ヨットハーバー」。

昭和39年(1964)東京オリンピック開催に際し、日本で初めての競技用ハーバーとして建設されました。
最近では東京2020オリンピック競技大会のセーリング競技会場としても使用され、記憶に残るレースが繰り広げられました。
メイン施設のヨットハウスのほか、クルーザーヨット泊地、ディンギー陸置場などがあり、 ヨットマンで賑っています。一般の人はこれらの横にあるセンタープロムナードを散策したり、さざえ島に登ったり、タイドプ-ルで潮遊びなどが楽しめます。

(この項、「」HPより) 

さて、昼食のお店はたくさんあって、迷いましたが、弁天橋正面にある、大きな「レストラン貝作」で。

のんびりと窓から。

ところが、突然黒雲が広がってきます。

そのうち、大粒の雨が降ってきました。

     

お店を出て、参道を上がりかけましたが、けっこう雨脚が強くなってきたので、これ以上は止めようと、弁天橋を戻ることに。

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