おやじのつぶやき2

「おやじのつぶやき」続編。街道歩きや川歩き、散歩がてらの写真付きでお届けします。

ローカル私鉄の旅。43。「わたらせ渓谷鐵道」。その8。

2023-09-30 13:39:58 | ローカル鉄道

「渡良瀬橋」。

正初期には既に存在し、当初は一部木製の馬車鉄道の通る鉄橋だったという。その後数度改修などが行われ、2007年現在架かっているのは、1935年に鋼鉄部分をそのまま鉄筋とする形で改修されたコンクリートアーチ橋である。なお、1998年、老朽化などのためすぐ隣に新渡良瀬橋が架けられて自動車はそちらを通るようになり、元の渡良瀬橋は自転車·歩行者専用橋になった

※森高千里の曲「渡良瀬橋」で歌われる「渡良瀬橋」は、栃木県足利市のほぼ中央を流れる渡良瀬川に架かるトラス橋下路平行弦6連ワーレントラス橋。 橋長243.27m、幅員5.5m 森高千里がこの橋をモデルに渡良瀬橋 (曲)同名の楽曲を発表したことによって存在が全国的に知られるようになり、観光名所となっている。

まもなく終着駅の「間藤駅」に到着。

         

旅客終着の間藤駅

足尾線は私鉄により開設され、この駅は大正3年(1914)11月1日に営業を開始した。時あたかも足尾銅山全盛期であり、鉄道は物資の輸送増強に必要であった。同7年に国鉄に移った。しかし、昭和62年(1987)に全町民野の猛烈な反対も空しく、赤字により廃止され、JRに移った。平成元年(1989)から第3セクター「わたらせ渓谷鉄道」として出発した。その間、昭和45年に無人化(最高時18人)され寂しい駅となったが、平成6年(1994)に陶芸教室と合築し「カモシカの見られる駅」として新装され注目されている。

振り返る。

かつてはこの先まで線路が伸びていました。

わたらせ渓谷鐵道の終着駅でトロッコわっしー号の始発・終着駅です。国鉄時代は1.9km先の足尾本山駅まで貨物専用の線路が伸びていましたが、現在は廃線となっています。
国の特別天然記念物に指定されているニホンカモシカに出会える(かもしれない)駅として知られており、駅舎にはニホンカモシカをモチーフにした壁画があります。
また、間藤駅は紀行作家の宮脇俊三が1977(昭和52)年に国鉄全線を完乗した場所で、著書「時刻表2万キロ」の終着駅として、今も訪れるファンが絶えません。
駅前からは日光市営バスが出ていて、日光東照宮やJR・東武日光駅まで約35分ほどです。
足尾ダムは、渡良瀬川の上流、松木川、仁田元川、久蔵川の合流点に造られた砂防ダムです。ダムの壁画にはカモシカをデザインした陶版壁画(日本最大規模)があり、「あかがね親水公園」として町の新しい名所になりました。1890(明治23)年に建設された「間藤水力発電所跡」や重文に指定されている「古河橋」、「本山製錬所跡(大煙突)」を見ながら、駅から徒歩で約50分です。ここからさらに徒歩で2時間の松木渓谷は、荒涼とした岩壁が連続し「東洋のグランドキャニオン」とも呼ばれ、訪れる人を魅了します。

壁画「ニホンカモシカ」。

トロッコわっしー号

わたらせ渓谷鐵道のキャラクター「わ鐵のわっしー」をモチーフにデザインされたトロッコ列車です。 窓ガラスのないオープンタイプのトロッコ車両と、窓ガラス付きの普通車両を連結して、2両編成で走ります。(冬期はトロッコ車両も窓にガラスを取り付けて運転します。) 車窓には渡良瀬川の渓谷が広がり、吹き込む風を全身で受けながら、自然の織りなす美しい景色を楽しめます。

《運転区間》桐生~間藤

トロッコわたらせ渓谷号

ディーゼル機関車が4両の客車を引っ張る昔ながらのスタイルで、鉄道ファンにも人気があります。 機関車にはトロッコ車両と同じ銅色をした「DE10-1537」と、赤い色をした「DE10-1678」の2種類あり、どちらが走るかは当日のお楽しみです。 車両は窓ガラスのないオープンタイプのトロッコ車両2両を、窓ガラス付きの普通車両2両で挟み込んだ格好で連結します。
車窓には渡良瀬川の渓谷が広がり、吹き込む風を全身で受けながら、自然の織りなす美しい景色を楽しめます。

