おやじのつぶやき2

「おやじのつぶやき」続編。街道歩きや川歩き、散歩がてらの写真付きでお届けします。

京王線「京王よみうりランド駅」~東急線「二子玉川駅」。その5。なんじゃもんじゃの木。多摩川五本松公園。海から24.2K。六郷用水取り入れ口。

2023-04-30 18:33:02 | 都県境を探る

木が生い茂るところも。

その先に、

「調布排水樋管」。

               ランニングロードの距離標示。

左手のお店「薪窯ピッツァ」裏手にある「なんじゃもんじゃの木」が満開!

          ヒトツバタゴ。

ナンジャモンジャは、特定の場所に生えている見慣れない立派な植物、怪木や珍木に対して地元の人々が付けた愛称。すなわち、特定の植物の名ではない。ヒトツバタゴを指すことが多いが他の樹種の場合もある。あんにゃもんにゃとも呼ばれる。

「ナンジャモンジャ」と名付けられる植物の樹種は、ヒトツバタゴのほか、ニレイヌザクラボダイジュなど様々である

「ナンジャモンジャ」と称される理由について、民俗学では、元々は占い神事に利用されていたもので、植物名で直接呼ぶことが憚られたものではないか、とみる説などがある

一説では、神木の前を通りかかった水戸黄門が「この木はなんじゃ」と聞いたところ、地元の人が聞き取れず「なんじゃもんじゃ」と返答して、木の名前だと勘違いして広まったという話がある

(この項、「Wikipedia」より)

                

左手が住宅街になります。

河川敷には畑。

                  対岸は、登戸方向。

「多摩川五本松公園」。

      整然とした農地。

下流に「多摩水道橋」。

           今や、はるか遠くに「よみうりランド」(↓)。

         

「海から24.2K」。

木陰で小休止。けっこう暑くなってきます。

「六郷用水取り入れ口」。

六郷用水は、徳川家康の命により慶長2年(1597)から16年にかけて代官小泉次大夫吉次によってつくられた灌漑用水路で、次大夫堰とも呼ばれています。この用水は、多摩川の水をこの辺りで取り入れ、市役所の裏で野川と合流し、世田谷区を経て大田区に至り、全長約23㎞に及びました。市内でも和泉、猪方、岩戸の水田の利用されてきましたが、この辺りは昭和40年に埋め立てられました。写真は、多摩川から見た取り入れ口で、右側が現在地、左側は玉翆園で、昭和初期のものです。

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京王線「京王よみうりランド駅」~東急線「二子玉川駅」。その4。海から26K。上河原堰・二ヶ領用水中野島取入れ口。

2023-04-29 13:46:38 | 都県境を探る

左手に大きなグランド。

                「電気通信大学多摩川グラウンド」。

「海から26K」。

「上河原堰」。

右岸(川崎側)には、「二ヶ領用水中野島取入れ口(上河原取水口)」が見えます。

豪快な水音がします。

下流方向。                     

魚道。アユが遡上するようです。

                

この付近の今昔。

1880年代のようす。

2010年代のようす。

先に進みます。

     対岸。

           水鳥の姿が。

上流を望む。

河原が広がる。

振り返る。よみうりランド(↓)が遠くに。

 

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京王線「京王よみうりランド駅」~東急線「二子玉川駅」。その3。都県境。ナヨクサフジ。京王閣競輪。多摩川橋梁。

2023-04-28 18:41:04 | 都県境を探る

対岸(右岸)を望む。

                          「多摩川原橋」上流から稲城市方向を望む。

ここから下流に向かいます。

都県境を望む。川崎市側はグランド。

          

水辺の草花。ナヨクサフジ。

ナヨクサフジは紫色の花を咲かせるマメ科の越年草。ヨーロッパ原産です。元は飼料として輸入されたものが日本で帰化したと言われています。空き地や河原、その他いろんな場所で野草として見かけることの多い花です。

ナヨクサフジの英名はsmooth vetch(スムースベッチ)、あるいは winter vetch(ウィンターベッチ)。vetch(ベッチ)とは、ソラマメの仲間を指す英名です。

葉の先端からつるを分岐させて、周囲の植物に絡みつきながら生長します。草丈50cm~1m以上まで大きくなり、よく繁茂します。

花付きが良く、花期には紫色の濃淡のある花をいっぱいに咲かせます。ナヨクサフジの群生する姿は、遠くから見ると紫色の波のようで見惚れてしまうほどの美しさです。

                この先、けっこう見かける花です。

タンポポ。

土手の向こうには、

                 「京王閣競輪場(東京オーヴァル京王閣)」(東京都調布市)。

「多摩川橋梁 (京王相模原線)」。

     左手に「京王多摩川駅」。

河川敷の広い緑地。

      保育園児の歓声が響く。ベンチで休む老人。のどかな雰囲気。

多摩川案内図。よく整備されています。

詳細図。

ワンド風な水辺に釣り人がたくさん。

※ワンドは、水流が穏やかなので、淡水魚の生息に適しており、水生植物が繁茂するところは、魚の産卵や稚魚が暮らす絶好の場所となっている。

                   「海から26.4K」。

しゃれたおうちが多い。

          

穏やかな日差しの下、のんびりと。 

このさきに、堰堤が見えてきます。

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京王線「京王よみうりランド駅」~東急線「二子玉川駅」。その2。矢野口の渡船場跡。多摩川原橋。都県境は多摩川を下る。海から(まで)28K.

