おやじのつぶやき2

「おやじのつぶやき」続編。街道歩きや川歩き、散歩がてらの写真付きでお届けします。

JR武蔵野線「吉川駅」~東武伊勢崎線「北越谷駅」。その7。(「元荒川」をゆく。第1日目。)

2024-06-30 13:31:43 | 元荒川

東武線のガードをくぐって先に進みます。

           

越谷駅と北越谷駅は直線の線路で隣同士ですが、元荒川は半円状で迂回します。

             ○。明治時代から現在までほとんど変わらない流路。(「今昔マップ」より)

東武線鉄橋方向を振り返る。

左岸のようす。

         桜堤通りになっていますが、右岸は炎天下の道。

ところどころ、花壇があり、

ベンチなどもあります。

                       

前方に「神明橋」。

               

           中央の車道部分は古そうなトラス橋

振り返る。

この橋を渡り、左岸に移ります。

                   桜並木の下。

河川敷には耕作地が広がっています。

       

対岸に「文教大学」キャンパスが見えてきます。

前方には「出津橋」(人道橋)。

文教大学越谷キャンパス。

出津橋。学生たちが通行中。

今回は、ここまで。「北越谷駅」に向かいます。<img src="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/75/d0afc09b2cc39cf1d34a32548734ef04.jpg">

炎天下、結構疲れました。

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JR武蔵野線「吉川駅」~東武伊勢崎線「北越谷駅」。その6。(「元荒川」をゆく。第1日目。)

2024-06-29 13:34:33 | 元荒川

元荒川歩きを再開します。                     

 

カラフルな遊歩道になっています。右手が元荒川。     

葛西用水は、元荒川を「伏越」で越えて流れてきます。

※伏越(ふせごし)

用水施設排水施設などの水路において、開渠となっている部分が、河川または他の水路と交差している場合、逆サイフォン構造によって河川・水路の河底を通過させる工法・技法、およびそれによる工作物で、施工方法が開削工法によるもの用水路・排水路など開水路の場合、河川と交差する部分で、沿岸の双方の高さに高低差が大きい場合、高い側から逆サイフォンで河川を自然流下で通過させることが多い。歴史的に古い水路・用水にも見られる工法である。(「Wikipedia」より)

振り返る。右が葛西用水。

    

「新宮前橋」。

「宮前橋」。

「久伊豆(ひさいず)通り」となっています。

            東の方に「久伊豆神社」があります。※「くいず(クイズ)」ではありません。

埼玉県加須市に鎮座する玉敷神社がかつて「久伊豆明神」と称しており、総本社とされている。祭神は大己貴命。埼玉県の元荒川流域を中心に分布し、平安時代末期の武士団である武蔵七党野与党・私市党の勢力範囲とほぼ一致している。

(この項、「Wikipedia」より)

緑道から橋を望む。

この先、左手の高台に、「越ヶ谷御殿跡」碑。

越谷市には「御殿町」と呼ばれる地名があります。これは、慶長9年(1604)に徳川家康が放鷹時の宿泊所などのために、現在の御殿町地内に御殿を設営したことによるとされています。御殿に関する詳細は不明ですが、その広さはおよそ現在の御殿町全域と推定されています。越谷市教育委員会では、昭和47年に御殿町一帯を「越ヶ谷御殿跡」(こしがやごてんあと)として市の旧跡に指定し、昭和61年には埋蔵文化財包蔵地として周知し、保護を図っています。
もともと御殿町には越ヶ谷郷の土豪会田出羽の陣屋があった場所でしたが、家康が増林にあった御茶屋御殿を移したものといわれています。その後、明暦の大火(1657)で江戸城が消失した際に越ヶ谷御殿を江戸城二の丸に移すため解体されたと伝えられています。江戸城二の丸に移されるまでの約50年の間に、徳川家康、徳川秀忠(2代将軍)、徳川家綱(4代将軍)が度々訪れたとの記録も残されています。その跡地は畑地として開発され、現在に至っています。

(この項、「越谷市」HPより)

ちょうどこの場所の、元荒川の左岸から右岸のところに葛西用水との伏越があります。

                     (現在)「伏越」付近。

北から南に流れるのが葛西用水(逆川)。東武線鉄橋の下流の橋が旧日光街道に架かる「大沢橋」。北に「北越谷駅」。

                     (1880年代)。

注目すべきは、現在のような瀬割堤はない。さらに、自然堤防があり、瓦曽根溜井がかなり大きいものであったことがわかる。

※現在の越谷市役所、市民会館付近も溜井の中にあった。

「元荒川橋」。

       「しらこばと」のモニュメント。

大沢橋(旧日光街道)のたもとに、「元荒川緑道(中流部)散策案内」。

大沢橋から東武線鉄橋を望む。

人道橋。

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JR武蔵野線「吉川駅」~東武伊勢崎線「北越谷駅」。その5。(「元荒川」をゆく。第1日目。)