《運転区間》大間々~足尾

駅前広場から駅舎。

                  なんだか雨雲が広がりそう。

山口青邨(やまぐちせいそん)の句。

昭和を代表する俳人。「夏草」を創刊し多くの句集を上梓した。青邨(本名・吉朗、1892~1988)は、明治25年(1892)に盛岡市に生まれた。大正2年に東京大学採鉱学科を卒業して、古河鉱業足尾鉱業所に入り、2年間勤務したことがある。その後、たびたび足尾を訪れ句を吟じ、次の作品などを残している。

合歓咲きて駅長室によき蔭を(昭和11年)

風花やをろがみ申す山の神(昭和18年)

青邨の作風は、清純高潔でその詩情は穏健で調和的である。  日光市

観光案内図。

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ローカル私鉄の旅。42。「わたらせ渓谷鐵道」。その7。

2023-09-29 18:44:26 | ローカル鉄道

町が大きく広がってきます。

「通洞」。

足尾町の中心にあり観光の拠点となる駅で、行楽シーズンには観光客で賑わいます。駅舎は北方ヨーロッパの木造建築技法であるハーフティンバー様式で、柱や梁が外に出ているのが特徴です。駅舎及びプラットホームが登録有形文化財として登録されています。
「足尾銅山観光」は駅から徒歩約5分で、足尾銅山の旧坑道を利用した、江戸時代からの銅山の歴史と仕組みを見学できる施設です。園内には、江戸時代に足尾で作られた「足字銭」の鋳造行程をわかりやすく再現した施設もあります。
「古河足尾歴史館」には、江戸時代から昭和まで日本を支え続けてきた足尾町の移り行く姿を伝える写真など、貴重な資料が展示されています。足尾銅山の真の姿をいろいろな角度から見ることができます。また、併設の「足尾トロッコ館」では、復元されたガソリンカーに乗ることができます(運転日は要確認)。
横根山ハイキングコースは足尾の東南に位置し、横根山(1,373m)を中心とした2市(日光市、鹿沼市)にまたがる波状の起状に富んだ前日光県立自然公園に指定されている高原です。他に古峰ヶ原ハイキングコースなどがあります。

※1 江戸幕府直山の足尾銅山は産銅量の減退に伴い、銅山師達は山元(やまもと)の困窮を救うため、寛保元年(1742)幕府に足尾銅山で「寛永通宝・一文銭」の鋳造許可を願い出、鋳銭することとなりました。

寛永通宝は江戸時代に広く流通した銭貨で、寛永13年(1636)に創鋳、幕末まで鋳造。特に足尾で鋳造の寛永通宝一文銭は、裏に「足」の字が刻まれ「足字銭(足尾銭)」と呼ばれ、お銭(かね)のことを「おあし」と言っていたのも足字銭が語源といわれます。

(この項、「」HPより)

※2 「おあし」の語源

お足は、もとは女房詞。
お金はあたかもが生えているかのように行ったり来たりすることから、お金を「足」にたとえ、女房詞なので接頭語の「お」が付いて「お足」となった。
中国晋時代の『銭神論』にある「翼なくして飛び、足なくして走る」に由来するともいわれるが、女房詞は日常から自然に発生した言葉ばかりなので、「お足」だけが書物に由来するとは考え難い。
『銭神論』を直接の語源とせず、日本の「お足」と『銭神論』の「足」は、同様の発想から生じたと考えるのが妥当であろう。
なお、旅費などをいう「お足代」の「足」はなど交通の手段を指しており、お金そのものを指す「お足」と関係するものではない。

この項、「語源由来辞典」HPより)

  「足尾銅山観光」下車駅。

           

 

        町のようす。

「足尾」。              

「海抜640米(㍍)」。

トロッコわたらせ渓谷号の始発・終着駅です。
足尾駅はかつて、銅製品や原料輸送のための貨車を入換・留置しておくため、広い構内に何本もの線路が敷かれていました。現在も駅構内に国鉄足尾線時代の気動車や濃硫酸輸送に使われた古河工業のタンク車などが保存されていて、往時を偲ばせます。
     