2023-04-27 18:38:22 | 都県境を探る

右に折れて進むと、「渡船場跡碑」。

       

矢野口の渡しは矢野口と調布を結ぶ渡船場で矢野口村と菅村で運営されていた。渡し場は多摩川原橋のやや下流にあった。昭和10年の多摩川原橋の完成で下菅の渡しと統合され菅の渡しとなった。矢野口の渡しは新田義興が謀殺された矢口の渡しとする説もある。

※多摩川にあった渡し場

 川に橋を架けるということは、近代以前では大変難しく、有力な街道の渡河点でも橋がなく、多くは渡し舟によっていました。
 1600(慶長5)年に東海道が多摩川を渡る六郷では、長さ120間(約218m)の六郷大橋が架けられましたが洪水のために何回も流れ去り、一時仮橋の時代があったものの、結局明治7(1874)年まで六郷の渡しとして橋のない状態が続きました。また、甲州街道の日野の渡し、日光街道の拝島の渡しのほか、大山街道の二子の渡し、津久井往還の登戸の渡しのような脇往還の渡船場も発達していました。このように主に旅人がわたる渡船場が多く、また発達していたことが江戸に近い多摩川の渡船場の特徴であったといえます。しかし一方で、多摩川で最後まで残った菅の渡し(昭和48年廃止)などの生産物の出荷や対岸の田畑耕作に主として利用された作業渡しがあったことも忘れてはなりません。
(参考文献:「多摩川誌」建設省京浜工事事務所)

(この項、「」HPより)

通りの反対側にある緑地は、川崎市。

多摩川の土手に上がります。

                        左手・上流にある「多摩川原橋」。

東京都道・神奈川県道19号町田調布線鶴川街道)を渡す。右岸は稲城市、左岸は調布市である。右岸下流は200m足らずで神奈川県川崎市に入る。旧橋は1935年(昭和10年)に架けられた。現在の橋は、旧橋の老朽化と交通量の増大のために架け替えられた。2車線の橋が上流側に1998年(平成10年)に、下流側に2006年(平成18年)に完成し計4車線を通す。上流側には多摩川原水道橋が架かる。

下流を望む。

                                            都県境は、右から左へ。

この先、都県境は90度曲がり、多摩川が都県境となり、河口まで続きます。

稲城市方向を望む。

ここからは、左岸(東京都側)を歩くために、「多摩川原橋」を渡ります。

赤い線が都県境(右から左へ)。

ただし、多摩川両岸の真ん中をたどるわけではなく、河川の中をけっこう屈折しています。(赤い線)

この付近の今昔。

                     2010年代のようす。線路は、JR南武線。

                     1880年代のようす。「矢野口の渡し」がある。

アーチ橋は、水道橋。

すぐ河原には下りられず、少し上流を回り込んでから、河川敷の遊歩道に。

「多摩川原橋」。

「よみうりランド」方向(↓)。

「多摩川左岸 海から28K」。いよいよ河口を目指します。

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京王線「京王よみうりランド駅」~東急線「二子玉川駅」。その1。「三沢川」。複雑な都県境をクリアー。川崎市上下水道局第2取水系 (かんがいさく井)」。旧渡船場道馬頭観世音塔

2023-04-25 18:34:38 | 都県境を探る

いよいよ多摩川に向かいます。

「よみうりランド」から越えてきた都県境は、「三沢川」を渡り、「多摩川」方向へ。

かなり、はしょりましたが、やっと。

(「気象協会」HPより借用)

     ○の複雑な都県境。主に東京都町田市と神奈川県相模原市、横浜市、川崎市との境界線。

初めに「境川」沿いを歩き、その後、多摩丘陵を上がったり、下ったりしてここまでたどり着きました。

駅前の案内図。

4月21日(金)。晴れ。

「京王よみうりランド駅」下車。大勢の若者が集まっています。「よみうりランド」に向かうのでしょうか?

都県境標示のところへ。

             「三沢川 ←神奈川県横浜川崎治水事務所  →東京都南多摩東部建設事務所」。

対岸の標示。「よみうりランド」方向。崖になっています。

「三沢川」(下流方向)。

      

ここからスタート。多摩川に向かいます。

対岸の深い森を背に、

京王線のガードをくぐります。

「(川崎市)多摩区菅城下」。

しばらくウロウロし、「川崎市立菅中学校」の脇を進むと、

資源回収の看板「稲城市」を発見。

この付近は、稲城市になるようです。

この細道が都県境。右が川崎市、左が稲城市。

その先、ちょっと不明になる都県境。

都県境は、曲がりくねる小川に沿って北西に。その少し東の道を歩きます。

畑が広がる。

                畑の左向こ側に都県境。

「府中街道(川崎街道)」に出ます。「川崎市多摩区」。

「東京都稲城市」。

「鶴川街道 ←町田 →調布」。

通りを越えた「セブンイレブン」脇の道が都県境。

   右が川崎市、左が稲城市。

右手に「川崎市上下水道局第2取水系 (かんがいさく井)」。

※「さく井(せい)」=井戸を掘ること。漢字で書くと、「 鑿井」。

JR南武線ガードをくぐります。

       

                 川崎市のマンホール。

都県境をたどると、突き当たり(稲城市内)に、

「旧渡船場道馬頭観世音塔」。

          

・・・江戸時代後半期から明治・大正にかけて各地に馬頭観世音の石塔が建立されるようになったのは、農村において馬の果たす役割がたいへん増大したことと深い関係があると思われる。この馬頭観世音塔は、多摩川のもとの渡船場の近くにあり、文化13年(1816)に建立され、市内に現存する最古のものである。・・・台石には願主矢埜口邑(矢野口村)をはじめ造塔に協力した相当に広範囲な19の村名が記されている。この渡船場の重要さをよく示しているといえよう。

この付近は、稲城市矢野口。左奥にJR南武線「矢野口駅」があります。

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