2024-06-27 18:31:39 | 元荒川

「溜井(逆川・葛西用水)」。

                          花しょうぶが満開。

「元荒川」。

「越谷市役所」・「越谷市中央市民会館」が見えてきます。

               

「平和橋」(葛西用水)「新平和橋」(元荒川)。

越谷市中央市民会館。

平和橋・新平和橋。

いったん、東武伊勢崎線「越谷駅」に向かい、小休止。

「越谷・松伏水道企業団」のマンホール。「越松水」「仕切弁」。

                      ※越谷市の花、松伏町の花が共に菊です。

旧日光街道。日光街道歩きのときに通過しました。

日本橋から3番目の宿場・越谷宿。

越谷駅。

 

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JR武蔵野線「吉川駅」~東武伊勢崎線「北越谷駅」。その4。(「元荒川」をゆく。第1日目。)

2024-06-26 15:37:09 | 元荒川

右岸の河原。

「瓦曽根堰(かわらぞねせき)スポット広場」。

              

  正面は、「しらこばと橋」。   

 

                     解説板。

「葛西用水」の成立

享保(1719年)すでに開削されていた幸手領用水(万治3年1660年)の利根川の川俣圦樋が増設され、琵琶溜井・松伏溜井・瓦曽根溜井・亀有溜井を連結させた十ヶ領、三百村、領石高13万3千石(年貢米)の大用水が成立し、葛西用水と呼ばれた。

「葛西用水」流路図。

「利根川」から取水された「葛西用水」は、「大落古利根川」、「逆川」を経て、ここまで流れ、この後は、「元荒川」から離れ、八潮市、足立区、葛飾区、墨田区まで続くことになります。

※「溜井」は河川を堰き止めて洪水対策や農業用水とした施設。近世初頭に瓦曽根溜井が建設され、中期以降に石堰が設けられた。中土手(元荒川と溜井を分ける土手)には竹を植えたり畑があった。また港の役割をする河岸場もあり、高瀬舟などによる物資流通の拠点でもあった。この堰は今のしらこばと橋の辺りにあり、石堰は大正期まで使われていた。

※「中土手(元荒川と溜井を分ける土手)」=「瀬割堤」

2つの河川が合流したり、隣あって流れるために、流れの異なる2河川の合流をなめらかにしたり、一方の川の影響が他の河川におよばないように2つの川の間に設ける堤防 。

この付近は、「旧赤水門スポット広場」として整備されています。

          

「瓦曽根堰」遺構。

                       「赤水門」。

元荒川に架かる人道橋。

                            「赤水門橋」。   

元荒川と溜井の間の土手(瀬割堤)を歩きます。

       

瓦曽根堰(旧名堰枠)。                

「しらこばと橋」。

斜張橋。橋は県および市の鳥である向かい合った2羽のシラコバトが、大空に向かって飛び立つ様子をモチーフとしている。主塔から放射状に延びるケーブルを鳥の羽に見立てている。市のランドマークのひとつであり、夜間は橋のライトアップも実施されている。(「Wikipedia」より)

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JR武蔵野線「吉川駅」~東武伊勢崎線「北越谷駅」。その3。(「元荒川」をゆく。第1日目。)

2024-06-25 15:33:44 | 元荒川

右岸沿いに大きく広がる「遊水地」。

南方に「越谷レイクタウン」があります。

「越谷レイクタウン」の今昔。

                           (現在)

大規模な商業施設、住宅地となっている。

                           (1970年代)

ほとんど、田んぼや畑であった。※市街化調整区域

左岸の大きな建物。「越谷東高校」。

舗装された道なので、照り返しがけっこうキツイ。

早く木陰の下に。

ほっと一息。

    「大相模スポット広場」。所々にこうした小公園風な施設がある。

           

「不動橋」が見えはじめる。

         

「不動橋」のたもとに、「相模町スポット広場」。

                      木陰が涼しい。水分補給などで小休止。

         「元荒川緑道(下流部)散策案内」。

来た道を振り返る。

「不動橋」。

※「不動橋」の由来は沿岸にある「大聖寺(大相模不動尊)」から。

「しらこばと橋まで1,050m」

「動端落し(どうばたおとし)スポット広場」。   

        流入口。

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