駅舎及びプラットホームなどは登録有形文化財として登録されており、駅周辺だけでも全 5か所の登録有形文化財を見ることができます。
「古河掛水倶楽部」は、古河鉱業の迎賓館として建設された建物で、大正初期に改築され、外観は洋風、内部は和洋、それぞれの様式を用いた2階建てです。現役の福利施設として宿泊や会合に使用されていますが、土・日曜日・祝祭日に限り一般公開されていています(冬季を除く)。

保存されている車両。

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ローカル私鉄の旅。41。「わたらせ渓谷鐵道」。その6。

2023-09-28 18:34:07 | ローカル鉄道

「渡良瀬川」左岸沿いに進む。

「取水堰」。

渓谷が続きます。

              

すばらしい渓谷美が続きますが、かつては足尾銅山からのひどい汚染水が流れていました。今は、澄んだ流れに。

 

           

河川の氾濫などにより、大量の鉱毒が下流の広範囲の田畑に甚大な被害を与えました。

                   

            

集落に近づきます。

「原向(はらむこう)」。

栃木県に入って最初の駅です。
足尾町には山歩きをするには格好の場所がたくさんあり、初心者から健脚者まで楽しめます。備前楯山、庚申山登山は原向駅からのアプローチがよく、道標も整備されています。
駅を降りて庚申川に沿って北(銀山平)に登って行くと、2017(平成29)年にリニューアルした国民宿舎「かじか荘」・庚申の湯(日帰り入浴可)があります。

危険! サル出没中

女性や小さなお子さんは特にご注意下さい

・目をみつめない・物を与えない・威嚇しない        日光市

庚申川。

この付近から、わたらせ渓谷鉄道線は、再び、右岸沿いに進みます。

振り返る。

              「古河機械金属(株) 足尾事業所 技術課」。「旧足尾銅山」「古河」関連の施設が増えてきます。  

右手が「足尾銅山通洞選鉱所」跡。

       「古河機械金属(株) 足尾事業所 鉱務課」。   

「通洞変電所」。

変電所は、発電所から送電された電気の電圧を適切な値に変え、必要な所に配分する役目を果たすものです。昭和46年の記録によると、足尾銅山は使用する電力の全量を古河鉱業日光発電事務所(平成15年に古河日光発電株式会社)に所属する5つの発電所(馬道発電所・細尾発電所・上ノ代発電所・背戸山発電所・神戸発電所)によって賄っています。そしてこれらの発電所より、日光足尾2回線、神戸足尾1回線の送電線を経て、通洞変電所・本山変電所・間藤変電所で受電し、それぞれの受持電力使用箇所に送電されました。通洞変電所は、足尾銅山関連施設の多くが廃止され、また取り壊されている中で、現在も足尾地域に電力を供給(東電が古河の施設を使用して各家庭に送電)していると同時に、電力需要の拡大に伴う増設・改変の歴史を伝える貴重な施設です。(「日光市」HPより)

「通洞大橋」が右手下に。

                  足尾の町が眼下に広がります。    

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ローカル私鉄の旅。40。「わたらせ渓谷鐵道」。その5。

2023-09-27 18:34:13 | ローカル鉄道

渡良瀬川渓流沿いを進む。

               

この先、草木ダムに差し掛かります。鉄道は長いトンネルに入ります。

 けっこう長く感じる。

草木ダム(くさきダム)

群馬県みどり市東町座間、一級河川利根川水系渡良瀬川の本川上流部に建設されたダムである。旧名は神戸ダム(ごうどダム)。

独立行政法人水資源機構が管理する多目的ダムで、東京都を始めとする首都圏への利水と渡良瀬川・利根川の治水を目的とした利根川上流ダム群の一つである。高さ140.0 mの重力式コンクリートダムであり、利根川水系では川治ダム鬼怒川)と並んで奈良俣ダム楢俣川)の158.0 mに次いで高い。ダムによって形成された人造湖草木湖(くさきこ)と命名され、ダム湖百選に選ばれている。

沿革

渡良瀬川流域は古くから穀倉地帯として、鎌倉時代以後は右岸を新田氏、左岸を足利氏が領有して後に雄飛。江戸時代には館林藩を始め多くの藩がこの地を領有して新田開発を盛んに行った。また、明治時代以降は桐生市を中心に絹織物業が発達する一方で源流部での足尾では古河市兵衛により足尾銅山が大拡張され、流域人口は年々増加していった。

だが渡良瀬川は古くから氾濫を繰り返して流域に多大な被害を与えた。さらに足尾銅山から流出する鉱毒は沿岸農地へ深刻なダメージを与え、洪水による伝播もあって農地への鉱毒被害は更に拡大(足尾鉱毒事件)。渡良瀬川以外の水源に乏しいこともあって水争いも広がった。明治政府はこれを解決すべく田中正造などの反対を意に介さず1905年明治38年)に当時の谷中村を強制廃村させて渡良瀬遊水地を建設。これにより洪水調節と鉱毒防止を図ろうとした。だがそれ以降も洪水は流域を襲い、特に1947年昭和22年)のカスリーン台風においては桐生市を中心に甚大な被害が発生した。こうしたことから利根川水系の根本的治水計画が再検討されることとなった。

多目的ダムの建設

多目的ダムによる洪水調節を利根川水系でも図ることとした。これに基づき利根川水系に九箇所のダムが計画され、藤原ダム(利根川)・相俣ダム(赤谷川)・薗原ダム(片品川)などが完成した。さらに1951年(昭和26年)には国土総合開発法の制定に伴い利根川流域は首都圏の発展に資するという目的で「利根特定地域総合開発計画」地域に指定され、かんがい上水道工業用水道確保を図るための更なる河川整備が計画された。この際に矢木沢ダム(利根川)・下久保ダム神流川)などと共に計画されたのが神戸ダムで、1958年(昭和33年)より予備調査に入った。

この間人口が爆発的に増大した首都圏の逼迫した水需要解消が急務となり、神戸ダムは支流思川の左支川・南摩川の南摩ダムなどと共に第二次フルプランの中心事業として位置付けられ、事業は公団へと移管された。

反対運動

1967年(昭和42年)より工事に着手したが、ダム建設によって東村神戸・沢入(そうり)地区などの住民230戸が水没対象となった。この地域は比較的開けた山村で足尾と桐生の中間点に位置し、交通の便も悪くなく居住者が多かった。このため住民の反対運動は激しく、漁業権補償と並んで容易に解決できない問題となった。このため一般補償交渉は難航し、当初1970年(昭和45年)完成を目標としていたが、同年7月9日に利根川水系におけるフルプランの全面変更を行い、1975年(昭和50年)度完成へと遅らせることとした。

難航していた補償交渉は1973年(昭和48年)には妥結し、本体工事に着手。同時に路線が水没する国鉄足尾線(現・わたらせ渓谷鐵道)の付け替え工事(草木トンネル建設など)を実施した。結局当初の計画より7年遅れること1977年(昭和52年)3月に完成し、運用を開始した。

なお、完成前に神戸ダムは草木ダムと名称が改められたが、これは地元住民の要望によるものである。こうしたケースは全国各地のダムでも見られる。

目的

洪水調節不特定利水かんがい上水道工業用水道供給、水力発電の六つであり、多目的ダムの中では用途が広い。なお、計画当時は足尾銅山が採掘を行っていたこともあって、足尾銅山鉱毒防止も目的としていたといわれている。だが補償交渉の最中足尾銅山が閉山(1973年〈昭和48年〉)、以降鉱毒流出が極端に減少したこともあって鉱毒防止目的は除外されている。完成以後草木湖では厳重な水質調査が毎年行われているが、環境に影響を及ぼす数値は検出されていない。

草木ダムは完成以降、渡良瀬貯水池(谷中湖)と共に首都圏への重要な水がめとして機能している。

草木湖

ダム湖である草木湖総貯水容量が約6千万トンと利根川水系でも屈指の規模を誇る人造湖である。湖上流部にはキャンプ場等が整備され、夏には草木湖上で花火大会も行われる。ダム右岸には国道122号が通過しており、右岸展望台駐車場はツーリングを楽しむライダーが休憩のために利用する光景がよく見られる。冬季には晴天時に冠雪した日光連山の風景を湖越しに見ることも出来る。ダム直下流にも足を運ぶことができる。

(この項、「Wikipedia」より)

着工前のようす。

       完成後のようす。

※写真は、「」HPより。

草木トンネル

わたらせ渓谷鐵道わたらせ渓谷線にある、群馬県みどり市東町草木を通過する全長5,242 mの鉄道トンネルである。

1973年(昭和48年)6月27日 - 草木ダム建設に伴い、神土(現・神戸) - 沢入間を現在の新線およびトンネルに付け替え

草木ダム建設によって線路の一部が水没するため新線に付け替えることになり、ダム湖迂回する形で本トンネルが建設された。神戸駅沢入駅の間(駅間7.0 km)にあり、列車は約10分かけて通過する。トロッコ列車を運行する第三セクター鉄道の中では一番長いトンネルである。本トンネルの神戸口と沢入口との高低差は約140 mあり、草木ダムの堤体高さとほぼ同じである。

廃止された旧線は一部が遊歩道になっているが、ほとんどがダム建設により草木湖の中に沈んだ。草木湖に架けられている草木橋辺りに旧草木駅があった。

(この項、「Wikipedia」より)

   ダム建設の前後。左岸沿いだった線路はダムの底に。(「今昔マップ」より)   

 やっとトンネルを抜け、視界が広がる。

渡良瀬川。

           「群馬県沢入発電所」が左手に。

沢入(そうり)地区に入ります。

         

           黒坂石川。

「沢入(そうり)」。

長い草木トンネル(5,242m)を抜けて渡良瀬川を鉄橋で渡ると、まもなく沢入駅に停車します。駅舎内に簡易郵便局がある珍しい駅です。 沢入駅はあじさいの名所としても知られ、毎年7月頃には約2,200株のあじさいが駅構内を彩ります。また、秋はもみじの名所でもあり、駅構内をもみじが真っ赤に染めます。 待合所及びプラットホームが登録有形文化財として登録されており、ドラマやCMの撮影などにも利用されることの多い駅です。 黒坂石バンガロー・テント村は、黒坂石川の清流に囲まれた大自然の中のキャンプ村で、夏になると多くの若者や家族連れが川辺の水遊び、釣り、ハイキングを楽しんでいます。ハイキングでは、弘法大師が開眼したといわれている世にも不思議な「寝釈迦」「相輪塔」への下車駅です。

     

             

なかなか趣のある駅舎。

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ローカル私鉄の旅。39。「わたらせ渓谷鐵道」。その4。

2023-09-25 18:37:37 | ローカル鉄道

振り返る。

           

次第に高度を上げていきます。

渡良瀬川が眼下に。

              

                     小中川。

「小中(こなか)」。

小中川と渡良瀬川にはさまれた場所に位置する小中駅周辺は、四季を通じてせせらぎが聞こえる大自然の美しさにあふれた、のどかさがあります。この小中川の上流には落差96mの小中大滝と最大傾斜44%でスリル満点のつり橋(袈裟かけ橋)があり、春夏秋冬を問わず素晴らしい絶景を見せてくれる、みどり市自慢の名所です。また、袈裟丸山へのハイキングコース、小中大滝を経由する健脚コースもあります。
駅から徒歩約4分にある大蒼院のキリシマツツジは、樹高約4メートル、一般に庭園でみられる標準的なキリシマツツジの4倍以上の大きさです。推定樹齢は600年を超え、群馬県内のツツジの中では有数の古木です。毎年4月の終わりから5月上旬にかけて真紅の花が咲き、燃えるようなその樹容は見る人を圧倒します。

松島橋。

             

「神戸(ごうど)」。

             

かつては蒸気機関車C12型の連結・切り離しが行われた広い構内に、現在は「列車のレストラン清流」があります。東武日光線で活躍していた特急「けごん」の車体を利用したお食事処で、食堂車のような雰囲気を味わえます。駅弁の「トロッコ弁当」「やまと豚弁当」も、ここで製造販売しています。
神戸駅は近年花桃の名所としても知られ、毎年3月下旬から4月上旬には約300本の花桃が咲き誇り、大勢の見物客が訪れます。また、駅舎及びプラットホームが登録有形文化財として登録されており、上神梅駅とともに足尾鉄道の開業当初からの歴史を見守ってきた数少ない駅舎として人気があります。
みどり市東町は、水彩の詩画を通して、生命の尊さ・優しさを語り続けてきた星野富弘さんの故郷です。水と緑に囲まれた草木湖畔には「富弘美術館」があり、いつもやさしく迎えてくれます。
周辺には、石原和三郎の資料を集めた「童謡ふるさと館」や、豊かな水をたたえた草木ダム、湖畔には国民宿舎「サンレイク草木」などがあり、神戸駅は観光拠点になっています。

駅舎内外の風景。

             

お願い 駅構内でを散歩させないでください」

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